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末法燈明記の作者は最澄か?

340 :神も仏も名無しさん:2019/06/20(木) 08:36:25.99 ID:pE5XpON4u
仏滅100年ごろ第二回結集の後、仏教教団は上座部と大衆部の二つに分裂(根本分裂)し、その後分裂を繰り返し20の部派(小乗20部)が成立したといわれています。

根本分裂後、ニカーヤ(経典)を伝持していた部派名を次に掲げます。

(.....)内に書いたものが、漢訳四阿含と呼ばれるものです。

長部(長阿含経)→法蔵部
中部(中阿含経)→説一切有部
相応部(雑阿含経)→説一切有部
増支部(増一阿含)→不明


これら阿含経(相応部、雑阿含)の中に、スッタニパータ(第4、5章)が権威ある詩偈としてしばしば引用され解釈されています。
また、55のダンマパダの詩偈が引用されています。
このことから、ニカーヤ(経)の成立よりも、スッタニパータ(第4、5章)とダンマパダは先に成立していたと考えられるのです。

南方セイロン所伝によると、釈尊より200年ほど後に現れたアショカ王により、第3回の仏典結集が行われ、
この時に経律論のパーリ三蔵が整備され、その後、暗誦口授されてゆき、西紀1世紀に在位したヴァダガーバニー王のときに書冊に筆録したと伝えられます。(佛教書誌学/佛教大学・坪井俊英)

これがパーリ語三蔵経の筆写の初めです。
最古の経典といっても、それは成立の原型のことを意味するのであって、決して筆録が古いわけではありません。

いずれにせよ、どの部派の経典もその根っこは第一結集に遡るということが出来ると思います。

釈迦入滅後の「経蔵」は南伝だけでなく、陸伝いに北のほうへも伝わったのですが、シルクロードがまだ開通していなかったため、中国まで行き着くことはできず、長く国境付近で足踏みする格好になりました。

(この期間に、4ニカーヤはサンスクリット語に書き換えられたと考えられているようです)
そうこうするうちに、紀元前後頃に大乗仏教が起こり、それまで国境で足踏みしていた上座部の仏教と肩を並べて、折から開通したシルクロードを伝って中国に入ったのです。(そして漢訳される、2世紀頃)

下田正弘氏は大乗経典の伝承が、口伝から書写に移行したことを指摘(経典研究の展開からみた大乗仏教)しています。

つまり大乗経典は、最初から筆録されたものという理解でよろしいかと思います。

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