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十字架✡ヤハウェ・イエス・キリスト✡YHWH✡復活58

1 :神も仏も名無しさん:2016/03/19(土) 22:58:29.13 ID:9yp//j4r.net
「神は実にそのひとり子をお与えになったほど世を愛された。
それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである」。

341 :記憶喪失した男:2016/04/08(金) 14:57:29.16 ID:yuoIS0QO.net
大川隆法「こんにちは。ヒトラーです」

世界で最も危険な独裁者ヒトラー

所要時間:109分
種類:霊言
公開期間:2016/3/26〜
場所:布教所, 拠点, 支部, 海外, 精舎

https://happy-science.jp/info/lecture/2016/16312/

342 :りんご・くりすちゃんディナー ◆oPXbhrKCUQ :2016/04/08(金) 17:22:38.29 ID:9wKEOdfl.net
もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまうのです。

いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはありません。
このようなわけで、すべては信仰によります。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、

律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのです。アブラハムは、
神の前で、わたしたちすべての者の父であって、 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」

と書いてあるとおりです。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じました。
彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じました。

そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのです。
すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、

なお彼の信仰は弱りませんでした。 彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって
信仰によって強められ、栄光を神に帰し、 神はその約束されたことを、また成就することができると確信しました。

だから、彼は義と認められたのです。

343 :りんご・くりすちゃんディナー ◆oPXbhrKCUQ :2016/04/08(金) 17:30:37.86 ID:9wKEOdfl.net
しかし「義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、 わたしたちのためでもあって、

わたしたちのアドニーであるイエスを死人の中からよみがえらせたかたを信じるわたしたちも、
義と認められます。 ヤハウェは、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、

よみがえらされたのです。

このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストにより、
神に対して平和を得ています。 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって

導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。 それだけではなく、患難をも喜んでいます。

なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、

神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

344 :りんご・くりすちゃんディナー ◆oPXbhrKCUQ :2016/04/08(金) 17:37:14.57 ID:9wKEOdfl.net
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。。

正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する
愛を示されたのです。

わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのですから、なおさら、彼によって神の怒りから
救われるでしょう。 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、

和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるでしょう。 そればかりではなく、わたしたちは、
今や和解を得させて下さったわたしたちのアドニーであるイエス・キリストによって、神を喜ぶのです。

345 :りんご・くりすちゃんディナー ◆oPXbhrKCUQ :2016/04/08(金) 17:42:53.98 ID:9wKEOdfl.net
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、

こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのです。 というのは、律法以前にも
罪は世にあったのですが、律法がなければ、罪は罪として認められません。。

しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、
死の支配を免れなかったのです。このアダムは、きたるべき者の型です。

しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっています。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が
死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、

さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではありませんか。 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは
異なっています。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったのですが、

恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからです。 もし、ひとりの罪過によって、
そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを

受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではありませんか。

346 :りんご・くりすちゃんのお茶とデザート:2016/04/08(金) 17:51:36.20 ID:9wKEOdfl.net
このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、

いのちを得させる義がすべての人に及ぶのです。 すなわち、ひとりの人の不従順によって、
多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされます。

律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためです。しかし、罪の増し加わったところには、
恵みもますます満ちあふれました。 それは、罪が死によって支配するに至ったように、

恵みもまた義によって支配し、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストにより、

永遠のいのちを得させるためです。

347 :菜生6:2016/04/08(金) 22:41:14.56 ID:ZPjqWHRx.net
<性の暴力>
基本的な事がわかっておられない方がいるようです。

性の暴力といえば、女性や子供に対して、男性との肉体差によって
世界中で今尚解決してしていない問題です。

男性は大きく筋力があり性欲も能動性があり、そのような肉体差によって
連日のように性の暴力(性犯罪)が起きています。

痴漢にあっていない女性は少ないですし、男性でも男性からおしりを
触られたとか、トイレで並んで用をたしている時に男性が男性にのぞきこまれた
とか、あります。
これは人権侵害であり、その根底に性的な欲望をコントロールできない
人々がおり、それが未解決であるからです。

性の全体問題を同時に問う事なしに、同性愛者の権利を主張することは、
イエス、イエスと叫んでも、乱交だと神は受け止めるでしょう。

コントロールを失った性の暴力をうやむやにしない、起きてきた不幸に
目を閉じないという道筋に添ったものであれば
イエスキリストのまなざしと一致するものだと考えます。

マイノリティに対しての理解は大変重要なことですし、
同等の権利、多数者ではないという事で排除されるべきものではありません。

(性の暴力も含む)暴力を受ける側(女性、子供)、障害を持つ者、などは
被害が歴然としています。
イエスもこのような弱者に対してはっきりしていますが、
性のコントロールが出来ない事を容認していません。
(娼婦マリアを庇うのは、女性が食べていくのに職業がない等を庇うだけでなく
取り囲んだ男性に厳しくしているのは容認していないからです)

性の問題は複雑であり、暴力と無関係でないからです。

イエスもパウロも障害をもつ方に対して差別するはずがありませんし、
弱者を保護するためにも、自由の履き違えを許されるはずがありません。

同性愛といっても、先に述べたように精神的な愛の問題よりも、
男性の欲望コントロールが狂った状態の肉体暴性の問題が隠されており、
そのことへの真剣な解決の中でこそ、
暴力性をともなわない同性愛者もマイノリティの権利分野として解決されていくでしょうし、

この人類の問題をパウロのせいだとか、
幼稚な話にすり替えるのを止めましょう。

348 :りんご・くりすちゃんモーニング:2016/04/09(土) 06:05:31.35 ID:Tu4DqTAU.net
イエス・キリストの御名を賛美しよう、ハレルヤ

春が来て、これからは初夏の足音が聞こえるシーズンですね。

では、みことばを引用します。

349 :りんご・くりすちゃんモーニング:2016/04/09(土) 06:09:37.41 ID:Tu4DqTAU.net
では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきでしょうか。

断じてそうではありません。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きていられるでしょうか。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、

彼の死にあずかるバプテスマを受けたのです。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、
彼と共に葬られたのです。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、

わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためです。 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様に
ひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるでしょう。

350 :りんご・くりすちゃんモーニング:2016/04/09(土) 06:18:11.61 ID:Tu4DqTAU.net
わたしたちは、この事を知っています。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられました。

それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためです。
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからです。 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、

また彼と共に生きることを信じます。 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、
死はもはや彼を支配しないことを、知っているからです。 なぜなら、キリストが死んだのは、

ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからです。
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって

神に生きている者であることを、認めなさい。 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて
その情欲に従わせることをせず、 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。

むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として
神にささげなさい。 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、

罪に支配されることはないからです。

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