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いかに九次第定を極めるか
- 26 :神も仏も名無しさん:2019/04/20(土) 13:05:28.84 ID:Yb075SUK.net
- 八正道の実践こそ仏道
お寺で修行するにせよ(←参考にならぬ訳ではないが形式のみに囚われても無実体)在家でその如く定められた行動をやるにせよ、八正道から離れた行いでは意味をなしません。寧ろ、
八正道の実践こそ、ほんとうの仏道といえます。そして(縁起より生じた)五蘊に支えられた個我意識や煩悩は常ならぬ幻想であると気づき、(自他差別が滅した)心の本質は仏であると覚るに至るでしょう。
何であれ縁起によって生じるもの、それを空であると説く、それは他に依存して仮設されたものなので、それはすなわち中の道である。
ゆえに縁起していない現象は何ひとつ存在していない。ゆえに空でない現象は何ひとつ存在していない。
まよいの縁起
十二縁起(じゅうにえんぎ)は、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という。
また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という。
順観と逆観の両方を行って、人間のありように関する因果の道理を明らかにした結果、因果の道理に対する無知が苦悩の原因であったと悟る。
その際には苦悩が消滅し、根源の無明が消滅しているため輪廻もなくなるとされる。
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