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小鳥たちにも宗教はあるのか

1 :神も仏も名無しさん:2020/01/15(水) 10:45:50.93 ID:vzUs8v+Rb
宗教は人間世界にしかないのか

そんなことはないような気がしてきたよ

346 :ギブス:2020/09/11(金) 16:51:44.64 ID:7Z8xEF6v0
イザヤ書 6:1ー3(イザヤの召命)

わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。
衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
上の方にはセラフィム(燭天使)がいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つを
もって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
---- 聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
---- 主の栄光は、地をすべて覆う。

>>344の訂正 ×セラフィム
エゼキエル書10章ではケルビム(智天使)と呼ばれている。
また、黙示録の天使はセラフィムがケルビムを兼ねているようである。
要するに両者の区別がはっきりしないのかも。

347 :ギブス:2020/09/11(金) 17:24:31.92 ID:7Z8xEF6v0
エデンのケルビム・・・ 顔の記述がない。
イザヤのセラフィム・・・顔を二つの翼で隠している。
エゼキエルのケルビム・・・四種類の顔のようなものがある。
黙示録のセラフィム・・・同上。要するに、はっきりしないのだ。

天使には顔がないのかもしれない。
私が見た龍神の姿が正解かもしれない。
しかし、東洋的な龍にはごっつい顔が描かれている。
顔がないと想像しにくいから付け足すのだろう。ブー↓

348 :神も仏も名無しさん:2020/09/11(金) 17:58:35.27 ID:EqV3J/Db9
どんな話にもこじつければ共通項は。。。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13231427003

349 :ギブス:2020/09/12(土) 13:10:29.34 ID:yHzhZ8kyp
天使は霊界生き通しなんだよね。
天使は想念世界の生き物で、物質世界なんか何も知らない。
それを踏まえれば、天使に顔なんかあるわけがない。^^

獅子の顔とか、雄牛の顔とか、人間の顔とか、鷲の顔とか言っても、
天使は、獅子も雄牛も人間も鷲も知らないのだから。
それじゃ天使は顔なしかよ。

どうもそんな感じだね。ひえ〜〜😱
物質世界を何も知らないから ---- 公平な裁きが可能になる

350 :ギブス:2020/09/12(土) 13:39:36.39 ID:yHzhZ8kyp
物質世界を知らないのに、なんで公平な裁きができるの?
生き物の心を読むことができるからだね。
龍神様は、相手に愛があるかどうかだけを読んでいる。
愛と言っても、自己愛は×、他者愛が〇

それにね、龍神様の意志を変えることはできないが、
テレパシーを使って龍神様とほんの少しだけ意思疎通ができる。
後で思えば龍神様の選択は完璧に正しい。

351 :ギブス:2020/09/12(土) 18:48:41.11 ID:yHzhZ8kyp
みんなはご存じないだろうが、
一発逆転の神風を吹かせるのは龍神様なんだよね〜♪
ここまで生きてくるのに何度助けられたか。
ただし簡単じゃないよ。
 
周囲に折れて屈して折れて屈して、
それから偶然不思議なことが起きて一挙に大逆転する。
神風が吹いたとしか思えない。そんな感じかな。

352 :ギブス:2020/09/13(日) 17:31:52.24 ID:qjVhtsIAJ
ここでキリスト教徒の大っ嫌いな「スピ」にも少し触れておこう。

「スピ」におけるイエスの位置づけは、
「死者の行く霊界」における、高級霊集団の指導者クラスである。
この界隈で有名なシルバーバーチによれば、たまにイエスにも会うが、
イエスが地上の有様に悲しんでいると言っている。
何が悲しいかと言えば、地上が唯物主義(共産主義)と
利己主義(キリスト教やイスラム教など)で覆われていることである。

キリスト教徒が、こういったことを語る「スピ」を忌み嫌うのは
もっともなことである。イエスが「神」でなくなってしまう。
「スピ」こそは、キリスト教の究極の敵なのである。
「スピ」を認めたら、キリスト教が崩壊してしまうではないか。^^

353 :ギブス:2020/09/13(日) 18:11:36.76 ID:qjVhtsIAJ
少し前までは、スピリチュアリズム公式サイトで三大霊訓などを
読んでいましたが、電子書籍に変わりつつあるのですね。
 
この流れは「スピ」への需要が高まっている証拠なのでしょうが、
当該サイトのこれまでの貢献に感謝しつつ、
さらなる発展を祈願致します。ありがとうございました。

354 :ギブス:2020/09/14(月) 08:53:15.14 ID:ZHB2E7EGr
参考 〜 「スピ」の主張をいくつか並べておこう。
 
@ イエスは人間であった。今は死者の住む霊界にいる。
A 従ってイエスは、神でも神の子でも聖霊でもない。
B イエスは普通に人間の子であり、人間として普通に死んだ。
C イエスに人類の罪を押し付けるのは間違った主張である。
D 人間は自分の罪を自分で償い、精神的に成長する義務がある。
E 人間は普通、自分の罪に応じて再生(輪廻転生)する。
F しかし、再生ではなく上位の霊的階層に進むこともできる。

355 :ギブス:2020/09/14(月) 17:35:57.89 ID:ZHB2E7EGr
★★★ 悪霊体験と化した聖霊体験
キリスト教の異言の動画を見ると、信者が会場をふらふらしたり、
笑い転げたりしている。こんなものは悪霊体験としか思えない。
  
-- パウロ著 一コリ 12:28−31
神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。
第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡をおこなう者、
その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、
異言を語る者などです。
 
☆ ここには「神を知らないパウロ」の妄想が語られている。
☆ 神の賜物は「神に出会うこと」に尽きる。
☆ 神と人との関係は「教会」を前提にはしていないのである。

356 :ギブス:2020/09/14(月) 18:43:44.74 ID:ZHB2E7EGr
★★★ 神との関係は、神と集団ではなく、神と個人である。
 
ルカ著 使徒言行録 2:1−4 聖霊が下る
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、
激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた
家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、
「霊」が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 
☆ これはまったくの作り話ですね。
聖霊は個人が自分の罪を悔い改める時に体験するもの。
個人個人の罪は各自それぞれであり、集団で祈っていて同時に
悔い改め、聖霊をできるような代物ではない。
---- この作り話でルカが聖霊を知らなかったことがわかる。
---- それに炎のような舌は、悪霊の舌をイメージさせるね。

357 :ギブス:2020/09/14(月) 19:39:15.15 ID:ZHB2E7EGr
>>356 の訂正
× 聖霊をできるような代物ではない。
〇 聖霊体験ができるような代物ではない。
 
★★★ ヨハネ書の聖霊の説明は作り話です。ヨハ15:26
なぜなら、神を父、イエスを神の子とし、それとは別個に真理の霊、
聖霊を設定しているから。これがいわゆる三位一体。
 
☆ 真実は、イエスは人間であり、よくて人間の教師です。
☆ 聖霊が神そのものなのです。

358 :神も仏も名無しさん:2020/09/15(火) 04:21:38.35 ID:KHCRabhoa
イエスは捏造で元ネタはミトラス教。
特に白人で真ん中分け白い変な服はデタラメ。
白人はエバって支配出来れば何でもいいのさ。

359 :ギブス:2020/09/15(火) 10:20:45.00 ID:sdKgCDM0V
★★★ ルカ福音書の大ウソ
聖霊がマリアに臨み、イエスを身ごもらせた。ルカ1:26−38
これは聖霊を知らないルカの真っ赤なウソ。

☆ ルカに聖霊体験がないことはすでに書いた。>>356
☆ 聖霊をまったく知らないから、こんな大ウソを平気で書けたのだろう。

ルカは聖霊を知らないパウロの侍従医だったそうだから、パウロの考え方と
似ていたと思ってもいい。それにしても、テント職人でしかなかった
パウロに侍従医を雇える余裕があったとは驚きである。
なんでそんな大金を持ってるの? もしかすると・・・(`・ω・´)

360 :ギブス:2020/09/15(火) 16:09:25.95 ID:sdKgCDM0V
★★★ イエスが神の子なら、なぜ悪魔の誘惑を受けるのか
 
マタイ4:1−11、マルコ1:12−13、ルカ4:1−3
はウソになる。神の子が悪魔に誘惑されるはずがないからだ!
  
その点を考慮したのか、この誘惑はヨハネ福音書では欠落している。
福音書同士で本質的な部分(イエスは人間か、神の子か)で
食い違っていたら福音書が信用できなくなる。
 
「キリスト教終了」と言ってもいいような自己矛盾ではないか。
「ヨハネ福音書」を切り捨てればいいってもんじゃない。
逆にイエスを人間にしたらヨハネ福音書が破綻する。 (`・ω・´)

361 :ギブス:2020/09/15(火) 19:50:16.09 ID:sdKgCDM0V
このほころびは、人間イエスを神の子にしようとするから生じる。
これがキリスト教のウソっぽさの原因なのだろう。
いまさら取り返しはつかない。キリスト教を終了する以外にない。
 
私の体験から言えば、人間はまず最初に神と出会い、その次に瞑想
(坐禅)を開始、そして悪魔と出会うという順番になる。
この順番には動かしがたい必然性があるように感じる。 
 
イエスの体験には、霊魂との出会いが欠けている。
これが欠けてしまうと輪廻転生がわからなくなる。
輪廻を否定するために意図的に編集されているように感じる。 
 
結論・・・いきなり聖書(新約・旧約)を読んではいけない。
神との出会いをすれば、自然に聖書を読みたくなる。

362 :ギブス:2020/09/16(水) 15:54:13.87 ID:n2dyM3SvM
☆ 神の誕生 〜 ビッグバン
 
今から140億年前、まったくの「無」がビッグバン、
物質と反物質がこの宇宙に姿を現した。
物質は何のことかわかるだろう。しかし反物質とは何か。
これは「命」であり、これのことを「神」という。
神とは命そのもののことをいう。 

363 :ギブス:2020/09/16(水) 16:19:16.67 ID:n2dyM3SvM
釈尊が梵天勧請で語っている。
 耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。
 おのが信仰を捨てよ
 
この「甘露」とは「命そのもの」のことである。
人間は「命そのもの」を体験できる。
なぜなら、自分のなかに「命そのもの」に由来している
「命の息」=霊魂があるからだ。
神と人間は「霊魂」によってつながっている。

364 :ギブス:2020/09/17(木) 12:29:01.40 ID:AqL0bS5m1
私の龍神体験は、もう十年以上前から書きこんでいるし、
探せばそのスレがまだ見つかると思うが、再度書き込んでおこう。

私は30歳頃、神(命)と出会い、それと同時に坐禅をしたくなった。
そして自己流で坐禅を初めたが、半年後には想受滅(滅尽定)を体験し、
自分自身の霊魂と出会うこともできた。でもまだ何かありそうな気がした
ので坐禅を続けていた。もうやめよう、もうやめようと思いながらも、
半年後に龍神体験をすることができた。

私は石牢のような部屋で「坐禅」をしている。
右の方にベッドがあり、明かり取りの小さな窓が見えた。
左手の中指に痛みを感じたので見たら細長い小さな虫が食いついている。
私は即座に、「こんな場所だから、お前も腹が減っているのだろう。
食っていいよ。」と心の中で話かけた。

365 :ギブス:2020/09/17(木) 12:58:48.03 ID:AqL0bS5m1
>>364 の続き

その瞬間、その小さな虫が巨大な龍になり、私はその背中に乗って
空高く舞い上がり、空高く飛ぶ。
やがて龍は、大きな川の上空で、川に沿って動かなくなった。
右手には、緩やかな丘が連なり、きれいな草原が見えている。
私はその草原に魅せられ、「行け行け」と言う。
しかし龍はピクリともしない。私は「なんだよ」とじれったくなる。
そのじれったさのせいか、龍に乗ったままの状態で坐禅終了。

366 :ギブス:2020/09/17(木) 13:23:43.84 ID:AqL0bS5m1
坐禅中の魔境だが、その意味はたぶん次のようになる。

石牢とは・・・自分の体であり、肉体のこと
大きな川とは・・・死と生の境界線、三途の川のこと
龍がピタリと動かなくなったのは・・・梵天勧請かもしれない。^^

・これは釈尊の梵天勧請を引用(>>363)した後に気がついた。
・そう思えば自分の人生にいろいいろ合点がいく。v(^^)v

367 :ギブス:2020/09/18(金) 07:37:50.04 ID:CHX15ceTL
☆ 悟り体験。順番に次々別個の体験をすることもある。

@番目 最初に神(命)との出会いがある
・これをキリスト教では聖霊体験という。
・これを釈尊は甘露(不死)の門という。

A番目 次に真の自己、霊魂との出会いがある。
・キリスト教では欠落。輪廻転生をイメージさせるので意図的に削除か。
・釈尊の悟り。本来は、坐禅による霊魂体験のことを言う。

B番目 次に龍神(天使)との出会いがある。
・キリスト教ではケルビムとかセラフィムとか言われている。
・仏教では龍神でイメージされる。

368 :ギブス:2020/09/18(金) 08:14:54.83 ID:CHX15ceTL
>>367 の続き

C番目 次に守護霊との出会いがある。
-- 私は三途の川に架かる橋で守護霊に出会っている。
-- 顔は輝いてよく見えなかったが、スーパーサイヤ人のようだった。
・キリスト教では欠落。イエス以外の霊的存在を認めない。
・仏教ではさまざまな霊的存在を認めているようだ。

D Cと同時に死者の霊も見た。
-- 恐い顔をして「こっちに来るな」とテレパシーで言ってきた。
-- 横に守護霊がいたので、守護霊に圧倒され、私は即座に了解する。
・キリスト教では、死者は墓場で眠り、終わりの日の最後の審判を待つ。
・仏教の一説では、閻魔様によって次の行き場所が決められるそうだ。

369 :ギブス:2020/09/19(土) 10:40:06.42 ID:VI0WmgreS
☆ 神との出会い 〜 主の栄光(出エジ33:18−23)

モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、
主は言われた。「わたしはあなたの前にすべての善い賜物を通らせ、
あなたの前に主という名を宣言する。
わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」

また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。
人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

370 :ギブス:2020/09/19(土) 10:52:49.99 ID:VI0WmgreS
>>369 の続き

更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。
あなたはその岩のそばにたちなさい。

わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、
わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。

わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、
わたしの顔は見えない。」

371 :ギブス:2020/09/19(土) 12:50:09.84 ID:VI0WmgreS
>>369-370
主の栄光の話は謎めいている。
これを初めて読んで、すぐにわかったらたいしたものである。
しかし、私は神に出会ったことがあるからすぐにわかった。

肉眼で神を見ることはできない。
目を開いているのに目が見えなくなるのだ。
それなのに、頭の中、額の真ん中に落ちて来た一滴の「命の雫」を見る。
唯識で言うところのマナ識で見る。
神に出会うことによって、マナ識にある目(心眼)が開くのである。

372 :ギブス:2020/09/22(火) 21:28:38.80 ID:GBfq/8S/u
☆ 神との出会い方を再度整理する
カントは人間の心の働きを「知情意」の三つに区別している。

@ 知・・・言葉で善悪を明らかにしようとする。
----善悪を知る実を食べた原罪レベル → 決して命の実まで到れない。
----言葉では何とでも言えるから、相手も自分自身も騙してしまう。

A 情・・・キリスト教徒は愛を強調するタイプが多い。
----このタイプの人は、それが正反対の感情を生み出すことに鈍感。
----愛と憎がもつれあい、言葉の世界以上の泥沼を生み出す。

B 意・・・最終的には生か死である。二者択一。
----地上には本当の愛がないと知った時、
----自分の意志で死を選ぶことができるか否か。← 究極の悔い改め
----これによって神(命)に出会うことができる。

373 :ギブス:2020/09/23(水) 13:23:34.62 ID:hPxxnhEcG
下手に宗教を信じていると、土壇場で宗教を頼って逃げてしまう。
自分を捨てることが決してできない。これが神に出会えない原因である。

それゆえに、おのが信仰を捨てよ、これが釈尊の教えになる。

374 :ギブス:2020/09/23(水) 15:18:00.32 ID:hPxxnhEcG
私は宗教を笑っていた人間だ。
カトリック教会の見学をさせてもらって、
二階から見ていたが神父の衣装がチンドン屋みたいで
思わず笑ってしまった。
 
その後、30歳前後になるまで信仰に興味がなかったが、
神(命)に出会ったので、試しに近所の教会に行ってみた。
そこはプロテスタント教会だった。イエスの贖罪説を説明している
レジメを渡されされ、初心者の勉強会に参加させてもらった。 
 
そんなおり、教会の礼拝中、頭の中にポコッと
イエスのポコチンが浮かんできたのだ。
それでイエスは男だとはっきりわかったのです。^^
あまりのショックに、教会に行くのはそれっきりになりました。TT)

375 :ギブス:2020/09/25(金) 18:14:04.91 ID:joumEjxqH
☆ シルバーバーチの霊訓より引用

求道者の道は容易ではありません。真理というものは簡単に手に入るもの
ではないからです。価値あるもの、高い評価を受けるものほど軽々しくは
手に入らず、迷いと懐疑心の中をくぐり抜け、しかも誠実・崇敬・飽くなき
真理探求心をモットーとして努力した末に、ようやく手にすることができる
ものなのです。

人生体験も大きな生命機構の中の一環なのです。およそ有り難いとは
思えない体験――悲しみ、辛い思い、嘆き、失望、苦しみ、痛み――
こうしたものは魂にとっては貴重なのです。

376 :ギブス:2020/09/25(金) 19:58:46.50 ID:joumEjxqH
神(命)に出会うまでに、私がやったこと、経験したこと。
 
@ 生きている意味をいつも考えていた。
A ひたすら愛を探し求めた。
----フロイト心理学と唯物弁証法を独学で学んでいた
B 砂を噛むような、苦しみの連続だった。
C 不思議に宗教にはまったく興味がなかった。
----今思えば、BとCも重要だったことに気づく。
 
余計なものをすべてそぎ落とした生活をしていたようである。
その結果、最短距離で神(命)に出会うことができた。

377 :ギブス:2020/09/26(土) 10:03:42.18 ID:F9RxQDd8Z
シルバーバーチの「贖罪説」についての見解
   
バイブルには事実でないことが沢山のべられています。
いかなる人間も自分以外の者のために代わって苦しみを受けることは
できません。自分の成長を管理するのは自分一人しかいない。
 
・・・・・他人の成長は管理できないというのが摂理だからです。
贖罪説は神学者が時代の要請にしたがってでっち上げた教説の一つ
です。自分が過ちを犯したら、その荷は自分でそれ相当の苦しみを
味わわなくてはなりません。そうやって教訓を学ぶのです。

もしも誰かほかの者が背負ってあげることができるとしたら、
過ちを犯した本人は何の教訓も学べないことになります。

378 :ギブス:2020/09/26(土) 10:23:25.10 ID:F9RxQDd8Z
三大霊訓のひとつ、アランカルディクの「霊の書」は語る
  
神の属性(属性とは性質や特徴の事)について
――神の根源的本質は人間に理解できるでしょうか。
「できません。それを理解するための感性が人間にはそなわって
いません」――その神の神秘はいずれは人間にも理解できるように
なるのでしょうか。「物質によって精神が曇らされることがなくなり、
霊性の発達によって神に近づくにつれて、少しずつ理解できるように
なります」――たとえ根源的本質は理解できなくても、神の完全性の
いくばくかを垣間(かいま)見ることはできるでしょうか。
「できます。いくばくかは。人間は物質による束縛を克服するにつれて
神性を理解するようになります。知性を行使することによってそれを
垣間見るようになります」

379 :ギブス:2020/09/26(土) 18:32:21.07 ID:F9RxQDd8Z
>>378
この答え方には疑問を感じる。
 
生前、神に出会ったことのない霊たちは、神の本質は理解できないと
答えることだろう。そう答えないとウソになるからだ。
しかし直後に、「物質の束縛を克服する」につれて神性を理解する
ようになりますと、補足訂正している。
実際、神(命)そのものを心眼で見た者が何人もいるのであろう。
釈尊、モーセは確実に神(命)を見ている。私でさえ見たのだから。
 
この話には、神を見るコツが語られていることに注目しよう。
それは「物質の束縛を克服する」という箇所にある。
言い換えれば、物質への欲望が完全に消滅すれば、
神=命そのものを見ることができるのだ。

380 :ギブス:2020/10/01(木) 06:48:39.84 ID:KBWG2MteZ
夏目漱石 『草枕』冒頭より

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。

とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、
詩が生れて、 画(え)が出来る。

381 :ギブス:2020/10/04(日) 07:00:21.10 ID:cG488a47E
さすが文豪、人間の思いを的確に見抜いている。
しかーし、生きる苦しさから逃げ回っている印象がある。
最後の最後は詩や画に逃げてしまう。
これが夏目漱石の限界なのだろう。逃げ回るのではなく、
自分自身と対決しなければならないのに。

学業優秀で英国に留学、旧制高校の英語教師になるが、
教師をやめ新聞小説を書くようになる。収入が増え生活が安定する。
生活に余裕があるから、それを守ろうとして最後は逃げてしまう。
小説『心』は、漱石の苦衷が感じられ読みごたえあり。

382 :ギブス:2020/10/04(日) 07:35:56.81 ID:cG488a47E
>>372 「究極の悔い改め」
神(命)と出会うには、悔い改めの深さが重要になる。
芸術や信仰や宗教に逃げるのではなく、生きるべきか死ぬべきか、
という選択しかない断崖絶壁で死を選択する。
死を決意する。これが「究極の悔い改め」ではないだろうか。
これができれば、後はその人の運命である。
 
その時、自分の命を善いことに使おうと思い至れば神に会える。
そう思うことなく、そのまま自殺すれば暗闇地獄に落ちる。
日頃から善いことを心掛けていれば、それによって命が救われる。

383 :ギブス:2020/10/04(日) 07:46:24.25 ID:cG488a47E
善いことを心掛けるといっても、
未熟なうちは、できるだけ良心的に考え、行動すればよい。
そういう場面で何もできなければ、ただおろおろするだけでもよい。
 
人間に対しても他の生き物に対しても
悪意を持つこと、意地悪をすることは ×

384 :ギブス:2020/10/10(土) 06:18:27.96 ID:6gNqNAbiW
道に迷ったらどうする?

周囲に誰かいれば、その人たちに聞いてみるだろう。
それでもわからなければ、少しでも見晴らしのよい場所に出て、
周囲を見下ろそうとするだろう。

そこでおすすめなのが、シルバーバーチの霊訓、神、祈り・・・
もうネットでは読めないかと思っていたが、まだ読めた。^^
神について祈りについて詳しく書いている。いいねえ、さすがだね。

神や祈りについてはいろいろなサイトがあり様々に書いている。
が、やっぱしシルバーバーチが一番。

385 :ギブス:2020/10/10(土) 10:15:14.88 ID:6gNqNAbiW
シルバーバーチの霊訓
 
@ 3千年前に地上で生活していた高級霊(モーセ?)が、
A インディアンであったシルバーバーチ(白樺)という霊を経由、
B 霊媒者モーリス・バーバネル(英)と
C 1920〜1981の60年間交信した記録。
 
人間には、輪廻転生者とまったくの新生者がいる。
日本人の場合はそのほとんどが輪廻転生者になるらしい。

386 :ギブス:2020/10/10(土) 17:34:08.29 ID:6gNqNAbiW
シルバーバーチ語録 1
  
霊性というものは苦悶と病苦と悲哀の体験を通して初めて覚醒する
ものです。かくして自我に目覚めた魂は他人の苦しみに心を配る、
大きな魂へと成長するのです。やりたい放題の人生を送り、
夢まぼろしの幸せを追い求めている魂は、いつかは実在を学ぶために
過酷な体験をさせられる時がまいります。贅を尽くした安楽の日々を
送っている人を見て羨ましがることはありません。
その行く先には過酷な人生が待ち受けているのです。

387 :ギブス:2020/10/11(日) 05:04:17.58 ID:Rvklmo6Bk
>>385 の訂正
シルバーバーチは3000年前のアメリカ大陸で生きた
インディアンのようである。モーセやダビデではなさそうである。
そうだとすれば、白人によって絶滅されつつある側の人間が、
白人のところに白人の誤りを伝えに降臨したということか。TT)
 
霊訓13章 霊界通信の難しさ
あなた方西洋人の精神構造は私たちインディアンとは大分違います。
うまく使いこなせるようになるには、かなりの年数を要します。
まずその仕組みを勉強したあと、霊媒的素質をもった人の睡眠中を
ねらって、その霊的身体を使って試してみます。
そうした訓練の末に、ようやくこうして入神させてその口を使って
しゃベることが出来るようになるのです。

388 :ギブス:2020/10/11(日) 09:44:43.30 ID:Rvklmo6Bk
霊訓20章
私は白人ではありません。レッド・インディアンです。
米国北西部の山脈の中で暮らしていました。あなた方のおっしゃる
野蛮人というわけです。しかし、私はこれまで西洋人の世界に、
三千年前のわれわれインディアンより
遙かに多くの野蛮的行為と残忍さと無知とを見てきております。
今なお物質的豊かさにおいて自分たちより劣る民族に対して行う
残虐行為は、神に対する最大級の罪の一つといえます。

389 :ギブス:2020/10/13(火) 08:43:33.47 ID:rZUaGSmpR
「スピリチュアリズム・ブックス」の紹介
・第1公式サイト 霊性進化の道
・第2公式サイト ブックス
・第3公式サイト 霊現象論

第2公式サイト ブックス
・ホーム
・シルバーバーチは語る A.W.オースティン(編)
・霊性進化の道しるべ トニー.オーツセン(編)
・地上人類への最高の福音 同上
・霊的新時代の到来 同上

ほかにステイントン・モーゼスとインペレーター霊の霊訓(上下)
アラン・カルディックと霊団の霊の書、霊媒の書
スピリチュアリズム入門とその続編あり

390 :ギブス:2020/10/13(火) 09:47:56.48 ID:rZUaGSmpR
>>387-388 の霊訓は→「シルバーバーチは語る」より引用です。
  
私はいろいろな霊的体験をした後に ・・・
聖書、コーラン、古事記、日本書紀などの宗教書を読んだり、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの哲学書を読んだり、
ルソーやキルケゴールやエマーソン、森の生活のソーロウ、
ゲーテ、ヒルティ、タゴール詩集、ロシア文学などを読んできた。
 
シルバーバーチを読み始めたのはそれほど前ではないが、
これが一番しっくりする。ただ文章が滑らか過ぎ、
そうだそうだと読むせいか、不思議に記憶に残らない。
読んでいて楽しければそれでいいのかもしれない。すぐに忘れるが、
シルバーバーチを読んでいる時間は幸せだ。^^

391 :ギブス:2020/10/13(火) 11:41:02.95 ID:rZUaGSmpR
精神と肉体とスポーツの関係
神 > 霊魂 > 精神 > 肉体 ・・・ スポーツ
  
スポーツは肉体の健康を維持する程度で十分なり。
名誉や賞金で釣り、スポーツに熱中させることは間違っている。
スポーツの意義は、神を目的とする限りで成立する。 
 
この観点から言えば、プロスポーツはすべて間違っている。
オリンピックは完全に狂っている。(`・ω・´)

392 :ギブス:2020/10/14(水) 05:33:40.06 ID:nHQc+zCpi
☆ いわゆる宗教とスピチュアリズムとは何が違うのか
 
いわゆる宗教は神(ゴッド)の「一元論」・・・ ユダヤ教
キリスト教、イスラム教、バラモン教、ヒンドゥー教(梵我一如)
ゾロアスター教、神道、大乗仏教(空)、各種新興宗教
  
スピリチュアリズムは大霊(命)と物質の「二元論」・・・
大霊とは、英語のグレートスピリットであり、その日本語訳である。
大霊(命)と物質は、150億年前、「無」が爆発、ビッグバンする
ことで誕生する。大霊には意識があるが物質には意識がない。
大霊は「反物質」であって、物質と正反対の位相にある。
大霊(意識)と物質(無意識)が直接出会ったら瞬時に爆発消滅する。
両者の存在は間接的な依存関係に置かれている。
それが霊界と物質界である。こういう関係だから、
・・・ 物質で大霊(命)を造ることは永遠に不可能である。

393 :ギブス:2020/10/14(水) 09:43:45.65 ID:nHQc+zCpi
私の場合、30になるまで信仰や宗教にまったく無関心だったが、
神秘体験をした後、霊的な書物を急に読みたくなった。
 
最初は聖書だったが、エマソン、ゲーテなどにも興味が広がり、
その後ワンテンポ遅れで神道や仏教やヒンドゥー教やイスラム教
などの宗教書へと進んでいった。
 
そして宗教のだいたいを学んだ後に、スピリチュアリズムに出会い、
読んですぐに自分の神秘体験と重なることに気づいた。
何が言いたいかと言えば、これらの順番が神懸かっていることだ。
 
無信仰者、神を笑っていた人間が → 神(命)と偶然出会い → 
自分の体験をベースに、哲学や霊的な書物や宗教書を乱読 →
その後にシルバーバーチと出会う → この出会い方が不思議過ぎる
誰かに導かれながら生きて来たのかなと (-_-;)

394 :ギブス:2020/10/14(水) 10:57:50.97 ID:nHQc+zCpi
シルバーバーチ語録 2
霊性進化の道しるべ 4章 祈り
 
ああ、真白き大霊よ
・・・
・・・
 
全生命の大源におわしますあなた、
あらゆる存在を通してその霊性を顕現しておられるあなた、
物質の世界と霊の世界の区別なく、
生きとし生けるものすべてに見出すことのできるあなたを、
わたしはいかに表現すればよろしいのでしょうか
 
・・・
・・・

395 :ギブス:2020/10/15(木) 06:29:17.24 ID:k0Xv/fW9S
グレート・ホワイト・スピリット 〜 Great White Spirit
 「霊的新時代の到来」1章 下から4分の1辺りの箇所から引用

複雑で深遠な問題を扱うには、そう単純に片づけられないことがあるのです。
たとえば“神”のことをあなた方はゴッドと呼び、わたしたちは
グレイト・ホワイト・スピリットと呼びますが、どこがどう違うのか。

わたしにとっては、宇宙の背後に控える無限の力は、“ゴッド”のように、
世界中の億単位の人間がそれぞれにまったく異なる概念で使用している用語を
用いるよりは、グレイト・ホワイト・スピリット(真白き大霊、ないし無色の
大霊、の意)の方が、より正確にその本性を伝えていると考えるのです。
単純ということは、それで済まされる場合には大切な要素となりますが、この
問題に関するかぎり、わたしはゴッドという単純な用語を避けても非難される
いわれはないと信じます。

396 :ギブス:2020/10/15(木) 06:50:40.46 ID:k0Xv/fW9S
高級神霊について 〜 前期引用箇所のすぐ下に続く
 
高級神霊のことですが、これもなかなかうまい表現が見当らないの
です。わたしが知るかぎり、地上には例えられるものが存在しません。
あなたはご自分と似たような容姿の人間ばかりを見慣れていらっしゃい
ますが、わたしが光栄にも時おり連絡を取り合うことを許されている
高級霊になると、その容姿をどう表現したところで、あなたには理解し
ていただけないでしょう。

“存在”というと、人間的容姿をそなえたものしか想像できない人間
に、全身これ光、ないしは炎のかたまり、といった存在をどう表現した
らよいのでしょう。伝えようにも、それをうまく表現する用語が見当ら
ないのです。秘密にしておこうという魂胆があるわけではありません。
現在の地上人類の進化の段階では、それとは途方もなく隔たりのある段
階の存在は、とても理解できないからにすぎません。

397 :ギブス:2020/10/15(木) 07:54:55.51 ID:k0Xv/fW9S
シルバーバーチとはいったい何者なのか?
これについては、>>385 それを訂正した >>387 >>388 と書いたが、
どうも再度訂正し、最初の >>385 に戻ることになるようだ。
「霊的新時代の到来」3章 下から3分の1辺り
 
「では一体わたしたちは何者なのかという問題ですが、これ又、
アイデンティティを何を基準にするかによります。ご存知のとおり、
わたしはインディアンの身体を使用しておりますが(※)、
インディアンではありません。こういう方法がいちばんわたし自身を
うまく表現できるからそうしているまでです。」
 
※ 祈りの末尾でも“あなたの僕インディアンの祈りを捧げます”
と述べているが、“わたし”と言っている一ばん奥の通信霊が誰で
あるかは、“いつかは明かす日も来るでしょう”と言いつつ、
六十年間、ついに明かされることはなかった。

398 :ギブス:2020/10/17(土) 05:30:15.04 ID:25gwNns45
★ ★ ★
スピリチュアリズムの誤りを発見したかも・・・
それは「類魂」という概念である。

かっては人間のペットだった犬、猫、小鳥などは、死んだ飼い主のもとに
しばらく姿を見せるが、やがては一つの、同じ仲間たちの「類魂」に
吸収されてしまうと言っている。つまり人間以外の動物は死ぬと次第に
個性を失って行くことになる。

シルバーバーチがなぜこんな主張したかと言えば、動物の個体にそれ専用の
「霊魂」が宿ることを認めなかったからではないだろうか。つまり「霊魂」の
存在をまったく知らなかったからではないか。
残念だが、シルバーバーチは「霊魂体験」をしていなかったと考えられる。

399 :ギブス:2020/10/17(土) 06:07:49.42 ID:25gwNns45
その結果、シルバーバーチ・モデルでは矛盾が生じる。
 
<人間は永遠に個性を失わない>
「大霊→人間」は大霊の分霊であり、霊界にいるか輪廻転生する。
なぜなら、大霊は永遠であり、死ぬことがないから。
 
<動物の個性は、死ぬと「類魂」の中へ消滅する>
「大霊→動物」も大霊の分霊だが、なぜか人間とは異なる運命になる。
 
こういった矛盾は、シルバーバーチが禅で言うところの
想受滅(滅尽定)を体験してないからであり、霊魂体験がなく、
(大霊→霊魂)こそが永遠不滅であることに気づかないからである。
あらゆる動物には「大霊」由来の「霊魂」が備わっている。
ただしウィルス関連を除く。^^

400 :ギブス:2020/10/17(土) 08:44:13.79 ID:25gwNns45
中村元訳『ブッダの言葉』スッタニパータ 岩波文庫
第一章蛇の章 八慈しみ
 
Sn.145 ・・・ 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、
安穏であれ、安楽であれ。
SN.146 ・・・ いかなる生物(いきもの)生類であっても・・・
Sn.147 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、
近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと
欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
Sn.152 ・・・ 諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び
母胎に宿ることはないであろう。
 
---- ブッダは、想受滅・霊魂体験をし、
---- 輪廻から解脱したことが示されている。
---- 死後の人間と動物を「類魂」によって区別していない。

401 :ギブス:2020/10/18(日) 07:37:12.31 ID:qG4ddVk82
自分教について

判断基準としては善悪・美醜・真偽がある。そう判断する根拠は、
眼耳鼻舌身という五根によって行われことになる。ところで自分教とは、
根拠がないのに「自分の都合で自分勝手に判断し自己主張する」ことを言う。
こういう人と議論しても疲れるばかりだろう。放置がベスト。

ただし、霊的な話題においては、肉眼と心眼の違いを知る必要がある。
肉眼では見えないが、心眼で見ることができる場合もある。
釈尊などの宗教家は、心眼のレベルで語っていることがある。
イエスやシルバーバーチも同様である。
かれらの場合は、かれらと同じ体験をしてからでないとわからない。

402 :ギブス:2020/10/19(月) 06:55:48.71 ID:9hWswCuMK
解脱した人々の死後の楽しみは何か ・・・
Sn.152 ・・・ 諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び
母胎に宿ることはないであろう。>>400 スッタニパータ

欲望(食欲と性欲)を捨てることができれば、神(他者愛)と出会い、
想受滅を体験・霊魂体験をして、利己主義から完全に卒業する。
ところで問題は、解脱した人たちの死後の精神的状態にある。

神(大霊)のそばにいるだけで100%満足できるのか。
食べる必要がなく、体がないから家も衣服も必要ない。
働く必要もなく病気もしない。そのうえ結婚もできないのである。

そんな人ばかりだったら、他者愛を発揮する場面がまったくない。
そんな状態が永遠につづくとしたら、
いくら幸せでも余りに退屈で死にたくなるのではないか。

403 :ギブス:2020/10/19(月) 07:12:59.63 ID:9hWswCuMK
不幸な人がいるから幸せを感じることができる。
幸せなひとがいるから不幸を感じることができる。

では、天国に住んでいて幸せ過ぎて困っている人はどうしたらいいのか。
苦しみの世界に下降し、不幸な人を救えばいいではないか。
たとえばシルバーバーチの軍団のように。

かれの活動にはかなりの数の霊たちが協力しているらしい。
守護霊になる霊もいる。霊たちは働いているのだね。
これによって退屈な狂い死にを避け、他者愛を貫徹しているのかも。

404 :ギブス:2020/10/19(月) 11:58:13.08 ID:9hWswCuMK
釈尊はどこに消えたのか?
 
アーナンダをお供に、アリを踏まないように注意しながら、
無数の星々を次から次へと見物し遊行する。
ついでに、そこに住む人々に仏法の真髄を説く ・・・
それも何だか楽しそうではないか。^^

405 :ギブス:2020/10/23(金) 09:03:18.55 ID:fwt8vM1oR
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を思い出した。孤独なジョバンニが友人の
カンパネルナと銀河鉄道に乗って銀河系を旅行する童話である。

同じ銀河系(天の川銀河)に、釈尊もアーナンダもいるのではないだろうか。
ここには2〜4千億個の恒星があり、楽しむ分には限りがない。
この銀河に一番近いのがアンドロメダ銀河だが、この二つの銀河は
40億年後に衝突、20億年かけて合体するそうである。
しかし、その時はその時、また別の銀河へと引っ越しすればよい ♪

406 :ギブス:2020/10/25(日) 11:22:21.30 ID:JT31i3Mae
宮沢賢治(1896-1993 37歳没)は、岩手県花巻市で質屋と古着商を営む
裕福な家の長男として生まれる。親が浄土真宗大谷派を信じていた関係で、
宗教的な雰囲気の中で育った。しかし18歳で妙法蓮華経如来寿量品に
深く感動、これが後に田中智学の国柱会に参加する動機になる。

学業は幼いころから優秀であり、19歳で現岩手大学農学部に首席入学。
大学を卒業すると国柱会に入会し、25歳で家族に無断で上京、国柱会本部で
街頭布教や奉仕活動に従事する。心配してやって来た父親と関西旅行。
26歳、妹トシが死去。無声慟哭などを詩作。

28歳、春と修羅などの制作を開始。32歳、日照りで稲作指導に奔走。
35世、風の又三郎、雨にも負けず。36歳、グスコーブドリの伝記。
37歳、没。浄土真宗大谷派の寺に埋葬。1951(昭26)に、
花巻市の日蓮宗・身延寺に家族の菩提寺を変更、全員を改葬移転する。

407 :ギブス:2020/10/25(日) 18:32:58.06 ID:JT31i3Mae
宮沢賢治の詩や童話に法華経の影響があるのかなと思っていたら、
そういう視点から研究している人たちもいるようですね。
吉本隆明や天沢退二郎など。

「宮沢賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか」
という10年前の長ーい動画も見つかり、大変参考になりました。^^

408 :ギブス:2020/10/25(日) 21:01:32.34 ID:JT31i3Mae
講演は正木晃先生。立正大学・慶応大学非常勤講師。
 
2012.8.27 by日蓮公式チャンネル

409 :ギブス:2020/10/27(火) 07:19:31.17 ID:lpWn1BtJY
正木晃 神奈川県出身 1953年〜 現在67歳 byウィキ

筑波大学大学院博士課程満期退学、国際日本文化センター客員教授、
中京女子大学助教授、純真短期大学教授、慶応義塾大学文学部・
立正大学仏教学部非常勤講師

日本密教、チベット密教などの宗教図象学(マンダラ)を主な研究対象
とする。また、日本における原始神道を宗像大社や、沖ノ島や大神神社、
三輪山からひも解く研究など。宮崎駿アニメの密教的な読解の本も多い。

---- 要するに、宗教とは何か、宗教全分野に対する関心だろうか。

410 :ギブス:2020/10/27(火) 08:48:20.90 ID:lpWn1BtJY
宮沢賢治は幼い頃から鉱物に興味を持っていたようである。
その後、鉱物と生物の違いに興味が移って行く。
 
生物は死ぬといずれは元素の中に解体する。
では、生物に内在する「命」はどこへ消えて行ったのか。
これが賢治の大きな疑問になったのではないか。
 
そんな時に出会ったのが「妙法蓮華経・如来寿量品」であった。
そこに、釈尊は永遠を生きている、ことが説かれている。
その時、「これが命だ」というイメージが一瞬閃いたのであろう。
賢治は大ショックを受け、浄土真宗から日蓮宗への改宗を決意する。
 
---- などと、ネットで少し調べただけだが、
---- 推理してみた。(´・ω・)

411 :ギブス:2020/10/27(火) 11:30:01.15 ID:lpWn1BtJY
宮沢賢治はベジタリアン、しかもヴィーガンだったようだ。
たぶん故郷で農業指導員をやっていたころの話だろう。
 
この考え方には、生き物に対する、命に対する畏敬の念がある。
如来寿量品がきっかけだったかもしれないが、法華経というよりも、
命と物質という二元論に重心があったような気がする。
 
なんとなくそう思っていたところに、如来寿量品に出会って
これだ! とドツボにはまったのではないだろうか。
 
賢治が、神=命そのものに出会ったかどうかはさだかではない。
しかし、その生き方や文学作品には、神と出会ったのではないかと
思われる節がしばしば感じられる。(´・ω・`)

412 :神も仏も名無しさん:2020/10/27(火) 20:46:56.44 ID:R8/7dYYlx
これがいっぱいのおちゃ

413 :ギブス:2020/11/02(月) 18:15:07.52 ID:blPk5+bEr
(`・ω・´) フハハハ

414 :ギブス:2020/11/08(日) 18:13:06.86 ID:zb9xo/IlK
(`・ω・´) フハハハハハ

415 :ギブス:2020/11/10(火) 06:50:26.40 ID:Wp4RExO2j
コンピューターは「二元論」であり、
「1」と「0」だけの組み合わせで成り立っている。
それだけで無限の表現が可能なのである。

他方、「1」か「0」かの「一元論」では、何も表現できない。
「神」という一元論では「神」しか表現できないのだ。
それは何も表現していないのと同じことである。

ここから、この世が「神と物質の二元論」で成立していることを
洞察できる者は幸いである。(`・ω・´)

416 :ギブス:2020/11/10(火) 09:03:11.46 ID:Wp4RExO2j
>>415 から、次のような考え方は自動的に誤りになる。
 
神の一元論・・・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教などなど。
 神がこの世のすべてを創造した。   
唯物論・・・生き物を含め、この世は物質だけで成立している。
 すべての生き物は死んだら土に帰る。
唯識学・・・すべての事物は心が作り出した表象にすぎない。
 この世は夢であり幻のようなものでしかない。

417 :ギブス:2020/11/11(水) 17:43:42.20 ID:EiI9fb3KK
唯識学の何がどう間違っているのか?

生き物は人間を含め、神と物質が作った二元宇宙を生きている。
それなのに、神を否定し、物質も否定しているところが間違っている。
生き物は神(命)と物質の両方を生きているのにね。
その両方を同時に否定してしまうところが根本的な間違いなんだよね。^^

唯識学には、反面教師という役割はあったのだろうが、
しかしもうその役割は終了したかもね。
いまや、神(命)を直接体験できる時代がやって来たのだから (`・ω・´)

418 :ギブス:2020/11/11(水) 18:43:17.44 ID:EiI9fb3KK
またもや不思議な奇蹟を体験したよ。
 
詳しくは書けないが、小鳥たちの思いが通じたのかも。
 
ここしばらく事情があって小鳥のエサ場にずいぶん心配していたが、
 
「偶然にも」小鳥たちのエサ場をそのままにすることができた。
 
よかったよかった、ほんとうによかった。^^

419 :ギブス:2020/11/12(木) 16:51:44.35 ID:YNifBOUt7
人間を含めたすべての生き物は、
神(命)と物質の、二重存在としてこの世に誕生するんだね。
だから幼い子たちは、この世の物質的な制約を超えた話をおもしろがる。

そう思うのは子供だからではなく、生き物は物質的な存在ではなく、
同時に霊的な存在でもあるという子供心の直感にある。
その直感は100%正しい。(`・ω・´)

420 :ギブス:2020/11/12(木) 17:20:11.52 ID:YNifBOUt7
これらを図式化すれば次のようになるだろう。
神(命=生) →→ 人間を始めとする生き物 →→ 物質化(死)
 
わたしの反論は、命は死ぬのか、ということだ。
そして、命を見た人間として、命は死なないと断言する。
命こそは神であり、永遠不滅なのである。
 
どうやってそれを確かめるのか?
死を受け入れ、死のうと決意する以外にない。
その時、「命=神」が姿を見せる。

421 :ギブス:2020/11/12(木) 18:18:11.94 ID:YNifBOUt7
神がいるかいないのかを、どうやって確かめるのだろうか?
死を決意し、死ぬことを受け入れる以外にない。
 
しかし、受け入れた瞬間、
同じ死ぬなら、この命をよいことに使いたい、と考え直したのです。
そしたら、命の雫が頭の中、額の中心辺りに一滴落ちて来ました。
その瞬間、それが神であるがすぐにわかったのです。
これが私と神との最初の出会いです。
 
神はいるのですね。神こそは「至福」の存在なのです。

422 :ギブス:2020/11/16(月) 17:45:53.08 ID:ODGb3JVVk
釈尊はなぜ修行の第一に「乞食行」を据えたのか。
悟るためには、これが一番大事な修行だとわかったからではないだろうか。

釈尊はスジャータの行為に無償の「愛」を直感した。
スジャータは神(命)との出会いをもたらすきっかけになっている。

それを無視して坐禅をひたすら強調するからわかわかめになる。
釈尊が坐禅で悟ったというのは俗説でしかない。
その直前に釈尊は神(命)に出会っている。

すでに悟っているからこそ坐禅に集中できたのではないだろうか。
釈尊集団の「乞食行」の意味を考えればそうなる。^^

423 :ギブス:2020/11/18(水) 08:13:32.78 ID:6s6cIIJiH
アラヤ識 〜 講談社学術文庫『世親』225p
そしてそれ(アーラヤ識)は暴流のように、流れて存在する。(第四頌d)

※ 暴流かどうかは個人差があると思う。
私の場合はわかりにくいかもしれないが、坐禅をしている最中に、穏やかな
小川を前にして坐禅をしているという魔境から始まる。二重の坐禅だね。

そしたら誰かが上流から水没した状態で流れてくる。それが目の前にやって
きた時、そいつと目が会ったが、見た瞬間、そいつが自分であるとすぐに
わかった。そいつは「生きている死体」とも言うべきものだったが、
しかもそいつが「にやっ〜」と笑ったのだね 〜 〜

あまりの気持ち悪さに速攻で捨てたが、そいつが目の前を通り過ぎた瞬間、
バチンと電気が切れたかのように想受滅(滅人定)に入り、
意識が完全に途絶えた。

424 :ギブス:2020/11/18(水) 09:44:34.00 ID:6s6cIIJiH
つぎに意識が戻ったのは、何もない闇の中だったような・・・
(後で考えるとこの意識はマナ識以外にないと思われる)
 
意識が戻るとほぼ同時に、猛スピードで白い霧の世界を走り始め、
自分の外にある白い霧の世界を認識できる視覚を持ち、
猛スピードで走っているのに霧の一粒一粒を数えられるぐらいの
鋭敏な触覚もあった。つまり自分と外部世界を分ける境界もある。
そこは痛いほど清浄であり、あまりにも痛快だから、
そんな状態で何も考えずに延々と走り続ける ・・・・・
 
でもふと「ここはどこなんだろう?」と思ったら、
その思いが雷が轟くように周囲に轟き渡り、それが聞こえた瞬間、
小川の側で坐禅をしていた自分自身に戻ることができ、
夜空に浮かんだ満月のようなものが落ちて来くるのを見る。
私は満月に飲み込まれ坐禅終了、日常意識にもどることができた。

425 :ギブス:2020/11/18(水) 10:09:30.07 ID:6s6cIIJiH
それは(アーラヤ識)は阿羅漢の位において消滅する。第五頌a
 
アーラヤ識がアーラヤ識として活動しつづけるかぎり、われわれは
生死をくりかえして輪廻しつづける。したがってアーラヤ識は修行の
過程において滅せられなければならない。アーラヤ識はいつ消滅する
かといえば、右頌に説かれるように阿羅漢の位においてである。
阿羅漢(アルハット)とは小乗仏教でとく最高の聖者の位である。
もはや学ぶべきものがなにもなくなった修学完成の位であるから
「無学」ともいう。前掲書(>>423、p227より)
 

426 :神も仏も名無しさん:2020/11/18(水) 19:58:33.03 ID:MW/luccYE
ちゅんちゅん

バカかおめー

それより豆だせ  豆

427 :ギブス:2020/11/19(木) 17:56:02.34 ID:lRWSI+0wM
残念だが、スズメは豆を食えないのだね。
米粒の大きさががやっと食べられる大きさなんだ。
豆の大きさならハトになる。
こういったことは実際に体験しないと永遠にわからない。

人間も同じであって、想受滅(滅尽定)を体験してない人々にとっては
悟りの奥義など結局のところ何もわかっちゃいない。
残念だがそんなもんだよ。TT)

428 :ギブス:2020/11/19(木) 18:32:35.36 ID:lRWSI+0wM
ついでにもう一つ、六神通など大ウソの大ボケだよ。
六神通 ・・・ 神足通、天耳通、他心通、宿命通、天眼通、漏尽通
ないないw そんな超人はインドやシナにも一人もいない。
 
いるとしても、自己愛から心が自由になるに応じて、
自由な発想が可能になるという程度ぐらいなものだろう。
自己愛からの卒業には想像を絶するような壁がある。

429 :ギブス:2020/11/20(金) 12:22:44.11 ID:xZnBcwVQO
かりに六神通を体験するとしたら「坐禅中の魔境」だろうね。
実際の生活では「運がよくなる」ことぐらいか。
でもこの世ではこれが重要なんだよね。^^

430 :ギブス:2020/11/20(金) 18:23:06.20 ID:xZnBcwVQO
生きている間に知っておくべきことは何だろう?
元気よく死ねるかどうかではないか。
 
南無阿弥陀仏では「恨」が残りそうな余地がある。
その点、ドンツクドンツク南無妙法蓮華経の方が元気がよくていい。
 
さらにベストなのは、生きている間に成仏することだろうか。
遺族たちに死者をも羨むような気分を起こさせられるのかどうか。
コロナor武漢ウィルスによってそんな時代がやってきたのか否か。

431 :ギブス:2020/11/21(土) 07:53:34.55 ID:O/ndtGrj8
死を恐れないこと 
〜 これこそが悟ったかどうかの基準ではないだろうか。
 
悟ったと言いながら、死から臆病に逃げ回っていたら、
とてもじゃないが悟ったとは言えない。
しかしムダに死ぬことではない。
死を恐れないことが、悟ったかどうかの基準である。
死ぬべきときは元気よく死ぬのがよい。
そういった覚悟を日頃から持て。(`・ω・´)
 

432 :ギブス:2020/11/21(土) 08:34:21.45 ID:O/ndtGrj8
どうしたらそんな心境になれるのか。
 
@ 神(命)に出会う 〜 神との出会いは「至福の極み」だった
A 想受滅によって「不浄なアラヤ識」を捨てることができた
B それによって「真の自己」である「清浄な霊魂」を見た
C いまや「マナ識」がその霊魂を覆っている
D 龍神様の背の上から「あの世」を見せられた
E 向こう側に行きたかったのに龍神様が石のように固まった
F 三途の川に架かる橋の上で守護霊と死者の霊に出会った
G 橋を渡りたかったのに二人に遮られた
 
これだけ体験すれば、死後の世界は少しも恐いものではなく、
むしろ逆、いつでも喜んで行ける場所であることがわかるだろう。
行きたい行きたいと思って生きて来たから、今日死んでもいい。
「悟り」とはそういったものなのだ。(`・ω・´)

433 :ギブス:2020/11/22(日) 08:44:10.56 ID:/8aijABgK
武士道と云うは死ぬ事と見つけたり 
----元佐賀藩士 山本常朝(1659-1720,61歳没)『葉隠』
 ↑ ↓ 
毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に
自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。
----葉隠「聞書一」2 冒頭の「・・・死ぬ事・・・」に対応する
------------------------------------------------------------ 
長い間カン違いしていたが、葉隠の場合は、
武士という道徳や世間体から「死を選べ」と主張しているね。
つまり武士としての「美学」のようなものである。
私が言っている悟り(>>432)とはまったく違う。<m(__)m> 

434 :ギブス:2020/11/23(月) 11:07:18.00 ID:3p6sFORzr
葉隠11巻が完成したのが9月10日、その10月10日に常朝死亡。
発見者は常朝の口述筆記を担当した20歳年下の田代陣基に違いない。
陣基は常朝を小屋の外に出し遺体を野焼きする。

常朝は、陣基が後始末してくれることを信じていたに違いない・・・
主君鍋島光茂公が亡くなったときに追い腹を禁止されたが、
山居20年にして追い腹を実行する。
葉隠って悲しい話なんだねえ。TT

435 :ギブス:2020/11/23(月) 16:18:57.19 ID:3p6sFORzr
しかし常朝が死んだ日は正確にはわからない。
陣基が発見した時は、腐敗が相当進んでいたのかもしれない。
そうしたら布団ごと外に出し野焼きする以外にない。
陣基はベストを尽くしたのだ。
 
こういったことを細々と書かなかったことは立派である。
陣基の品性やよし。^^

436 :ギブス:2020/11/25(水) 16:57:50.76 ID:PBKTlnXz7
(´;ω;`)ブワッ〜
赤穂浪士の吉良邸討ち入りに関しては涙するが、

その立ち居振る舞いに関して、常朝はかなり批判的だったようだね。
なにグズグズしてるんだよっと。^^

437 :ギブス:2020/11/26(木) 18:13:28.71 ID:invhHTuB6
言葉だ言葉だと繰り返している人間は、正真正銘の詐欺師だと思うよ。
言葉はウソをつくことができるからね。
それはウソをつくための準備工作なんだね。たとえばサギシ・マ〇コとか。

言葉だ言葉だと主張している宗教はすべてサギ宗教だね。
ウソをつくための準備工作なんだよね。たとえばヨ〇ネの詐欺書とか。
言葉だけなら適当なことが言えるからね。

438 :ギブス:2020/11/26(木) 23:43:27.42 ID:invhHTuB6
世界で最低最悪な宗教は「イスラム教」だろうね。
いったん入信したら離教できない。
離教したら死罪に相当、殺されても仕方ないようである。
  
この宗教の背後にあるものは貧しさと過酷過ぎる自然環境だろう。
石油だけが唯一の経済資源であり、
そこにいるのはでたらめの限りを尽くす王侯貴族と、
人権を根こそぎにされた貧しい民衆だけ。

439 :ギブス:2020/11/27(金) 00:11:42.46 ID:Tq9GESoG+
コーランの「言葉」を絶対視することによって、
信者たちの人間関係を固定化したいのだろう。
これがコーラン絶対視のネライである。
 
支配者たちには便利過ぎる宗教だから、
支配者たちが自ら手放す理由はまったくない。
そんなことをしたら、いまの豊かな生活を失うだけだから。
------ そういうレベルの宗教かもね。TT

440 :ギブス:2020/11/27(金) 18:36:41.12 ID:Tq9GESoG+
人類が「神」を語り続けているのは、
だれかが実際に「神を体験した」からに他ならない。

神との出会いもないのに、神を説くのは詐欺師であり、ウソツキなんだよ。
キミもアナタも大ウソツキなんだよ。
その証拠に、神が何であるかを一人も語れていない。

神は、イエスでもなく、大日如来でもなく、天照大御神でもなく、
マホメットでもなく、その他エトセトラでもない。
神とは「命そのもの」なんだよね。

そんなものをどうやって体験できるのかをじっくり考えてほしい。

441 :ギブス:2020/11/28(土) 11:53:18.85 ID:cfIg8u/Qn
夜の「夢」は本当に不思議だね。
五根(眼耳鼻舌身)が睡眠によって閉じていても、
見たり聞いたり嗅いだり味わったり触れたりすることができる。
(ただし嗅いだり味わったり触れたりすることは少ないだろうが。)

ということは、実際の眼や耳が閉じていても、夢の中では開いていることに
なるわけだ。いったいどの識が睡眠中も活動しているのか。
六識の意識だね。----この意識は受動的であり夢の流れに流されている。
つまり、意識それ自体にも五根が備わっているわけだ。

442 :ギブス:2020/11/28(土) 12:33:53.45 ID:cfIg8u/Qn
このレベルの意識はアラヤ識に支配されている。
死ぬと物質である五根は失われるが、意識はアラヤ識と共に死後の
世界へと移動する。アラヤ識は過去を「印象として刻む」だけであり、
あらゆる過去を細々と保存する識ではない。
 
だいたいにして人間は、自己愛の塊りでしかないから、
アラヤ識は不浄なものである。それゆえアラヤ識を捨てないと
悟ることはできない。悟れない霊は輪廻転生する。
 
アラヤ識を捨てると満月のような「霊魂」が出現する。
そして霊魂に究極の精妙なる六根が存在する。

443 :ギブス:2020/11/28(土) 16:32:11.23 ID:cfIg8u/Qn
豊臣秀吉(1598年61歳没)の辞世の句
 露と落ち、露と消えにし わが身かな
 浪速のことは夢のまた夢
 
秀吉が実際にこのように歌ったかどうかは疑問だが、
この世の幸せだけを追い求めて生きていると
こうなるんだろうな〜とは思う。

444 :ギブス:2020/11/28(土) 16:47:06.08 ID:cfIg8u/Qn
豊臣秀吉(1598年、61歳没) その辞世の句は、
 露と落ち 露に消えにし 我が身かな
 浪速のことは 夢のまた夢
 
秀吉自作かどうかは疑問だが、秀吉が選んだ句であるのは確かだろう。
これが普通の人の最終的な境涯だろうと思う。

445 :ギブス:2020/11/28(土) 18:18:30.81 ID:cfIg8u/Qn
いろいろな主張が交錯して何が何だかわからなくなるよね〜
でも、神を認めるか否かで真偽が明らかになる。
 
神を否定する主張は全部ダメなんだね〜
そう考えれば単純。
あとは、神とは何かだよね〜〜

446 :ギブス:2020/11/29(日) 08:32:00.97 ID:4jOS9uUd4
>>441 
(夢で働いている意識は)六識の意識だね。
この意識は受動的であり「夢の流れに流されている。」
 
もしかするとこの意識が「アラヤ識」なのかもしれない。💡 ピカ ッ
しかしまだ自信がないので暫定的なアイデアにしておきたい。

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