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☆★『幸福の科学』統合スレッドpart823★★

1 :パコパコ・レオくん:2016/06/29(水) 02:59:25.06 ID:Yjp+fRnL.net
アマミちゃんのお気楽にもほどがある日々
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【我らの女神・アマミちゅわん】

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幸福の科学/HSガンちゃんとレオのブログ
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【エル・カンターレも大絶賛】

幸福の科学SNS、三人の如来たち!!


ぽん吉のなりすまし被害は多数おり、

ソフィアがあまりにぽん吉と類似性を持つことを指摘する

証言・証拠も多数あるにも関わらず、

ぽん吉からは複数証拠への反証は全く無い。

また当方も当方の周囲も以前からぽん吉が変名やなりすましをしているのを

多数目撃している。

ぽん吉とソフィアの類似性はあまりにひどいもので、

これを他人とするのはお粗末にも程がある。

またここには出ていないが、数年前オリジナルのソフィアのブログに

「ぽん吉が自分のなりすましをしているがどういうつもりなのか」

などと困惑する記述があったことを知らせておきたい。

ぽん吉はいい加減に無駄なあがきを辞めた方が良い。

複数ブロガーを匿名で誹謗中傷するのは気持ち良いかもしれないが、

仏弟子として少しは恥を知ってはどうだろうか。

レオ氏の本記事がアップされてからのぽん吉の反応がすべてをあらわしている。

本当にぽん吉とソフィアが別人ならばいくらでも反証の方法はあるのに

一切することなくひたすらレオ氏を揶揄中傷するばかりである

http://gunleo.seesaa.net/article/438445647.html#comment

*************************
レプオぉぉぉぉぉ!!
気張りやぁぁぁぁww

561 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:23:22.95 ID:QASuBLmM.net
神も仏も名無しさん
 歴史上の偉人とは、自分のめざす特殊な目的が、世界精神の意思に合致するような実体的内容をもつ人のことです。(中略)
−−つまり、英雄とは自分のなかから何かを創造するように見える人物のことであり、
その行為が、かれのもの、かれの作品であるとしか思えない事態や状況をうみだす人です。
                         
     ヘーゲル著/長谷川宏訳 『歴史哲学講義(上)』(岩波文庫)58,59頁

 “世界精神”とは、“神の大きな意思”を指す。
 このようなヘーゲルの、「“神々”の使命を承って地上に降りた”英雄”が、新しい創造を行い、歴史を形づくっている」とする
「歴史哲学」は、大川隆法総裁の「歴史観」と、非常に近似性の高いものである。
大川総裁は、神々に与えられた使命を持った存在としての「英雄史観」を非常に大切にされる。

 気をつけなければいけないのは、左翼史観のなかに、「人間というのは、皆平凡で、変わらないものだ。
給料も一律、寿命も一律、家の大きさまで一緒で、“美人でない”奥さんも同じようにもらわなくてはいけない」
というような、原始共産主義のような感じの”民主主義”がまかり通ってくることです。(中略)
 しかし、人間社会をそのように見るのは、自らを卑下する行動にもなっているのではないでしょうか。
私は、優れた人物は過去にいくらでもいたと思うし、そうした「偉人や英雄を否定する心」は、やはり、
「神や仏を否定する心」に完全につながっていくものだと思うのです。
 そういうものを否定して、「自然に、“空気”で民衆が動き、革命が起きて、国が変わってきたのだ」
というようなことを言う人が、だいたい左翼史観であるわけですが、やはり、その底には、優れた人を認めたくない心や、
「人間の力を超えた、大きな力が働いている」ということを認めない心があるように思います。
                      『日本建国の原点』

さて、ここで「日本史」に話を戻そう。
 日本という小さな島国は、“神々”の並々ならぬ努力によって繁栄し、二十世紀前半にもまた、世界有数の大国となっていた。
 問題はここからだ。
 一九三〇年代からシナ大陸の紛争は激化し、やがて「大東亜戦争」が勃発した。

562 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:24:07.57 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/27(日) 23:56:30.17 ID:7u7PU2DP
 一九三〇年代からシナ大陸の紛争は激化し、やがて「大東亜戦争」が勃発した。
 このあたりより、「日本史」は暗い影を帯び始める。『坂の上の雲』で日本の栄光を描いた歴史小説家・司馬遼太郎は、一九三九年の「ノモンハン事件」以降の小説は、書くことが出来ないとした。あまりに暗すぎる時代である、というのがその理由だ。
 「ファシズム国家日本が暴走した」「悪魔に支配されて侵略戦争を行った」
 そんな“史観”が、戦後七十年経った現在でも、未だに多く語られる。
 宗教界にも、「大東亜戦争」を一部なりとも肯定的に捉える団体さえ、今やほぼ存在しない。

 それでは、それでは。
 本当に、「大東亜戦争」の時期にのみ、”神々”の指導は届かず、地上の軍人たちが暴走してしまったのであろうか。
 “神々”の恩意図に反した侵略戦争を行ってしまったから、日本は“敗戦”という罰を受けたのだろうか。
 「大東亜戦争」の頃には、“神々”より使命を受けた「英雄」は、日本に存在しなかったのだろうか。

 「幸福の科学的史観」に基づけば、こうした疑問は当然湧いてくる。
 その論点に対し、大川隆法総裁が明らかにされた“霊的真実”によって、すっきりと答えたい。
 それが、本書の根幹にある執筆動機である。


563 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:25:26.75 ID:QASuBLmM.net
神も仏も名無しさん:2016/03/28(月) 23:01:44.64 ID:Q2WjMZvn
・      大川隆法の
    “大東亜戦争”論 [上]
      大川 真輝   Masaki Okawa

第一章   「大東亜戦争」前史

通史   @ ヨーロッパ    15C初−1939

 「大東亜戦争」を理解する上ではまず、20世紀前半に存在した国際社会の構図が、どのように形成されてきたかを知っておく必要がある。
 国際社会には、“覇権”というものが存在する。覇権とは、移りゆくものである。
例えば、20世紀が始まる頃に強大な力を持っていたイギリスは、第二次世界大戦の“対ヒトラー戦”にて大きく国力をすり減らし、その後は以前の輝きを失い、国際社会における“覇権”は完全にアメリカの手に渡った。
以降現在まで、ソ連や中国といった国の挑戦を受けながらも、依然としてアメリカを中心とした国際秩序が保たれている。
そんなアメリカも、18世紀後半になってようやく建国された歴史の浅い国である。
それ以前は、ヨーロッパ諸国が国際社会の中心だった。

 話は15,16世紀に遡る。その頃には、ポルトガルのような小国が、世界の“覇権”を握ったことがある。
スペインも大きな力を持っていた。現代ではとても想像のつかないことであろう。
しかし、自国だけの経済圏で満足できるほど彼らは“満腹”ではなかった。それゆえ、航海技術の発達も相まって、「大航海時代」が始まった。
マゼランやコロンブスの時代である。航海による遠征は、必ずしも安全なものとは言えず、生還率も高くはなかった。
けれども、開拓が成功し、新領土を獲得すると、その進出による利益は莫大なものであった。

 こうして、“地球規模での植民地獲得競争”が始まった。
アジアでの生産物(香辛料等)がヨーロッパ富裕層の嗜好品として人気だったこともあり、商人たちは航海によって商業版図を広げていった。
 さらに、当時のヨーロッパではすでに、キリスト教対イスラームや、カトリック対プロテスタントの戦いが繰り広げられていた。
そこで起こったのは布教合戦であり、“宣教”という大義名分を兼ねた“侵略”が堂々と行われていった。
こうした背景により、ヨーロッパ諸国はアフリカ大陸やインドをはじめとする非ヨーロッパ地域を、植民地として次々と獲得していく。

564 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:26:50.92 ID:QASuBLmM.net
そのなかでもイギリスは、スペインの無敵艦隊を破った「アルマダの海戦」を軌に、大英帝国としてその名をとどろかせ、世界中に植民地を拡大していった。
 19世紀には、世界は、軍事力を背景にさらに積極的に植民地獲得を進める「帝国主義時代」に入った。
ヨーロッパ各国は、地理的に遠く離れた領土を獲得し、植民地経営に励んだ。
植民地の獲得は、資源の供給地としてのみならず、自国の余剰生産物を売りつける目的もあった。
東南アジアでは、1900年の時点で、独立国はタイだけだった。
アフリカ大陸は”ケーキのように”切り取られて統治された。

 20世紀にはいると、ついに大国同士の衝突が本格的に勃発する。
「第一次世界大戦」だ。バルカン半島のいざこざから、オーストリア皇太子の暗殺という「サラエヴォ事件」が起き、それが最初の世界規模の戦争へと発展した。
勝ったのは、フランス、イギリスを中心とした協商国、敗れた側の中心はドイツであり、多額の賠償金の支払いと領土の割譲が決定した。
第一次世界大戦の特徴は、全国民を動員して生産・補給体制を整える”総力戦”の傾向が強まったことである。
つまり、戦争は相手を完全に打ち倒すまで終わらなくなった。
戦場となったヨーロッパは全体的に力を弱め、アメリカの台頭を許すことになる。

 第一次世界大戦の反省より、戦後体制としての「国際連盟」が結成され、一時は平和が訪れたかと思われた。
しかし、1919年、ウォール街で株価が大暴落したことをきっかけとして、「世界恐慌」が発生。
それによって経済破綻したドイツでは、“ナチス”が政権を奪取する。
ナチスを率いるヒトラーは、賠償金支払いの放棄、大胆な経済政策などによって雇用を改善し、軍備拡張を行った。
さらに、一党独裁政権を樹立し、「第二次世界大戦」への道を開いていく。

 それでは、本書で扱う「大東亜戦争」は、いつどこで起きた戦争を指すのか。
一般的に、「第二次世界大戦」は、1939年9月に行われたナチス・ドイツのポーランド侵攻により始まるとされる。

 この「第二次世界大戦」は、大きく分けてヨーロッパ戦線とアジア・太平洋戦線の二つの地域で行われた。
そのうちの後者を「大東亜戦争」と呼び、1941年12月8日の「真珠湾攻撃」から始まる日米開戦が幕開けとされる。

565 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:27:47.90 ID:QASuBLmM.net
:hank◆f2odXffMvU :2016/03/28(月) 23:08:17.11 ID:Pu2+QM8G
>>162
>その読みは的中した。
>○トランプ氏が大統領になる可能性の高さ
>○米軍の撤退の可能性が高いこと。

もうすり替えているよね。

>>163
>「わかりませんよとトランプ氏がなる可能性は高いかもしれない」

大川は断定していない。
「わかりませんよ」と前置きしてさらに、「かもしれない」といっている。
ましてや「トランプが」などと、2008年時点では一言も言っていない。
トランプが出てきたからあとづけじゃないか(笑)

つまり、いろいろ言っていた過去の発言から自分都合のいいか所を見つけてきて、
さも予言したかのように嘘を作り上げる。

566 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:29:17.47 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/28(月)
この章ではシナ事変以前を、第二章では“大東亜戦争の前史”に当たるシナ事変とその近辺を描く。


通史   A 日本と東アジア    1840−1933

 日本は、江戸時代において、“鎖国政策”を長く行ったため、諸外国との接点は限定的だった。
しかし、「明治維新」による開国を遂げた19世紀以降、、世界史の表舞台へと登場することになった。
1853年に浦賀に現われ、日本へ開国を迫った「ペリー来航」は、マクロの目で見ると、帝国主義時代の“植民地獲得競争”の一環だったと言うことが出来る。
日本へ開国を促す主要目的が、補給拠点としての寄港地の確保であったことからもそれは窺える。

 一方、20世紀初めまで、シナ大陸の大部分は清(1644〜1912年)によって支配されていた。
清は“眠れる獅子”と呼ばれ、恐れられていた。ところが、イギリスがインド産のアヘンを清に密輸し、清で中毒者が増えたことなどが原因で、1840年、「アヘン戦争」が勃発。
なんと、イギリスはあっけなく勝利。以降、シナ大陸へのヨーロッパ諸国の進出が始まった。
 その情報は、もちろん日本へも入ってきていた。それゆえ、欧米の侵入を危険視し、“攘夷”を唱える志士たちが数多く登場した。
いつ欧米諸国が日本を植民地化するか分からない、という国防上の危機感からだ。
そうした状況の下で日本は、“積極的開国”という意味での「明治維新」を行い、欧米に追いつき追い越せという大イノベーションを行う。
そこには、死に物狂いで日本を防衛しようとする明治政府の指導者たちの姿があった。
 その“積極的開国”の次に待っていたのは、国家の命運をかけた数々の大決戦だった。
明治維新後たった数十年で、朝鮮半島での衝突をきっかけにして、同じアジアの国・清との「日清戦争(1894〜1895年)」へ突入することとなるのだ。

 結果、日本は勝利。清は「下関条約」で朝鮮の独立を認めた。
さらに日本に対し、遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲を認めるとともに、賠償金の支払いも承認した。
それより日本は、日本列島以外の領土を得ることとなる。
しかしこれに対し、自国の領土拡大のチャンスを潰されたと感じたロシアとドイツ、フランスは、「三国干渉」によって、日本に遼東半島を返還させる。

567 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:30:02.35 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/28(月) 23:14:47.40 ID:Q2WjMZvn
 1902年、さらなる領土拡大を狙うロシアの拡張を警戒し、シナ大陸における利権の維持を望んでいたイギリスは、日本と「日英同盟」を結ぶ。
その一方、朝鮮への関与を深めるロシアと自衛の為、ロシアの南下を阻止しようとする日本との対立が激化。
1904年、「日露戦争」が勃発する。国力では圧倒的に劣っていた日本であったが、イギリスの協力もあり、「日本海海戦」では、“バルチック艦隊”を破り、陸戦では「奉天の戦い」に勝利。
そして、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介をえて、「ポーツマス条約」を結ぶ。判定勝ちであった。

 結果、三国干渉以来、臥薪嘗胆の思いを抱いていた日本は雪辱を果たし、ロシアから、朝鮮への不介入の約束、南樺太の割譲、遼東半島の租借権の引き継ぎ、、南満州鉄道の権益を獲得した。
南満州鉄道に関しては、アメリカの実業家ハリマンより共同経営する提案があったが、ポーツマス条約に尽力した小村寿太郎の反対により、提案を断った。
 その後、「日英同盟」の関係で日本は、「第一次世界大戦」にも連合国側として参戦。
ヨーロッパ戦線へは出兵を見送るも、ドイツの植民地である南洋諸島や、シナ大陸においてドイツが権益を持つ場所などを攻略し、ドイツが持っていた山東半島の租借権を手中にしている(後に変換)。
 日本を含む連合国側の勝利に終わった第一次世界大戦は、1919年、「パリ講和会議」にて集結。
日本は新設された国際的な平和機構である「国際連盟」への加入を果たす。
しかし、少し後に、アメリカの思惑などにより、「日英同盟」は解消となる。

 日本国内では、第一次世界大戦によって産業界は発展し、好景気が続くも、1930年代になると、アメリカ発の「世界恐慌」をうけ、日本経済も大打撃を受けた。
他の国と比べて資源に乏しい日本は、苦しみながらも、アジアにて活路をみいだそうとする。
しかし、「満州事変」の勝利による「満州国建国」が、国際連盟から非難を受ける。
やがて日本は連盟脱退を選び(1933年)、次なる戦争へと巻き込まれていく。

568 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:30:43.76 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/28(月) 23:18:00.19 ID:Q2WjMZvn
通史   B 日本人排斥運動    1854−1942


 1854年に”開国”した当時、日本は植民地化の危機に立たされていた。
アジアは次々に欧米列強の野植民地となり、「白人至上主義」「有色人種差別」が世界中を覆っていたのである。
そのような世界情勢のなかで、日本は強く「人種差別撤廃」を訴えていくようになる。

 もちろん、植民地化されたアジア諸国だけでなく、日本人もまた人種差別に苦しんでいた。
 明治以降、勤勉で安価な労働力として日本人移民はアメリカ西海岸で増加していた。
ところが、日本が「日露戦争」に勝利したことで、差別感情に警戒も相まって「黄禍論」がアメリカ国内で広まる。
日本人と職を争う白人労働者を中心として対日感情は悪化。
カリフォルニア州などから排日運動が盛んになり、メディアによる排日キャンペーンも展開された。

 1906年、サンフランシスコで大地震が起きる。
被災者は20から30万人。
在留日本人の被災者も1万人に達したという。
日本政府は、現代の額にして五百億円ほどの見舞金を送った。
ところが、震災後半年ほど経ち、サンフランシスコ市学務局は、すべての日本人児童を東洋人学校へ転校させるという決議を採択した。
理由は、震災による消失の結果、公立学校のキャパシテイーが狭くなったからだという。
しかし、サンフランシスコ全市の学生数は約二万五千人。
日本人学童はわずか九十三人であった。
だが、その場所がないというのだ。
これにより、いわゆる日本人学童隔離が行われた。
さらに翌年には、日本人の経営する商店がアメリカ人によって襲撃される事態となった。

569 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:31:25.27 ID:QASuBLmM.net
:神も仏も名無しさん:2016/03/28(月) 23:23:01.05 ID:Q2WjMZvn
さらに翌年には、日本人の経営する商店がアメリカ人によって襲撃される事態となった。
 「アメリカに同化しない日本人が悪い」等の言い分をある程度認めた日本政府は、1908年に「日米紳士協約」を結ぶ。
そこで、日本側が「自主的に永住目的の移民をこれ以上アメリカに出さない」とする代わりに、アメリカ側は「以後、排日法を制定しない」ことを約束した。
 ところが1913年、カリフォルニア州で「排日土地法」が発令され、市民権を持たない日本人移民の土地所有が禁止された。
第一次世界大戦後の1920年には、「排日土地法」が強化され、アメリカ市民権を持った日本人移民の子供名義での土地所有等も禁止された。

 さらに、「ワシントン会議」にて「日英同盟」が解消させられることが決定した翌年の1922年、アメリカの連邦最高裁は「日本人には帰化権はない」という判決を下し、アメリカ市民として暮らしている日本人の帰化権までもが剥奪された。

 そして、1924年には日本人移民を全面的に禁止する「絶対的排日移民法」が連邦法として制定される。
アメリカは国家として日本人を排斥した。これを受けて日本人の反米感情は急速に高まり、日本国内ではアメリカ大使館前で抗議文を持った男性が切腹したほどだった。
 日米開戦後には、西海岸から日本人を排除しようという運動が開始された。
1942年からは、西海岸在住の約十一万人の日系アメリカ人の強制収容が行われた(人数については諸説あり)。
このうち三分の二はアメリカ市民権を持つ、れっきとしたアメリカ人だった。

570 :きゅうみん:2016/07/20(水) 21:32:09.64 ID:QASuBLmM.net
神も仏も名無しさん:2016/03/28(月) 23:25:06.64 ID:Q2WjMZvn
歴史の真実    大川史観 

 人種差別問題 (50頁〜92頁)     

   “自虐史観”撤廃を目指して

                50〜53頁    割愛します
      
   開戦の背景・「アジア主義」を考える                54〜74頁 半ば 割愛します              
   
   大東亜戦争以前の人種差別状況

                74〜82頁    割愛します
 
   人種差別の具体的状況

                82〜91頁    割愛します

92頁 

 この“第一史観”においては、先の「大東亜戦争」に、「アジアにおける欧米列強の植民地支配からの解放闘争」としての側面があったことを確認することが出来た。

その上、それが“日本の神々”の恩意図でもあったことが確認された。

「大東亜戦争」は決して、“軍部の暴走”“悪魔に支配された戦争”ではないことが、徐々に明らかとなってきている。

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