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中山みきの権威と 上の権威のたたかい

1 :基本。:2016/07/10(日) 22:56:02.87 ID:YmqSlRfL.net
2号 明治2巳年3月 72才老女
これからハをくハんみちをつけかける せかいの心みないさめるで (2-1)
40 高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか
41 たん/\といかなはなしもといてある たしかな事がみゑてあるから
42 しやハせをよきよふにとてじうぶんに みについてくるこれをたのしめ
43 なにもかもごふよくつくしそのゆへハ 神のりいふくみへてくるぞや
44 だん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる
45 このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ
46 高山のにほんのものととふぢんと わけるもよふもこれもはしらや
47 とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで

高山の権力は、国民の負託に寄るもので司法・行政・立法の三権であり、明治維新が現在の司法権威の骨格を確立したとき、
明治政府が軍国主義に方向を決めたとき、おふでさき2号は執筆されている。

火と水を入れて分ける中山みきの権威と、高山の唐人支配者とのたたかいについて考証しよう。
司法高山に 火水を入れる 以下は 当スレに吸収することとする。
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1467131988/l50

21 :基本。:2016/07/31(日) 01:31:21.26 ID:THHzZqndB
扉開いては 1887年 それから43年は、1930年

日本の自然災害年表
http://www.ifinance.ne.jp/bousai/disaster/saigai_japan.html
これによれば、
1930/11/26−北伊豆地震(M7.3)・・・死者・行不272

神の返しは関東北伊豆への地震になっています。
政権の中核近く、です。

22 :基本。:2016/07/31(日) 01:34:58.44 ID:THHzZqndB
お筆先15号を執筆された年、1880年

 いまゝでとみちがころりとかハるでな みな一れつわ心さためよ (15-46)
 このみちハうちもせかいもへたてない せかいちううのむねのそふぢや (15-47)
 このよふをはじめてからにけふまでわ ほんしんぢつをゆうた事なし (15-48)
 けふの日ハほんしんちつをゆいかける とふぞしいかりしよちしてくれ (15-49)
 このはなし四十三ねんいせんから ゑらいためしがこれが一ちよ (15-50)

えらいためしの予言は赤衣装の魔女の予言です。

おふでさき第15号御執筆
1880年 真之亮(15歳)櫟本の生家よりおやしきに移る。(14年9月23日中山家入籍)     43年後は 1923年
日本の自然災害年表
http://www.ifinance.ne.jp/bousai/disaster/saigai_japan.html
これによれば、
1923/09/01−大正関東地震&津波(M7.9)・・・死者・行不10万5385

マスコミは大正関東地震、津波を、今度はもっと大きな災害になる可能性を、取材すべきです。
赤衣の悪魔が、弥勒菩薩となるまでの
「世界ろくぢ」への努力、処置してしまいませんか。

23 :基本。:2016/07/31(日) 01:54:00.94 ID:THHzZqndB
 このためしなにの事やとをもうかな つとめ一ぢよせくもよふやで (15-51)
 このつとめどふゆう事にをもうかな なりもの入て人ちうのもよふ (15-52)
 このつとめどんなものでもしやんせよ これとめたならわがみとまるで (15-53)
 このよふをはじめかけたもをなぢ事 ないにんけんをはちめかけたで (15-54)
 これさいかはじめかけたる事ならば とんなたすけもみなうけやうで (15-55)
 この事ハしいかりしよちせんならん これとめたならすくにしりぞく (15-56)
 いまゝてハ高山やとてけん/\と まゝにしていた事てあれども (15-57)
 これからハいかほどたかい山でもな たにそこまゝにさらにてけまい (15-58)
 このさきわたにそこにてハだん/\と をふくよふきがみゑてあるぞや (15-59)

当時の高弟たちは違っていた。違っていたからお筆先で先に知らせた。

中山みきの権威である。

24 :基本。:2016/07/31(日) 02:28:11.81 ID:THHzZqndB
当時の高弟ばかりではない。つとめの解釈を間違えている先生方ばかりだ。

 このさきわたにそこにてハだん/\と をふくよふきがみゑてあるぞや (15-59)
↑↑
 「よふき」が見えてあるとは、
教団教理ではこうなる。

お筆先注釈にみえる。誤った解釈がはびこっている。
五九、将来は、今低い立場にいる者の中から立派な道のよふぼくが沢山成人して来るのが、親神の目にはよく見えてある。

これは不正解で、正解は、「谷底に陽気がみえてあるぞや」、文字通りである。

信者予備軍が谷底に見えるという解釈は山名系、河原町系の教会組織第一という理の間違いの誤解である。

25 :基本。:2016/07/31(日) 02:35:54.14 ID:THHzZqndB
教団の素人たちは、誤解しかできなかった深谷源次郎の誤解をそのまま採用している輩ばかりである。
実例をみて、素人に騙されてはいけないと知るべきだ。
天理教教理を学び神意を悟るに 先人の大ボケをボケともわからぬ恥ずかしい実態が見えるのでご紹介しよう。
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/archives/1052363720.html
   深谷源次郎先生(河原町初代)のお話では、
   神様(教祖)は、いつも私たちが行くと、人間を創(はじ)めた時の話をしなさる。そしてそのたびに、泣いて聞かして下さった。
『変わらぬのが天の理やで。米を植えたら米、麦を蒔(ま)いたら麦が生える。芥子(ケシ)の種には芥子の実がのる。この理をよう聞き分けておくれ。
   人間は、人間が産んで、独り大きいなって、偉くなれば、我が力で偉くなったように思うが、それは大きな間違いやで。人はどうでも、我さえ良くば、という心ではいかん。皆々、神様の可愛い子供や。我が身が可愛いように、人さんを可愛がってやっておくれ。
   我(が)があってはならんで。欲があってはいかんで。世の中に、火難に遭(お)うて裸で泣く者もある。盗難に遭(お)うて、難儀する者もある。何で、このような目に遭(あ)うか。この理を聞き分けておくれ。
   神は、可愛い子供に苦労さしたくない。皆の心意気が、ころっと違うからやで』
と、聞かして下さった。
〔みちのとも 大正10年3月号  深谷先生の御話  深谷源次郎〕より
と仰います。

 これ読んで、深谷源次郎さんの親不孝が分からなくては大ボケだ。

26 :基本。:2016/07/31(日) 02:43:56.75 ID:THHzZqndB
みき姉さんは泣いて話すという事は、源次郎たちを残念にに思っているからで、
「おやさまを泣かせていた親不孝者」という自白を、源次郎そのものにさせている。

自白の教理 中山みきの権威の証である。

 お助けにかかって泣けたら神の嘆きと悟るのは常識である。

おやさまはなんと言っているか。
「神は、可愛い子供に苦労さしたくない。皆の心意気が、ころっと違うからや」
皆とは教祖の前で話を聞いている、源次郎であり皆である。
泣いてまでの口説きを弥勒の嘆きを、いったいどう聞いていたのか。病の人が悪いとでも考えていたのだろう。
病ませるお前たちが悪いと、お嘆きの弥勒菩薩に、基本はさんげするしかない。

27 :基本。:2016/07/31(日) 03:09:28.01 ID:THHzZqndB
教団の素人たちは、誤解しかできなかった諸井国三郎の誤解をそのまま採用している輩ばかりであり、
実例をみて、素人に騙されてはいけないと知るべきだ。
天理教教理を学び神意を悟るに 先人の大ボケをボケともわからぬ恥ずかしい実態が見えるのでご紹介しよう。
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/archives/1052363720.html
、諸井国三郎先生(山名初代)のお話では、
 教祖ご在世中のお話といえば、大抵この泥海中のお話が多かったが、
これをお聞かせになる前には、
『今、世界の人間が、元を知らんから、互いに他人と言って嫉(ねた)み合い、恨(うら)み合い、我さえ良くばで皆、勝手々々の心遣い。
甚(はなは)だしき者は、敵同士になって嫉(ねた)み合っているのも、元を聞かしたことがないから仕方がない。
   なれど、このままに居ては、親が子を殺し、子が親を殺し、いぢらしくて見て居られぬ。
 それでどうしても、元を聞かせなければならん』
ということをお話になり、それから泥海中のお話をお説きになり、しまいに、
『こういう訳ゆえ、どんな者でも、仲良くせんければならんで』
と言ってお聞かせになった。

28 :基本。:2016/07/31(日) 03:10:12.33 ID:THHzZqndB
諸井国三郎といえば天輪教会を設立し、みきを神として拝さなかった謀反人同様と心得て読むことだ。
お筆先を読んでもいない教理研究である。何が神意を悟るだ。恥を知れ!
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/archives/1052363720.html
おやさまは元を聞かせなければならん仰せになったのであり、
『どんな者でも、仲良くせんければならんで』はおやさまの言いたいことではない。

仲良くしなければならないと思っても、「元を聞かしたことが無い」から、ねたみあい恨みあい敵同士になる。
「元とはみき姉さんが実は親神という一点」これが基本である。
教典には「十のものなら九つまで教え、なお、明かされなかつた最後の一点、元の親を知らし」とあるように、
中山みきが親神という最後の一点をみきは聞かせていた。

そしてその元は、「谷底に陽気」を予言されている。弥勒菩薩の降臨とすら理解できない諸井には、その高山体質において、
そのままなら、神の返しはくるだろう。

29 :基本。:2016/07/31(日) 03:17:13.53 ID:THHzZqndB
大切なことは、元を教えて頂いた基本が、最後の一点を「赤衣の悪魔であり弥勒菩薩でありみき姉さん」が親神であると、知らせ続けることだ。
 すると赤衣の悪魔は、数々の数理で高山に天災、谷底を陽気にする。
目に見えるではないか、弥勒菩薩の教えに集う、イエスキリストの教えに集う谷底の陽気に暮らす人々が。

中山みきの権威は、理で責めきる。

30 :基本。:2016/07/31(日) 03:28:38.03 ID:THHzZqndB
このはなしどふゆう事にをもうかな
これからさきのみちをみていよ (7-12)

どのよふな高い山でも水がつく
たにそこやとてあふなけわない (7-13)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
谷底でいることをことさらに馬鹿にし、さげすむのは高山因縁の心である。

谷底にこそ、文化があり、平和があり、陽気がある。
みきはひながた50年を谷底で暮らした。

しかし神通力以上の神そのものの力で、いつも陽気であった。
泣くのは、成人の鈍い弟子たちの運命にであり、それでも助けたいみきは、神の権威をもって、世界をろくぢに均す。
安心して、小さきを楽しむ基本的な思案と実行は、みきの魔術によって実現する。
南無天理王命、南無天理王命

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