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こんなでおーはゴミだ その3

889 :神も仏も名無しさん:2020/10/09(金) 00:40:34.15 ID:/aC+E1/r.net
40代男性3人と2時間ばかり話し込んだ。
その中で禅の話しをする事があった。
話しはあれこれ飛び飛びに進んでいつのまにやら散骨についての話しが出た。
しばらくお互いに遣り取りがあって、わたしは禅の話しを切り出した。
ぜん? なんですか、ぜんって?
禅に他の意味があるとも思えないが共通認識ではないことに踊画起き、とっさにわたしは次に言うべきことばがさっと出てこなかった。
単にことばの音である、ぜん、
わたしは禅を説明しなければならないところに、初めて居たのだった。
ぜん、それはなにか?と言うことである。
わたしは達磨さんから話しを始めた。
高崎名物だるまさん、の事か、と言う。
起き上がりこぼしや、大願成就の縁起物のだるまさん人形の事では無いよ、とまず断りを入れた。
ダルマと言うインドからヒマラヤ山脈を回避して洋上をバナナの葉の船に乗って中国へやってきたと言う伝説を持つダルマさんと言う人物の事なんだよ。
そして、サンスクリット語でダルマとは法、真理と訳されるものだ。
しんりって、心理の事ですか?
うーん
心理ではなく、真理、さとり、だね。

こんなふうであった。

わたしは禅と言い出せば、すぐになにかしらの受け取りを誰もが持っているという固定観念、先入観があった。
単に「ぜん」と言う音のひびきとしてしか通用しないのだと言う、事実がある、と知った。
ここは、2ちゃんねるの「宗教」板であり、禅スレである。
そこに出入りし、書き込む人は、いくつものハードル越えをしてきた人たちなんだ、と思う。
ダルマ、法、真理、、を求める人を参ずる、と言うのだろう。

わたしは米国人神父が日本で禅に出会い、隻手の音声、と言う公案に取り組んで、挫折した、と言う本を読んだ。
これまでに旧約新約が1冊になっているカトリックの本を数回、頭から全部読んでいた。
わたしとは真逆にこの米国人神父は西洋から東洋を知ろうとしている。
隻手の音声を一音(いちおん)ずつ書き出しても見たそうである。
在日期間も短かったようで、数年で帰国したらしい。
わたしは唯心論的思考と実践をする中にも、その逆の唯物的思考と実践をする中にもいたことがある。
この隻手の音声は、両手で打てば音が鳴る。では、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい、である。

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