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大乗非仏説が正しいと確定したのに大乗仏教信じてる奴ってキチガイだよな☆3

419 :桃太郎:2017/04/22(土) 12:31:53.54 ID:lnHh2Rv1.net
>>415

>庶民には無縁の話、そんなの無理だと諦めてしまう人もあろう 。

それが、一般的な考えだろうね。悟りとか解脱とかそんなもの求めてないし、心の慰め、良くて心の修養程度だろう。

それでも人は晩年、死後の世界を不安に思うので、仏様に救いを求め、少なくとも今世の悪業を懺悔し、地獄にだけは堕ちないことを望むのであろう。

つまり、「仏にはなれなくとも、来世に地獄に堕ちなければそれで良いのだ。」そうした消極的妥協案についつい惹かれてしまう。

この結果、日本人特有の「ゴチャまぜ何でも教」が誕生する。

「神道、仏教、キリスト教なんでもかんでも、やっておけば悪くはないだろう。」、「そもそも、どっぷり一つの宗教にハマる気は無いし、信仰心も殆ど無い」

それでエエねん!...と言うわけだ。



どうして、みんなは仏法の教理を云々する以前に「道理」と「現実」を無視した空しい議論を展開するのだろうと思う。

仏法は道理です。この娑婆世界以外に、仏の住所は無い。地獄も浄土も現実の世界にあり、そこに住む我らの生命境涯によって地獄にもなり寂光土にもなりうる。

すなわち、現実世界に於いて苦悩を克服し、障害を乗り越え自身を成長させる事が出来る教えこそ本物の仏教であり、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」に他ならない。

この意味で、原始仏教(別名:チンコ丸出し仙人、あたまおかしいんじゃない?教)のように、現実生活から遠く離れ、「これこそ真の仏教」と声に主張している本人でさえ実践出来ない空しい教えが仏の真意ではないことが理解できよう。

釈迦在世の衆生と末法の衆生では、「時」も、「機根」も全く違う事を理解しなければ、例え法華経であっても功徳は無い。

※これが分からないと、各宗その教えが水・火のように違えているにもかかわらず、「真理に到達する道筋が違うだけで、どれも尊い教えである」などと、仏説を無視した自説を展開するようになる。

一般の宗教が他宗教を批判しないのは「仏教はどれも尊い教えである」では無く、一宗の保身からである事を知らねばならない。

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