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なぜ日蓮正宗は創価学会や顕正会の本尊を偽物呼ばわりするのか?

4 :神も仏も名無しさん:2017/03/22(水) 19:55:47.65 ID:FZkSsEIj.net
大聖人は、同じく『木絵二像開眼之事』で次のように仰せです。

「法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたち
と・あらはしぬれば顕形の二色となれるなり。滅せる梵音声、かえつて形
をあらわして文字と成つて衆生を利益するなり。
人の声を出すに二あり、一には自身は存ぜざれども、人をたぶらかさむがために声をいだす。是は随他意の声。自身の思を声にあらはす事あり、
されば意(こころ)が声とあらはる。意は心法、声は、色法。心より色をあらはす。又声を聞て心を知る。色法が心法を顕すなり。
色心不二なるがゆえに而二(にに)とあらはれて、仏の御意あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。
されば法華経をよませ給はむ人は、文字と思食(おぼしめす)事なかれ。すなわち仏の御意なり」

通解:
(法華経の文字は、目に見えない仏の梵音声を目に見えるかたちとして顕わしたので、顕色(色彩)と形色(形状)の二色となりました。滅した梵音声がかえって形をあらわして、文字となって衆生を利益するのです。
人が声を出すには二つの場合があります。一には、自分自身は思っていないけれども、他人をたぶらかそうとするために声を出すことがある。これは随他意の声である。二には、自分自身の思いをそのまま声にあらわすことがある。
ゆえに意が声とあらわれるのです。意は心法、声は色法である。心法より色法をあらわす。また声を聞いて心を知ります。色法が心法をあらわすのです。
色心不二であるがゆえに色法、心法の二つとあらわれて、仏の御意があらわれて法華経の文字となったのである。法華経の文字は変じて、また仏の御意となるのです。
ゆえに法華経を読まれる人はたんに文字と思ってはならない。それは仏の御意なのです。)

つまり梵音声は、木像や絵像という形のあるものでは顕わすことができませんが、文字によって顕わすことができます。
そして、仏の御意(心法)も文字となって顕わすことができるのです。
日寛上人の御形木御本尊を見れば分かるとおり、仏像などとは違い、文字で顕わされています。ここまで話せば、もうお分かりですね。
御本尊には、開眼供養などする前から、梵音声も心法も具わっているのです。
日蓮正宗では、すべてが満たされている御本尊に開眼供養をして何を入れようとしているのでしょうか?

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