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◆悟りを求めない人の談話室No.29◆

626 :栄進軍曹:2020/07/25(土) 11:57:48.27 ID:LtUS8Tym.net
>>625

「私(ブッダ)は梵となりたる(もの) であり、無比であり、魔軍をほろぼしすべての敵を屈服させ、おそれることなく喜ぶ。」(Sn.561)

この例に類する詩句は、563にもあり、そこでも傍点の部分は同じである。
これはバラモンのセーラとの対話の中で述べられたもの。「梵となりたる<もの>」はbrahma bhu^taが原語であり、これは最高であり絶対なる存在であるブラフマンとなったものという意味である。
ブッダはこのように自称された。この部分の翻訳では学者によって異なるが、ブッダ、あるいは原始仏教の我説を考える場合には特に注意すべき表現句であるといえる。
この場合は、率直にブラフマンになったものと訳して良いと思う。
かくして、ブッダは「ブラフマンとなった人」である。


  「私(マーガ)はいま梵(brahma)に遭うことができた。あなたこそ本当に梵(brahma)と等しい方である。光明をもっている方である。どうすれば梵天界に生まれるのか。」(Sn.508)

と尋ねた。これに対してブッダは親切に梵天界に生まれる方法を説かれる。
 ここで注意すべきことは、マーガがブッダに対して、ブラフマンに遭えたとか、ブラフマンに等しい 方であるとか言っているのに、ブッダは何の反応も示されずにその呼称・表現をそのまま受けておられることである。
なぜなら、もしブッダがウパニシャッドのブラフマンを否定されたのであれば自分自身をブラフマンと呼称されることを拒絶され、正しい呼称を教えられたに相違ないからである。
考えるにブッダはブラフマンの存在を認め、したがってアートマンの存在をも同時に認めておられたのではないか。
前の例証のように、ブッダはブラフマンになった人であるから、他の人からブラフマンに等しい方、ブラフマン!と呼称されても当然だと思っておられたのではないか。
かくてブッダの自己とはまさにブラフマン即アートマンのアートマンであったと考えられる。
ただこれらの二・三例でもって即断することは危険であるが、『スッタニパータ』でこのような表現が伝えられていることは、初期の段階では、注目すべき点だといえる。

http://houjugusya.web.fc2.com/nirvana-brahmAtmaikyam.htm

5ちゃんを卒業した宝珠さんのサイトから(´・ω・`)笑

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