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--佛教論議の伽藍スレ-- 第五巻
- 202 :紐:2019/07/21(日) 19:32:01.95 ID:A4Y5HZai.net
- >>182
わざわざ探してくれてありがとう。実はその前の〜
↓ここの部分も結構大事な点で、手元にあるテーラーガーター(中村元訳)によれば下のようになる。
>修行僧が托鉢で良家の前に立つ事はなく、
1051 群衆に尊敬されて遍歴すべきではない。(もしそうするならば)心が乱れ、心の安定は得難いであろう。
さまざまな人々から受け容れられるのは苦しみである、と見なして、群衆(と交わること)を喜んではならない。
1052 聖者は良い家庭に近づいてはならぬ。(もしそうするならば)心が乱れ、心の安定は得難いであろう。
がつがつして、味に耽溺する者は、幸せをもたらす目的を見失う。
1053 けだし、かれら(修行者)は、良家の人々からつねに受ける礼拝と供養とは、汚泥のようなものと
知っているからである。細かな(鋭い)矢は抜き難い。凡人は(他人から受ける)尊敬を捨てることは難しい。
現代の日本の僧侶など、「良家の人々からつねに受ける礼拝と供養」こそ有難いものとして受け止め、あるいは
要求すらしているのではないか?www (セブンお前の事だよww)
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