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■■■ 輪廻と男女関係 ■■■

1 :神も仏も名無しさん:2018/12/03(月) 10:34:57.14 ID:Ae+VQHjg1
輪廻転生が真実なら

これからの男女関係はどうあるべきなのか

男も女も幸福になれるような関係を

世界に先駆けて構築しよう

2 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 19:02:05.64 ID:LuoQZpds7
釈尊のもとには女性の出家集団があったという。
  
養母プラジャパティを始め、元妻ヤソーダラー、
釈迦族の女性500人、ビンサーラ王の妃であったケーマ、
大迦葉の元妻カピラーニ、蓮華色比丘尼などなど
 
ただしトラブル防止のため「八重法」を設けている。
この法は、男も女も解脱という目的は同じだが、
釈尊が男女の違いをどう見ていたかの参考になるだろう。

3 :神も仏も名無しさん:2018/12/04(火) 19:39:43.05 ID:LuoQZpds7
「八重法」
  
@比丘尼は、半月ごとに、比丘から教えを受けなければならない。
A比丘尼は、比丘のいないところで雨安居をしてはならない。
B比丘尼は、雨安居の反省会の時、比丘に対して、見・聞きした疑いの
ある三つの罪を告白しなければならない。
C正学女(正式に出家する前の段階の女性出家者=見習い期間)として
二年間修行を終えたなら、正式に具足戒を受け出家することができる。
D比丘尼は比丘を侮辱してはならない。在家に比丘の罪を語るな。
E比丘尼は比丘の罪を言ってはならないが、
比丘は比丘尼を叱ってよい。
F僧残罪(軽い戒律違反)を犯した比丘尼は懺悔し、
半年間の謹慎生活を送らねばならない。
G出家生活の長い、百歳の比丘尼であっても、戒を受けたばかりの
比丘と出会った時は、敬礼・合掌しなくてはならない。

4 :神も仏も名無しさん:2018/12/06(木) 08:25:51.12 ID:rQyMALK1r
八重法では、比丘尼が比丘に従順であるようと戒めている。
それは男女差別ではなく、男と女の本質的な違いに由来している。

このことは解脱の経過を知らないと理解できないだろう。
@ まず欲望や執着を「根こそぎ」にし、神霊体験をする必要がある。
A 次に坐禅をスタート、想受滅から霊魂体験をして解脱する。

男女の違いとして特に問題になるのは 〜 @である。
女は、出産・育児を担うことから、男以上に物質的なものへ束縛され、
そういったものへの欲望や執着が根深く根強く存在せざるをえない。
そうであることが子供を育てるのに必要なのである。

これが女の解脱を男以上に難しくしている。
だいたい、よくよくの事情がなければ、解脱しようなどと考えない。

5 :神も仏も名無しさん:2018/12/06(木) 18:36:44.57 ID:rQyMALK1r
よくよくの事情とは・・・
子供を亡くしたり、夫や家族との関係がギクシャクしたり、
離婚したり、病気したり、周囲と争ったりなどして
精神的に追い詰められ、パンクしそうになることだろうか。
ーー 今なら精神科医の薬で廃人にされる可能性大。
  
釈尊はそんな女性たちをサンガに受け入れたのである。
息子のナンダに出家された、釈尊の養母のプラジャパティが
出家を願ったとき、釈尊は三度請われたが三度断った。
 
しかしアーナンダがとりなし、女性出家集団が誕生するに至った。
釈尊が言った「女性でも解脱可能」という話を指摘したらしい。 

6 :神も仏も名無しさん:2018/12/08(土) 10:17:34.52 ID:Y5FQtwVMC
いつごろ女性出家集団が成立したのか

アーナンダが釈尊の弟子になった時、
釈尊は55歳、アーナンダは25歳だったらしい。年齢差は30歳。
釈尊の成道は35歳だから、それから20年後の話である。
そこまで行かないとしても、女性出家集団の誕生は、
釈尊の成道後、かなりの年数が経過していただろうことは間違いない。

マガタ国の王ビンビサーラは釈尊に帰依、「竹林精舎」を寄進する。
コーサラ国のスダッタ長者も釈尊に帰依、「祇園精舎」を寄進する。
ーー これで雨安居の「精舎」が用意され、女性出家の環境は調った。
ーー 精舎とは今の寺・宿坊のようなもの。女性の出家はこの後になる。

釈尊の養母プラジャパティは、息子ナンダが出家。
ヤソーダラーは、自分の夫・釈尊と、自分の子供・ラーフラが出家。
二人を追うようにプラジャパティと共に出家している。

7 :神も仏も名無しさん:2018/12/08(土) 16:44:58.82 ID:Y5FQtwVMC
釈迦族の女性500人が出家? 
この人数は疑わしいが、釈迦族の出家状況からは考えられる。
王妃プラジャパティ、その子の王子ナンダ
ヤソーダラ、その子の王子ラーフラ(釈尊の子)
つまり、釈迦族のトップクラスが次々に出家してしまった。
その当時の宮女は、仕事をやめたら実家に帰るしかないだろう。
仕えていた人について行くのは順当な選択肢であった。
ーー やがて釈迦族はコーサラ国に攻められて全滅した。
ーー それを思えば、出家した女性たちは幸運だった。^^
ーー 釈迦族滅亡後に出家した人数が含まれている可能性もある。
 
アーナンダは釈尊の従弟であり、釈尊の身の回りの世話をした。
比丘尼に人望があり、後に教団の三祖になっている。
提婆達多は彼の兄弟であり、彼と共に出家したが、後に離反する。

8 :神も仏も名無しさん:2018/12/08(土) 19:25:22.39 ID:Y5FQtwVMC
堤婆達多(デーヴァダッタ)は、
仏教では釈尊に逆らった悪者、反逆者として描かれている。
しかし、彼がやったことは「五事の戒律」を釈尊に提案したが、
それが拒否されたので脱退、別の教団を作ったようである。
彼の教団はかなり長期間存続したらしい。
 
釈尊に拒否された「五事の戒律」
@人里離れた森林に住すべきであり、村邑に入れば罪となす。
A乞食(托鉢)をする場合、家人から招待されて家に入れば罪となす。
Bボロボロの糞掃衣を着るべきであり、俗人の着物を着れば罪となす。
C樹下に坐して瞑想すべきであり、屋内に入れば罪となす。
D魚肉、乳酪、塩を食さず、もし食したら罪となす。
 
釈尊の教団では、そんなに厳しい戒律は存在しなかった。
トラブルを防止する程度で、少しづつ決めて行ったようである。
提婆達多の頭には女性出家者のことがあったかも・・・

9 :神も仏も名無しさん:2018/12/09(日) 08:43:23.31 ID:arJr6FQPl
釈尊が提婆達多の提案を拒否したのは当然だろう。
解脱は、苦行でも快楽でもない「中道」にあるからである。
苦行や快楽を自己目的化しても解脱できない。
 
そうではなく、乞食という屈辱によって自分という殻を砕くこと、
これが肝心なのである。自分という殻を砕くことが目的だから、
何も乞食に拘ることはない。世間にあっては苦しくて生きて行けない
から出家するだけである。どこであっても解脱は可能である。
肝心なのは自分の殻に「気づくこと」である。
 
提婆達多はこれが理解できないために解脱できなかった。
解脱できないから、さらなる苦行を求めたのではないだろうか。
釈尊も苦行時代があった。提婆達多を責めることはできない。

10 :神も仏も名無しさん:2018/12/09(日) 17:45:16.41 ID:arJr6FQPl
自分の殻を砕けるかどうかで解脱が決まる。
そういう意味から言えば、カーストの底辺にいる人たちや、
娼婦のような女性のほうがむしろ解脱の可能性が高いことになる。
それゆえ釈尊は、そういった人たちを拒まなかった。

『ブッダ最後の旅』に、
遊女アンバパーリの食事招待を受けた話が記録されている。
  
同書には、鍛治工チュンダの食事招待の話もある。
釈尊はこの時の食事がもとで入滅した。豚汁を意地汚く食べたから
死んだのだと悪口を言う人もいるが、そんなことはない。
欲望を根こそぎにした釈尊が食べ過ぎで急死するわけがない。
チュンダも豚汁ではなく、自分が見つけたトリュフらしきキノコに、
その他のキノコも加えてキノコ汁を作ったのであろう。
今でもキノコの素人判断は超危険なんだよね。

11 :神も仏も名無しさん:2018/12/10(月) 18:23:10.66 ID:OX1/8AxzE
輪廻や解脱がないならば、この世がすべてになって
死んだら終わりという話になってしまう。
 
かりにそうであるなら・・・ 
貧しい人、悲しむ人、柔和な人、義に飢え渇く人、憐れみ深い人、
心の清い人、平和を実現する人、義のために迫害される人は、
不幸である。けっして救われることがないからである。
  
娼婦や貧しい人々はただ絶望するばかりである。
希望が何もないなら、それは底なしの絶望になるしかない。
釈尊の教えは妄想だったのだろうか。

12 :神も仏も名無しさん:2018/12/11(火) 20:21:20.54 ID:0FVgzbeCX
釈尊は ・・・ 想受滅を体験をした!
 
釈尊が想受滅をしたことはスッタニパータから明らか。
想受滅は坐禅によって体験することになるが、
その経過は、<想受滅→霊魂体験→地上へ帰還>である。
 
さらに、事前に神霊体験がないと無事に帰還できないから、
想受滅をやってのけた釈尊は、神霊体験をした後に、
霊魂体験(アートマン体験)をしたことになる。
ということは、釈尊は神霊体験も霊魂体験もやっている!

13 :神も仏も名無しさん:2018/12/12(水) 10:35:11.64 ID:LxhsFBJkZ
霊魂(アートマン)は物質ではない。
それは丸い透明な球であり、シャボン玉のように繊細であり、
水晶玉のように硬く、絶対に壊れそうにないものである。
何か対象があれば、それを感じ意識することもできる。
ーー ただし、脳ミソがないから記憶がまったく存在しない。
ーー 何も対象がなければ、霊魂は想受滅状態に入る。
 
霊魂は物質ではないから、永遠にして不滅である。
霊魂が不滅であれば、輪廻や解脱の可能性も考えられるだろう。
ーー 坐禅によって過去世を捨てることができれば想受滅に入る。
ーー 過去世は「生きている死体」として魔境に姿を見せる。
ーー こういうものを見るから、輪廻を信じざるを得ないのである。
  
霊魂に性別はない。男女の区別は遺伝子レベルから始まっている。
霊魂を体験することが解脱だから、女も解脱可能である。

14 :神も仏も名無しさん:2018/12/14(金) 09:33:04.69 ID:5ejXy0Ngj
犀の角のようにただ独り歩め 〜 by Sn.35
ーー インドサイは一本角。アフリカサイは二本角。
  
人間は人間関係を生きている。
そのため、まったくの孤独には耐えられないものである。
それにも関わらず、独り歩めと釈尊は教えている。
そう教えたのは、釈尊が神霊体験をしていたからに他ならない。
ーー 神(命そのもの)との出会いを神霊体験という。
 
人間は、神を知り、神との関係を生きるようになることで、
人間との関係に依存しなくなる。他者から自由になる。

15 :神も仏も名無しさん:2018/12/14(金) 19:36:23.88 ID:5ejXy0Ngj
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ 〜 by Sn.147
 
仏教は慈悲を説く。これは『中論』の「空」から導くらしい。
しかし、どう導くのか全く興味がない。
そもそも『中論』の「空」を信用していないからである。
 
たとえば、サイを見た人でなければ、サイの実際はわからない。
同様に、慈悲を受けた人でなければ、慈悲の真実はわからない。
体験がない人の話は、基本的に信用するわけにいかない。

16 :神も仏も名無しさん:2018/12/14(金) 20:29:45.31 ID:5ejXy0Ngj
そこでまず、『中論』の「空」を否定することにより、
仏教が説いている慈悲を否定し、
次に、釈尊が神(命そのもの)に出会うことにより、
慈悲を体験したことを間接的に証明したい。
 
釈尊は想受滅によって霊魂(アートマン)体験をした。
→ それを体験した釈尊にとっては霊魂が存在することになる。
 
他方、霊魂が存在しないことの証明は
→ 不可能である。なんか詭弁っぽいな、とは思っていたが、
→『中論』は不可能と言われている不存在証明であった。
→『中論』は論理的に破綻し、「空」は否定された!
 
釈尊は、霊魂体験の前に、神霊体験をしているはずである。
その体験があるから、命あるものへの慈しみが自然に湧いて出る。
それは、命への共感のようなものである。

17 :神も仏も名無しさん:2018/12/15(土) 21:30:42.26 ID:FdtPeAwIe
慈悲という言葉には、微妙ではあるが、何かしら押しつけがましい
ものがある。それはたぶん、慈悲の反対語であろう憎悪と縁起して空に
なっている事情から生じるのかもしれない。
 
これに対して釈尊の慈しみは、押しつけがましさを感じさせない。
釈尊はただ「命への共感」を語っているだけである。
命への共感は、命そのものが神であることを知ったことによる、
神(命)への祈りのようでもある。Sn.146,147
神のまなざしで、あらゆる生き物を穏やかに見つめている。
 
 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる
 限りは、この(慈しみ)の心づかいをしっかりとたもて。
 この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。 by Sn.151

18 :神も仏も名無しさん:2018/12/16(日) 10:11:43.65 ID:zypSD39RH
 あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように
 一切の生きとし生けるものどもに対しも、無量の(慈しみの)
 こころを起すべし。 by Sn.149
 
ここに母のあり方が、慈しみの比喩として使われている。
実際に釈尊がそういった比喩を用いたかどうかはわからないが、
人間において神的な性質の現われ方は、父性的なものと母性的なもの
にならざるを得ないことは十分考えられる。 
 
男性の外見は厳しいが、厳しさの奥にやさしさが控えている。
女性の外見はやさしいが、やさしさの奥に厳しさが控えている。
ーー ここから男女の駆け引きが始まる (^_-)-☆

19 :神も仏も名無しさん:2018/12/16(日) 20:51:49.91 ID:zypSD39RH
犀の角のようにただ独り歩め
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ
 
この二つは、釈尊が神霊体験をした証拠になるだろう。
当時は、神と言えば宇宙を創造したブラフマンのことであり、
神(命そのもの)と出会ったと主張しても相手にされない。
 
神と出会ったと言えば、命そのものとの出会いではなく、
創造神ブラフマンとの出会いかと誤解されてしまう。
釈尊は、間接的に語って、神(命)をわからせようと苦心する。

20 :神も仏も名無しさん:2018/12/17(月) 17:08:31.30 ID:JdkmaE1dk
釈尊は霊魂(アートマン)体験をしている。
だから霊魂は存在するのであり、霊魂が存在する以上、
人間が輪廻転生する可能性は否定できない。

仏教経典には輪廻転生の経過を語るものがあるらしい。
それによれば、霊魂は精子と卵子が受胎後に外から入り込むという。
外というのは霊の世界のことなのだろう。

21 :神も仏も名無しさん:2018/12/18(火) 15:54:57.32 ID:5ARYKNerH
伝承や記録の中の輪廻転生

仏教では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の「六道」を輪廻する。
ーー 修羅を畜生と天上に分けて「五道」ということもある。
ーー 永遠の地獄・永遠の天国は、カルマの法則に反するので存在しない。

輪廻からの解脱は、人間に生まれた時にのみ可能である。
この時に解脱を目指さなければ、いつまた人間に生まれるかわからない。
だから人間に生まれたこのチャンスを決して逃してはならない。

仏典における輪廻の記述 by ブッダ最後の旅 三章15
さらにまた、アーナンダよ。ボーディサッタがトゥシタ(都卒天)の
身体から没して、念じ、よく気をつけて、母胎に入るとき・・・

22 :神も仏も名無しさん:2018/12/18(火) 16:21:22.05 ID:5ARYKNerH
ジャイナ教の輪廻観 by ウィキ

輪廻とは様々な存在領域への再生・復活が繰り返されることをいう。
それはカーストを意味しない。ジャイナ教ではカーストを否定している。

輪廻は苦痛と不幸に満ちたこの世の存在であり、放棄すべきものである。
輪廻には始まりがなく、望ましいものではなく、魂は悠久の過去から
カルマに縛られていたことに気づく必要がある。
モークシャ(解脱)は輪廻から解放される唯一の方法である。

ジャイナ教では、釈尊のような甘露体験(神霊体験)を経ることなく、
いきなり霊魂体験を目指すようである。
ーー 坐禅中に死んでも、解脱したものと見なされるのだろう。
ーー 短時間の坐禅を集団でやるなら、たぶん死ぬことはないだろう。

23 :神も仏も名無しさん:2018/12/23(日) 08:24:48.74 ID:cUqesxwkJ
バラモン教 〜 カーストの由来

BC2千年頃からアーリア人の西北インドへの移住が始まり、
BC1千年頃にはガンジス川流域へと移動する。
このアーリア人に『リグ・ヴェーダ』という神話がある。
これの10章に、カーストの由来となる「原人の歌」がある。

原人(プルシャ)の歌 ・・・ or 創造賛歌
神々が原人を切り分かちたるとき
いくつに切り離したるや。
その口は何に、両腕は何になりたるや。
その両腕は、その両足は何とよばれるや。
その口はバラモン(司祭)となれり。
その両腕はラージャニヤ(武人)となれり。
その両腿からはヴァイシャ(農民、商人)
その両足からはシュードラ(奴隷)生じたり。

24 :神も仏も名無しさん:2018/12/23(日) 09:33:19.63 ID:cUqesxwkJ
原人(プルシャ)とは、私、自我、霊魂、自我、男性などを意味する。
ーー 女性が含まれないことに注意しよう。

カーストは正しくはヴァルナという。ヴァルナの原義は肌の色であり、
上から順に白・赤・黄・黒、これで四つの社会的身分が決まる。
ーー その本質は、神話を悪用した支配服従の強制である。
ーー 霊魂不滅や輪廻転生とは無関係であることに注意しよう。

★ アーリア人には輪廻転生の思想が欠落している ★
原人(プルシャ)は、世界創造のため、神への供儀として解体された。
その背景には、牧畜業における日常的な牛や羊の解体がある。
家畜に霊魂があっては、殺したり、食べたりできなくなる。
アーリア人は牧畜業ゆえに、霊魂や輪廻転生を絶対に認めない。
人間は救われたとしても、それ以外の動物は決して救われない。
ーー 輪廻転生は、坐禅習慣のあったインド先住民たちの信仰であった。

25 :神も仏も名無しさん:2018/12/23(日) 10:07:28.48 ID:cUqesxwkJ
アーリア系の諸宗教、アシュケナージのユダヤ教
キリスト教・イスラム教などは、輪廻転生を決して認めない。
かれらは、昔から牧畜業を営み、今でも肉食中心だからであろう。
家畜にも霊魂や輪廻があったらどうするのかwww

家畜という発想自体が動物の信頼を裏切って残酷だね。
白人の残酷さと狡猾さとは牧畜業に由来するのかもしれない。
それなのに彼らは、神による天国救済を妄想する。笑

26 :神も仏も名無しさん:2018/12/24(月) 10:26:42.19 ID:61e2gDnHl
マヌ法典
BC2〜AD2に成立、カースト制度と四住制度を骨格とし、
バラモン教・ヒンドゥー教などの支柱をなした。
 
マヌ法典における女性に関する記述 
女性はどのカーストであっても、輪廻転生するドヴィジャ(再生族、
二度生まれる者)ではなく、一度生まれるだけのエーカジャ
(一生族)とされていた。シュードラ(隷民)と同等視され、女性は
再生族である夫と食事をすることなく、祭祀を主宰したり、マントラを
唱えることも禁止された。この法典はその後、女性差別の根拠になり
インド社会を支配し続けた。→ サティ(寡婦焚死)

27 :神も仏も名無しさん:2018/12/24(月) 14:23:15.95 ID:61e2gDnHl
(マヌ法典、作者の謂れ)
マヌは、世界の創造主ブラフマーの息子にして世界の父、
人類の始祖たるマヌが述べたものとされている。
 
もちろん作り話だが、ヴェーダの一派、マーナヴァ派の影響が大きい
という。そこのバラモンによって編集されたのであろう。
ヴェーダの権威を悪用してカーストを普及させた手法と同じである。
 
なぜこんなひどい女性差別が支持されたのか。
たぶん、広大な土地を放牧しながら移動していたアーリア人は、
行く先々の民族と絶えず戦っていたのではないだろうか。
戦いが日常的ならば、男性が貴重であり、女性の値打ちは低い。
場合によっては、征服した民族の女性でも構わないわけだ。 

28 :神も仏も名無しさん:2018/12/27(木) 09:34:57.10 ID:VE31F/EAe
バラモン教からヒンドゥー教へ

「バラモン教」は、BC300年頃、ヴェーダーとカーストを土台に
その原型が形成された。同じ頃にアショーカ王がいる。
「ヒンドゥー教」は、AD4世紀に成立したグプタ朝の時代に
バラモン教を継承しつつ発展、定着した。
ーー 大衆化されたバラモン教を一般にヒンドゥー教という。

基本となる信仰は、カースト制度(種姓)に生まれついたという、
輪廻からの解脱を求めるものである。

29 :神も仏も名無しさん:2018/12/27(木) 10:48:00.03 ID:VE31F/EAe
カースト制度は、輪廻によって、そういった身分や職業に生まれた
という神話を民衆に強いることで成立している。
しかし、その神話が神の真実であるという客観的証拠は何ひとつない。
神話という権威を利用した支配・服従の正当化であり、民衆を騙し、
洗脳しようとしているだけである。

日本における「士農工商」も同じようなものである。
身分差別、職業差別などは封建的である。
従って輪廻の話から、カースト制度の話を切り離す必要がある。

30 :神も仏も名無しさん:2018/12/28(金) 13:58:58.74 ID:EcCIxnS80
バラモン教は、梵(ブラフマン・宇宙我)と我(アートマン・個人我)
の本質的一致・梵我一如を中心思想としている。
それは古ウパニシャッド(BC800〜BC500)の時代にまで遡る。
釈尊以前から存在していた古い思想であった。

ウパニシャッド最大の哲人ヤージュニャヴァルキヤは、
アートマンを業や知識をになう主体とすることによって、輪廻説の基礎を
確立した。アートマンは人の死で身体から出て行くが、それが新たな母胎に
宿ることによって、アートマンは輪廻転生する。
しかし、ブラフマンとアートマンの本質的一致を知ることができれば、
輪廻することなく解脱可能になるという。

ーー ここには二重の誤りがありそうである
ーー @ ブラフマンとアートマンは別物ではないか
ーー A 知識として知っただけでは解脱できないのではないか

31 :神も仏も名無しさん:2018/12/28(金) 15:36:41.37 ID:EcCIxnS80
ヒンドゥー教の特色
 
@ 始祖と経典を持たない。
・リグ・ヴェーダは神々への賛歌
・ラーマーヤナ、マハーバーラータは神話的な民間伝承
・マヌ法典は社会的規範
 
A ヴィシュヌ神、シヴァ神を主神とするか、多神教である。
・非超越神、人格をもって慕われる神々
 
B 他宗教を排斥せず寛容である
・仏教、ジャイナ教、シク教はヒンドゥー教の分派
 
C ガンジス川崇拝、牛の崇拝、死者を火葬して川に流す
・行者の存在、ヨーガが行われている

32 :神も仏も名無しさん:2018/12/28(金) 16:56:37.78 ID:EcCIxnS80
ヒンドゥー教の中心思想は
不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ) by シャンカラ
バラモン教の梵我一如をブラフマンのみの絶対一元論に徹底
  
@ 梵(ブラフマン〜宇宙を支配する原理)と
----我(アートマン〜個人を支配する原理)が同一であること
・現実(物質的な世界)は → マーヤ(幻、まやかし)である。
(仏教の「空」と似ているようだが、ヒンドゥー教の場合は 
(ブラフマン=アートマンという → 真の実在を認めている。
  
A これらが同一であることを知ることにより解脱し、
・永遠の至福に到達しようとする思想である。

33 :神も仏も名無しさん:2019/01/07(月) 09:14:55.21 ID:QzgzU3wSC
暮れから正月にかけ、
竹下雅敏さんの講演録画の紹介版を見ながら過ごした。
こんなすごい方が日本にもいたのかと驚いたが、
これも「輪廻と男女関係」スレを始めた縁なのかもしれない。
ーー このスレの使命は無事完了したようである。🎆🎆🎆

竹下雅敏(1959年生・広島県在住)
夫婦、親子、教育、宗教、哲学、経済などを大きなテーマに、
インターネットなどで映像配信を行っている。

34 :神も仏も名無しさん:2019/01/21(月) 19:22:50.02 ID:a4zUAbal4
竹下雅敏さんが完璧だとは思わないが、日本を含めた
全世界の既成宗教を短く簡単に要約しているように思われる。

2chの皆さんに講演紹介版の視聴を是非お薦めしたい。
少し見れば、そのすごさがわかると思う。
「宗教学 初級 1 竹下」から検索し何度か見てみよう。

35 :神も仏も名無しさん:2019/02/01(金) 19:11:42.54 ID:n2D+sPnx4
竹下さんのジョセフ・マーフィーの解説はベリーグッド (^-^)v

紹介版動画が三つあるが、マーフィーを手短に簡単に紹介している。
わたしはネットや掲示板だけの知識で軽く評価し無視していたが、
実はそうではないことを竹下さんに教えられた。

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