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悟りを開いたことあるけど何か質問ある?45

1 :神も仏も名無しさん:2016/08/17(水) 17:28:31.86 ID:/54LBP1k.net
このスレの主はamaです。

質問は、出来るだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。

・前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?43 [転載禁止]・2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1469439057/l50

531 :素人A:2016/11/04(金) 07:53:43.38 ID:/DId9m1g.net
ここにちやんねるでは書かなければ字言では無く不言うなので府立文字文字では禅は表せない空もカラーに身得なければ
見えないさとつても悟らなくても文字は書けるしまあ良いか。今朝も無駄な字が覆い自由なあリベルテでは心が自由なら
朝の風景も生きて身得ると言う師、でももうすぐ仕事に縛られる辛い休日の翌あさ?私は昨日も働いていたけど気分だけは
文化の日で客こずひまだつた。仕事やめて隠居するには年金が足りなくて国は国民から税金を撮りまくり景気がよくなれば
消費税もあがるいつ上がるのだろうか?金がなければ自由に生きられない現代見るだけならテレビの前に座ればNHKと電気量
取られるだけ空気は無税だけど水はかねかかる何か食べなきゃ長生き出来ないはらへった仙人は霞食って生きているという
修行すればいくらでも長生き出来るという気の物質化小回天から大回天で宇宙自由に行けるのかロケットは無くても仙人
修行すれば自由に何処でも行けるけど私は修行は七日しか続かないのが覆い。ここにちやんは何故か長続きしているけど?
書くのは字言うだからか殆ど独り言の粒焼きで何行九行意味もなくこれも修行なのか
リベルテ https://www.youtube.com/watch?v=_OW3xeGqas0

532 :素人A:2016/11/05(土) 06:40:32.56 ID:FXTnvMa/.net
五木博之人間の覚悟。文学における「神の視点」・・ドフトエススキーとトルストイとは陰と陽の関係ですが、トルストイ
も最後までキリスト教思想の中の小説を書き続けました。しかし彼も日本ではあまり宗教文学として読まれているわけでは
ありません。直木賞の選考会などで「この小説は神の視点で書かれている」という論議がなされる事があります。それは
小説技法、視点の事を指しています。すなわち本来は、「彼はこんな表情をした」とは書けても「彼はこう思った」とは
書けないはずなのに、あらゆる登場人物の過去の経歴、状況と心理までをくまなく知っている万能の神のように描くスタイ
ルです。それは人間には不可能な事をする事になります。いわば神の領域に立ち入る事をするわけです。だから欧米の作家
が「神の視点」を採用するときには。ひとに許されざる意識をもつて書かなければなりません。あらゆる登場人物の心理を
余すところ無く描くという、ディケンズ以来の総合的な長編小説手法は、本来は神の領域を侵す危険な仕事と考えられて
いたのです。・・・ ?逸も神の視点の解つたつもりで妄想を書く私は何だ?兎に角書く事にまあ事に意味がある野鴨

533 :素人A:2016/11/05(土) 09:53:20.58 ID:FXTnvMa/.net
人生色々この世も色々あの世も 色々或るカラー身得る観える で死とはこちら空見てもあちらが見えないだけで、
あちらがこちらなら、こちらはあちらになり身得て無いだけ?とにかく私は今此処しか目に付かない。
静止は精神の今の思いであちちこちちで気まぐれな心で、観今日が身得るだけ?今朝は三行描く命か?あと半分頑張れ、とにかく
息が残っているのは今此処と言いたかつたけど?今は冬では無く白い息はみえず、妄想して白い行きが目の前出
次々と薄れて消えていく吐かない?いや皆墓は作る死、でも死出行くひとが何時も安心陀世と教えてくれる。何でかなあ
善く解らないけどなあ ここを此処路我照らせブラ不満の気まぐれな遊びそれとも氏名されて此処亜飲んでいるのか

534 :神も仏も名無しさん:2016/11/05(土) 10:29:01.84 ID:5crHM83q.net
所詮、宗教は単なる暇つぶしだよね。

535 :神も仏も名無しさん:2016/11/05(土) 10:29:35.43 ID:5crHM83q.net
俺もとっくに悟ってるし。

536 :神も仏も名無しさん:2016/11/05(土) 10:32:54.73 ID:5crHM83q.net
というか、真言唱えて手かざしてお静まりしてればいいんだろ?霊線なくても手かざしできるし、お御霊なくても手かざしできるし、すでに極めてるし。お御霊なんて床に落とすは水に浸けるは、しまいには無くしたし。

537 :素人A:2016/11/06(日) 07:17:26.95 ID:MubrFBE8.net
ラーナクリシュナはこの世うにして来て、ただ思うような事して、自分が聖人という意識もなく偉くも無くわがままいっぱいに
生きただけ何だろうか?みんなも本とはこのようにしてきて一つも間違いなくあの用もあり何ひとつなく時は説き進むのだろう
か?私の書き込みは間違いなく意識しなくてもパクッテいる中国万ざい?どうしても避けても孝子師匠パクル?道元もパ来る
オリジナルは無いのか?朝日を浴び葉裏に光る銀のしずくが綺麗ね小学生か?我々も2ちゃんに無智言うだしラーマもマンゴー
畑でマンゴー食べだけ、大川さんもこの用にスピリチァルの夢に夢中だし、浅川さんは間違いなく折の中だし運命が上手い具合
に説き進んでいく我々は良くわからんでもこの世うになつて行く?でもわれわれはこの様な眼に会っているのか?さっぱり見え
ないし迷いか。でもラーマ見たいな人が居るとうん運命は生まれた説き空上手い具合に決まっているのかと思つた今、私は損な
眼が見えない今推理小説で犯人が最初からわかっていては意味無いし我々には見えないのが世界の正解鴨、でも時には上ん手い
ものも食いたいそれはマンゴーか?時間急ぐので前書いたのコピーしたまあええか
この頃時間がタコ足配線であれもしなければこれもしなければで落ち着きが無いなあ

538 :素人A:2016/11/07(月) 07:50:51.39 ID:oTOoy49w.net
皆それぞれ脳力がちがう、人の脳、宇宙の脳、身に付いたものしか内ので身縁ものは見えん。今朝はこのネタで勝負。
私の脳は考える力は無いので書いているものは適当?出鱈目なる様にしか成らなし内容も無い、そういつて無責任に
書き始めると観える仏はほつとけないと思うのか?出鱈目の助け舟だしてまあ何とか書ける、私は苦労なく書けるので
サボり癖が最近付いてシマッタ。禅が全然しゃまず良いことは無い。言いたいことは大法輪の脳は凄いのだということ、
観えるものは皆生きている。ビル遮那の脳の中で妄想する。
適当に心みるけど心は見れず。適当なのがまず良い事内、真剣な皆さんと私のいい加減さ比較して分別してもしょうがない。
理想世界を一望に見る事もなく、波乱万丈の観戦もない、一心に心が纏まる事もない、明日はまるで今日見なくなるし、
精神は統一されず、諸行は無常だけが永遠に続く。毎日一途が私に無いのか?悟りそんなの何の足しになるのか、
今日も身廻り半でヨウガ無い簿脳の上

539 :素人A:2016/11/08(火) 08:16:48.19 ID:dU4xe+i/.net
玉城さん、タンマの顕現 ・・道元禅師はなかなか複雑な方で、天才道元にして初めてあの『正法眼蔵』九十五巻を述作し得
たところの、たぐいまれな仏教者でありますが、その道元禅師が只管打坐という事を言われました。身も心もその全体が打つ
て一丸となり、全身心でひたすら坐る。その坐る事は、仏の自受三昧のことで、弘法大師は全宇宙が大三昧、すなわち法界定
であると言われた。地・水・火・風・空・識の六大無疑、すなわち全宇宙がそのまま三昧に参加することが只管打坐である。
これは単なる言葉ではなく事実だと思います。さつき法然聖人の念仏になぞらえて、凡人の実態を
さらけだしてしまいましたが、これが大三昧にあずかる凡人の実態です。そこがなんとも奇妙な所で人間の不思議というか、
大三昧そのものの不思議な力というか、どうともいいようがありませんが、ともあれ禅定に入って大三昧に吹きとおしにな
るとき、道元のいわれるようになってしまうのですね。

540 :素人A:2016/11/08(火) 08:17:34.72 ID:dU4xe+i/.net
唯識とかマナ識とか、阿頼耶識とか言いますが、そんなものは吹き飛んでしまいます。マナ識ていうのは我執で
しょう。我執と言つても、ちようど樹の根っこの、細い細い白根のように大地の底深く、無意識の果てのなかに喰いこんでいる
のでしょう。第六意識の我執はなくなつても第七の我執は、睡眠のときも働いているでしょう。いくらそう言つたつて、そんな
ものは跡形も無く根絶やしです。だつて宇宙そのものと吹き通しになつていくので゛すから。それが原始経典・大乗経典を通貫
する如来というものでしょうか。ところがそれで終結しないのが大事なところです。もうひひとつその先がある。先と言うか、
根底というか、あるいは自己の共同体の、もつとも宇宙そのものの基礎といいましょうか。仏陀はそれを業熟体と言われた。
業体、宿業体ですね。今日の言葉でいえは、人格的身体とでもいいましょうか。ここのところが仏道の最終的に最肝心の所では
ないでしょうか。
玉城さん 仏より働かされている。・・このように見てくると、日本の仏教はさまざまな大乗の各学派に育てながら展開して
来たのであるが、結局我々は何に元ずいて救われていくのか。何によつてこの身が目覚めていくのかという切り詰めた問題に
対して、鎌倉の宗祖たちがそれぞれの解答を出したのです。ひたすら念仏して仏に帰衣していく、ただ坐ることによって仏に裏
打ちされれていく、身も心も仏の家に投げ入れて随っていく、信心は如来より賜りたるものなれば、信じるものは如来と等しい、
劣悪の己心のままが仏より立て直されていく、等等。それぞれの形で鎌倉宗祖たちは教えたのです。ここは共通の土俵が現れて
おる。すはわちわれわれは働きに先立つて仏に裏打ちされ、仏より働かされていると言うことです。

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