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阿含宗という宗教273

1 :口下手番長代理:2016/11/17(木) 10:59:17.06 ID:D5KBofRH.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

以下、初代「口下手番長」さんの宣言文。

皆さん阿含宗という宗教団体を知っていますか?
今では伝統宗教のようにふるまっていますが昔は自ら作ったインチキ
超能力で民心を惑わしあのオウム麻原を生んだとんでもない宗教団体
です。(オウム麻原と桐山靖雄を比べればそっくりであることに気が
付くでしょう)桐山靖雄の過去も疑わしい点があります。
偽ビール事件で実刑判決を受け、学歴詐称を行い(初めは早稲田の卒
業と偽り、それがばれると、日大の芸術学部と偽った)、実際は僧歴
もないのに、僧歴を偽るなどの悪行を行ったのです
現在も金銭の見返りに世界各国から勲章をもらうなどしてますし(池田
大作に模倣して??)インチキなノストラダムス本を書いてまた民心を
惑わし続けています。
皆さん、こんな宗教団体に騙されてはいけません!!
阿含宗の信者だった、もしくはそこの内部事情を知っている方ここへ書
き込みしていただけませんか?宜しくお願いします。

301 :名無しさん:2016/12/02(金) 11:14:26.52 ID:JyhNafnX.net
現世利益を与えない仏教などは見向きもされない。御利益欲しさにさんざん取引信仰をしてたと自己紹介した深山くんが、現世利益などなしと思ったら仏教を止めたことでも分かるね。しかし、阿含仏教でも在家には現世利益を説いているのである。

302 :Ågon:2016/12/02(金) 11:17:57.84 ID:soEaR1aZ.net
>>298 我見を根本として貪瞋癡の三毒を起こす、このルーツは阿含経にあります。
我見は無明の一種なのです。煩悩は阿から生ずるのか?岩波仏教辞典の煩悩の説明に、「煩悩は我見から生ずる」と書いてある。


何を言ってるんだろうネエこの人は?
釈迦牟尼の思想では、我見とは自我(固定我)の存在を認める邪見のことでしょ。
キミキミ、邪見だよ邪見、つまり外道の考えね。
四諦説で言えば渇愛から、十二支縁起説なら無知(無明)を根源とするんですねえ。
しかしまあ、堂々とウソをこいてしまう厚かましさは並大抵の恥を乗り越え、
人生これ言ったモン勝ちという生き方で大笑いされて来ても気づかんかったんだネエ。

303 :HSガンちゃん:2016/12/02(金) 11:22:48.84 ID:CnjAJ/ai.net
(投稿)「呪縛」からの解放1 −呪縛−
http://tanemura1956.blogspot.jp/2015/09/blog-post_5.html
(紹介)
匿名さんが、信仰の裏側に潜む恐怖の問題を取り上げてくれました。
K会の会員が、活動に縛られる理由や、洗脳の呪縛が解けにくい理由が理解できる内容となっています。
(投稿)
1.希望と絶望のメッセージ
K会での伝道目的は、「地球ユートピア」という世界平和実現を目指しての救世活動であった。
「この法を日本中に、そして世界中に広げれば、必ず地球ユートピアが実現できる。明るい希望の未来が約束される。」
という、極めて明確な「明るい希望に満ちたビジョン」が描かれていた。
ただその一方で、「もし、この法が広がらなければ、この国の、そしてこの星の未来はない」というように、「暗い絶望のビジョン」も同時にイメージさせていた。
大伝道期の時も、「伝道活動が成功すれば天国、失敗すれば地獄」という感じであった。
当時活動していた信者は、「命がけで伝道して、期日内に目標を達成し、この世の中を救いたい。」という理念の裏に、
「この伝道が成功しなければ、地球は大きな危機を迎えてしまう。滅んでしまう可能性もある。何とかそれだけは避けたい。」という思いがあった。
「救いたい」という思いの裏に「救われたい」という思いが常に存在していた。
2.期待と恐怖による呪縛
OR氏は、
「どんなにつらくとも、仏の袈裟衣を決して離してはいけない。
袈裟衣を離すということは、仏を疑い、自ら信仰を捨てることをいう。
この袈裟衣を離したら最後、その行く先は永遠の闇の世界である。
袈裟衣を離さない限り、あなたたちは永遠の命を約束されるのだ。」
というような話を講演会で話していたことを思い出す。
これがK会のいう「信仰心」の本質でもあると思う。
この言葉を知らない信者はいないであろう。
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304 :HSガンちゃん:2016/12/02(金) 11:23:15.71 ID:CnjAJ/ai.net
これこそK会信者にとっての「希望」でもあり「自戒」でもあるからだ。
この言葉には「OR氏とつながっていれば自分は救われて天国に行ける。」という「期待」と、
「OR氏から離れると地獄に落ちる」という「恐怖」を含んでいる。
このことにより、信者は何が何でもOR氏やK会にしがみつこうとする。
そして「人々を救いたい」という表向きの思いを持ちつつ、心の裏では「救われたい」という思いで満たされる。
しかし、自らの内を見つめることをせず、また「救われたい」という思いを持っていることなど認めることもしたくないから、
「信仰心」という言葉でごまかして、恐怖心と戦いながら活動を続けている。
これがK会信者の「信仰心」の実体ではないのだろうか。
このOR氏の言葉は、大いに疑うべき必要がある。
信者達もしくは信者であった私たちが無批判で受け入れてきたこの言葉は、本当に真実であるのだろうか。
まず、OR氏自身が救世主ではない。
信者がこの袈裟衣を離そうとしないなら、この「偽仏」と一緒に行く先は、まさしく「地獄」でしかない。
また、たとえ一億歩譲って、OR氏が本当に仏であったとしても、本当の仏はこのような言葉を吐くだろうか。
この世界は神仏が創られた世界でもあるから、たとえ仏の袈裟衣を離してしまったとしても、必ず救いの道は残されているはずではないのか。
たとえ失敗したとしても、その失敗が次の成功に生かされるように導いてくださるのが神仏の智慧であり慈悲というものではないだろうか。
地獄のサタンであっても、神仏の目からみたら、彼はただ一時的に迷っている状態で、自らの過ちに気づくよう、神仏は温かい眼差しでもって彼を導いてくださっているに違いない。
要は、たとえ袈裟衣を離したとしても、離した者を見捨てることは、神仏は決してなさらないということだ。
この世では過ちを犯すことも数多くある。
しかし、それ故に、その過ちに気づき立ち直ることで、そこで新たな「智慧」が得られることもある。
むしろその智慧の獲得し成長することを神仏は期待しているのではないのだろうか。
ゆえにこのORの言葉は、神仏の言葉とはほど遠いものであると悟ることが必要であると思う。
sssp://o.8ch.net/jqus.png

305 :名無しさん:2016/12/02(金) 11:23:31.67 ID:JyhNafnX.net
遊行経には釈迦が在家信者に、持戒者には五つの利益があると説いている。財産が豊かになる、食が富む、名声が広がる、とかの現世利益そのものであるね。だが、深山くんはヒステリックに現世利益を否定する。釈迦仏教ではなしに深山経にしているわけだね。

306 :HSガンちゃん:2016/12/02(金) 11:23:52.90 ID:CnjAJ/ai.net
3.呪縛
「この袈裟衣を離したら最後、その行く先は永遠の闇の世界である。
袈裟衣を離さない限り、あなたたちは永遠の命を約束されるのだ。」
という言葉は、信者をまさしくK会の「信者」として縛り付ける「鎖」の役目を果たしている。
まさしく「呪詛」でもあることに気づかなければならないと思う。
「希望」のうらに隠された「恐怖」
これがK会の「信仰」の本質でもあり、「信仰心」の名の下に信者を縛る「鎖」でもある。
後にOR氏は、「恐怖」の預言や中国脅威論など、「恐怖心」を膨大させる手段を取るようになるが、
この「恐怖」の原点も、仏の袈裟衣を離したときの「恐怖」にあるのではないかと思う。
K会の間違いに気づき、退会したあとでも、この「恐怖感」がトラウマになって苦しんでいるという信者の方もいると聞いているし、私もその一人である。
一度味わった心理的ダメージを癒すのは時間がかかるだろう。
しかしながら、OR氏やK会の「鎖」がまだ心に絡みついていることを悟り、それを丁寧に外していくことが大切なのではないかと思う。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2015/09/blog-post_6.html
へ続く
sssp://o.8ch.net/jqut.png

307 :HSガンちゃん:2016/12/02(金) 11:24:44.34 ID:CnjAJ/ai.net
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308 :名無しさん:2016/12/02(金) 11:35:13.25 ID:JyhNafnX.net
深山くんが知らないだけで、パーリ小部経典には、病気の妻の代わりに夫が釈迦を参詣したら妻の病気が治って、釈迦の力を賛嘆したという経もある。密教みたいな護摩を焚いて病気を無くす話しは阿含経にはないが、稀にだが現世利益を与える話も阿含経にもあるのですな。

309 :Ågon:2016/12/02(金) 11:42:48.46 ID:soEaR1aZ.net
>>298 我見を根本として貪瞋癡の三毒を起こす、このルーツは阿含経にあります。
我見は無明の一種なのです。煩悩は阿から生ずるのか?岩波仏教辞典の煩悩の説明に、「煩悩は我見から生ずる」と書いてある。


こりゃたしかに批判側が言われたごった煮はゴッタ煮でも、頭がゴッタ煮のようだ。
僕かあ、ちゃんと>>199で、そりゃ「漢光類聚で平安時代後期の僧忠尋の著作
でしょうが」と、あなたのゴッタ煮アタマの沸騰ぶりを言うてあげてんのにネエ。
岩波辞典で我見の143ページに、その文言あとに「漢光類聚」と書いてありまんがなあ。
アタマが沸騰して、フキコボレてるのを自分で気づかんのだよなあ。
平安時代の天台宗の坊さんの言うたことを阿含経だと分けわからん状態だしなあ。

310 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/12/02(金) 12:01:53.94 ID:Qw6J3V3p.net
>>283 :神も仏も名無しさん2016/12/01(木) 20:45:53.48 ID:gvqdTTQc
>己の不勉強を省みず、他人の論を鵜吞みして他を判ずる。

「己の不勉強を省みず」??
その言葉に一番あてはまるのは宝生さんです。
宝生さんは桐山さんが阿含経から密教に到達したと主張している。
あなたの頭ってこんな程度です。
これこそ不勉強というべきではないか。
何度も書くが、私のいたファミリーにも理解力の低い信者はいたが、
それでも、桐山さんが「阿含経→密教」なんて言う信者は
お目にかかったことがない。
桐山さんは阿含経、阿含経と年中お題目を唱えていたのだから、
嫌でも「密教→阿含経」だと理解する。
だから、「阿含経→密教」と堂々と主張する信者がいるのを見て、仰天した。

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