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仏教の悟りについて語ろう
- 1 :因縁果:2016/04/09(土) 18:58:58.47 ID:cI6iQlX+.net
- 仏教の悟りとは何かを考えてみよう
- 21 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 08:01:55.26 ID:fuU3bqaJ.net
- これでいい^^
- 22 :因縁果 ◆HELPME/zI. :2016/04/10(日) 09:24:32.12 ID:fuU3bqaJ.net
- けど・・「悟る」ていうのもなんかおかしいな・・
自我がないのにだれが「悟る」・・
言葉にしてはならないものか・・
さてっと・・サウナに行って・・水風呂・・
そして瞑想と・・
水風呂からの瞑想は特に効果的だからな・・
滝の修行の意味がよくわかる・・
では瞑想しながら出かけてくるかなっと・・^^
- 23 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 09:25:31.81 ID:fuU3bqaJ.net
- あれ・・自我がちがうぞ^^
- 24 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 09:26:20.28 ID:fuU3bqaJ.net
- 自我は妄想である・・
確かに^^
- 25 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 13:18:15.42 ID:fuU3bqaJ.net
- @「悟り」の世界では、無明を滅して智慧を得て、あらゆる束縛を離れて
完全な自在を得る。
A涅槃は、単に煩悩の火が吹き消えたというような消極的な世界ではなく、
煩悩が転化され、慈悲となって働く積極的な世界である。
その転化の根本は智慧の完成である。ゆえに「さとり」が智慧なのである。
B菩提と涅槃を「二転依の妙果」という。涅槃は煩悩が煩悩として働かなくなり
、煩悩の障りが涅槃の境地に転じ、智慧の障害であったものが転じて慈悲として
働く。
C「さとり」は、涅槃の寂静と菩提の智慧の活動とを内容とする。
そこで涅槃の徳を常楽我浄の四徳と説く。「さとり」は常住不変で、
一切の苦を滅しているので楽、自在で拘束されないから我、煩悩が
つきて汚れがないから浄といわれる。
慈悲はまだでてこんが^^どうなってる^^
- 26 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 13:22:15.52 ID:fuU3bqaJ.net
- 「悟り」の世界では、無明を滅して智慧を得て・・
これ・・^^ふむふむ
うわぁあああああああああああああああああああああ
- 27 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 13:32:34.30 ID:fuU3bqaJ.net
- 智慧とは・・
「ありのままの真実」を見ること、それが「智慧」なのです。
^^
なんだ・・そうだったのか・・^^
では見ることできるな^^
智慧=仏教と言っても過言ではないな〜^^
- 28 :因縁果 ◆d........o :2016/04/10(日) 13:42:55.41 ID:fuU3bqaJ.net
- @「ありのままの真実」を見ること、それが「智慧」なのです。
A初期仏教においては、此縁性・十二因縁・四諦・八正道などを踏まえつつ、
戒律・禅定・観行(戒・定・慧の「三学」)を修め、己の煩悩を特定・除去して行き、
己の煩悩が尽き、欲望・生存・無知の苦しみから解放され、解脱が成され、
二度と生死の迷いの道に入ることは無い「再生の遮断」が成されたと、
知るに至った段階(漏尽通・阿羅漢果)、
この段階に達すると、煩悩・苦の汚れに邪魔されることなく、
一切をありのままに正しく観ずることができるようになる
正覚=智慧となるのかな・・^^
- 29 :忠実な下僕:2016/04/10(日) 17:56:44.31 ID:eQUJ9YAA.net
- 般若心境ひとつで 十分です。
最後の唱え言葉は サンスクリット語で 厳密に正確に 唱えるように。
青銅の蛇と同じ。
青龍菩薩だっけか ?
- 30 :忠実な下僕:2016/04/10(日) 17:58:55.18 ID:eQUJ9YAA.net
- それ以上 何もいりませんよ。
(仏さまが そういうふうにしたの。)
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