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SDA教会とは何だったのかPart28

1 :神も仏も名無しさん:2016/10/06(木) 13:13:01.76 ID:FtL7giX1U
忌憚なきカキコを。
品をおとすことなく。
是は是、非は非で。

261 :神も仏も名無しさん:2016/12/08(木) 11:43:08.32 ID:5RqNm7Wi1
聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指
示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。 
それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣
することを、わたしたちは満場一致で決定しました。 このバルナバとパウロは、わたした
ちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。 それでユダとシラスを
選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。 
聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに
(10戒以外の230程ある律法の規律は、信者にはもう不要ということ)決めました。 
すなわち、偶像に献げられたものと、血と,絞め殺した動物の肉(旧約の祭儀の廃止)と、
みだらな行い(レビ記18章)とを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります」 
さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて
手紙を手渡した。 彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。 
ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、 
しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣し
た人々のところへ帰って行った。 

★★★
要するに、使徒たちは最初の宗教会議に於いて、律法によらず使徒としての権威をもって
モーゼの律法約230 の廃止したのだ。だから何を飲み食いしてもよいのだよ。
後は節度の問題だけだね。

262 :神も仏も名無しさん:2016/12/08(木) 13:02:49.40 ID:7muGUUVv0
Mt.25:26 の"永遠"という語の理解の問題。
Mt.5:8 は論外。
Heb.9:27 だから?
Rom.6:23 説明になっていない。
1-Cor.3:15 は、そういうことではないだろう。
"旧約聖書マカバイ記下" は私の所有している聖書にはない。外典。

263 :神も仏も名無しさん:2016/12/09(金) 01:57:48.86 ID:jGHNd7Y6z
SDAとJWは、似ている教理を持つ。原始仏教もたぶん然り。
死後の世界は、3通りの解釈があるようだ。
@死は眠り A死後霊魂は存在し続ける B死後のことは解からない
死後の、あるいは現在の不思議な現象はサタンのせいにするのが@。
知り合いで大病し、所謂、臨死体験をしたという御仁?がいる。
それを、どのように解釈したらよいのか、様々な見解がある。
無線通信に代表されるように、
目には見えぬがロジカルに起こっている現象はある。
瞑想、千里眼、透視、etc、の類はどうか。祈りは聖書だけの話ではない。
JWは、その類のものは聖書に書かれていない故全てサタンのせいにする。
聖書は物事の全てに関して書かれているものではない。
人の生きる指針。"いのち" と "こころ" を扱う。科学書ではない。

264 :神も仏も名無しさん:2016/12/10(土) 01:39:49.81 ID:J3xzO9C66
人は理屈ではなく…。"希望"はその最たる語であろう。
聖書のある箇所には下記のことが記されている(いずれもEcc.,NKJV)。
◇He has made everything beautiful in its time. Also He has put
eternity in their hearts, except that no one can find out the work
that God does from beginning to end.
また次のようにも記されている。
◇Nothing is better for a man than that he should eat and drink,
and that his soul should enjoy good in his labor. This also, I saw,
was from the hand of God.
◇Here is what I have seen: It is good and fitting for one to eat
and drink, and to enjoy the good of all his labor in which he toils
under the sun all the days of his life which God gives him; for
it is his heritage.
◇So I commended enjoyment, because a man has nothing better under
the sun than to eat, drink, and be merry; for this will remain with
him in his labor all the days of his life which God gives him under
the sun.
◇Go, eat your bread with joy, And drink your wine with a merry heart.

265 :神も仏も名無しさん:2016/12/10(土) 07:01:24.26 ID:J3xzO9C66
「ぞ」おやじさんは、カトリック教会を擁護するカキコをしている。
新約聖書は、カトリック教会(普遍的な教会)の信者のため、あるいは、
その継承のために書かれているものだろう。Rev.に出てくる666が誰を指す
のか、をめぐっては多言がある。カトリック信者がローマ・カトリックを
警戒しているならば、ある教皇を指すであろうし、当時の圧制に抵抗して
いる人々は、ある皇帝とみるだろう。或いは、もっと別の観方もあるだろう。
残りの真の民がSDAである、というのは聖書的ではないだろう。
一つの見解をもって聖書を解釈し、そうだ、とするは西洋的思考の典型でも
あろう。ヨブ記において、神がサタンにヨブに対する行動の制御をしたとは
いえ、彼の子らは死んだ。この書簡の終わりのほうで、いくら当初の子ら、
或いは飼っている生き物の数が増えたとしても、当初ヨブが受けた当初のと
きの心痛は計り知れないものがあろう。Eph.にも、神が予め定めておいた人
があるような記述がある。所謂予定説がまかりとおることになる。一方、別
の観点から言及している箇所もある。だから、聖書は信用できない、という
御仁?もいるだろう。聖書を一旦置いてみて思考するに、神はおられるのか、
と問われれば、躊躇なく、神はおられる、と言える御仁はどれほどいるのだ
ろうか。また人知では理解不能なできごとであるところの、神の御子が人性
をとって人となられ、十字架による贖いを成し遂げられたことを、真に信じ
ることのできる御仁は、どれほどいるのだろうか。既に日は昇っている。
人に与えられている貴重な人生の1/7の時間は、特別に神に想いを向けたい。

266 :神も仏も名無しさん:2016/12/11(日) 02:04:15.72 ID:3dC/1AMGt
ぞ、おじさんから・・・

天国で神の御顔を仰げるのは、心清き者。
しかしながら、人の霊魂は寿命に比例して罪にまみれて行く。
さりとて、一点の曇りなき霊魂でなければ、天国に決して入れず
使徒や受洗したキリスト者とて例外ではない。
故に、キリストは霊的援助をするために、救いの普遍的秘跡を
ご自分のカトリック教会の中に制定されたのだ。

元より神に召されて離れた肉体は、誰もが腐って土に帰るが
人の霊魂は、死後すぐに神に呼ばれ審判(私)される。
すべてを見透す神の目と聴き分ける神の耳は、その霊魂を捉え
神の慈悲で良しとされても、多くの月日を霊魂の清めの為に要する。
だが、神の怒りに触れて地獄に落ちた霊魂は、もう成す術も無い。
だからこそパウロは「肉ではなく霊においてキリストに従え」と説く。

そして誰一人決して知らされず、神のみが知り得る終末の日に
すべての人類は再び神のみ前で、審判(公)が下される。
神の国に迎えられた者は、完全なからだで永遠の命が与えられるが
地獄を宣告された者は、嘆きとはがみとがある闇に投げ出される。
まさに死とは、神から永遠に離された霊魂を指し
永遠の生命とは、神とともにいる永遠の幸福に入ることだ。

★永遠の生命を得るために、希望をもって生きるのがキリスト者だね。

267 :神も仏も名無しさん:2016/12/11(日) 02:15:10.34 ID:3dC/1AMGt
★参考までに
(キリストの言葉)
マタイ12章31~
「人間のどんな罪も冒涜もゆるされるが、しかし霊に対する冒涜はゆるされない。
 言葉でもって人の子に逆らう人は許されるが、言葉でもって聖霊に逆らう人は、
 この世においても来世においてもゆるされないだろう」

★罪はゆるされても、償いが伴うことを忘れてはならないだろう。
 その一生分の償いをどこで償うのか?


コリント前3章13のかの日は、宣教の使徒的価値をためす火である。
コリント前3章15の火は、きよめの火=煉獄=神の国に入る前の罪の償い
    
マカバイ記下12・46
「死者のために、つぐないのいけにえをささげさせた。
 それは彼らを罪から解き放つためである」

因みに、全世界のカトリック教会では11月1日を死者の日とし、亡くなった両親、兄弟
友人、そして教会の兄弟姉妹が煉獄にいる救霊ために、ミサにて祈りを捧げている。

268 :神も仏も名無しさん:2016/12/11(日) 02:21:47.16 ID:3dC/1AMGt
265へ
12使徒から継承したカトリック教会は、使徒の殉教後も迫害を降り越えて
紀元4世紀にはローマ帝国の国教となって、ヨーロッパ全土に広がった。
その後ローマ帝国が東西に分割され、歴史が進んだ紀元11世紀になると
カトリック教会は東側地域と西側地域とに分かれて別々に発展していった。
ヨーロッパの東側に広まったカトリック教会は、後にギリシャ正教と呼ばれるようになり
ヨーロッパの西側に広まったカトリック教会は、ペトロの後継者の聖座がローマだから
ローマ・カトリックとも呼ばれている。

よってカトリック信者とは、ペトロの後継者の聖座のあるカトリック教会、即ち、別名
ローマ・カトリックだから、当然 666 はカトリック教会を迫害したローマ皇帝を意味する。
尚、ギリシャ正教からみても、11世紀まではカトリック教会と全く同一教会であって
かつ歩いた歴史も同様だから、666はローマ皇帝を意味する。
現時点でもカトリック教会(ローマ・カトリック)とギリシャ正教は同じ一つの羊の群れ。
(カトリック教会で受洗しても、ギリシャ正教で受洗しても、同じ羊の群れに属する)

269 :神も仏も名無しさん:2016/12/11(日) 04:25:34.16 ID:p/yrdiP1h
◇「霊魂」という語を誰にも解かるように日本語で説明してみてくれんかね。
◇「多くの月日を霊魂の清めの為に要する救いの普遍的秘跡」という概念や
語は聖書の何処にも記されていない。
◇「多くの月日を霊魂の清めの為に要する」という語も概念も聖書の何処
にも記されていない。
◇「永遠の生命とは、神とともにいる永遠の幸福に入ること」という語を
誰にも解かるような日本語で説明してみてくれんかね。
◇1-Cor.3:15に「きよめの火=煉獄=神の国に入る前の罪の償い」という概
念もなければ、かような記述もない。
◇「全世界のカトリック教会では11月1日を死者の日とし、亡くなった両親、
兄弟友人、そして教会の兄弟姉妹が煉獄にいる救霊ために、ミサにて祈りを
捧げている」。ま、いいだろう。日本国でも宗教の自由は憲法で保証されて
いる。が、聖書に、かような記述は何処にもない。
◇「(カトリック教会で受洗しても、ギリシャ正教で受洗しても、同じ羊の
群れに属する)」。ま、いいだろう。信教の自由だからね。が、かような概
念や記述は聖書の何処にもみられない。
*「ぞ」おやじさん、何回コメしても無駄なんだがね。

270 :神も仏も名無しさん:2016/12/11(日) 04:35:17.77 ID:p/yrdiP1h
聖書の一つの言い方が最も大事な語であるという言い方は、多くの御仁?が
すること。かような類似点はEGWにも観られる。
聖書に、SDAは残りの民である、とは書かれていない。これは事実である。
このことと、SDAが聖書に記されている残りの民という概念を重んじ、それ
と同じような概念を有する教会でありたい、そのようになりたい、そのよう
な姿勢の教会として歩んでいきたい、ということは類似してはいる。
が、本質的には違う。教会とは建造物でもなければ指導者だけの集合体でも
ない。個々の信者の集合体である。個々に観れば、かなり逝かれていると思
しき御仁?も少なくない。そうであっても、教会は教会である。猿山の檻の
中で、常にギャーギャー喚いているモンも教会の一部ではある。

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