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【無分別】石の上で瞑想すると何が見えてくるのか4【瞑想】

1 :因縁果 ◆d........o :2016/10/25(火) 17:04:44.86 ID:y3RwUnun.net
【注意事項】

1.瞑想・座禅経験者以外の書込み禁止

2.凡夫の書込み禁止^^

3.我執のある人書込み禁止

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【非思量】石の上で瞑想すると何が見えてくるのか3【瞑想】
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1473545092/

881 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:11:35.84 ID:zEJM9OML.net
シッダールタの苦行時代、重点的に行われたのが断食と止息の行でした。

882 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:13:15.17 ID:zEJM9OML.net
アーラーラとウッダカの二師は、苦悩を不完全燃焼と捉え、
それを速やかに完全燃焼し滅尽させるため過息の、分かりやすく言うと
空気を飽食する瞑想を行った。しかし、それによってシッダールタは
かなり高い境地には達したものの、究極の解脱体験は得られなかった。

883 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:14:32.83 ID:zEJM9OML.net
そこで、もう一つの可能性として、止息、分かりやすく言うと空気の断食という
苦行にシッダールタは走った。しかし、そこでも解脱は得られなかった。

884 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:15:24.49 ID:zEJM9OML.net
止息という行はクンバカとして、過息という行はバストリカなどとして、
現代に至るヨーガ修行の中に伝えられています。
けれどもこの二つの両極端によっては、彼はブラフマンに至る事はできなかった。

885 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:16:33.26 ID:zEJM9OML.net
そして、最終的に思い至ったのが、快と不快、楽と苦の両極を離れた、
過息でもなく止息でもない、ニュートラルな自然呼吸の観察、
すなわちアナパナ・サティだった

886 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:17:33.47 ID:zEJM9OML.net
苦悩や懊悩、あるいは激しい歓喜という精神活動が、大量の空気を必要と
することは経験的に明らかでした。ならば、無理強いの止息によってではなく、
自ずからのダルマの流れとして、呼吸が弱滅していく道はないのか。

そうやって求められたのが、アナパナ・サティ、つまり自然な呼吸が
自ずから生起する様子に淡々と気付いている、という瞑想法だった

887 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:19:00.86 ID:zEJM9OML.net
やっぱり・・
お釈迦様は勉強になる^^

さすがや・・^^

888 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:21:29.16 ID:zEJM9OML.net
「彼はブラフマンに至る事はできなかった。」

これだけが疑問だ^^

889 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:30:07.38 ID:zEJM9OML.net
不立文字かー^^

890 :因縁果 ◆d........o :2016/12/05(月) 17:34:00.36 ID:zEJM9OML.net
仏教は無我説です。アートマンの存在を認めていない^^

う〜〜ん^^

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