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阿含宗という宗教272

1 :口下手番長代理:2016/10/19(水) 17:00:56.02 ID:BDgoeIns.net
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。

以下、初代「口下手番長」さんの宣言文。

皆さん阿含宗という宗教団体を知っていますか?
今では伝統宗教のようにふるまっていますが昔は自ら作ったインチキ
超能力で民心を惑わしあのオウム麻原を生んだとんでもない宗教団体
です。(オウム麻原と桐山靖雄を比べればそっくりであることに気が
付くでしょう)桐山靖雄の過去も疑わしい点があります。
偽ビール事件で実刑判決を受け、学歴詐称を行い(初めは早稲田の卒
業と偽り、それがばれると、日大の芸術学部と偽った)、実際は僧歴
もないのに、僧歴を偽るなどの悪行を行ったのです
現在も金銭の見返りに世界各国から勲章をもらうなどしてますし(池田
大作に模倣して??)インチキなノストラダムス本を書いてまた民心を
惑わし続けています。
皆さん、こんな宗教団体に騙されてはいけません!!
阿含宗の信者だった、もしくはそこの内部事情を知っている方ここへ書
き込みしていただけませんか?宜しくお願いします。

21 :神も仏も名無しさん:2016/10/20(木) 12:12:11.54 ID:4tDBLwBL.net
意図的、意識的に行われるものは出家修行とは言わない。

22 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/10/20(木) 12:12:43.86 ID:EDjLHPPB.net
>677 名無しさん 2016/10/18(火) 19:05:16.74 ID:v4w0byMb
>最初は三結から無くしていくのだよ、順番には理由があるのですよ。

阿摩昼経のバラモンもプックサーティも、釈尊から
教法を一度聞いたくらいで、短時間にアナゴンに到達してしまった。
身見、疑惑、戒取、欲貪、瞋恚という五下分結をあっという間に捨ててしまった。
どうして?
二人とも上根で機根に優れていたなんてオカルトは出さないでください。
仏教には上根も下根もありません。
桐山さんの作り話です。
能力など関係ない証拠に知的に障害のあったチューラパンタカは解脱できた。

五下分結の性格を見れば気がつきませんか?
彼らはすでに欲貪と瞋恚が薄らぐか、捨てていたからです。
欲貪と瞋恚を捨てるなんて仏教でなくても、たとえばジャイナ教など極端な
禁欲を説いているように、他の宗教でも説いている内容です。
阿摩昼経のバラモンは、弟子をかかえるほどの著名なバラモンだったから、
当然、欲望と怒りくらい抑える努力をしていたのです。
プックサーティも同様で、欲望と怒りを抑える努力をしていたのでしょう。
欲貪と瞋恚は煩悩の中でも俗人が簡単に理解し自覚できる煩悩です。
だから、プックサーティは煩悩からの解放だという仏教を誰かから聞いて、
欲望や怒りを減らす努力をしたのでしょう。
アゴン宗の信者のように「方法を教えてみろ」なんてあざ笑いながら言うほど
知性も心もねじくれていなかった。
つまり、この二人が釈尊に出会った時は、すでに
欲貪と瞋恚はかなり薄らぐか、ほとんど囚われていなかったのです。
だが、これだけでは、二人ともアナゴンではなかったし、
仏教の入門の聖者であるシュダオンにさえもなっていなかった。
二人とも、最初の三結(身見、疑惑、戒取)が切れていなかったからです。

23 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/10/20(木) 12:16:13.41 ID:EDjLHPPB.net
>677 名無しさん 2016/10/18(火) 19:05:16.74 ID:v4w0byMb
>最初は三結から無くしていくのだよ、順番には理由があるのですよ。

仏教で解脱するためには欲貪と瞋恚を捨てるのは必要条件で、これ自体も
すごいことなのだが、これだけでは仏教の入り口にも到達していないのです。
逆に、欲望や怒りを持ったままの人でも、三結を捨ててしまえば、
仏教の入り口に入ったことになる。
それくらい三結とは重要な項目であり、ある意味で仏教の特質と言っていい。
この三結こそは仏教でいう無明に相当します。
1.5来補さんは、十結の最後に出てくるのが無明だから、
無明は最後に切るのだと主張して、批判側から爆笑された。
英数国と言われると国語は最後に勉強するのだと屁理屈を言う愚か者です。

ある意味で十結のすべては無明です。
そして、何よりも三結とは無明です。
それくらい三結とは重要であり、釈尊の教法の独創性はこの三結にこそある。
前述のように、欲貪と瞋恚を説いた宗教家は他にもいます。
だが、三結を解脱を妨げる煩悩だと説いたのは釈尊のみです。
これが釈尊の発見であり、他の宗教家にないオリジナルです。

24 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/10/20(木) 12:19:46.88 ID:EDjLHPPB.net
>677 名無しさん 2016/10/18(火) 19:05:16.74 ID:v4w0byMb
>最初は三結から無くしていくのだよ、順番には理由があるのですよ。

釈尊のオリジナルである三結である身見、疑惑、戒取の内容を見てください。
信者さんたちのように、人間に霊魂という核があり、輪廻の主体があると
信じることを身見と言います。
人間には霊魂のような核はなく、輪廻にも主体はないという
釈尊の教説に疑問を持って信じようとしないことを疑惑と言います。
人間には魂魄という核があり、死ぬと魄が輪廻の主体になるという
外道の説を信じることを戒取といいます。
つまり、アゴン宗の信者さんたちは見事に身見、疑惑、戒取の
三つの煩悩を漏れなく、確固として、頑迷に固持しているのです。

25 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/10/20(木) 12:23:20.40 ID:EDjLHPPB.net
>677 名無しさん 2016/10/18(火) 19:05:16.74 ID:v4w0byMb
>最初は三結から無くしていくのだよ、順番には理由があるのですよ。

自分の本体は霊魂であり、死ぬと霊魂が肉体を出て、
別な肉体に入り輪廻する、と信じることが身見という煩悩なのです。
釈尊はこのような身見が人間を大きく誤らせ、しかも
多くの人間が陥る間違いだから、最初に否定しているのです。
この間違いを捨てない限り、百年釈尊に供養しようが、
千年釈尊を拝み続けようが、その人は仏教の入り口にさえも入れません。
ですから、アゴン宗の信者さんたち全員が仏教徒ではありません。

世間一般でも、輪廻を信じている人たちは、人間の中にある霊魂が
輪廻するのだと信じている。
さらには、こういう輪廻観を仏教だと信じている人たちもいる。
霊魂や霊魂による輪廻をお釈迦様が説いたと信じている日本人の
なんと多いことか。
中にはどこかの新興宗教の教祖みたいにこれを堂々と
仏陀の智慧と称して本にまで書いた愚か者がいた。
まるっきり逆で、釈尊はこういう霊魂と霊魂による輪廻を否定した人です。
だが、霊魂による輪廻は今の日本だけでなく、
2500年前のインドでも似たような状況だった。

26 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/10/20(木) 12:27:09.27 ID:EDjLHPPB.net
>677 名無しさん 2016/10/18(火) 19:05:16.74 ID:v4w0byMb
>最初は三結から無くしていくのだよ、順番には理由があるのですよ。

釈尊より百年前にいたというウパニシャッドのヤージニャヴァルキヤは
完璧とも言える霊魂による輪廻を考えた人です。
彼の霊魂観に比べたら、桐山さんのそれは考察の浅い子供騙しです。
釈尊時代にすでに、今の信者さんたちが信じているような
霊魂による輪廻という考えが広く普及していた。
おそらく当時の多くの宗教の常識だったのでしょう。

そこで、話を阿摩昼経のバラモンとプックサーティに戻します。
この二人も、当時のインド人の多くが信じていたように、自分には霊魂があり、
死後は霊魂が輪廻するのだと信じていたのでしょう。
つまり身見という煩悩を持っていた。
だから、この二人はどんなに欲貪と瞋恚を減らしても、
仏教の入り口にも到達できなかった。
だが、釈尊から身見を捨てるように説かれて、すぐに理解して、これを受け入れた。
信者さんたちの違い、二人とも素直に受け入れた。
一度の説法で彼らはすぐにシュダオンになり、しかも、すでに欲貪も瞋恚も
それまでの修行でほとんど無くなっていたから、あっという間にアナゴンに到達した。
まるで、釈尊が煩悩の縄の結び目を教えてあげたから、彼らを
ガンジガラメに縛っていた煩悩という縄が一気にほどけたような光景です。
念のために言うが、縄の結び目を解いたのは本人であって、釈尊ではありません。
他にも阿含経にはこれと似た話があります。

27 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/10/20(木) 12:30:51.06 ID:EDjLHPPB.net
>>9 : 名無しさん2016/10/20(木) 07:00:03.49 ID:Woz9O1FM
>煩悩の無くしていく順番も知らないのでは、
>お話にならない。

ここまでの阿含経の話を読んで、信者さんたちは如何ですか?
まだ1.5来補さんと同じように、三結を切ってからでないと
瞋恚や欲貪は切ってはいけないと思いますか?
順序ももちろん重要です。
だが、阿摩昼経のバラモンやプックサーティの事例を参考にするなら、
まず欲貪や瞋恚を減らす努力してみてはどうか。
信者さんたちがどうしても桐山さんのいう霊魂輪廻説を信じたいというなら、
また釈尊のいう輪廻観を理解できないというならしかたない。
桐山さんはもちろん、1.5来補さん、宝生さん、ペテン大作さんなどに
いくら釈尊の説く主体のない輪廻観を説明しても、理解できなかった。

三結は無理でも、欲貪と瞋恚を先に減らすことは可能です。
護摩木でお願いごとをするなんて欲望は無くても生きていける。
占いや霊感で人生の先を読もうとか、好運を得ようなんて愚かな欲望は捨てたほうが良い。
死者を成仏させるとか、霊障のカルマを断ち切るなんて、ウルトラマンと
怪獣の話のような、アゴン宗で植え付けられた欲望や無明という煩悩で、
信者さんたちが元々持っていたものではない。
食欲、睡眠欲、性欲などの先天的な本能を制御しろと言われたら辛いが、
アゴン宗の話は桐山さんからくっつけられた後天的な煩悩にすぎないから、
捨てるのはわりと簡単です。
釈尊はどの順序でやるなんて説いていませんから、まず信者さんたちは
アゴン宗から植え付けられたこれらの煩悩を捨ててはどうですか。

28 :深山 ◆lDoupiXSYZNC :2016/10/20(木) 12:32:30.76 ID:EDjLHPPB.net
>>1さん
スレ立てをありがとうございます。

29 :ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR :2016/10/20(木) 12:47:55.81 ID:jYj0UGpg.net
>>16 名無しさん 2016/10/20(木) 11:56:07.93 ID:Woz9O1FM
>りするのが縁起の法だね。人間存在の因縁が滅尽した場合は、生じたりがないわけです。
>つまり、生老病死という縁起がないわけです。
>だから阿含経の涅槃とは縁起の滅した世界なわけです。

じゃあ桐山さんが今回死んでもはや来世にも生まれ変わることはなく輪廻は終焉を
迎えた涅槃に入ったものと仮定すると、今回初めて因縁解脱(縁起解脱)したのであり、
人間として存在していた先々月までは因縁解脱していなかったとするわけですね。
当然あなたも現在人間として存在しているのだから、少なくとも現在とこれまでは
因縁解脱していない。
つまりあなたは死なないと因縁解脱は得られない。
もちろん死んでもまた何らかに生まれ変わる輪廻を続けたらまだ因縁解脱していないが
とにかく死なないことには話にはならない。
馬鹿は死ななきゃ直らないという言葉をそれとは別に思い出したがw

30 :123:2016/10/20(木) 13:06:16.97 ID:d+8aTb3G.net
29.
人間存在の因縁が滅尽した場合、か。
人間が存在する限りでは、因縁は滅尽しない。
だからして、涅槃とは縁起の滅した世界ではない。
縁起の滅した世界を想定することが、誤りである。
それは仏教ではないのだが。
それは迷信である。
その迷信バカが桐山バカ教祖とバカ弟子どもである。

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