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☆★『幸福の科学』統合スレッドpart823★★

1 :パコパコ・レオくん:2016/06/29(水) 02:59:25.06 ID:Yjp+fRnL.net
アマミちゃんのお気楽にもほどがある日々
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奄美のアマミちゃんお気楽ブロク@しおみつたま
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【我らの女神・アマミちゅわん】

LEO幸福人生のすすめ
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【僕らの霊太陽・ガンちゅわん】

幸福の科学/HSガンちゃんとレオのブログ
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【エル・カンターレも大絶賛】

幸福の科学SNS、三人の如来たち!!


ぽん吉のなりすまし被害は多数おり、

ソフィアがあまりにぽん吉と類似性を持つことを指摘する

証言・証拠も多数あるにも関わらず、

ぽん吉からは複数証拠への反証は全く無い。

また当方も当方の周囲も以前からぽん吉が変名やなりすましをしているのを

多数目撃している。

ぽん吉とソフィアの類似性はあまりにひどいもので、

これを他人とするのはお粗末にも程がある。

またここには出ていないが、数年前オリジナルのソフィアのブログに

「ぽん吉が自分のなりすましをしているがどういうつもりなのか」

などと困惑する記述があったことを知らせておきたい。

ぽん吉はいい加減に無駄なあがきを辞めた方が良い。

複数ブロガーを匿名で誹謗中傷するのは気持ち良いかもしれないが、

仏弟子として少しは恥を知ってはどうだろうか。

レオ氏の本記事がアップされてからのぽん吉の反応がすべてをあらわしている。

本当にぽん吉とソフィアが別人ならばいくらでも反証の方法はあるのに

一切することなくひたすらレオ氏を揶揄中傷するばかりである

http://gunleo.seesaa.net/article/438445647.html#comment

*************************
レプオぉぉぉぉぉ!!
気張りやぁぁぁぁww

591 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:48:31.09 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/29(火) 23:31:35.06 ID:VV5SCmAG
人物伝   山本五十六   1884.4.4−1943.4.18
                 (明治17年ー昭和18年)

 いま、“高天原”がにわかに騒がしいようだ。
騒がしいとはもちろん、「霊的」な意味において。
大川隆法総裁の霊査によれば、最近、“山本五十六”の動きが活発化してきている。
 大川隆法総裁が初めて「山本五十六の霊言」を収録されたのは、2010年4月のこと。
その際の“山本五十六”は、死を向かえた瞬間のまま、時間が止まっているようであった。

山本五十六  ああ、撃ちぬかれたかあ!ああ、弾が、弾が当たったかあ(舌打ち)。うーむ。
       待ち伏せをされるとは思わんかったあ(舌打ち)。待ち伏せされたかあ。
質問者    山本五十六海軍大将でしょうか。
山本五十六  うーん。君 ?(中略)わしはまだ生きてるのか。
質問者    いえ。もうお亡くなりになっています。
山本五十六  亡くなった ?やっぱりな。いやあ、待ち伏せされて、あれだけ銃弾を撃ち込まれたら、助かっているはずはない。
       撃墜されたとは思う。うん。確かに・・・。
質問者    今、どのような世界にいると、認識しておられますか。
山本五十六  撃墜されたのは知っている。けれども、話をするのは、君が初めてだ。
質問者    そうですか。お亡くなりになってから、六十七年が経っております。
山本五十六  六十七年!!
            『マッカサー戦後65年目の証言』(山本五十六の霊言より)

もともと大川隆法総裁は、山本五十六に対し、「当時としては最高級の人材だったのではないか」との評価を与えていた。
それだけに、山本が死後、“霊”としての自覚を持てていなかったことには、失望が残った。
【司馬遼太郎】といった“霊人”からも、山本に対しては厳しいコメントが飛んでいた。

592 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:49:08.77 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/29(火) 23:35:57.42 ID:VV5SCmAG
 司馬遼太郎 今、山本五十六を持ち上げていて、彼のことが、本になったり、映画になったりもしているんだろうけれども、
彼は、「日本は負ける」と言ったので、「先見性がある」と見られている。
まあ、そうかもしれない。
しかし、負ける戦いをやめさせたら英雄かも知らんが、「負ける」と言って戦い、やはり負けたんだったら、それは別に英雄には当たらないんじゃないかね。
 負ける戦いを勝たせたり、「負ける」ということで説得しきって、戦いをやめさせたりするなら、大したものだけど、「負けるから、少しだけ戦って講和をしましょう」ということを最初からいうのは、あまり英雄っぽくない。
それを「最高人物」と言うんだったら、やはり、「人材が涸れてきたかな」という感じはあるな。
            『司馬遼太郎なら、この国の未来をどう見るか』

 それから、数年−−−。2014年10月、広島に起きた大水害事件の真相を探る霊査にて、どうやら「大東亜戦争」のアメリカ側の指導者だったと思われる霊人Aは語った。

霊人A 山本五十六(連合艦隊司令長官)が、そろそろ“目覚めて”きて、なんか、・・・・。(中略)
    目覚めてきそうな感じになっっとるので、ちょっと、もう一回、沈めてやらないといかんからなあ。
    罪の深さをやはり知ってもらわないと・・・。(中略)
    おまえらが起こしたんだろう ?眠っていたのを起こしたんだろう?
質問者 はい、そうですね。霊言の収録をいたしました。
            『広島大水害と御嶽山噴火に天意はあるか』

 なんと、“山本五十六”が、目覚めつつあるという。
2010年に「霊言」を収録して以降、ついに“霊体”として動きを見せ始めたようだ。
はたして、その事実がいったい何を示すのか。

霊人A だからな、あいつの復活と、“戦艦大和の復活”は一緒に来るからなあ。(中略)
質問者 “大和の復活”とはどういうことでしょう?
霊人A “大和の復活”とは、「日本軍国主義の復活」だろうが。

 霊人Aは意味深な言葉を残した。

593 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:50:11.16 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/29(火) 23:40:42
 さらに、2015年6月に収録されたのは、口永良部島噴火の原因などを探る、『大震災予兆リーデイング』だった。
そこで、噴火を起こした張本人として名乗りを上げたのは、“山本五十六”だった。

山本五十六 君らがなあ、“変な”霊言集を出したからさ、わしは今、完全な無能男と認定されつつあるんだ。
     (中略)これが怒らんでおられるか。
質問者   最初の霊言のときに、私はご質問させていただいたのですが・・・。
山本五十六 まあ、ちょっと眠っておったからなあ。
      あのときは、まだちょっと眠りにについとったからなあ。
      今、目覚めておるのだ。
質問者   そうですか。あの時から、どういう変化があったのでしょうか。
山本五十六 まあ、さまざまな報告を受けてだね、「このままでは日本はいかん」と、「再び出陣せねばならん」と。「大和出陣のとき、来たれり!」。
                      『大震災予兆リーデイング』

 “山本五十六”は今、自身の存在の再評価を求めていた。
はたして、山本は本当に“当時超一流”の人材だったのだろうか。
 さてここからは、“山本五十六”本人の、地上での人生を軽く振り返ろう。
 山本五十六が指揮を執った「連合艦隊」は、海軍の中でも花形の実戦部隊だと評価されており、その司令官である「連合艦隊司令長官」は、事実上海軍を指揮するポジションにある。
「日露戦争」の「日本海海戦」においては、東郷平八郎がこの任にあった。
 山本は、1943年にブーゲンビル島上空で撃墜されるまで、4年近くも司令長官を務めた。
明治以降、この激職の歴代司令長官は、山本を除くと、最長任期が約2年1ヶ月(東郷平八郎も約2年)であることを考えると、山本が名実ともに当時の日本海軍を背負っていたことがよく分かる。
 そんな山本が連合艦隊司令長官に着任した翌日、ナチス・ドイツがポーランド侵攻を開始した。
そしてイギリス・フランスがドイツに対して宣戦布告。
欧州戦線で「第二次世界大戦」の火ぶたが切られた。
やがて山本に“戦争の指揮官”の役割が回ってくるのは、明白な運命だったと言える。
しかし山本は、「誰よりも戦争に反対した男」として扱われることがたびたびある。

594 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:50:56.43 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/29(火) 23:42:59.22 ID:VV5SCmAG
 確かに、山本は対米開戦にはあまり積極的ではなかった。
さらに、日独伊三国同盟には難色を示していた。
この同盟がすなわち、対米開戦につながることを見抜いていたからだ。
 なぜ、対米開戦をなるべく避けようとしたか。
それは、山本の豊富な海外経験にあった。
アメリカ駐在が二度、ヨーロッパ出張が二度。
アメリカ駐在時は、ハーバード大学に留学もしており、盛んな自動車産業・飛行機産業、大量生産の技術などを、強烈な印象として見せ付けられていた。
もし、「総力戦」になったならば、勝ち目はない。
そんな思いが、山本の中では拭えなかった。

 「対米開戦をした場合、自信の程はどうか」
 首相の座にあった近衛文麿に問われた時、山本はこう答えたという。
 「それは、是非やれと言われれば、はじめの半年や一年は、ずいぶん暴れてご覧に入れます。
しかし二年、三年となっては、全く確信はもてません。
三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなった上は、日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います」
               阿川弘之著『山本五十六(上)』(新潮文庫)447頁

 ご存知の通り、結局日本は、三国同盟を結んだ後、対米開戦の道を歩む。
大川隆法総裁はこうも評している。

 アメリカは、「山本五十六というのは非常に悪い男で、アメリカを降伏させるつもりで戦争をしている」というような悪い宣伝をずいぶんしたようですが、彼には、西郷隆盛のように、負けることを知っていて戦ったようなところがあります。
軍人として職務に殉じたところは、立派であったと思います。
                       『平和への決断』

595 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:52:05.47 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/29(火) 23:47:58.29
 山本は、開戦する以上は最大限の成果を追及した。
“史観”でも触れた「真珠湾攻撃」を立案したのは彼である。
 もともと、日本海軍のオーソドックスな戦法は、敵艦隊を近海で迎え撃つ、というものだった。
日露戦争の「日本海海戦」を思い浮かべてもらえば分かりやすい。
 しかし、山本の発想は違った。
この大戦は空母と航空機が主力であると見抜き、日本近海まで米艦隊が来てしまえば、とても勝てないと考えたのだ。
 導き出される案は、敵地への奇襲しかなかった。

 山本五十六に天才的なところがあるとしたら、パールハーバー(真珠湾)の攻撃でしょう。
アメリカでは、「日本のパールハーバー攻撃は大失敗だった。
あれによって、不戦論の強かったアメリカが奮起して、ものすごくやる気になってしまった」と非常に悪く言う人もいますが、「航空機で戦艦を沈める」ということをやったのは史上初めてなので、彼には、戦い方の発明という点において天才的なところがあったのかもしれません。
 戦後六十五年経った今でも、アメリカの第七艦隊をはじめ、その他の艦隊も航空母艦を中心とする編成になっているので、その意味では先見性があったと思います。
                          『平和への決断』

 その「真珠湾攻撃」成功以来、山本は国民的ヒーローとなった。
毎日二十センチ以上の厚みのある手紙が、船上へ届いていたという。
 しかし、山本の予想よりも早く、日本軍の快進撃は終わってしまうこととなる。
転換点となるのは、「ミッドウエー海戦」だ。
[下巻]で詳しく述べるが、ここで連合艦隊は致命的敗北を喫する。
 その後、数々の海戦を重ねるも、日本軍は徐々に追い込まれていく。
そして、あの悲惨な[ガダルカナルの戦い]へ至るわけである。
ガダルカナル撤退以降、山本は諸島での戦いで、何とか戦局を挽回しようとするも、その途中、島々にある前線航空基地の激励を行うため、航空機で島と島を移動中、米軍機に撃墜され、死を向かえる。
 暗号は解読されていた。
山本機の情報は事前につかまれ、綿密に作戦は練られていた。
それは、当時アメリカ側の太平洋方面最高司令官の座にあり指揮を執っていたチェスター・ニミッツの記録に残っている。

596 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:55:34.71 ID:QASuBLmM.net
神も仏も名無しさん
 1943年4月14日早朝、太平洋艦隊無線部隊は、耳を疑うような無線傍受に成功した。(中略)
 [連合艦隊司令長官、4月18日左記によりバラレ、ショートランド、ブインを巡視せらる。
〇六〇〇中攻(戦闘機十六機を付す)にてラバウル発、〇八〇〇バラレ着]このあと、山本長官の当日の詳細な旅程がつづいていた。(中略)
 山本が時間に正確であることは有名で、彼は寸分たがえず予定を守るに違いない。
 [どうだ、彼をやっつけるべきだろうか?]ニミッツがたずねた。(中略)
 [天皇を別にすれば、国民の士気にとって、彼ほど重要な人物は一人もいないと思います。
また、彼が撃ち落されれば、海軍の士気はがた落ちになるでしょう。(中略)
 「一つ心配なのは、もっと優秀な司令長官が出はしないかということだ」ニミッツが言った。
 いろいろな日本の上級提督についてあれこれ検討した挙句、レイトンが結論した。「誰と比べてみても、山本が一頭抜きん出ています」
        E.B.ポッター著/南郷洋一郎訳『提督=二ミッツ』(フジ出版社)325,326頁

 ほかに代わりうる人物がいないことを確認した上で米軍は、山本機撃墜を決定した。山本の死に様について、大川隆法総裁はこうも述べられている。
276 :神も仏も名無しさん:2016/03/29(火) 23:52:54.08 ID:VV5SCmAG
 山本五十六が南方戦線で待ち伏せを受けて撃ち落されたことは、間が抜けていたようにも見えますが、「危険を冒してまで、前線の人たちを励ましに行ったところは勇ましい」というみかたもあるかもしれません。
                     『平和への決断』

さまざまなものの見方があるが、やはり、先の「大東亜戦争」における山本の功罪は、未だ定まっていないように思える。
 しかし、“霊的存在”となった彼は、現代の日本に対しても責任を感じられ、ご立派な様子であった。

597 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:56:44.26 ID:QASuBLmM.net
山本五十六 我々は、「我々がやっていた戦いは、そういう悪意のある侵略的なものではなくて、世界正義の実現の一端を担うつもりでやっていたんだ」ということを、やはり言いたいわけだよ。(中略)
 今、軍人たちも、みな火山のように目覚めてきておるし、靖国も“噴火”するぞ。ああ、これは別の意味だがな。
質問者 はい。
山本五十六 靖国が“噴火”するって言うのは、火山がここで噴火したら、たまらないけれども、そういうわけじゃない。靖国に集いし諸霊も奮起するわな。
                      『大震災予兆リーデイング』

 やはり、“山本五十六”も、日本の神々の一柱として、危機の時代を背負うべく生まれた人物であったと考えるのが正しい史観であろう。
 はたして現代日本人は、“山本五十六”の奮起に応えられるか。
277 :神も仏も名無しさん:2016/03/29(火) 23:57:19.45 ID:VV5SCmAG
    “大東亜戦争”論 [上]

第三章日米関係と大東亜戦争開戦      P260〜P268
人物伝  坂井三郎   1916.8.26−2000.9.22
             (大正5年ー平成12年)

598 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:57:29.78 ID:QASuBLmM.net
 先の大戦で命を落とされた軍人はたくさんいる。
飛行機乗りも、然り。二十代になったばかりのまだ若い搭乗員たちも、数多く、“お国のため”に尊い命を捧げていった。
 彼らは、国家政策の誤りにより、まったくの無駄死にをしたのだろうか。
死人に口なしとはよく言うが、空に散った名も泣きパイロットたちの思いを、今になって聞くことはできない。
 しかし、生き残った者には、生き残った者の使命がある。
 坂井三郎中尉は、日本の誇る「零戦」のエースパイロットの一人だった。
戦後に『坂井三郎空戦記録』『大空のサムライ』として、自らの体験を基にした手記を出版。
海外では、『SAMURAI!』として英語・フランス語・スペイン語・フィンランド語などで出版され、合計部数は百万部を大きく超えるベストセラーとなった。
近年大ヒットした百田尚樹氏の『永遠の0』は、この『大空のサムライ』をオマージュしたものだという。
 1970年代、80年代には、海外における知名度の高い日本人として、いつも坂井三郎の名は挙がっていた。
あの偉大な『ゼロ』のパイロットとして、日本国内よりもアメリカ国内でその名はとどろいていたのだ。

大川隆法  戦後は“思考停止”が起きていて、先の戦争に関してとにかく軽視するところがあり、軍人への評価についても軽視する傾向が強くあります。
日本人自身はあまり評価せず、むしろ、戦ったアメリカのほうが評価しているようなこともよくあるわけです。
 例えば、ゼロ戦乗りの「撃墜王」と言われた坂井三郎氏は、「アメリカ軍機を六十四機も撃墜した」などとも言われていますけれども。
これをアメリカ人から見たらどうでしょうか。
 もし、六十四機も撃墜されたとすると、二人乗り機などもあったのならば、それ以上の数の同胞が死んでいるかもしれません。
彼らにとっては、もう、「にっくき敵」であり、見つけたら殺したくなるほどではないかと思うのですが、実際には、坂井氏は戦後も生きられ、アメリカへ行ったときにも英雄として大歓迎されているので、やはり、考え方が違うのです。

599 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:58:46.23 ID:QASuBLmM.net
して人殺しをした」のと、「国の為に戦った」というのとでは位置づけが違い、敵国であっても「英雄」というように見る目はあるのです。
          『硫黄島 栗林忠道中将の霊言 日本人への伝言』

 大川隆法総裁が歴史を語るに当たって、最も重視されるのが、この「英雄史観」である。
 山下奉文大将を「陸の英雄」とするならば、坂井三郎中尉は、まさに「空の英雄」に当たる人物。
現代の日本人は、自国の誇る英雄の存在を、もう一度しっかりと知らねばならない。

 『大空のサムライ』の魅力は、飛行気乗りの一青年として、当人たちしか知らない“何を思い、何を考えたか”の描写にある。
例えば、初めて一人で空へ飛び立った時の記述がこれだ。
 ガタンというショックを感じながら、私は第一回目の単独離着陸飛行をやり遂げた。(中略)
 左真横に見える飛行場を、一人で眺めながら、嬉しさに顔面の筋肉が緩むのを禁じえなかった。
そのときである。突然、私はなにを思ったか、思わず、「ばかやろうっ!」と大声で怒鳴ってしまった。
なぜどなったか、私にもわからない。自分でもビックリした。(中略)
 これは後になって知ったのであるが、五十人の同期生の中で、単独飛行を許された日、やはり同じこの場所で、大部分のものがなにかやっていつのである。
 「おかあさーんっ!」と大声で呼んだものや、大きな声で流行歌を歌ったもの、恋人の名前を呼んだもの、みんなさまざまだった。
また、生意気にも両手を離して、踊りの真似をやったり、俺は飛行場のほうをむいて舌をいっぱい出して、“アカンベー”をやったという者もおり、いろいろの方法で、それぞれにこの感激の一瞬を表現したらしい。
       坂井三郎著『大空のサムライ』(講談社+α文庫)127〜129頁

 彼らもまた、血の通った人間だった。現代に生きる我々と、何ら変わることのない。無邪気で勇敢な、空を愛した若者たちだった。
 坂井が初陣を飾ったのは1938年。
シナ事変の頃より戦闘に参加を始め、台湾の台南基地に新設された台南航空隊に転属。
この台南航空隊は、やがて、最強の呼び声の高い部隊となる。
フィリピン、蘭印方面で数多くの空戦をこなし、その後、部隊を再編成した台南航空隊は、ニューブリテン島のラバウルに進出。

600 :きゅうみん:2016/07/20(水) 22:00:17.24 ID:QASuBLmM.net
そして坂井は、1942年8月7日、ガダルカナル攻撃に参加するも、そこでの出撃で重傷を負う。
飛行気乗りとしては致命的な、目を負傷してしまうのだ。
 しかし、それまでの坂井の活躍は、まさにエースと言って過言でないようなものだった。
約二百回を越える空中戦に参加し、六十四機の敵機を撃墜(諸説ある)。
その中で、坂井機に従う列機を失うことは一度もなかったという。
 大川隆法総裁は、『「人間グーぐる」との対話』のなかで、坂井のエピソードを一つ紹介している。

大川隆法 零戦の名操縦士の故・坂井三郎氏は、公式に「敵機を六十四機も撃墜した」と言われ、アメリカ人にも尊敬されている「撃墜王」ですが、
あるとき、グラマン(F4F)との空中戦で、二百発も弾を命中させたのに、敵機は落ちなかったそうです。(中略)
 坂井氏は、「こんなことがあるのだろうか」と思って、敵機と並んで飛び、風防を開けて相手の顔を見たら、相手はもう血だらけになっていました。(中略)
 しかたがなく、「殺生になるかな」と思いながら、敵機のエンジンを狙って、弾を撃ち込んだそうです。(中略)
 二百発、弾を撃ち込まれても、墜ちなかったんですから、グラマンは凄いですが、それに止めを刺す男も、また、すごいと思います。
「男対男の戦い」のようなものです。
                        『「人間グーぐる」との対話』

 このエピソード場面の記述を、明確に坂井は記述している。
そこで“何を考えたか、なにを感じたか”まで。
 わたしは、これまでにたくさんの敵を落としてきたが、空中戦で、わたしの撃った弾丸のために、死の苦しみをしている敵の顔を見たのは、これが初めてだった。
 わたしは嫌な気がした。
そして、この敵をこのまま見逃して、助けてやろうと思った。(中略)
 わたしは、何よりも人間でありたいと思った。
だが、その考えはすぐ打ち消した。
(−−−いや待てよ。いまのいままで、彼は、わたしの列機米川・羽藤の二人の日本人を殺そうとしていたではないか。
わたしが来なかったら、二人はやられていたかも知れない。)(中略)
 (ここは心を鬼にしても、私は私に与えられた今日の任務を、果たさなければならない。
こんなことで、一までも時間をつぶしてはいられない。)(中略)

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