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SDA教会とは何だったのかPart37

411 :神も仏も名無しさん:2020/10/04(日) 16:58:36.40 ID:idlFfK53d
◇閑話休題の雑学談議にいちいちコメントせず、ここで急所突きの一撃を
喰らわせておくと、上の記事によれば、石松は「推量」と「思量」という
言葉を任意に使い分けている。「推量」とは石松の推測であって、真実か
どうかあやふやで本人も自信がなく、わからないものである。「思量」とは
石松の思い込みの結果で自分でそうだと結論しているもので、第三者から
見てそれ自体正しい保証はないものである。すなわち、石松の聖書理解、
世界観というものはこういう推量と思量で成り立っているものである。
石松は凡人でありながらそれだけの了見で長老に成り上がれたのである。
しかも、この推量と思量のゆえに、石松は自分を仙人級の眼力があると思い
上がってきたのである。例えばカトリックが獣の教会であるというあたり
前田のクラッカーの預言理解にまで自分の思量で間違いと決めつけ、自分の
高ぶったプライドを育ててきたのである。それが林の石松の正体だ。この
ような思想を持った長老が他の教会にもいるなら読者もその場所で躊躇する
ことなく戦って打ち倒すことがSDA信仰者の良心に従って求められており
ます。それが聖書の民の教会を清める歩みの一つです。教会にはいろいろな
思想的背景を持った人がやってきますが、その中にはこの世に捨てていかな
ければならない思想も少なくありません。何が有益で何が無益であるかを
聖書のみ言葉から理解してかなくそを落とすように清められる必要があるの
です。
(この項、続く)

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