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【イエス】無教会の人が集うスレ【キリスト】
- 1 :神も仏も名無しさん:2016/09/24(土) 18:56:50.31 ID:n5OfwNLI.net
- 教会に行かないもしくは行かなくなったがイエスキリストを信じる人の集うスレです
- 601 :ろん:2016/11/17(木) 05:53:01.92 ID:eZu+p40v.net
- キリスト教の歴史的な流れについて。
十字架にかかられた年代は
第202回のオリンピック大会の第4年目つまり
西暦31年ユダヤ暦ニサン(アビブ・正月)の月の第15日の
朝9時から午後3時の出来事。
古代ローマの歴史書(タキトゥスの年代記)には
西暦40年代にキリスト教会が存在する記述がある。
西暦40〜64年の間に新約聖書の使徒書簡(使徒の手紙)が書かれた。
古代ローマ皇帝ネロによるキリスト教への大迫害の理由となった
ローマ大火(ローマたいか)は
西暦64年7月19日。西暦2世紀(100年代)初めの歴史家
タキトゥスの年代記15:38〜44に記述あり。
西暦64〜90年の間に新約聖書の福音書と使徒言行録と黙示録が書かれた。
西暦70〜73年にユダヤ反乱があった。ユダヤ人離散となる。
西暦90年にユダヤ教のヤブネヤ会議で旧約聖書39巻が選抜される。
西暦393年のヒッポ会議と
西暦397年のカルタゴ会議で新約聖書27巻が選抜される。
- 602 :ろん:2016/11/17(木) 06:03:42.35 ID:eZu+p40v.net
- ヒルテイにならいてさん。おひさしぶりです。
死について、復活については私も考えさせられます。
カトリックのミサの主の祈りや
ラテン語の聖歌の信条や主の祈りを聞くと死が怖くなくなりました。
仏教系新宗教に16年ぐらいいましたが
聖書読書やキリスト教会に出席が復活しました。
イエス様はおみたまを授けて
私にキリスト信仰を復活させられたのかと思う今日このごろです。
- 603 :ろん:2016/11/17(木) 06:05:05.32 ID:eZu+p40v.net
- 思慮さん。ありがとう。もう少しレスを何回か読んでみます。
- 604 :神も仏も名無しさん:2016/11/17(木) 10:42:35.07 ID:577QmMce.net
- >>601
70年の神殿崩壊以前に書かれた福音書はないのでは?
あるとすればかろうじてマルコだけだけども。
マルコの復活記事は後世の挿入でしょ
- 605 :老クリスチャン:2016/11/17(木) 11:34:41.40 ID:kd0Q93P8.net
- >>602
ろんさん。
次々とあなたの話が飛んでしまうので、うまく話題に入り込めなくて、失礼しています。
「主の祈りを聞くと、死が怖くなる」 という話、私にはちょっと意味が分からないのですが、良かったらもう少し掘り下げて、お考えを説明していただけませんか。
上っ面だけをさっと眺めて、そこから一歩踏み込まないで通り過ぎるのは、もったいないと思います。
先日の 「聖伝」 についての話も、アッ、ソッ ・ ・ ・ で終わってしまったので、私は拍子抜けしました。
- 606 :老クリスチャン:2016/11/17(木) 11:49:22.61 ID:kd0Q93P8.net
- >>604
ご自分ではよく分かっていて、ちょっと突っ込みを入れてみたんでしょ。
問題は、>>601 のような年表は、それを参考地図に使って、どのような本論に入っていくかにあるわけです。
目次だけで本文のない書物などというものは、意味がありませんし、
本文を書くだけの能力を持たずに、目次だけ作って他人に見せびらかしても、何の役にも立ちません。
- 607 :神も仏も名無しさん:2016/11/17(木) 12:31:16.67 ID:t3AyV3Zu.net
- >>591
>処世術の視点から見た聖書理解へと行き着いた
これだとイエスキリストを信じない人にも処世術として利用可能ということですか
>>606
>本文を書くだけの能力を持たずに、目次だけ作って他人に見せびらかしても、何の役にも立ちません
強めの指摘ですね
- 608 :ヒルテイにならいて:2016/11/17(木) 13:50:52.68 ID:Bhgbtu0L.net
- >>599の続き
生の終焉であったはずの死が新たなしかも高貴な生の門出となるなどとは外的な感覚では到底、
理解しがたいことです。
聖書の言葉は知性や感覚を超えて神の霊とともにあってはじめて真の理解に達すると言うこと
である。
「生命はただ死からのみ、あらゆる進歩はそれまで生きてきたものとの絶縁からはじまる。」
(ルカ14ー32)
ヒルテイは死について言葉を変えて説明してくれます。
「生命の存続の希望を持ちうる場合のみ、死はやさしくて厳粛な死者であって、疲れた旅人に
その旅路の終わったことを告げ、一歩一歩骨折って登ってきた山頂から、やがて間もなく、広々
とした新しい世界を展望しうる時が近いのを知らせてくれる。」(「幸福論第三部」より)
「死は我々が考えるより、ずっと些細な出来事であり、またその正しい意味を理解すれば、ずっ
とどうでも良い事柄だと言えよう。」(「幸福論第二部より」)
トルストイは死が近ずく時の実感について次のように語っています。
「死は私にとって恐ろしさを失い、私は死が生のエピソードの一つであり、生は死によって終
わるものではない、という認識に日毎に近ずいた。」(トルストイ「人生論」より)
- 609 :神も仏も名無しさん:2016/11/17(木) 15:00:12.76 ID:Bhgbtu0L.net
- >>608重大な訂正があります
×死はやさしくて厳粛な死者
○死はやさしくて厳粛な使者
- 610 :ろん:2016/11/17(木) 16:11:28.04 ID:TeIbCHPt.net
- >>601
× 西暦40年代にキリスト教会が存在する記述がある。
× 西暦40〜64年の間に新約聖書の使徒書簡(使徒の手紙)が書かれた。
○ 西暦49年にキリスト教会が存在する記述がある。
○ 西暦49〜64年の間に新約聖書の使徒書簡(使徒の手紙)が書かれた。
西暦49年に皇帝クラウディウスが
「キリストの扇動で年中騒動を起こすユダヤ人」を首都から追放した
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