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ローマカトリック教会20161120

1 :神も仏も名無しさん:2016/11/20(日) 18:42:58.50 ID:YlsWC/Rz.net
聖書 講談社
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061426061
カトリック教会のカテキズム
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/cate/roma/cate.html

バチカン放送局
http://ja.radiovaticana.va/
日本の教区
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm

カトリック書店一覧
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
http://mercy.cart.fc2.com/
http://tenshikan.jp/home.htm
http://yonohikarisha.blogspot.jp/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:51946f6eee861e2451231e2b1d17194f)


411 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 08:14:06.65 ID:Nc7Ii99E.net
>>379
神の啓示に関する教義憲章 12
最後の節
「というのは、聖書の解釈のしかたに関するあらゆることがらは最終的には
教会の判断のもとにあり、教会こそが神のことばを保ち解釈する権限と
任務を神から受けて行使するからである。」

根拠も示さずに、勝手に決め付けて書くことは止めてください。

「あなたはカトリック教会の信仰を、確かに受け継いでいらっしゃる
でしょうか。」このような事を自分自身で判断することはできませんし、
自分の行ないが絶対に正しいと思うようになると、偽善者になります。

412 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 10:02:07.31 ID:JnlC/7pU.net
老クリは誤りを指摘されても反省の色を見せたことがない。
無視を決め込む。
そして批判をする者を野良犬呼ばわりしたりするからね。
聖書を読めば傲慢になるな、高慢になるなと書いてあるのに、
そんな基本を押さえてない。

413 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 10:14:41.57 ID:x0qXxIi9.net
オマエモナー・・指人形劇場だから当たり前かwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

414 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 13:10:36.90 ID:XEc64T3A.net
こちらもよろしく
 キリスト教@質問箱277
 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1470630478/l50

新約聖書のウルガタ・ラテン語訳とラゲ訳のリンクあります

415 :老クリスチャン:2016/12/30(金) 13:21:27.03 ID:vMvnNQqC.net
2002年(主日A年) 1月1日 神の母聖マリア

民 6:22〜27  ガラ 4:4〜7  ルカ 2:16〜21
アロンはモーセと共に、レビ族のケハトの氏族に属するアムラム家の子でした(出 6:16-20)。
アロンとその子らは油を注がれて祭司とされ、その祭司職は代々にわたりその子孫に受け継がれることとなりました(出 40:12-16)。
レビ族の人々はアロンとその子らに属する者となり、幕屋 (後に神殿) の仕事のためにイスラエルの民の中から聖別された者となりました(民 3:6-13)。
主なる神はアロンとその子らに、イスラエルの民への祝福のことばを委ねられました。

「彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。」(民 v.27)

アロンとその子らは、神ではなくて人でした。
しかし神の祝福がその民の上に訪れるために用いられました。
神は 「いと高き神」(創 14:19-20) であり、「全能の神」(創 17:1) であるばかりではなくて、「彼らの中に住む」(出 25:8) 神であるために、アロンとその子らを祭司として聖別されたのでした。

神の御業のために特別に選ばれた人々の中に、神の母 (テオトコス) マリアがいます。
彼女は 「知恵のある者」 「能力のある者」 「家柄のよい者」 としてではなくて、神の御独り子の母 (テオトコス) となるために聖別された女として、そこにいます。
彼女は 「恵まれた方」(ルカ 1:28) として、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」(ルカ 1:48-49) という、神の大いなる御業の証人として、私たちの間にいるのです。

「主は ・・・・・ 、この末の世において我らのため、また我らの救いのために神の母 (テオトコス) なる処女マリアより生まれたり。」(カルケドン信条)
この方が、私たち教会の希望であります。
「主は栄光のうちに再び来たり、生ける人と死せる人とを裁きたもう。」(ニケア・コンスタンチノープル信条)

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

416 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 13:45:38.41 ID:eoeHRNb8.net
12月27日 聖ヨハネ使徒福音記者 (ヨハ20,2-8)

「続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、
離れた所に丸めてあった。それから、
先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」
ヨハ 20,6-8


 福音書において「イエスが愛しておられた弟子」として自分を表す聖ヨハネは、
恐らく、誰よりも強くイエスを愛するようになったゆえに、
御言葉の愛の神秘を誰よりも深く知るようになって、この神秘を、
書き記した福音書を通して私たちに伝えたのです。

 私たちは、福音書を読むことによって、
生きておられる御言葉であるイエス・キリストと接し、ますます深く知ることができますように。
そして聖ヨハネのように主イエスを愛するようになり、神の命にあふれるほど満たされ、
この命を伝えることによって他の人を生かすことができますように祈りましょう。



聖なる父よ、
あなたは使徒ヨハネを通して、
わたしたちにみことばの神秘を現してくださいました。
この使徒が伝える教えを正しく理解する力をお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
 
ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」http://www.nowaksvd.net/

417 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 14:16:46.86 ID:XEc64T3A.net
こちらもよろしく
 キリスト教@質問箱277
 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1470630478/523-524n

新約聖書のウルガタ・ラテン語訳とラゲ・日本語訳のリンクあります
 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1470630478/487-489n

418 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 14:43:38.71 ID:afOsVglX.net
>>415
プロテスタントの牧師崩れの説教は要らない。
カトリック信徒になって、十分に正しい信仰を身につけてからだ。
プロテスタントのパン種が混じる己れが、カトリック信徒に失礼だという謙虚さを持て。

419 :神も仏も名無しさん:2016/12/30(金) 14:47:52.27 ID:afOsVglX.net
カトリックを迫害しているのは老クリ。
間違わぬように。
悪魔付きはこのようにしぶとい。

420 :老クリスチャン:2016/12/31(土) 11:22:19.19 ID:2E7p1wA4.net
2008年(主日A年) 1月1日 神の母聖マリア

民 6:22〜27  ガラ 4:4〜7  ルカ 2:16〜21
「その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた。」(ルカ vv.17-19)

私たちが毎年この祭日に聞くミサの朗読配分は、神からの良い知らせ、すなわちキリストの福音の訪れを伝えています。
聖母マリアは決して物語りの中心人物として自ら語り出すことはありません。
神が語り、神が出来事を起こされるとき、そのために一つの器として用いられた 「幸いな者」(ルカ 1:48) として、そのような意味でかけがえのない証人として、マリアはそこにいるのです。

レビ族の中のアロン (出 4:14) の子孫は、イスラエルの祭司で(出 28:41、民 3:3)、24の組に分けられて(歴 24:1-19)、聖所での務めについていました。
その中の第八のアビヤ組の祭司ザカリアの妻エリサベトも、アロン家の娘でありました(ルカ 1:5、女性は祭司ではないので、組の名で呼ばない)。
そして聖母マリアはこのエリサベトの親類でありました(ルカ 1:36)。
彼女も由緒正しいアロン家の娘の一人であったということです。
ですから、ルカ 1:48 の 「身分の低い」 という言葉は、神の前でのへりくだりを表現していて、決して怪しげな卑しい身分という意味ではありません。

夫ヨセフについては、彼はダビデ家の出身でありその血筋でありました(ルカ 2:4)。
御子イエスはこのヨセフの子として、「肉によればダビデの子孫から生まれ」(ロマ 1:3、IIテモ 2:8) たのです。
しかし聖書は、これらの輝かしい家系を、二人の名誉のために伝えたのではありませんでした。
むしろ、このような由緒正しい二人のイスラエル人を神が用いられたということを、神の栄誉のために物語っているのです。
ですからマリアもヨセフも、聖書の中では決して中心人物としての台詞を語ってはいません。
神だけが、神自らが、御子の降誕の出来事そのものによって、福音を語っておられるのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より

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