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天理教の基本 6の理

1 :演歌王:2020/02/18(火) 00:55:11 ID:wPi5xbrP.net
明治7年お筆先3号から第6号の半ばまでをお書きになった、天理教祖≡天理王命は、
12月26日、初めて赤衣を召された。
そのことは、お筆先6号にに、きちんと理を示した。
十二月廿一日よりはなし

055 このよふをはぢめだしたるやしきなり にんけんはじめもとのをやなり
056 月日よりそれをみすましあまくだり なにかよろづをしらしたいから
・・・

061 いまゝでハみすのうぢらにいたるから なによの事もみへてなけれど
062 このたびハあかいところいでたるから とのよな事もすぐにみゑるで
063 このあかいきものをなんとをもている なかに月日がこもりいるそや

064 いまゝでも月日のまゝであるなれど ひがきたらんでみゆるしていた
065 このたびハもふぢうふんにひもきたり なにかよろづをまゝにするなり
と宣言をした。

お筆先6号を敷いて、思案せよと、元始まりの理の思案をせよと命じて、
おやさまは扉を開かれた。
 
当スレッドは6号を敷いて、一つ事につって思案するスレである。

242 :演歌王:2020/04/30(木) 22:53:39.39 ID:ETPw48jUN
基本的には教祖の断食は「予言行為」と理解しています。

稿本天理教教祖伝逸話篇二五 七十五日の断食
これは明治5年、1872年から75年間は1947年までの期間に事です。
おやさまは、何も食べてはならなかったわけです。
断食明けは、75日はヒトの一年は神の1日ですから、ヒトの75年が過ぎ、
断食が開けて、1948年10月26日、おふでさきが下付されます。

神のお言葉が食べられない、
松尾市兵衛さんの信心、75年間の残念でした。

243 :演歌王:2020/04/30(木) 23:14:15.62 ID:ETPw48jUN
>>242
>松尾市兵衛さんの信心、75年間の残念でした。

説明します。高慢な信仰者で、絹の天理教が好きでした。松尾先輩です。
 【麻と絹と木綿の話】逸話篇26
  明治五年、教祖が、松尾の家に御滞在中のことである。
  お居間へ朝の御挨拶に伺うた市兵衞、ハルの夫婦に、教祖は、
  「あんた達二人とも、わしの前へ来る時は、いつも羽織を着ているが、
  今日からは、普段着のままにしなされ。
  その方が、あんた達も気楽でええやろ。」と、仰せになり、
  二人が恐縮して頭を下げると、「今日は、麻と絹と木綿の話をしよう。」
  と、仰せになって、「麻はなあ、夏に着たら風通しがようて、
  肌につかんし、これ程涼しゅうてええものはないやろ。
  が、冬は寒うて着られん。夏だけのものや。三年も着ると色が来る。
  色が来てしもたら、値打ちはそれまでや。
  濃い色に染め直しても、色むらが出る。そうなったら、反故と一しょや。
  絹は、羽織にしても着物にしても、上品でええなあ。
  買う時は高いけど、誰でも皆、ほしいもんや。
  でも、絹のような人になったら、あかんで。
  新しい間はええけど、一寸古うなったら、どうにもならん。
  そこへいくと、木綿は、どんな人でも使うている、
  ありきたりのものやが、これ程重宝で、使い道の広いものはない。
  冬は暖かいし、夏は、汗をかいても、よう吸い取る。
  よごれたら、何遍でも洗濯が出来る。
  色があせたり、古うなって着られんようになったら、
  おしめにでも、雑巾にでも、わらじにでもなる。
  形がのうなるところまで使えるのが、木綿や。
  木綿のような心の人を、神様は、お望みになっているのやで。」

 松尾先輩は、高慢な方で、維新の宗教官僚を見下して問答したのです。
 明治7年には信者の筆頭格です。
  木綿ばかり着ていたようですが心は絹でした。

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