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【イエス】無教会の人が集うスレ【キリスト】

1 :神も仏も名無しさん:2016/09/24(土) 18:56:50.31 ID:n5OfwNLI.net
教会に行かないもしくは行かなくなったがイエスキリストを信じる人の集うスレです

671 :思慮 ◆eGk5Z6l1ogmh :2016/11/19(土) 11:07:29.98 ID:vtmLkLpY.net
【地上のものに心を引かれない】方で神が実在されている。私たち人間は悪しき者の配下にあることを知っている。
《神のわざが神への信仰である》と神様が地上に現れた。《盲人は見え〜貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者はさいわいである》
 〔地上のものに心を引かれぬ霊の国が神への信仰で、一切の者が何事も思い煩わないことを喜び、何でもできる神と一つだからである〕
   神のわざであわれみの行い 悪しき者の配下でない 神と天国の心 を神を信じたイスラエルに教えるため=唯一の信仰のみがある。

《全世界は悪しき者の配下》
神といつも一緒にいることをよしとせず、人間でいたいと心で信じて疑わなかったからである。信じることはゆるされず《からし種一粒ほどの信仰も無い者となった》神の法律・決まり。 

《聖霊に満ちて荒野》
賢くなった人間の手でつくられたものは、全て悪しき者の配下で、大自然など世と世にあるものから離れて、何事も思い煩わない者は、天国に近いと造られた。

672 :思慮 ◆eGk5Z6l1ogmh :2016/11/19(土) 11:08:53.90 ID:vtmLkLpY.net
□一日の苦労はその日一日だけ 公平とあわれみと忠実

人々に負担をかけまいとして働く、しかし、過労は神にとって【地の奴隷・悪魔の子】であり、【働き飲み食いする、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを何も問題ないようにする】のは、
【肉だけの悪魔の子】と言われ、世の良識的な人々が、格差是正・過労や過労死は悪とすることも、富に仕えること・肉の欲・目の欲・持ち物の誇りをまるで善いこととせず、地球環境
のことを考えることも、人間として当たり前の神の働きなのである。

 神の立場と神への信仰は、地上のものに心を引かれない完全 人間の宗教的思いは一切通じない方。【人間でいたいと生まれたのはお前たちが悪い、からし種一粒ほどの信仰の無い】
 者と決められ、生まれた時点で人間の言によらず、人間の宗教に一切毒されること無く、人間でいたいと生まれ尊重されるように神が生まれさせた。それが神の法律。

 神は実在している。余計な言で論じ合うことをゆるすことはない。本来は、自然のままでも心の中で神の霊を宿し、物や金など様々なことよりも、人間でいたいと生まれた人間を尊
 重するのが人間で、《イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない〜「女よ、あなたの信仰は見あげたものである》

  【愛や良識ある自然体】が人間であると造られたのだ。イエスを人間が勝手にしないよう警告でもある。

673 :老クリスチャン:2016/11/19(土) 11:15:30.03 ID:RLkNob/D.net
>>662-663
たいへんていねいに読んでくださったようで、ありがとうございます。
ろんさん のご性格や、得手不得手が、何となく分かるような気がします。
私が 「もう少し掘り下げて」 とか 「一歩踏み込んで」 などと書いたので、よけいな苦労をさせてしまったようです。

私が使った 「引用」 や 「私の解説」 を、かなり正確に拾い出してくださいましたが、
それらの引用や解説の間の論理的関係と、それらを用いることによって私が言いたかった論旨と目的には、
ろんさん の 「興味と関心」 は向かなかったのだと思います。

どうぞこれからも、マイペースで歩んでください。
それが、「ろんさんらしい」 行き方なのですから、今回のことは気になさいませんように。

674 :神も仏も名無しさん:2016/11/19(土) 11:18:51.85 ID:a62Z/zyU.net
>>670
無神論者もいるね
日本で初詣もお葬式もしない人

675 :神も仏も名無しさん:2016/11/19(土) 11:27:57.88 ID:npNxGUKw.net
初詣や葬式すれば神を崇めているかあといえばそうでもないのがほとんどだがなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

キリスト教徒も神を飾り程度にしか思ってないのがほとんどだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

676 :思慮 ◆eGk5Z6l1ogmh :2016/11/19(土) 11:30:48.32 ID:vtmLkLpY.net
■神は信じられます という者を否定されている

 【地上のものに心を引かれず、何事も思い煩わない者 と神の栄光以外に神への信仰は無い】 人間の宗教を否定し、信じられない者は、まず第一に神に従う。

 《聖霊に満ちて荒野・山へ逃げよ》
   「よい天気ですね」と挨拶することや大自然を清々しいとする心は、汚い心の持ち主で、快楽や享楽に耽溺する者は清い心の持ち主である。
 《神の国は実にあなたがたのただ中にある》
   「瀕死の人を助けることは、こころのない者のすることで 自分のことだけを考え、飲んだり楽しんだりする者のほうがこころのある者のすること と世の多くの人々が認める」 
   内に住まわせた霊により、善悪を知り歩ませようとされた神。正反対を清いとか善いことと多くの人々がすることはできない。
 《自分の命を憎め》
   自分を愛し願い事が叶えられる宗教はない。

677 :思慮 ◆eGk5Z6l1ogmh :2016/11/19(土) 11:54:55.10 ID:vtmLkLpY.net
□宗教の役割

  信じる者は、大自然などを楽しみ思い煩わない者のように、何事も思い煩わないことを善いこととしないといけない。世と世にあるものの中で神様といっても全く通じない方であ
  る。人間の手でつくった信仰対象物を拝んでも、宗教的行為も神にはまったく通じない。この世の者ではない、神の栄光が神への信仰と認めること。

 《自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない》
  人間でいたいと生まれた人間を、からし種一粒ほどの信仰の無い者であるが、何も信じずまだ汚れの無い子として生まれたように、尊重されている。隣人の愛として、瀕死の人々を
  助けたり、《自分の妻を自分自身のように愛しなさい》という戒めの言葉が宗教の役割である。

  物や金や生まれた自分のため、他人を尊重せず物扱いにしては決していけないのである。また、自制は大切なことで、人々の富への貪欲・肉の欲・・貪欲のためにあくせく働き、悩
  み苦しみ思い煩っても、地の奴隷であり、決して神と永遠に通じることではない。

   《天地は滅びるであろう、わたしのことばは決して滅びることはない》天だの地だのという思いは滅びる、しかし、そういった言葉はいつまでも滅びることはない。

678 :ろん:2016/11/19(土) 16:44:39.94 ID:0R1PAWH/.net
>>673n
老クリスチャンさん。心配してくれまして、ありがとうございます。
聖伝のベクトルが違って不快な思いをさせてしまいました。

司教という教父の公会議での決め事の聖伝と、
一昔前にいわれた平信徒といわれていた人々との
聖書以外の教えられえ事とを聖伝と
同じレベルでいってしまいました。そこが関心事と
ずれた所かと思いました。あらためて済みませんでした。

679 :ヒルテイにならいて:2016/11/19(土) 17:03:03.41 ID:bqZY27Sl.net
〔ヒルテイの感銘深いエピソード〕
ヒルテイの良き友人であったケラー氏の証言

「私が最後にー彼の死ぬほぼ半年前ー彼を訪れた時、彼はひどいロイマチスに苦しんでいました。
辞去する時、私は彼の手をかたく握って『主があなたのご病気を和らげて下さるようお祈りいたし
ます。』と申し上げると、彼はほっそりした指で私の手を取り、真剣な面持ちで言われました。

『それはいけません。あなたは私どもの主があなたの祈りを聞いて特別のお恵みを垂れて、私から
この苦しみ取り上げて下さると思ってらっしゃるようですが、それはお断り申し上げねばなりません。
10日間のロイマチスの苦痛は、私の内なる人間のために私が聞く10の説教よりも、或は私が読む
すべての書物よりも、ずっと薬になるのです。どうぞ、私の苦痛を気になさらないでください。』

と。私たち神学者はこの法律家から教えられることがたくさんあります。」
(アルフレート・シュトゥッキ著「ヒルテイ伝」より)

ヒルテイはここにおいて病苦のもたらす宗教的意味というものを身をもって証しています。次のヒルティ
の言葉も関連あるものです。共にその意味を考えてみてください。

「苦悩の本来の目的は、ただ苦悩によってのみわれわれは神の傍近くにいることに慣れ、常に神の傍近く
にいることを感じることができる、というところにある。」(「幸福論第三部」)

「神無しに生き、まして神無しに生きるよりも、神とともにあって苦しむ方がはるかに優った運命である。」
(「幸福論第三部」)

(続きます)


イの言葉も

680 :ろん:2016/11/19(土) 17:11:04.72 ID:0R1PAWH/.net
>>666-669n
Q資料とマタイ・ルカの関係を指摘された方でしょう。
聖書学習が熱心な方ですね。そこまで詳しい方なら
無理に、有害といわなくても理解しているわけですから
引用元云々は知らなくても良いと思いますよ。
しいて引用をいえば古本の聖書ガイドブックです。

時代がまた進めば
更に新しい発見から解釈が違ってきますから
新約聖書の使徒書簡の真偽などは
ネットの方が情報が新しいから
私の書いた、この >>659 など
古本からの聖書略表のようなもので
高度な資料検証のたたき台に過ぎません。

私の挿入した記述と言えば
「Q資料」と「コリントへの涙の書という手紙」くらいです。
使徒書簡と福音書の執筆時期や、タキトゥスなどの歴史書に見られる
年代比定(十字架の日・ローマのユダヤ人追放・ネロ帝の迫害日)は
ネット検索でわかる程度の、あくまでガイドラインです。

バチカンにある古い資料とか
カトリック以外の外部に出ている資料とかで
改ざんや加筆や削除もあるかもしれません。
日本の聖書学者や
中近東イギリス植民地から手に入った研究の英語資料や
バチカンや英国国教会などにあるラテン語資料から
日本語に翻訳してくれている解説者との
教派関係による解釈の違い(教団と福音派の違いなど)も
あると思います。そこの所は専門家でないので、ご容赦願います。

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