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【カトリック】キリスト教会であった嫌なこと【プロテスタント】2
- 1 :神も仏も名無しさん:2016/05/23(月) 04:51:17.86 ID:y0x0KFJS.net
- 教会内ではなかなか言えない本音。
ネットだからこそ言える教会であった嫌なこと、語ってください。
話すことで ストレス発散&。解決策が見つけていきましょう。
前スレ
【カトリック】キリスト教会であった嫌なこと【プロテスタント】
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1204201630/
- 101 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 00:08:35.61 ID:XXQic3Dt.net
- >>100
宗教家という名の多数の詐欺師が現れる以前のプリミティブな状態に戻るのが現代の知性のあり方。
- 102 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 01:25:13.89 ID:GKUWK/49.net
- >>101
いやあ、それはどうでしょうか。
犯罪を犯した者の罪悪感、堕胎した女性の忘れようとしても忘れることができない
疚しさ、不倫している者の後ろめたさ、性を隠すこと、服を着て隠すこと。
こういうもの、キリスト教でいうところの原罪ですが、
これらを人間から消すことができないかぎり、イエズス様の
教えは永遠に生きるでしょうね。
人間にそれらをごまかすのではなく明確化し向き合わせることによって癒すのですから。
プリミティブな状態に戻ることによって、癒されるどころか
逆にかつてのように悶々とすることになりますよ?
あなたの表現は美しくスマートですけどね。
- 103 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 01:26:01.39 ID:GTqfhF2+.net
- 思考を積み重ねてプリミティブな価値観に回帰するのは自然なこと。
アカデミズムを極めてプリミティブな表現に回帰したピカソのように。
「なにごとのおはしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ西行の聡明さに比べれば、下らない清貧論争や魔女狩りに明け暮れたキリスト教神学など児戯に等しい。
不可知と認めることこそ、現代に求められる叡知。
- 104 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 01:33:58.63 ID:GKUWK/49.net
- 現代の叡智をもってしても、人間の後ろめたさ、疚しさは消えませんからね。
人生の苦しみ、老いの苦しみ、病苦・・。
そしてなんと言っても現代の叡智をもってしても「死」を乗り越えることは
できないではないですか。
- 105 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 01:35:25.80 ID:GKUWK/49.net
- そうだ、人間に「死」がある限り、イエズス様の教えは永遠に残るでしょう。
- 106 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 01:52:17.90 ID:GKUWK/49.net
- イエズス様は、全てを御手に委ね奉る、と言って亡くなられた。
これは人間に、父である神を、このくらいに信用していい神である、ということを
伝えたわけです。人間の目には神の実子であるイエズス様ご自身は現世御利益を神から
与えられているようにはとても見えない。
しかし、神は我が子イエズス様を愛しておられる。
それでもこの世では十字架に架けられるような試練を与えられた。
「それならば、こんな俺でも、こんな私でも、神に愛されていると考えていいんだな。」
イエズス様が伝えたかったのは、父である神が人間を愛しておられる、という
ことだった。
自分が死を前にしたときに、イエズス様が信頼したそんな神様の御手に
自分も身を委ねたい。死んでもいい。と思うわけです。
- 107 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 02:00:43.45 ID:GTqfhF2+.net
- 宗教によって死を乗り越えようとする試みは 「死を乗り越えた」と言い張るカルトな人間を生み出すだけですよ。
生老病死や孤独、罪業といった問題は現代では社会道徳や個人の気概で乗り越え、あるいは耐えていくべきもの。
そういったものを宗教という名のドーピングで乗り越えようとすれば、差別や対立といった副作用を産み出すだけです。
- 108 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 02:11:25.95 ID:GTqfhF2+.net
- >>106
神の沈黙、神の不在が語られる現代において 「神は信頼に値する」と主張することはあまりにも虚しいでしょう。
むしろ「信頼に値しない神であっても、いかに信仰するか」ということを語れなければ非キリスト者の心には響かないと思いますよ。
- 109 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 02:11:51.37 ID:6dyLvTe9.net
- >>107
そのひとがそのやり方で生き残ったならば、
その時点で神の裁きは正しいんだよ。
神は人格神ではないが生身の人間のつながりのなかに宿るよね。
おそらく貴君は、いまだ死線を超えて壁を打ち破ったことがないのだろうと容易に推測できる。
- 110 :神も仏も名無しさん:2016/11/01(火) 02:16:27.53 ID:GKUWK/49.net
- >>107
>現代では社会道徳や個人の気概で乗り越え、あるいは耐えていくべきもの。
自分一代の弱い頭と弱い心で、自分の宗教、バベルの塔を構築するようなものですよ?
自覚なく自分なりの宗教を構築して生きているのです。
聖書は1000年をかけて書かれた本です。学問書でも科学の本でも歴史の本でも
ありません。宗教的真理が書かれてあるのかどうか、人間に霊魂というものが
あるならば、その救済になるのかどうかという視点で読んでみるのは如何ですか。
芥川龍之介も死の床でルカによる福音書24章を開いて、それを顔にかぶせて
なくなっていました。遺言は
「我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずに
はゐられないであらう」。
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