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阿含宗という宗教288
- 323 :深山 :2017/11/30(木) 12:27:02.32 ID:yy6QUKDe.net
- 「・・・須陀オンに向かうもの・須陀オンの境地を得た者、
斯陀含に向かうもの・斯陀含の境地を得た者、
阿那含に向かうもの・阿那含の境地を得た者、
阿羅漢に向かうもの・阿羅漢の境地を得た者、
という四対八種の人びとは如来の神聖なる弟子たちであるが、(かれらを)
非常に恭しく敬い、世の中の敬い、世の中の福徳の田である、と(信じる)。」
(『現代語訳阿含経典 1』平河出版社、221頁)
「尊師の弟子のつどいは和敬して実践している。尊師の弟子のつ
どいとは、すなわち、二人ずつの四組と八人の人々(四双八輩)とであるが、かれらを敬うぺく、
尊ぶべく、もてなすべく、合掌すべきであり、世間の最上の福田であると。」
(『ブッダ最後の旅』中村元、50頁)
「四向四果・・・四沙門果から発展したもので、原始仏教やアビダルマ仏教において
最高の悟りの境地とされる阿羅漢果に至る聖者の階位。」
(『佛教大辞典』小学館、379頁)
「四向四果・・・聖者の四つの位」
(『佛教語大辞典』中村元、512頁)
「向は修行の目標、果は到達した境地を示す。預流とは聖者の流れに入ること」←岩波仏教辞典
「阿羅漢は今生の終りに悟り(涅槃)に至り再び三界には生れない位をいう.
この位に到達した者を(無学)といい,これ以前の聖者(七輩)を有学という.」(岩波仏教辞典)
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