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仏教の悟りについて語ろう

1 :因縁果:2016/04/09(土) 18:58:58.47 ID:cI6iQlX+.net
仏教の悟りとは何かを考えてみよう

41 :忠実な下僕:2016/04/10(日) 18:45:36.58 ID:eQUJ9YAA.net
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

42 :神も仏も名無しさん:2016/04/10(日) 20:24:37.70 ID:JrW172PC.net
>>16
>無明か・・
>「私たちの苦悩は間違ったものの見方、誤解から生まれてくる」

これは正解
光がなければ暗くて見えない、そこでジタバタしても苦悩から逃れることは出来ない

目の前に水たまりがあったとする
光が有れば、水たまりを発見して避けて行けばいいだけだけど
光がないと水たまりに嵌り、どうしてこうなったと嘆いてみても始まらない

光があっても見ていない状態、例えばスマホに没頭していたとか、不安を抱えて気もそぞろだったとか
目が曇った状態だと、また水たまりは見えない、これもまた無明

つまり光があり、現象をありのままに見ることができれば、苦悩を回避できるということ

しかし無智だと、本質的な不利益が予測できず、仮に知識はあっても、凄く楽しいかもと心が負けて流され
自分から水たまりに嵌ったりする
まるでバドミントン選手を見るようだ的な

>涅槃とはすべての苦悩が消滅すること・・
消滅するではなくて、苦悩の元に関わらないことだな

仏教的に言えば遠離・離貪
その究極が涅槃という形、つまり輪廻転生の原因から離れてニルバーナ(彼岸)に魂が没入すること


他人の、仮に1億倍の金を得ても、美女を100人はべらせて、1食100万の高級料理を食べても
どんな権力を得ようと、屈強な私設軍隊にボディーガードを委ねても
死は必ずやって来る
金が有れば最高の医療を受けて延命できるかも知れないし、人より30年長生きできるかも知れない
でも死にます

しかし金の亡者どもが勝利者を騙り好き放題やっている、パナマ文書に名前が出る魂のレベルはいかほどか?
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、これがまともな人の生きる道なのでは?

43 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 20:27:47.93 ID:fuU3bqaJ.net
思考・妄想を1週間止めた結果・・
今この瞬間を感じるようになった・・
過去・未来の妄想は出てこない・・
自我もない・・執着もない・・
まさに「常楽我浄」の境地・・


「さとり」は常住不変で、
一切の苦を滅しているので楽、自在で拘束されないから我、煩悩が
つきて汚れがないから浄といわれる。

これの意味がよくわかる^^

あとは・・

「煩悩・苦の汚れに邪魔されることなく、
一切をありのままに正しく観ずることができるようになる 」

これを体験するだけ・・

涅槃の境地・・いつまで続くかな・・・^^

「思考・妄想はしない」これだけでこれほどの
効果があるとは・・^^

44 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 20:41:08.55 ID:fuU3bqaJ.net
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」か・・

釈迦が6年間苦行しても悟れなかった・・

「これは無意味だ」と・・

45 :神も仏も名無しさん:2016/04/10(日) 20:51:11.98 ID:M77nZwkx.net
時代は情報社会
無明も悟りも自分次第
本質に出会えるか
それを見極められるか
全てを見抜いた釈迦は
やはり素晴らしい

46 :忠実な下僕:2016/04/10(日) 20:53:33.50 ID:T+/GQRa0.net
>>42   ラ―メン
                        

47 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 21:04:55.84 ID:fuU3bqaJ.net
「雨ニモマケズ」は法華経の祈りを描いたものだ・・

宮沢賢治は法華経かー

ところで・・

法華経ってなんぞ^^

48 :神も仏も名無しさん:2016/04/10(日) 21:14:15.12 ID:JrW172PC.net
>>44
釈迦は苦行を否定したね
釈迦族の王子として生まれ、世の快楽の全てを享受して大人になる
その生活の中には苦しみなど一つも存在しなかった
ところが外界を見ると、そこには貧しさがあり、飢えがあり、病があり、老いがあり、死があった

そこで、今ある喜びは仮のものであると、そしてその喜びの果てには苦悩しかないと感じて出家した
出家すると、世間にはいろんな宗教家が居り、いろんな世界観を語り、またいろんな修業を実践していた
釈迦はその宗教家の元に弟子入りし、直ぐにその世界観を理解し、これは本質ではないと悟って離れ
これを繰り返した
やがて究極まで肉体を苦しめる苦行の世界に入るが何も得られなかった
そこで菩提樹の元で座禅を組み瞑想に入り悟りを得た
こんなエピソードだったと思うが

肉体を痛めつける苦行は、肉体で得られる快楽を否定するためには有効かもしれないけど
結局は肉体に対する執着を強めるだけ、あるいは苦を愛喜する状態に陥るだけ

無明を払い、智恵に到達することが必要と言うこと

宮沢賢治の生き方は頭陀行の生き方だと思う
宮沢賢治の作品には西洋風の映像をイメージしがちだけど、真は仏教

今年は例年になく、亡者どもの下世話なニュースに溢れているが
いよいよ日本人が悟りの道へと進む時代が来たのかも

49 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 21:24:02.22 ID:fuU3bqaJ.net
「無明を払い、智恵に到達することが必要と言うこと 」

そうなんだよな〜^^

おいら「法華経」なんていらん・・

体験で得たことが全て・・

難しいことは坊さんにまかしとく^^

50 :神も仏も名無しさん:2016/04/10(日) 21:53:23.78 ID:JrW172PC.net
なかなか解ってらっしゃるようで

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