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阿含宗という宗教273

1 :口下手番長代理:2016/11/17(木) 10:59:17.06 ID:D5KBofRH.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

以下、初代「口下手番長」さんの宣言文。

皆さん阿含宗という宗教団体を知っていますか?
今では伝統宗教のようにふるまっていますが昔は自ら作ったインチキ
超能力で民心を惑わしあのオウム麻原を生んだとんでもない宗教団体
です。(オウム麻原と桐山靖雄を比べればそっくりであることに気が
付くでしょう)桐山靖雄の過去も疑わしい点があります。
偽ビール事件で実刑判決を受け、学歴詐称を行い(初めは早稲田の卒
業と偽り、それがばれると、日大の芸術学部と偽った)、実際は僧歴
もないのに、僧歴を偽るなどの悪行を行ったのです
現在も金銭の見返りに世界各国から勲章をもらうなどしてますし(池田
大作に模倣して??)インチキなノストラダムス本を書いてまた民心を
惑わし続けています。
皆さん、こんな宗教団体に騙されてはいけません!!
阿含宗の信者だった、もしくはそこの内部事情を知っている方ここへ書
き込みしていただけませんか?宜しくお願いします。

361 :HSガンちゃん:2016/12/03(土) 09:56:02.36 ID:ULFf52EC.net
                  __( "''''''::::.         つ
       --;;;; ______,,,,,,---'''''''"""" ヽ   ゛゛:ヽ. つ  つ つ
        ::::::::""""  ・       . \::.   丿  つ つ   ドッピオ!!
       :::::::         ..........::::::::::::彡''ヘ::::....ノ     つ
            ::::::::::;;;;;,,---""" ̄   ^``
    /        ̄ ̄ \
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   |:::::      ::      ヘ
   ヽ::::::     :::..     ノ
    \:::::::  /\:::;;;;;;__ ノ
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362 :神も仏も名無しさん:2016/12/03(土) 10:11:42.10 ID:6FF+uFP6F
その1……セコさが顔に出ている
その2……イエスマン代表(さらにセコい顔してる)
その3……鳳凰現形したの自覚したのか本人に聞きましょうね
その4……発声練習するように(取り柄はノッポなだけ)
この程度の人材でないと和田さんでは扱いきれないでしょ
丁度よい按配
衰退は目に見えているんだが。5年後、10年後が楽しみですね〜〜。
和田さん アンタにもご寿命があることをお忘れなく。
桐山靖雄さんの名はこれからいい目はみないからね〜〜

363 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/12/03(土) 12:03:20.41 ID:7QPpfNIY.net
>>298 : 名無しさん2016/12/02(金) 10:47:28.56 ID:JyhNafnX
>我見を根本として貪瞋癡の三毒を起こす、このルーツは阿含経にあります。

1.5来補さんは何とかの一つ覚えみたいに我見を繰り返す。
彼の意に反する意見を書かれると、それを我見だと決め付ける。
1.5来補さんのいう我見とは、
「自分だけの偏った見方や狭い考え」
と一般的ないう意味でしょう。
だが、信者さんたちにも知ってほしいのは、仏教の我見には
「自分だけの偏った見方や狭い考え」などという意味はないという点です。
1.5来補さんが勝手にこのように思いこんでいるというよりも、
桐山さんがそのように述べている。
桐山さんは我見(=身見)には二種類の意味があるとして次のように説明しています。

364 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/12/03(土) 12:06:09.14 ID:7QPpfNIY.net
「これは、「自分」(我〉というものが、生死を通じて、不変実在であると考える考えか
たである」
「つぎにもう一つは、「我執」「我慢」という意味の身見である。これは、我が身
を主に、我が身を中心にすべてを考え、行動する自己中心の考えである。」
(『末世成仏本尊経講義』235-236頁)

これが桐山さんの我見(身見)の説明です。
桐山さんの説によれば、我見には、
1.不変実在の我という考え
2.自己中心の考え
という二つの意味があるというのです。
一番目の不変実在の我という説明はそのとおりで、これが仏教の言う我見です。
だが、二番目の自己中心的な考えという一般的な意味の我見は仏教にはありません。
嘘だと思ったら、岩波仏教辞典で調べてください。

我見「自我(atman)の存在を是認する誤った見解(*邪見)のこと.」
(岩波仏教辞典)

ご覧のように、桐山さんが紹介した一番目の我見と同じ意味です。
しかし、この後の説明のどこにも二番目のような一般的な意味の
我見などありません。

365 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/12/03(土) 12:10:37.68 ID:7QPpfNIY.net
桐山我見説
1.不変実在の我という考え
2.自己中心の考え

桐山さんは、一番目だけでやめておけばいいのに、どうしてわざわざ
無知をさらすような二番目の説明をしたのでしょう?
理由は簡単で、我見の仏教的意味がわからず、詳しい説明ができなかったからです。
桐山さんの本での一番目の我見の説明はわずか五行です。
仏教の基本中の基本であり、釈尊が最初に捨てるべき煩悩としている我見の
説明がわずか五行です。
桐山さんは説明したくても意味がわからないから、五行以上書けなかった。
しかし、これではあまりに短すぎるから、我見の一般的な意味もあるのだと
話を作り、お得意の漫談を始めた。
だから、二番目の説明は三頁近い。
無知をごまかすためにも意味が二つあるかのように見せかけて、
漫談でお茶を濁した、と言うと、信者さんたちは悪口だと反発するでしょう。
では、桐山さんが1.5来補さんと同じで、仏教の我見の意味を
理解していない証拠を示しましょう。

366 :名無しさん:2016/12/03(土) 12:10:57.32 ID:wfMe94Bc.net
現世利益を与えない仏教など見向きもされないことは深山ユビ亡者の行動を見てもすぐに分かる。彼らは仏教は現世利益を与えないと知るや、仏教を止めた。そして反吐のでる恨み節レス乱発してるw

367 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/12/03(土) 12:14:05.96 ID:7QPpfNIY.net
「そして人が臨終を迎えると、霊魂は肉体を
離れて霊的世界へ行き、やがて転生する。
霊魂は魂魄ともいう。魂とは霊魂全体を、魄はその核をさす。」
(『輪廻転生瞑想法T』117頁)

桐山さんによれば、人間の中には魂魄という霊魂があり、
死ぬと、その中心である魄が抜けでて、これが輪廻の主体となるという。
この桐山さんの魂魄説は仏教でいう典型的な我見という煩悩です。
と言われて、「そのとおりだ」と思った方は仏教の我見を理解しており、
「なにを!」と反発した方は理解していないのです。
我見の意味を理解したら、上記のような説は出せない。
もう一度、我見の説明を見てください。

我見「自我(atman)の存在を是認する誤った見解(*邪見)のこと.」
(岩波仏教辞典)

自我の存在を是認するという抽象的な説明だからわかりにくいが、
自分には霊魂のような主体(核)がある、という考えです。
釈尊の説く自己とは、ただの部品の集合体にすぎず、
それらは常に変化しているから定常性はなく(無常)、
またそれらの部品で中心となるような主体はない(無我、非我)。
釈尊の説いた自己とは五蘊の集合体で、その五蘊に霊魂はありません。
だから、主体(核)や霊魂を説いたらそれは仏教ではない。
つまり、外道です。

368 :名無しさん:2016/12/03(土) 12:20:59.48 ID:wfMe94Bc.net
大乗仏教は現世利益を打ち出したが、釈迦仏教の煩悩を無くして知恵を得る修行法を忘れた。釈迦仏教は現世利益を説かないから廃れてしまった。そこで現世利益を与えながら煩悩も無くして知恵を得て解脱させる、釈迦仏教と大乗仏教を統合した阿含宗が登場したわけだね。

369 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/12/03(土) 12:23:23.86 ID:7QPpfNIY.net
「そして人が臨終を迎えると、霊魂は肉体を
離れて霊的世界へ行き、やがて転生する。
霊魂は魂魄ともいう。魂とは霊魂全体を、魄はその核をさす。」
(『輪廻転生瞑想法T』2012年、117頁)

上記の桐山さんの霊魂説こそが典型的な我見、身見です。
桐山さんは我見の説明を本で書いていながら、ただ学者の説明を書き
写しただけで、本人は理解していなかったから、霊魂説を平然と出せたのです。
その姿は、半年も風呂に入らない人が衛生についてお説教しているような光景です。

古くは『密教誕生』(1976年)から言っているそうです。
前は我見と知らずに説いていたというのならわかるが、
そうではなく、昔から一貫して説いていると言いたいらしい。
アゴン宗を立宗するにあたり阿含経を読破して、体得したはずなのに、
我見という基本中の基本も理解せず、むしろ、得意気に
死ぬ前まで我見を披露している。
もちろん、阿含経に限らず、仏教には霊魂も魂魄もありません。
桐山さんが道教の魂魄という言葉を取り入れて、勝手な空想で
作り上げたのが上記の霊魂説です。
我見という基本さえも理解できなかった桐山さんを
仏陀の智慧を持っていると信者さんたちは信じている。
信者さんたちは桐山さんがものすごく頭が良く、仏教をことごとく
理解し、体得していると信じている。
だが、我見一つを見ても、実際はまったく逆で、桐山さんは1.5来補さんと
同じで、理解力のかなり低い人だったと気がつきませんか。

370 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/12/03(土) 12:28:47.26 ID:7QPpfNIY.net
「霊魂は魂魄ともいう。魂とは霊魂全体を、魄はその核をさす。」
(『輪廻転生瞑想法T』117頁)

釈尊は仏教徒は最初にこの我見を捨てるべきだと説いている。
だから、捨てるべき煩悩である十結の最初に出てくるのがこの我見(身見)です。
これを捨てない限り、その人は仏道に入ったとさえもいえない。
十結の最初の三結、つまり身見(我見)、疑惑、戒取の三つを捨てることで
シュダオンに到達するとされていることは、信者さんたちもご存じのとおりです。
我見(身見)はこの十結の最初に出てくる。
桐山さんは最初に捨てるべき煩悩である我見すらも切れていないのだから、
彼は阿羅漢(仏陀)どころか、仏道に入ることさえもできなかったのです。

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