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小鳥たちにも宗教はあるのか

1 :神も仏も名無しさん:2020/01/15(水) 10:45:50.93 ID:vzUs8v+Rb
宗教は人間世界にしかないのか

そんなことはないような気がしてきたよ

416 :ギブス:2020/11/10(火) 09:03:11.46 ID:Wp4RExO2j
>>415 から、次のような考え方は自動的に誤りになる。
 
神の一元論・・・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教などなど。
 神がこの世のすべてを創造した。   
唯物論・・・生き物を含め、この世は物質だけで成立している。
 すべての生き物は死んだら土に帰る。
唯識学・・・すべての事物は心が作り出した表象にすぎない。
 この世は夢であり幻のようなものでしかない。

417 :ギブス:2020/11/11(水) 17:43:42.20 ID:EiI9fb3KK
唯識学の何がどう間違っているのか?

生き物は人間を含め、神と物質が作った二元宇宙を生きている。
それなのに、神を否定し、物質も否定しているところが間違っている。
生き物は神(命)と物質の両方を生きているのにね。
その両方を同時に否定してしまうところが根本的な間違いなんだよね。^^

唯識学には、反面教師という役割はあったのだろうが、
しかしもうその役割は終了したかもね。
いまや、神(命)を直接体験できる時代がやって来たのだから (`・ω・´)

418 :ギブス:2020/11/11(水) 18:43:17.44 ID:EiI9fb3KK
またもや不思議な奇蹟を体験したよ。
 
詳しくは書けないが、小鳥たちの思いが通じたのかも。
 
ここしばらく事情があって小鳥のエサ場にずいぶん心配していたが、
 
「偶然にも」小鳥たちのエサ場をそのままにすることができた。
 
よかったよかった、ほんとうによかった。^^

419 :ギブス:2020/11/12(木) 16:51:44.35 ID:YNifBOUt7
人間を含めたすべての生き物は、
神(命)と物質の、二重存在としてこの世に誕生するんだね。
だから幼い子たちは、この世の物質的な制約を超えた話をおもしろがる。

そう思うのは子供だからではなく、生き物は物質的な存在ではなく、
同時に霊的な存在でもあるという子供心の直感にある。
その直感は100%正しい。(`・ω・´)

420 :ギブス:2020/11/12(木) 17:20:11.52 ID:YNifBOUt7
これらを図式化すれば次のようになるだろう。
神(命=生) →→ 人間を始めとする生き物 →→ 物質化(死)
 
わたしの反論は、命は死ぬのか、ということだ。
そして、命を見た人間として、命は死なないと断言する。
命こそは神であり、永遠不滅なのである。
 
どうやってそれを確かめるのか?
死を受け入れ、死のうと決意する以外にない。
その時、「命=神」が姿を見せる。

421 :ギブス:2020/11/12(木) 18:18:11.94 ID:YNifBOUt7
神がいるかいないのかを、どうやって確かめるのだろうか?
死を決意し、死ぬことを受け入れる以外にない。
 
しかし、受け入れた瞬間、
同じ死ぬなら、この命をよいことに使いたい、と考え直したのです。
そしたら、命の雫が頭の中、額の中心辺りに一滴落ちて来ました。
その瞬間、それが神であるがすぐにわかったのです。
これが私と神との最初の出会いです。
 
神はいるのですね。神こそは「至福」の存在なのです。

422 :ギブス:2020/11/16(月) 17:45:53.08 ID:ODGb3JVVk
釈尊はなぜ修行の第一に「乞食行」を据えたのか。
悟るためには、これが一番大事な修行だとわかったからではないだろうか。

釈尊はスジャータの行為に無償の「愛」を直感した。
スジャータは神(命)との出会いをもたらすきっかけになっている。

それを無視して坐禅をひたすら強調するからわかわかめになる。
釈尊が坐禅で悟ったというのは俗説でしかない。
その直前に釈尊は神(命)に出会っている。

すでに悟っているからこそ坐禅に集中できたのではないだろうか。
釈尊集団の「乞食行」の意味を考えればそうなる。^^

423 :ギブス:2020/11/18(水) 08:13:32.78 ID:6s6cIIJiH
アラヤ識 〜 講談社学術文庫『世親』225p
そしてそれ(アーラヤ識)は暴流のように、流れて存在する。(第四頌d)

※ 暴流かどうかは個人差があると思う。
私の場合はわかりにくいかもしれないが、坐禅をしている最中に、穏やかな
小川を前にして坐禅をしているという魔境から始まる。二重の坐禅だね。

そしたら誰かが上流から水没した状態で流れてくる。それが目の前にやって
きた時、そいつと目が会ったが、見た瞬間、そいつが自分であるとすぐに
わかった。そいつは「生きている死体」とも言うべきものだったが、
しかもそいつが「にやっ〜」と笑ったのだね 〜 〜

あまりの気持ち悪さに速攻で捨てたが、そいつが目の前を通り過ぎた瞬間、
バチンと電気が切れたかのように想受滅(滅人定)に入り、
意識が完全に途絶えた。

424 :ギブス:2020/11/18(水) 09:44:34.00 ID:6s6cIIJiH
つぎに意識が戻ったのは、何もない闇の中だったような・・・
(後で考えるとこの意識はマナ識以外にないと思われる)
 
意識が戻るとほぼ同時に、猛スピードで白い霧の世界を走り始め、
自分の外にある白い霧の世界を認識できる視覚を持ち、
猛スピードで走っているのに霧の一粒一粒を数えられるぐらいの
鋭敏な触覚もあった。つまり自分と外部世界を分ける境界もある。
そこは痛いほど清浄であり、あまりにも痛快だから、
そんな状態で何も考えずに延々と走り続ける ・・・・・
 
でもふと「ここはどこなんだろう?」と思ったら、
その思いが雷が轟くように周囲に轟き渡り、それが聞こえた瞬間、
小川の側で坐禅をしていた自分自身に戻ることができ、
夜空に浮かんだ満月のようなものが落ちて来くるのを見る。
私は満月に飲み込まれ坐禅終了、日常意識にもどることができた。

425 :ギブス:2020/11/18(水) 10:09:30.07 ID:6s6cIIJiH
それは(アーラヤ識)は阿羅漢の位において消滅する。第五頌a
 
アーラヤ識がアーラヤ識として活動しつづけるかぎり、われわれは
生死をくりかえして輪廻しつづける。したがってアーラヤ識は修行の
過程において滅せられなければならない。アーラヤ識はいつ消滅する
かといえば、右頌に説かれるように阿羅漢の位においてである。
阿羅漢(アルハット)とは小乗仏教でとく最高の聖者の位である。
もはや学ぶべきものがなにもなくなった修学完成の位であるから
「無学」ともいう。前掲書(>>423、p227より)
 

426 :神も仏も名無しさん:2020/11/18(水) 19:58:33.03 ID:MW/luccYE
ちゅんちゅん

バカかおめー

それより豆だせ  豆

427 :ギブス:2020/11/19(木) 17:56:02.34 ID:lRWSI+0wM
残念だが、スズメは豆を食えないのだね。
米粒の大きさががやっと食べられる大きさなんだ。
豆の大きさならハトになる。
こういったことは実際に体験しないと永遠にわからない。

人間も同じであって、想受滅(滅尽定)を体験してない人々にとっては
悟りの奥義など結局のところ何もわかっちゃいない。
残念だがそんなもんだよ。TT)

428 :ギブス:2020/11/19(木) 18:32:35.36 ID:lRWSI+0wM
ついでにもう一つ、六神通など大ウソの大ボケだよ。
六神通 ・・・ 神足通、天耳通、他心通、宿命通、天眼通、漏尽通
ないないw そんな超人はインドやシナにも一人もいない。
 
いるとしても、自己愛から心が自由になるに応じて、
自由な発想が可能になるという程度ぐらいなものだろう。
自己愛からの卒業には想像を絶するような壁がある。

429 :ギブス:2020/11/20(金) 12:22:44.11 ID:xZnBcwVQO
かりに六神通を体験するとしたら「坐禅中の魔境」だろうね。
実際の生活では「運がよくなる」ことぐらいか。
でもこの世ではこれが重要なんだよね。^^

430 :ギブス:2020/11/20(金) 18:23:06.20 ID:xZnBcwVQO
生きている間に知っておくべきことは何だろう?
元気よく死ねるかどうかではないか。
 
南無阿弥陀仏では「恨」が残りそうな余地がある。
その点、ドンツクドンツク南無妙法蓮華経の方が元気がよくていい。
 
さらにベストなのは、生きている間に成仏することだろうか。
遺族たちに死者をも羨むような気分を起こさせられるのかどうか。
コロナor武漢ウィルスによってそんな時代がやってきたのか否か。

431 :ギブス:2020/11/21(土) 07:53:34.55 ID:O/ndtGrj8
死を恐れないこと 
〜 これこそが悟ったかどうかの基準ではないだろうか。
 
悟ったと言いながら、死から臆病に逃げ回っていたら、
とてもじゃないが悟ったとは言えない。
しかしムダに死ぬことではない。
死を恐れないことが、悟ったかどうかの基準である。
死ぬべきときは元気よく死ぬのがよい。
そういった覚悟を日頃から持て。(`・ω・´)
 

432 :ギブス:2020/11/21(土) 08:34:21.45 ID:O/ndtGrj8
どうしたらそんな心境になれるのか。
 
@ 神(命)に出会う 〜 神との出会いは「至福の極み」だった
A 想受滅によって「不浄なアラヤ識」を捨てることができた
B それによって「真の自己」である「清浄な霊魂」を見た
C いまや「マナ識」がその霊魂を覆っている
D 龍神様の背の上から「あの世」を見せられた
E 向こう側に行きたかったのに龍神様が石のように固まった
F 三途の川に架かる橋の上で守護霊と死者の霊に出会った
G 橋を渡りたかったのに二人に遮られた
 
これだけ体験すれば、死後の世界は少しも恐いものではなく、
むしろ逆、いつでも喜んで行ける場所であることがわかるだろう。
行きたい行きたいと思って生きて来たから、今日死んでもいい。
「悟り」とはそういったものなのだ。(`・ω・´)

433 :ギブス:2020/11/22(日) 08:44:10.56 ID:/8aijABgK
武士道と云うは死ぬ事と見つけたり 
----元佐賀藩士 山本常朝(1659-1720,61歳没)『葉隠』
 ↑ ↓ 
毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に
自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。
----葉隠「聞書一」2 冒頭の「・・・死ぬ事・・・」に対応する
------------------------------------------------------------ 
長い間カン違いしていたが、葉隠の場合は、
武士という道徳や世間体から「死を選べ」と主張しているね。
つまり武士としての「美学」のようなものである。
私が言っている悟り(>>432)とはまったく違う。<m(__)m> 

434 :ギブス:2020/11/23(月) 11:07:18.00 ID:3p6sFORzr
葉隠11巻が完成したのが9月10日、その10月10日に常朝死亡。
発見者は常朝の口述筆記を担当した20歳年下の田代陣基に違いない。
陣基は常朝を小屋の外に出し遺体を野焼きする。

常朝は、陣基が後始末してくれることを信じていたに違いない・・・
主君鍋島光茂公が亡くなったときに追い腹を禁止されたが、
山居20年にして追い腹を実行する。
葉隠って悲しい話なんだねえ。TT

435 :ギブス:2020/11/23(月) 16:18:57.19 ID:3p6sFORzr
しかし常朝が死んだ日は正確にはわからない。
陣基が発見した時は、腐敗が相当進んでいたのかもしれない。
そうしたら布団ごと外に出し野焼きする以外にない。
陣基はベストを尽くしたのだ。
 
こういったことを細々と書かなかったことは立派である。
陣基の品性やよし。^^

436 :ギブス:2020/11/25(水) 16:57:50.76 ID:PBKTlnXz7
(´;ω;`)ブワッ〜
赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関しては涙するが、

その立ち居振る舞いに関して、常朝はかなり批判的だったようだね。
なにグズグズしてるんだよっと。^^

437 :ギブス:2020/11/26(木) 18:13:28.71 ID:invhHTuB6
言葉だ言葉だと繰り返している人間は、正真正銘の詐欺師だと思うよ。
言葉はウソをつくことができるからね。
それはウソをつくための準備工作なんだね。たとえばサギシ・マ〇コとか。

言葉だ言葉だと主張している宗教はすべてサギ宗教だね。
ウソをつくための準備工作なんだよね。たとえばヨ〇ネの詐欺書とか。
言葉だけなら適当なことが言えるからね。

438 :ギブス:2020/11/26(木) 23:43:27.42 ID:invhHTuB6
世界で最低最悪な宗教は「イスラム教」だろうね。
いったん入信したら離教できない。
離教したら死罪に相当、殺されても仕方ないようである。
  
この宗教の背後にあるものは貧しさと過酷過ぎる自然環境だろう。
石油だけが唯一の経済資源であり、
そこにいるのはでたらめの限りを尽くす王侯貴族と、
人権を根こそぎにされた貧しい民衆だけ。

439 :ギブス:2020/11/27(金) 00:11:42.46 ID:Tq9GESoG+
コーランの「言葉」を絶対視することによって、
信者たちの人間関係を固定化したいのだろう。
これがコーラン絶対視のネライである。
 
支配者たちには便利過ぎる宗教だから、
支配者たちが自ら手放す理由はまったくない。
そんなことをしたら、いまの豊かな生活を失うだけだから。
------ そういうレベルの宗教かもね。TT

440 :ギブス:2020/11/27(金) 18:36:41.12 ID:Tq9GESoG+
人類が「神」を語り続けているのは、
だれかが実際に「神を体験した」からに他ならない。

神との出会いもないのに、神を説くのは詐欺師であり、ウソツキなんだよ。
キミもアナタも大ウソツキなんだよ。
その証拠に、神が何であるかを一人も語れていない。

神は、イエスでもなく、大日如来でもなく、天照大御神でもなく、
マホメットでもなく、その他エトセトラでもない。
神とは「命そのもの」なんだよね。

そんなものをどうやって体験できるのかをじっくり考えてほしい。

441 :ギブス:2020/11/28(土) 11:53:18.85 ID:cfIg8u/Qn
夜の「夢」は本当に不思議だね。
五根(眼耳鼻舌身)が睡眠によって閉じていても、
見たり聞いたり嗅いだり味わったり触れたりすることができる。
(ただし嗅いだり味わったり触れたりすることは少ないだろうが。)

ということは、実際の眼や耳が閉じていても、夢の中では開いていることに
なるわけだ。いったいどの識が睡眠中も活動しているのか。
六識の意識だね。----この意識は受動的であり夢の流れに流されている。
つまり、意識それ自体にも五根が備わっているわけだ。

442 :ギブス:2020/11/28(土) 12:33:53.45 ID:cfIg8u/Qn
このレベルの意識はアラヤ識に支配されている。
死ぬと物質である五根は失われるが、意識はアラヤ識と共に死後の
世界へと移動する。アラヤ識は過去を「印象として刻む」だけであり、
あらゆる過去を細々と保存する識ではない。
 
だいたいにして人間は、自己愛の塊りでしかないから、
アラヤ識は不浄なものである。それゆえアラヤ識を捨てないと
悟ることはできない。悟れない霊は輪廻転生する。
 
アラヤ識を捨てると満月のような「霊魂」が出現する。
そして霊魂に究極の精妙なる六根が存在する。

443 :ギブス:2020/11/28(土) 16:32:11.23 ID:cfIg8u/Qn
豊臣秀吉(1598年61歳没)の辞世の句
 露と落ち、露と消えにし わが身かな
 浪速のことは夢のまた夢
 
秀吉が実際にこのように歌ったかどうかは疑問だが、
この世の幸せだけを追い求めて生きていると
こうなるんだろうな〜とは思う。

444 :ギブス:2020/11/28(土) 16:47:06.08 ID:cfIg8u/Qn
豊臣秀吉(1598年、61歳没) その辞世の句は、
 露と落ち 露に消えにし 我が身かな
 浪速のことは 夢のまた夢
 
秀吉自作かどうかは疑問だが、秀吉が選んだ句であるのは確かだろう。
これが普通の人の最終的な境涯だろうと思う。

445 :ギブス:2020/11/28(土) 18:18:30.81 ID:cfIg8u/Qn
いろいろな主張が交錯して何が何だかわからなくなるよね〜
でも、神を認めるか否かで真偽が明らかになる。
 
神を否定する主張は全部ダメなんだね〜
そう考えれば単純。
あとは、神とは何かだよね〜〜

446 :ギブス:2020/11/29(日) 08:32:00.97 ID:4jOS9uUd4
>>441 
(夢で働いている意識は)六識の意識だね。
この意識は受動的であり「夢の流れに流されている。」
 
もしかするとこの意識が「アラヤ識」なのかもしれない。💡 ピカ ッ
しかしまだ自信がないので暫定的なアイデアにしておきたい。

447 :ギブス:2020/11/29(日) 17:29:34.11 ID:4jOS9uUd4
>>441
やはり暫定的なアイデアにしておいてよかった。^^
 
このテーマを考えるのに「転識得智」が参考になるかも。
前五識 → 成所作智、前五識自体に洞察力がついてくる。
六識(意識) → 妙観察智、思考が言葉に左右されなくなる。
七識(マナ識) → 平等性智、すべてを公平に平等に見る力がつく。
八識(アラヤ識) → 大円鏡智 → 霊魂体験=自我の確立
 
夢の中の意識は、上記から七識(マナ識)だろうと考えられる。
つまり、心眼が覚醒する前の、アラヤ識に盲従しているマナ識である。
神(命)に出会ってないのでまだ心眼が開いていない。

448 :神も仏も名無しさん:2020/11/30(月) 05:07:30.32 ID:5HerFJ/oT
更屋敷?

449 :ギブス:2020/11/30(月) 13:52:48.15 ID:Hedu3/OGq
六根(眼耳鼻舌身意)や六識と違って、
七識のマナ識と八識のアラヤ識には物質的な器官が存在しない。
その結果、マナ識、アラヤ識を理解する困難さが増大する。

七識のマナ識は、神(命)を見分ける能力を潜在的に持っている。
八識のアラヤ識は、自己愛から人間を物質的な欲望へと向かわせる。
その仕組みを知ろうとするほど人間の心は引き裂かれる。
   
----人間がそのように創造されたところに神の叡知があり、
----そのため、この問題に深入りすればするほど皿屋敷になる
----ということらしいのだ。TT)

450 :ギブス:2020/11/30(月) 14:09:01.12 ID:Hedu3/OGq
真理は簡単にはわからないようになっている。
死なないとわからない。それも精神的に死なないとわからない。
物質的に死んだら無意味だよね。(~ ~)
 
神(命)は完全であって手抜かりはない。
細くて狭い道がたったひとつだけ残されている。
探しなさい。そうすれば見つかるだろう。(~ ~)

451 :ギブス:2020/11/30(月) 18:15:02.35 ID:Hedu3/OGq
何が本当で何がウソかは、自分で実際に体験する以外にない。
私から見れば99%がウソであり、真実の言葉は1%ぐらいしかない。
なんという確率だ、宝くじより悪いではないか。
 
じつは、それがあなたの運命なんだね。
仏教もキリスト教もイスラム教もクソッたれなんだよ。
そこからスタートしようじゃないか。

452 :神も仏も名無しさん:2020/11/30(月) 20:06:12.31 ID:Gyk9o4jpF
小鳥には全知全能の鳥の神様がついてます

鳥天国は虫やパンくずでいっぱい

鳥地獄は猫だらけです

453 :ギブス:2020/12/01(火) 18:40:54.17 ID:6I61iPkyy
小鳥の天敵は「猫」かもしれないね。
カラスやトンビやワシなどは力強い羽ばたきをするが動きが緩慢なので、
かれらの餌食になることはほとんどない。

でも猫は狡猾なんだね。草むらにジーと潜んで狩りをする。
作戦が成功すれば、それを誇らしげに飼い主のところへと持ってくる。
かってそれを褒められていた時代があったんだろう。

猫エサがあるじゃないかと言って、
一方的に猫を責めるわけにいかない事情がある。

454 :ギブス:2020/12/01(火) 20:08:45.58 ID:6I61iPkyy
エサ場に大柄な小鳥を目にするようになった。
キジバトとかヒヨドリかもしれない。
まあ、例年通りで仕方ないだろう。
もう本格的な冬なんだね。

455 :ギブス:2020/12/02(水) 11:06:57.86 ID:1RCSf6uoM
人間を含め、動物は生と死の二重性を生きている
ここに動物たちの根源的な矛盾があり、不幸がある。
 
神(命)によって誕生 → 人間(生+死) ← 食料は他者の死体
 
豊かに暮らすためには、ひたすら修羅の道を歩まねばならない。
弱そうな者を次々に殺しまくる以外にない。
それを嫌がれば生きていけないのだ。どうしたらいいのか。
宗教はそれを解決しようとして生まれたのだ。

456 :ギブス:2020/12/02(水) 11:41:42.63 ID:1RCSf6uoM
☆ 人間には二つの道しかない。
修羅の道・・・相手より強くなって相手を倒すか
宗教の道・・・あるかないかはっきりしない愛(神)を探すか
 
修羅の道 〜 悪知恵が働き、体が大きい者にとっては有利である。
宗教の道 〜 修羅の道からの脱落者にこっそりと開かれている。
 落ちこぼれる。これが正解だとは誰も考えないだろう。v(^^)v

457 :ギブス:2020/12/02(水) 17:39:55.87 ID:1RCSf6uoM
宗教の道と言っても既成宗教は全部落第だね。
仏教もキリスト教もイスラム教も全部クソったれでしかない。
それは人間を含めたすべての動物が、
神(命)と物質(死)との間を生きているからに他ならない。
 
物質(死)の側から、神(命)に近づくことは不可能なんだね。
なぜなら、あらゆる考えがアラヤ識(死)に支配されているから。
この道で神(命)に到達することは永遠に不可能だろう。
 
まず最初にやることは、既成宗教の研究ではなく、
真実の「愛」を探し出すことにある。
そして「生きている意味」を探し出さなければならない。
これが王道であり、これ以外の道はないのだ。
神を知れば、次は自分を知り、周囲を知り ・・・ となる。

458 :神も仏も名無しさん:2020/12/03(木) 17:27:52.02 ID:UY2pGOH2x
☆ 坐禅は神(命)に出会ってからスタートすべし 〜 ♪
 
神(命)、命の雫に出会ったのは30歳ごろだった。
そしたら急に、やったことのない坐禅をやりたくなった。
 
たまたま行った古本屋に天台小止観の「流布本」があり、
それを手引きに坐禅をスタート。結跏趺坐などできるわけもなく、
枕を尻の下において半跏趺坐で数息観一本ヤリ。
 
最初から一時間ほどの坐禅を毎日のようにやった。
その半年後には想受滅(滅尽定)を経験し、夜空に「満月」を見る。
時計を見たら三時間ほどが経過していた。
この時はまだ、自分が何を体験したのかよくわからなかった。

459 :ギブス:2020/12/03(木) 17:57:12.44 ID:UY2pGOH2x
この時の坐禅では、坐禅中に坐禅をしているという魔境に入っている。
つまり、実際の坐禅と魔境の坐禅の二重の坐禅になるわけだが、
結跏趺坐なのか半跏趺坐なのか、これがはっきりしない。
三時間の坐禅をしても、体の痛みをまったく感じなかったのだ。
坐禅終了後に、痛みもなくすっと立ち上がっている。
 
どうも霊界に足があるのかないのか、はっきりしないのである。
不思議なことに自分の足をまったく意識していない。

460 :ギブス:2020/12/03(木) 18:16:18.92 ID:UY2pGOH2x
この時の坐禅終了後の状態は、枕の上に座っていたから
半跏趺坐であることは間違いないのだが、
足の痛みも体の痛みもまったくなかったのは不思議であった。
 
その時は満月体験に圧倒されていたのだろう。
あれはなんだなんだなんなのだと ・・・ (^^)

461 :ギブス:2020/12/05(土) 15:20:23.28 ID:Xu5pTLlk2
再度、体験をベースに転識得智を考察してみたい。 >>447参照

@ 神との出会い。考え事をしている最中、頭の中、眉間のあたりに
一滴の「命の雫」が落ちてきた。即座に、それが神であることがわかった。
その様子を、目を開いていたのに目が見えなくなったのに、心眼で見ている。
神が命であることを知り、マナ識が平等性智に転識したものである。

A 想受滅を体験した。坐禅中、三途の川に流れて来た、水没状態の自分を
見捨てる。これがアラヤ識であり、捨てたとたん電気が切れるように平等性智
のマナ識が途絶えた。アラヤ識は水没状態のまま私を見て笑ったから、
生きている死体とも言うべきものなのだろう。アラヤ識は人間の形をし、視力
もあるようだが、過去世を重ね合わせた印象のような存在なのかもしれない。
そうだとすれば過去世の具体的な内容はわからないだろう。

462 :ギブス:2020/12/05(土) 16:44:12.36 ID:Xu5pTLlk2
B 白い霧の中に「霊魂」が浮上出現する
再び意識が戻った時は、丸い透明な霊魂(球体)の中にいて白い霧の中を
猛スピードで走っている。自分の姿は見えないが、霊魂の外にあるものに関し
ては見えるし霧がぶつかる触感もある。その霊魂に「自己意識」がある。
しかし、そこは霧だけの痛いほど清浄な世界だから、香りもなく味もない。

C 霊魂には聴力もある。「ここはどこなんだろう?」というマナ識の声を
聞いている。マナ識の疑問が最初にあり、ほとんど同時に霊魂の自己意識が
消え、自己意識がマナ識に戻って来る。その後に、夜空に満月を見、それが
自分に落ちて来る。自己意識のなくなった満月はただの満月としか見えない。

D アラヤ識の転識得智 = 霊魂 = 満月 = 大円鏡智

463 :ギブス:2020/12/05(土) 18:57:20.34 ID:Xu5pTLlk2
人間の根源的な転倒は「自己愛」から生じる。
アラヤ識(自己愛)→マナ識→六識意識→前五識→物質を選択(死)
 
これが根源的転倒であって、他者愛の神(命)から始まるべきなのだ。
神(命) → アラヤ識・大円鏡智・他者愛 → マナ識・平等性智
→ 六識意識・妙観察智 → 前五識・成所作智 → 物質は2の次
  
人間は全員、自己愛か他者愛のどちらかを歩んでいる。
自己愛と他者愛の中間はない。そんなことをすれば頭が混乱する。
その人が何を基準に動いているかを知ればその人がわかる。

464 :ギブス:2020/12/06(日) 18:12:53.13 ID:RZrjJMosg
私が自己愛から他者愛に心を切り替えて一変したとき、
神(命)の雫が一滴、心の中に落ちて来た。 
 
そう言えば、そもそもの最初である「神との出会い」だが、
神(命)は私の思いのすべてを常時監視していたのだろうか。
どうもそうとしか思えない。
 
しかしどうやって? 神は命そのものだから可能なんだろう。
私たちのすべては、自分の命に刻印され、
それを神(命)が読んでいる。これが「命の書」なのかもしれない。
 
つまり神(命)は、私たちの思いのすべて読めることができる。
神の前に隠し事は通用しないのだろう!

465 :ギブス:2020/12/08(火) 02:35:11.37 ID:FRvkz02bx
人間は、人間をだませることはできるかもしれない。

しかし、神をだますことは永遠にできない ・・・ (`・ω・´)

466 :ギブス:2020/12/08(火) 12:02:00.10 ID:FRvkz02bx
>>456
修羅の道 〜 悪知恵が働き、体が大きい者にとっては有利である。
宗教の道 〜 修羅の道からの脱落者にこっそりと開かれている。
 落ちこぼれる。これが正解だとは誰も考えないだろう。v(^^)v
 
動物の世界は「弱肉強食」であり、その頂点に人間が君臨する。
人間は自然界の頂点に君臨し、自然界を限りなく略奪し破壊し、
今やその自然界が崩壊寸前に至っている。
人間界も同様、強者と弱者の差が拡大、臨界点に達している。
このまま放置すれば強者も弱者も共倒れになる。
 
神は何をやっている? 生き物が消滅すれば神も消滅するのに。
そう悲しんでいる人たちは安心するがいい。
神はいつだって「落ちこぼれ」の中に姿を現すのだ。^^
それが神(命)の仕組みなのである。

467 :ギブス:2020/12/08(火) 12:29:03.87 ID:FRvkz02bx
「海の落ちこぼれ」が陸の生き物になり、
「陸の落ちこぼれ」が空の生き物になる。
「人間界の落ちこぼれ」が神(命)に出会うことで復活する。
 
現在のコロナウィルス(武漢ウィルス)が自然発生的なものか、
人工的なものか不明だが、それが人間界の「弱肉強食」の論理を一変
させつつあることはまちがいない。
行き過ぎた「弱肉強食」の論理を修正しなければならないのだ。
 
コロナ禍は、神(命)の反撃と受け止めるべきだろう。
すべてが逆転し始めている。
人間は「生きている神」の前にへりくだれ。(`・ω・´)

468 :ギブス:2020/12/09(水) 08:17:49.35 ID:EyrD25t95
ビッグバンによって無から、神=命と物質とが同時に誕生した。
だから、命と物質とは相互依存的な関係にあり、どちらも独立して単独で
存在することは不可能である。命が消滅すれば、物質もまた消滅する。
物質が消滅すれば、命もまた消滅する。ビッグバン前の無に戻る。

ということは、生き物の存在は、
両者をつなぐ絆であり、両者の存在を確保していることになる。

物質は自然科学の法則に従い、機械的な展開しかできない。
他方、神=命は、命と物質の存続に意志的主体的に関わることができる。
だから、神=命が、命や大地の存続に関わることになる。
そうせざるを得ない必然性が背景にあるのだ。

469 :ギブス:2020/12/09(水) 09:01:28.81 ID:EyrD25t95
この大宇宙の崩壊はありえるかも。
生き物すべてが消滅 → 神=命も消滅 → 始まりの無に還る
 
ついでに、多元宇宙とか重層宇宙などは考えられない。
無が爆発し、ビッグバンが起こることで大宇宙が誕生する。
そして、神=命、物質がこの世に出現する。
この仕組みは大宇宙の至る所でまったく同じなのだから、
多元宇宙や重層宇宙が誕生するわけがない。
 
地球とまったく同じ経過が、神=命と生き物を造リ出すだけだろう。
神がどこかに出現すれば、同じ神が大宇宙をすべて支配する。
なぜなら、神同士の争いは生じないはずだから。

470 :ギブス:2020/12/09(水) 16:38:40.65 ID:EyrD25t95
そうであれば、かりに地球が滅びてもかまわない。^^
どこかの星に生き物がいさえすれば、神(命)は滅びないのだから。
神(命)が滅びなければ宇宙も滅びることはない。
 
地球人は人間を神にするような低レベルの星に生まれたのが
不幸だったと諦めるよりほかない。TT

神と人間の女性マリヤの間から生まれたのがイエスだってえー ?
ないない絶対ない、不潔なことを言うもんじゃない。
人間の女に欲情するような神は神ではない。
 
キリスト教は終わったかもねー (`・ω・´)

471 :ギブス:2020/12/10(木) 18:38:01.90 ID:Mhjp/K413
キリスト教は終わったね。キリスト教終了・・・(`・ω・´)
 
人間イエスを神にしているからね。
 
ひっこめイエス、ひっこめキリスト教 ・・・ 

472 :ギブス:2020/12/11(金) 09:27:21.91 ID:4npT2fzAA
宗教板では、キリスト教にすっかりだまされ、洗脳され、
頭が狂ったような人々をたびたび見かける。
 
こういった人々は、欲情した神と人間の女性マリアから、
神の子イエスが産まれたと当たり前のように信じ込んでいる。
その理由は聖書にそう書いてあるからだってさ ・・・
 
そういった聖書の言葉を信じること自体が、
神への冒涜だろうに。(`・ω・´)

473 :ギブス:2020/12/11(金) 16:28:41.69 ID:4npT2fzAA
無や「空」を説く大乗仏教は、キリスト教よりましかもしれない。
 
大乗仏教は神を否定するが、神(命)を冒涜していない。
 
大乗(無・空) > キリスト教(イエス=マリアの子=神の子)

474 :ギブス:2020/12/11(金) 17:09:39.39 ID:4npT2fzAA
大乗の祖、竜樹がまるっきりダメなのは、
時間を否定し、「空」を説くところにあると思う。
 
時間を否定したら「変化」も生じない。
何も変化しないなら、変化しているように見える現象も変化しない。
変化した後から見れば、何も変化ていないようにしか見えない。
時間がなく、すべては「空」であるか「無」であるとしか思えない。
 
つまり、時間やそういったことを論じても無意味なのかもしれない。
要するに、変化しているかどうかを論じるべきなのだろう。
私たちは変化の中を生き、変化を生きているのだから。
しっかし、難しいテーマであることは確かである。^^

475 :ギブス:2020/12/12(土) 11:01:32.06 ID:PSwT4Xqxd
釈尊が悟る直前にやったことは二つある。
@乞食(スジャータの乳粥)と、A樹下での坐禅である。
だから悟りの中身も二つあってよいことになる。
 
@自分に愛が欠けていたことに気づく → 神(命)との出会い
A暗闇で坐禅をすれば想受滅に入りやすい → 満月(霊魂)体験
 
釈尊は誕生直後に、自分の命と引き換えに母親を失っている。
父親は母親の妹と再婚し、本当の愛を知らないで育つ。しかし、
スジャータの乳粥で真の愛を知り、神(命)に出会うことができた。
  
東南アジアでは、釈尊は満月の夜に成道したと言われているらしい。
その意味は、想受滅から霊魂体験したということになる。また事前に
神(命)との出会いがなければ想受滅から地上には生還できない。

476 :ギブス:2020/12/12(土) 11:50:22.41 ID:PSwT4Xqxd
スッタニパータなど、中村元訳の原始仏教経典を読むと、
釈尊は「坐禅」と「縁起の理法」によって悟ったことになっている。
そういうことならば、坐禅ばっかしでは悟れないことになる。

中村元訳『悪魔との対話』 第Y・第一章・第一節 懇請
・・・執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている人々には、
〈これを条件としてかれがあるということ〉すなわち「縁起という道理」は
見がたい。・・・すべての執着を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れる
こと、止滅、やすらぎ(ニルヴァーナ)というこの道理もまた見がたい。

☆ やっぱし、坐禅ばっかりでは悟れない、とあるね。

477 :ギブス:2020/12/12(土) 18:01:03.97 ID:PSwT4Xqxd
この世へのすべての執着を捨てたら死んでしまうよね。
であるなら、その命を善いことに使えばいい。
釈尊も同じように思い直し、そして神(命)に出会ったのではないか。
 
80歳の釈尊は鍛冶工チュンダのキノコ料理で急死してしまう。
そのとき釈尊は、チュンダのことを気遣い、
最初の布施(スジャータ)と最後の布施(チュンダ)は特別なものだと
言っている。・・・ 中村訳「ブッダ最後の旅」より
  
この話はしばらく理解できなかったが、釈尊には生きたいという思いが
まったくなかったのかも。むしろ早く死にたいと常に思っていた。
だからこそチュンダを肯定的に語ることができたのではないか。
私も早くコロナに感染して元気よく死にたい。(`・ω・´)

478 :ギブス:2020/12/13(日) 17:31:52.29 ID:xfPR8LApl
生き欲をさらすことが正しいのではない。
死を受け入れることが正しい。
しかし、これが簡単にはわからないのだろうと思う。
だから生き恥をさらすことになる。
 
ここに生きることの難しさがある。

479 :ギブス:2020/12/16(水) 11:26:06.31 ID:gDlIQYHtc
キリスト教のように、体験したこともない「神」を想像するのは
キチガイの始まりと言っていいだろう。
食べたことのない謎の果物をあれこれと空想するようなものである。
イスラム教もしかり、イエスを神の子にしないだけましだが。

大乗仏教のように、空だとか無我だとか、
体験できもしないことを体験しようと目指すのも頭が相当変だ。
世の中の宗教はどれもこれも眉唾ものばかり。
神(命)に出会うのはそれだけ難しいということである。

空だとか唯識だとか、神だとか霊魂(アートマン)だとか、
釈尊はそんな難しいことを学んでいないし、教えてもいない。
苦(煩悩)は物質への執着(欲望)から生まれることと、
ものごとには(原因結果の因果関係)があることを教えているだけだろう。

480 :ギブス:2020/12/16(水) 13:36:59.73 ID:gDlIQYHtc
ダイバダッタの「五事の戒律」
 
@ 人里離れた森林に住すべきであり、村邑に入れば罪となす
A 乞食(托鉢)する場合に、家人から招待されて家に入れば罪となす
B ボロボロの糞掃衣を着るべきであり、俗人の着物を着れば罪となす
C 樹下に座して瞑想すべきであり、屋内に入れば罪となす
D 魚肉、乳酪、塩を食さず、もし食したら罪となす。
 
これを釈尊に提案したが拒否される。釈尊にすれば、自分の体験から
そんな厳しい戒律は不要だと判断したのだろう。それに釈尊の行動は、
五事の戒律にことごとく違反していた。その結果、ダイバダッタは
仲間と共に釈尊の教団から退去することになった。
 
個人的には釈尊の判断が正しいだろう。集団生活には戒律が必要だが、
戒律を厳しくすれば悟れるというものでもない。

481 :ギブス:2020/12/16(水) 17:20:37.57 ID:gDlIQYHtc
釈尊は最後、一人で修行したから、もともと戒律とは無縁なんだよ。
その釈尊がダイバダッタの「五事の戒律」を否定している。
問題なのは集団ではなく、あなた自身の問題なんだと言っている。
 
あなたの問題であり、どこまで行ってもあなたの問題なんだよね。
悟りは、あなたの意識が、
自己愛から他者愛に変身できるかどうかにかかっている。

482 :ギブス:2020/12/18(金) 22:57:03.61 ID:jagq8rHs+
釈尊の従者であったアーナンダの最後は河原での「焼身自殺」だとか。
真言宗では老僧を「石子詰め」にしていた時代もあったらしい。

日本には「介護保険」があるから安心できる?
残念、医者の要否意見書がないと介護保険を利用できないらしい。
老いれば病気がなくても介護が必要になるというのに、
介護保険料を健康保険料に横流しするような制度に変質している。

老人は投票も困難になり、老人を代弁してくれそうな政党もない。
いまひそかに「姥捨て山」が復活しつつあるような気がする。
買い物に行けなくなれば餓死する。TT)

483 :ギブス:2020/12/19(土) 12:31:51.48 ID:ANoHir9YA
頭の中で推論を重ねる「唯識」は超〜難解ですね。^^

大雑把に言えば、「無」がビッグバンによって神(命)と物質に分裂し、
その二つが合体して人間(生き物)が登場したとしよう。
そうすると、もともとが無なんだから「無相唯識」の立場も考えられる。

しかし同時に、「命」を肯定することによって神(命)と出会うのだから、
「有相唯識」の立場も考えられる。その背景に現世肯定がある。
そして私も、神(命)を肯定し、現世(他者愛)を肯定したい。

これは神(命)と出会わないとわからない。
そして神(命)に出会わないと想受滅もできない。
想受滅ができないと、自分(霊魂)が何であるかもわからない。

484 :ギブス:2020/12/19(土) 17:05:30.48 ID:ANoHir9YA
・・・ この世界は美しい、人生は甘美である。
 
これは「大パリニッパーナ経」第三章に出てくる。
これを読めば、釈尊はこの世を肯定的にとらえていたことになる。
だとすれば、釈尊は「有相唯識」の立場なのである。^^

485 :ギブス:2020/12/26(土) 12:14:33.52 ID:5OEKjbeC4
中村元先生の「こころの時代」NHK録画を見つけたので、
12月23日から見ている。1本が2時間あるから1日1本が限界。
すでに4日が経過したので8時間になるが、仏教の復習になる。
年末年始も宗教関連の動画を見る予定。

486 :ギブス:2020/12/28(月) 21:07:59.73 ID:zH5wP5J2r
釈尊 BC463-389 29歳出家80歳没
中村元先生 1912-1999 86歳没

釈尊は29歳で出家、その後は乞食と瞑想とサンガを導きながら生きた。
釈尊の悟りは本物だったと思う。

これに対し中村先生は、終生、学問の道から離れることがなかった。
これが二人の決定的な違いかもしれない。
先生は動画の中で「自分は凡夫」だと自嘲していた。^^

487 :ギブス:2020/12/30(水) 10:19:09.13 ID:Gs4e7Zm50
釈尊は35歳で成道するが、その後も坐禅を続けている。
それは悟ろうとする坐禅ではない。心を静め、日常の問題を解決するために
沈思黙考するのである。この坐禅は「瞑想」と呼ぶべきものだろう。

釈尊の「瞑想」は ・・・ 日常的な問題を解決するための、浅い坐禅
修行僧の坐禅は「悟り」を目指している ・・・ 想受滅(滅尽定)

488 :ギブス:2021/01/01(金) 15:32:53.44 ID:REhGSj9kv
成道後の釈尊がやった浅い坐禅(瞑想) ・・・ これが止観の「観」
悟りを目指す修行僧の深い坐禅 ・・・ これが止観の「止」

ただし自己愛を卒業しないと、いくら苦行や坐禅をやっても悟れない。
自己愛を捨てれば「神=命」に出会う。それから坐禅を始めるべきである。
これ以外に悟りの道はない。(`・ω・´)

489 :ギブス:2021/01/01(金) 16:09:27.37 ID:REhGSj9kv
12月30日が満月だった。
早朝というか、まだまだ暗い夜の西空に輝いていた。
それから続けて毎夜楽しんでいる。
夕方の富士山もすばらしい。
昇竜もすばらしい。

満月は美しい。夕富士も美しい。昇竜も美しい。
人生は甘美である。なーんちゃってね (^^)

490 :ギブス:2021/01/02(土) 07:14:25.75 ID:CwwalMMbE
神は自己愛の塊りだろうか。

少し考えれば、神が他者愛であることはすぐにわかる。

だとすれば、自己愛を捨てれば神に出会える。

これが道理というものだろう。

491 :ギブス:2021/01/02(土) 18:18:02.72 ID:CwwalMMbE
夕富士の上空に、口の開いた巨大な龍雲が東西に伸び、
 
西の方角にゆっくり進んでいた。
 
正月早々、めでたいものを見たものだ。^^

492 :ギブス:2021/01/03(日) 11:37:53.58 ID:gDJcLMyy9
人間の総元締めはその人の愛である。
愛には二つあり、自己愛とその正反対の他者愛がある。

総元締めの自己愛をそのままにしていたら、いくら仏教を学び、苦行し、坐禅をしたとしても決して悟れないだろう。釈尊が出家してから6年間悟れなかったのはそのためである。悟るための方法論が間違っている。

悟るためには自己愛を消滅させなければならない。釈尊はスジャータから乳粥の布施を受けたとき、いままでの修行方法の誤りに気づいた。そして自己愛から他者愛に生きようと決意したときに神(命)と出会う。

他者愛→神(命)との出会い、これが悟りへの幕開けなのである。
あとは、神(命)に導かれて前進し、短期間で悟りきる。^^
ここから逆に、既成宗教への勉強がスタートする。

493 :ギブス:2021/01/04(月) 09:24:01.99 ID:GFweTwISw
この年末年始に中村元先生の動画を見ようと計画し、
それを実行できたので大満足。釈尊の実像に迫れるのは原始仏教を
翻訳された先生のおかげであり大感謝いたします。
 
ただ気になったのは、スジャータと鍛冶工チュンダの役割。
忠実な原典翻訳がお仕事なので仕方ないとは思いますが、
悟りの観点から、この二人の役割を明らかにされなかったのは
残念でした。二人への気遣いだけでなく、二人を記念する
何らかの意味合いがそこにあったのだろうと想像しています。

494 :ギブス:2021/01/08(金) 15:16:26.36 ID:594XiyOUq
・一切衆生悉有仏性・・・涅槃経で説かれる。

・草木国土悉皆成仏・・・空海、天台宗、親鸞、道元、日蓮などが主張する。
この思想はインドにはなく、6世紀ごろ中国仏教のなかに見出されるが、
特に日本で流行した。空海が最初と言われ、次いで天台宗、それが鎌倉時代に
なって親鸞、道元、日蓮らによっても主張された。
草木や国土のように心を持たないものでさえ仏性があるから成仏する。

・山川草木悉有仏性・・・京都学派が使い始める。
日本の「神仏習合思想」が背景にある。

・山川草木悉皆成仏・・・梅原猛が1970年代より使用。2011.3.11の
東日本大震災後、人と環境との付き合い方という観点でも注目される。

495 :ギブス:2021/01/08(金) 16:33:29.56 ID:594XiyOUq
150億年前、<無>がビッグバンすることによって
神(命)と宇宙(物質)が誕生したとするなら、
神(命)と宇宙(宇宙)には深い関係(絆)が存在するはずである。
 
基本的にどちらも<無>へ帰ろうとする衝動があるから、
神(命)と宇宙(物質)とが無関係でいることはできない。
この基本的な衝動にブレーキをかけるものがなければならない。
 
ひとつは、海や大地を覆う「神のオーラ」である。
---- 私は神に出会った直後に大地のオーラを見たことがある。 
もうひとつは、神と物質の合体した「生き物」である。

496 :ギブス:2021/01/08(金) 17:16:35.79 ID:594XiyOUq
龍神様の背に乗って三途の川の向こう側を見たこともある。
 
そこには緩やかな丘がいくつも連なり、緑の草原も見渡せた。
なんといい所なんだろうと思い、「行け行け」と言うが、
龍神様は上空でピタリと固まって動かなくなった。
この情景を今思い出すと、青空も小川も、草原も樹木も大地も、
すべてが成仏していたのかと考えざるを得ない。
 
そう言えば、道行く通行人にはオーラがまったくなく、
逆に人影の周囲が少しへこんで見えたよ。^^

497 :ギブス:2021/01/10(日) 16:05:08.26 ID:xA4qPbhCG
☆ 神とか霊魂については、
いくら言葉で論じても絶対に明らかにならない。
言葉は体験ではなく表象に過ぎないからだ。

百聞は一見に如かず・・・神に出会えたら神は存在するのであり、
霊魂に出会えたら霊魂は存在するのである。
それらを体験できた人は、神や霊魂が存在すると断言するだろう。

しかし、体験できなければ、存在すると信じる人もいるし、
存在しないと信じる人もいるだろう。
どちらかに決めるだけの根拠を欠いているのだから仕方がない。

498 :ギブス:2021/01/10(日) 16:30:18.43 ID:xA4qPbhCG
人生は奥が深く、まじめに生きるに値する。
そして、宗教に近づくのではなく、
自分の頭でこんこんと考え、突き詰めて行く。
 
テーマは二つ
@ 何で生きているのだろう?
A 愛とは何だろう?

499 :ギブス:2021/01/12(火) 10:17:53.97 ID:w1Z4+sXza
このテーマの裏返しが、自己愛を否定し、他者愛を選ぶことだった。
そして幸運にも、それで神(命)に出会うことができた。

もちろんこのテーマは、平穏な生活から自然に湧いてきたのではなく、
砂を噛むような日々の中から湧いてきたものである。
10歳で絶対に答えをだすぞと決意し、それから20年後に神(命)に
出会って謎が解けた。どん底の日々が至福に変わった。

ヨブ記にもあるように、神(命)に出会うためには試練が欠かせない。
神には自己愛がない。その神に出会うには、自分の中の自己愛を
消滅させておく必要があるのだった。

500 :ギブス:2021/01/12(火) 11:37:08.00 ID:w1Z4+sXza
1945年8月15日、
日本は太平洋戦争に敗北して何がどう変わったのか。
 
封建的なもの・宗教的なもの・道徳的なものの価値が崩壊し・・・
その代わりにアメリカ的な、経済至上主義・弱肉強食の暴力主義・
物質中心の享楽主義・詐欺的な政治や商売が流行している。
・・・かってのように安心安全でなくなってきた。
 
こういう時代をどう生きたらいいのか。
時代に流され、積極的に周囲をまねて同じように生きるか。
それともそれを拒み、新しい価値観を探し出し、
それに基づいて生きるか。
そういったことが問われる時代がやってきたように思われる。

501 :ギブス:2021/01/13(水) 05:59:47.60 ID:UaJvun0Dc
今も恐竜の生き残りがいる。それは鳥たちらしい。

人間は鳥たちのように、次の時代にも生き残れるのだろうか。

人間は滅びるかもしれない ・・・

地球を破壊できるほどの武器をすでに持っているから。

502 :ギブス:2021/01/13(水) 11:39:28.25 ID:UaJvun0Dc
 
地球を破壊する核ボタンを押しかねない者が二人いる!
@ ひとりは、天国への復活を妄信するキリスト教徒
------日本に原爆を落としたように
A もうひとりは、生きることに絶望したナルシスト
 
そのどちらかになりそうな人は猛省してください。
天国どころか、火炎地獄へ落ちることになる。
 

503 :ギブス:2021/01/15(金) 18:06:23.47 ID:BBjzbYnU9
天国での復活を、根拠もなく信じているキリスト教徒は
全員ナルシストかもね。
つまり、核のボタンを押すのはキリスト教徒ということになる。

他者愛があればそんなことは絶対にしないだろう。
その前に自分の命を自分で絶つ。(`・ω・´)

504 :ギブス:2021/01/15(金) 19:40:19.68 ID:BBjzbYnU9
キリスト教は「聖書の言葉を信じなさい」「信じる者は救われる」
などと繰り返し教える。しかし、相手の言葉をそのまま信じたら騙され
るかもしれない。実際に騙されたと思うこともしばしばだろう。
 
宗教教団の指導者は、信者の耳や目から、言葉がウソをつくことを
必死に隠そうとする。信者がそれに気づけば、宗教教団が成立しない
からである。しかし、そんな単純なウソはもはや過去の遺物である。
 
自分で実際に体験したことがあらゆることの出発点、根拠でなくては
ならない。これにまさる根拠はどこにも存在しないのだ。
何とでも言える「言葉」は根拠にならない。
 
そういう観点から言えば、キリスト教はフィクションであり、
フィクションだと割り切って読む必要がある。こんなものを本当だと
信じたら脳内お花畑になって核ボタンを押しかねないだろう。

505 :ギブス:2021/01/15(金) 20:07:43.08 ID:BBjzbYnU9
言葉そのものを信じるという性格は、程度の差こそあれ、
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にも共通している。
キリスト教もひどいがイスラム教もひどい。
 
東洋の宗教は、修行体験を重視し、言葉の呪縛から離れようとする。
そういう国に生まれた日本人は幸せなんじゃないかな。^^

506 :ギブス:2021/01/16(土) 07:12:24.35 ID:uIZWFjFNO
ユダヤ教・イスラム教がそれほど危険でないのは、
軍事的にキリスト教世界に抑え込まれているからに過ぎない。
そういう意味で、キリスト教徒が一番危険なのだ。
 
キリスト教徒が一番狂っているのだ。

507 :ギブス:2021/01/16(土) 07:29:22.64 ID:uIZWFjFNO
キリスト教がなくなればいいかと言えばそうでもない。
イスラム世界や中国・ロシアが台頭してくる。
 
地球の行く末には希望がないのだろうか。
全くないわけではない。
宗教の誤りが明白になり、自己愛を卒業する人々が増加すれば、
地球はきっと平和になることだろう。

508 :ギブス:2021/01/17(日) 08:41:51.45 ID:Mgk45LF7E
聖書には「神」や「霊」という言葉が繰り返し出てくる。
しかし、聖書を何百回読もうが神や霊のことは決してわからない。
言葉ではなく、神や霊を実際に体験しないとわからない。

読む側にとって聖書は、真偽不明の言葉の羅列でしかない。
だから詐欺師たちは、聖書を「信じなさい」と何度も繰り返すのである。
しかし、神に直接出会う以外、神(命)を知ることはできない。

509 :ギブス:2021/01/17(日) 12:01:38.42 ID:Mgk45LF7E
教会のトップは信者に次のように言うだろう。
 
信者の心配事がうまく片付けば、
教会のお陰、神様に感謝しなさいと、内心、献金増額を要求。
 
うまくいかなければ言う。信仰が足りないからです。
もっと信仰を深めなさいと信者に責任転嫁。内心、献金増額を要求。 
 
信者がどっちに転んでも、献金増額の口実にしてしまう。
言葉一つでボロ儲け。これって詐欺師の手口かもね。( ˘•ω•˘ )

510 :ギブス:2021/01/20(水) 07:46:41.60 ID:OTEZRVHp6
要するに教会は、金儲けのための道具でしかなく、
神父も牧師も信者たちも、
自分たちの幸せだけを願うエゴイストの集まりなのである。

あーやだやだ、教会は汚れきったエゴイストの巣窟ではないか。
それなのに、自分たちこそは清く正しく美しい人間だとカン違いしている。
そんなことはないから、深〜く反省してください。TT)

511 :ギブス:2021/01/23(土) 18:02:12.56 ID:hl8EiO5c9
自分の幸せを願うこと、これがダメなんだよね。
まず第一に他人の幸せを願うこと。
凡夫には、この逆説はなかなかわからないだろう。^^

512 :ギブス:2021/01/24(日) 05:39:22.27 ID:GjeWpzuA6
自分のことを完全に忘れ、他者の幸せだけを願う。
この論理構造は、自分がすでに幸せだからこそ可能になる話です。
 
こんな転機は神(命)との出会い以外にはありえないのです。
神(命)に出会ったからこそ他者愛に生きることができるようになる。
人間は神(命)を体験できる生き物なのです。
言葉でしか神を知らない人はその全員が神を知らないのです。
 
聞け、教会・神父・牧師・信者ども、真の神である「命」を知れ。

513 :ギブス:2021/01/24(日) 12:49:44.88 ID:GjeWpzuA6
考え事をしていた時、目を開いたままで神(命)に出会った。
頭の中に一滴の神の雫が落ちてきて、その瞬間無上の至福に包まれる。
神(命)とこんな出会い方をした人はそんなにはいないだろう。
  
私の場合は、暗いトンネル、対外離脱、光の体験という三点セットを
欠くので臨死体験とは違う。神を光だとカン違いする人も多いが、
神は光ではない。光は電気的な性質に近いものだろう。

514 :ギブス:2021/01/24(日) 14:10:31.11 ID:GjeWpzuA6
光は電磁波のひとつ ・・・ 電磁波とは、電界と磁界が
 
互いに垂直な方向に振動しながら空間や物質中を伝わっていく現象、
またはその振動電磁界。粒子的性質と波動的性質を併せ持つが、波動的
な性質に着目した場合に電磁波と呼ぶ。波長によりガンマ線、X線、
紫外線、可視光線、赤外線、ミリ波、センチ波またはマイクロ波(SHF)、
デシメートル波(UHF)、超短波(VHF)、などに区分される。
 
いわゆる「光」は、電磁波のなかの「可視光線」のことである。
光は神なんかではない。^^

515 :ギブス:2021/01/27(水) 22:38:20.87 ID:M6xBe52qC
釈尊は梵天勧請を受けている。
わたしは巨大な白竜に梵天勧請を受けている。
ということは、梵天は巨大な白竜であるのかもしれない。

梵天はバラモン教のブラフマンであるから、
白竜 = 梵天 = ブラフマン ということになる。

わたしは白竜の背に乗ったのだから、梵天の背に乗り、
ブラフマンの背に乗ったことになる。

それにわたしは想受滅で霊魂(アートマン)も体験した。
釈尊の体験とまるで同じではないか。成道したかも。(`・ω・´)

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