2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

十字架✡ヤハウェ・イエス・キリスト✡YHWH✡復活58

1 :神も仏も名無しさん:2016/03/19(土) 22:58:29.13 ID:9yp//j4r.net
「神は実にそのひとり子をお与えになったほど世を愛された。
それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである」。

281 :りんご・くりすちゃんの朝食:2016/04/06(水) 07:01:21.50 ID:PsyzVKeX.net
長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になったので、
パウロは人々に警告して言いました、 「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、

われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶでしょう」。 しかし百人隊長は、パウロの意見よりも、
船長や船主の方を信頼しました。 なお、この港は冬を過ごすのに適しないので、大多数の者は、ここから出て、

できればなんとかして、南西と北西とに面しているクレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張しました。
時に、南風が静かに吹いてきたので、彼らは、この時とばかりにいかりを上げて、クレテの岸に沿って航行しました。

すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきました。 そのために、舟が流されて
風に逆らうことができないので、わたしたちは吹き流されるままに任せました。

それから、クラウダという小島の陰に、はいり込んだので、わたしたちは、やっとのことで小舟を処置することができ、
それを舟に引き上げてから、綱で船体を巻きつけ、また、スルテスの洲に乗り上げるのを恐れ、

帆をおろして流れるままにしました。 わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、
人々は積荷を捨てはじめ、 三日目には、船具までも、てずから投げすてました。

幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなりました。

282 :りんご・くりすちゃんの朝食:2016/04/06(水) 07:06:12.73 ID:PsyzVKeX.net
みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言いました、

「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を
被らなくてすんだはずでした。 だが、この際、お勧めします。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、

あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないでしょう。 昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの
御使いが、わたしのそばに立って言いました、

『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、
ことごとくあなたに賜わっている』。 だから、皆さん、元気を出しなさい。

万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じています。 われわれは、
どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。

わたしたちがアドリヤ海に漂ってから十四日目の夜になった時、真夜中ごろ、水夫らはどこかの陸地に
近づいたように感じました。 そこで、水の深さを測ってみたところ、二十ひろであることがわかったのです。

それから少し進んで、もう一度測ってみたら、十五ひろでした。 わたしたちが、万一暗礁に乗り上げては大変だと、

人々は気づかって、ともから四つのいかりを投げおろし、夜の明けるのを待ちわびていました。
その時、水夫らが舟から逃げ出そうと思って、へさきからいかりを投げおろすと見せかけ、

小舟を海におろしていたので、 パウロは、百卒長や兵卒たちに言いました、
「あの人たちが、舟に残っていなければ、あなたがたは助からない」。

283 :りんご・くりすちゃんの朝食:2016/04/06(水) 07:11:16.72 ID:PsyzVKeX.net
そこで兵卒たちは、小舟の綱を断ち切って、その流れて行くままに任せました。

夜が明けかけたころ、パウロは一同の者に、食事をするように勧めて言いました、「あなたがたが食事もせずに、
見張りを続けてから、何も食べないで、きょうが十四日目に当ります。 だから、いま食事を取ることをお勧めします。

それが、あなたがたを救うことになるのだから。たしかに髪の毛ひとすじでも、あなたがたの頭から
失われることはないでしょう」。 彼はこう言って、パンを取り、みんなの前で神に感謝し、

それをさいて食べはじめました。 そこで、みんなの者も元気づいて食事をしました。 舟にいたわたしたちは、
合わせて二百七十六人でした。 みんなの者は、じゅうぶんに食事をした後、穀物を海に投げすてて舟を軽くしました。

夜が明けて、どこの土地かよくわからなかったのですが、砂浜のある入江が見えたので、できれば、それに
舟を乗り入れようということになりました。 そこで、いかりを切り離して海に捨て、同時にかじの綱をゆるめ、

風に前の帆をあげて、砂浜にむかって進んだのです。 ところが、潮流の流れ合う所に突き進んだため舟を浅瀬に乗りあげてしまって、へさきがめり込んで動かなくなり、ともの方は激浪のためにこわされました。 兵卒たちは、囚人らが

泳いで逃げるおそれがあるので、殺してしまおうと図ったのですが、 百人隊長は、パウロを救いたいと思うところから、
その意図をしりぞけ、泳げる者はまず海に飛び込んで陸に行き、

その他の者は、板や舟の破片に乗って行くように命じました。こうして、全部の者が上陸して救われたのでした。

284 :菜生6:2016/04/06(水) 07:50:55.74 ID:mITsoDBv.net
>>277
>パウロは信じていません。パウロはイエスが昇天してから、勝手に後継者を名乗って、キリスト教をのっとった人物だからです。
>イエスはパウロの事を、「パリサイ人のパン種」と言って予言していました。

話を勝手に作って、何が目的なのかな。

>私は信仰義認は信じません。イエスはそんな教えを言っていないからです。

聖書に信仰義認という言葉はありません。
言葉としてありませんが、イエスの教えと無関係ではありません。

>しかし、牧師は「同性愛者は
>一人残らず地獄に落ちる。」とげんこを天に突き上げて、叫んでいました。

天に突き上げるですか、教会堂でそのような事をなさるのですか。
あなたは作り話をしていませんか。あなたの同性愛についての考察が
ぬけていますね。

昨日もいいましたが、あなたは聖書を読んでおられないのではありませんか。
生活のすべてと同じように一生の勉強だと思って傍らに置いて
落ち着いて少しづつ読み進めてください。

こうすればこうなるというお手軽便利グッズではありませんから
TVのスイッチを入れると番組が映るとか、ボタンを押すとお湯が出る
そういう類のものではありません。
物質(農業、林業、漁業)を相手にする人や物造りの職人でも、
一生勉強だと言われるそれと似ています。
少しわからないところがあるからと言って、わかったような気にさせるものに
よそ見すると、とんでもない落とし穴があります。

ここのリンゴさんのスレなら、毎日読む量はたいしたことはありませんから
あなたの聖書アワーに使われてみられてはいかがでしょう。

けれども・・・基本的な生活習慣を身に付ける幼い頃からの養いがないと
難しいかなぁ・・・、今からでも好きな事をある形になるまであせらないで
取り組む(抑圧的なことではなく、)楽しみを見つけられたらどうでしょう。
そうすれば、いつか聖書を読んでいくこともできるかもしれません。

私は聖書がわからないから楽しく読み続けています。

285 :りんご・くりすちゃん弁当:2016/04/06(水) 11:22:01.61 ID:xw/7/lHW.net
わたしたちが、こうして救われてからわかったのですが、これはマルタと呼ばれる島でした。

土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてくれました。すなわち、降りしきる雨や
寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれたのです。

そのとき、パウロはひとかかえの柴をたばねて火にくべたところ、熱気のためにまむしが出てきて、
彼の手にかみつきました。 土地の人々は、この生きものがパウロの手からぶら下がっているのを見て、

互いに言いました、「この人は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様が
彼を生かしてはおかないのだ」。

ところがパウロは、まむしを火の中に振り落して、なんの害も被りませんでした。

彼らは、彼が間もなくはれ上がるか、あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていました。

しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、

「この人は神様だ」と言い出しました。

286 :世素:2016/04/06(水) 11:23:10.67 ID:tNdih87r.net
>>284私はイエスと、イエスの十字架と復活、イエスの再臨は信じていますが、

パウロは信じていません。パウロはイエスが昇天してから、勝手に後継者を名乗って、キリスト教をのっとった人物だからです。

イエスはパウロの事を、「パリサイ人のパン種」と言って予言していました。

イエスの予言どおり、キリスト教徒は命のパンを食べるクリスチャンはわずかで、

ほとんどのクリスチャンは悪魔の手下なのです。

ですから、同性愛者がガス室で殺され、アボリジニの一種タスマニア人が殲滅されています。

こうしたクリスチャンが天国に行けるはずがありません。

イエスは復活してから、再臨まではだれ一人現れることはありません。

福音書のイエスの言葉にそういう言葉あります。ここに私がいると言っても

信じてはいけない。パウロはまさに、私はイエスに会った。と言い始めて、

キリスト教をのっとったのです。

私は信仰義認は信じません。イエスはそんな教えを言っていないからです。

パウロの罪を認めるSSSPCJ運動を日本から世界に広めて行きましょう。

私はこの目と耳で、「同性愛者は一人残らず地獄に落ちる」と絶叫していた

牧師の姿を死ぬまでずっと証言します。

私の関わった1980年代の福音派の教会は、比較的大きな集会で

50人から70人、多いときには100人近い人が日曜礼拝に来ていました。

はじめて来た人もいるでしょう。心の悩み、同性愛の悩み、親にも言えず、

学校でいじめられている人もいるでしょう。しかし、牧師は「同性愛者は

一人残らず地獄に落ちる。」とげんこを天に突き上げて、叫んでいました。

私は、イエスの十字架の犠牲は、社会弱者のためにあると確信しています。

社会で迫害され、いじめに会い、絶望している弱者、マイノリティーの人権救済のための、十字架です。

パウロの罪を認め、イエスの十字架に謝罪しましょう。

287 :世素:2016/04/06(水) 11:26:42.47 ID:YBwbsJdO.net
私は信仰義認など認めません。イエスはそんな教えを教えていないからです。

迫害していたサウロに現れ、改宗させる能力があるなら、

簡単にイエスの能力を使って、世界中をクリスチャンにする事など、

朝飯前でしょう。しかし、イエスはパウロを泳がせていたのです。

それは、毒麦を集めて刈り取り、火に投げ入れるためです。

同性愛者をガス室で殺したクリスチャン、アボリジニを人間狩した

クリスチャンは信仰義認で救われるなど、思ってはいけないのです。

イエスは昇天から、再臨まで誰一人現れることはありません。

パウロがイエスの霊に会ったのは、昇天の後です、と言う事は、

パウロの主張はインチキです。イエスは復活から昇天までペテロなど

弟子には現れましたが、「私がここにいる(現れた)と言うのを信じては
いけない」とはっきり発言しているのです。


時系列で見れば、パウロの嘘が明らかです。昇天してから再臨までは

イエスは人類に現れることはないのです。

十字架の死からの復活→( A )→復活から昇天→( B )→昇天から再臨。

ペテロやマリアに現れたのは、Aです。

パウロがイエスの霊に会ったと主張しているのは、Bです。

この違いに気づけば、イエスは誰にも現れないと、弟子に言っている

Bの時系列にパウロはイエスと会ったと主張していることになり、

パウロのインチキが露呈しているのです。

キリスト教の初期の段階で、イエスの命のパンにパウロの

パリサイ人のパン種が混ぜられたのです。イエスが警戒していた通り、

パン屑で膨らんだ多くのクリスチャンの大多数は、同性愛者を迫害し、

アボリジニを銃で人間狩りの的にして殺してきたのです。

288 :菜生6:2016/04/06(水) 14:02:13.06 ID:mITsoDBv.net
>>287
聖書を読んでいないとわからないと思いますが、

復活に関しては、福音書でもかなりの食い違いありますね。(復活だけではありませんが)
パウロへの光とイエスキリストの声の顕現。
他の弟子たちの顕現経験も、瞬間的に消えたり、声だけだったり、幻の中だったり、
ヨハネだけがはっきりとした人物として食事をともにしたりが書かれてあります。

そして、時系列から言って、パウロの手紙が一番最初に書かれたものです。
手紙ですから、編集ではなく本人が一般人ではなく教会や
信徒を励ましたり、ユダヤ教に現れたイエスがキリストであるという
ことを、古い考えでしばられている教会人に説き証をしています。
ユダヤ教の教えを頭から否定してかかるのではなく、
大変な工夫を試みながら懸命に伝えています。

福音書はそのあとから成立していくのですが、(使徒行伝も)
イエスキリストの顕現に関して具体的記述のヨハネはパウロから
40年も後であり、後の方が具体になるのは少しおかしなことです。

(少し外出しますので、つづきますが取りあえず)

289 :記憶喪失した男:2016/04/06(水) 15:12:36.60 ID:Oc+aUL4W.net
あなたたちは一生キリスト凶徒でいるんですか?
嫌になるときはないのですか?

290 :菜生6:2016/04/06(水) 17:14:15.48 ID:mITsoDBv.net
ヨハネがでたらめであるということではありません。
復活は、色々な形の顕現があり一人一人の体験の詳細が
分かり難くなっています。

しかしパウロは自分の事も自分で手紙で述べていますし、聖霊の導きで神との
交流の中でイエスキリストを言い表す働きを実行していきます。
この実行は、ちょっとやそっとの曖昧な体験では出来ない事です。

パウロの手紙ではじまり、ヨハネの福音書で終わる時系列に
注目するなら、パウロは手紙である事、ヨハネはイエスキリストに関する
必要なことだけ総まとめをしています。
共観福音書と使徒伝行(ルカが書いたであろうとされている)は
見聞したメモ書きや口伝えの事をイエスの物語、使徒の活動物語
のようにして書かれています。

つまり、聖書は複眼立体で読まなければ、全体像が見えてこないし
はっきりしている事は、聖霊が下ったことと、復活があった
これなしには、処刑されたイエスキリストに付き従い
立ち向かう勇気の原動力はなく、しかも常に命を狙われながら
福音を宣べ貫いた人々の記録であるという事です。

1コリント
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。

15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。
その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、
すでに眠った者もいくらかいます。

15:7 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。

15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。

15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。
なぜなら、私は【神の教会を迫害】したからです。

総レス数 619
512 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★