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大乗仏教と原始仏典の関係について語ろう!!!!!

1 :神も仏も名無しさん:2016/03/09(水) 12:13:40.18 ID:bzfbpph0.net
上座部仏教から言わせると、大乗仏教は仏教じゃないと意見もあるが。

611 :神も仏も名無しさん:2016/04/03(日) 22:35:38.40 ID:6uk4r/sk.net
>>610
長部経典13って、これでしょ。前文は略、
「ということは、三ヴェーダに詳しいバラモンたちは「われらは梵天を知らないし、
見てもいないが、梵天との共生の道を教えよう。これが正しい道である。
これが〔世俗からの〕離脱に至るまっすぐな道である。これを行うものはブラフマン
(梵天)との共生に導かれる」といっていることになる。
ヴァーセッタよ。どう思うか。その場合、三ヴェーダに詳しいバラモンたちは筋の
とおらないことをいっていることにならないだろうか。」
「ゴータマよ。その通りです。三ヴェーダに詳しいバラモンたちは筋のとおらないことを
いっていることになります。」

梵天を使うのは、権威付けだからね。
貴方は神様好きだろうけど、ブッダの本筋の教えは、そういう存在論でなく、
四諦根本教説は、苦を滅する方法だからね。

612 :神も仏も名無しさん:2016/04/03(日) 22:44:28.57 ID:6uk4r/sk.net
>>610
ついでにこれね、
「ヴァーセッタよ。三ヴェーダに詳しいバラモンたちは、知らないし、
見てもいないものとの共生の道を教えようとしている。すなわち、
『これが正しい道である。これが〔世俗からの〕離脱に至るまっすぐな道である。
これを行うものはブラフマン(梵天)との共生に導かれる』と〔説いているが、〕
それは筋がとおらない。ヴァーセッタよ。たとえば、一列に並んだ盲人たちは、
先の者も見えず、中程のものも見えず、あとの者も見えない。三ヴェーダに
詳しいバラモンたちのいったことは、その盲人の列の喩のようである。
先の者も〔梵天を〕見ていない、中程のものも〔梵天を〕見ていない、あとの者も
〔梵天を〕見ていない。三ヴェーダに詳しいバラモンたちのいったことは、
笑うべきことであり、無意味であり、むなしいことであり、本当でないことである。

613 :神も仏も名無しさん:2016/04/03(日) 23:06:24.90 ID:qX32ctm7.net
>>609
>これだったかな。

まさにその論文で中村元博士の方法論について批判がなされていることはご理解
頂けますよね。

日本印度学仏教学会において発表された論文は正確にはこちらではないでしょうか。

『如来蔵思想は仏教にあらず』
松本 史朗(著)
印度學佛教學研究 35(1), 375-370, 1986
http://ci.nii.ac.jp/naid/130003830625

上の論文から少し抜き出してみると

I. そこでまず, 仏教とは何かについて私の意見を述べよう。 結論より先にいえば,
私は仏教とは無我説であり, 縁起説であると考える。
(中略)
私にとっては, 釈尊が縁起をさとったということから無我説というものは, ごく自然
に導 き出されるので ある。

この論文において中村元博士の方法論について批判がなされているんだな。
学者による侃々諤々の議論を眺めるのも面白いですよ。

614 :神も仏も名無しさん:2016/04/03(日) 23:20:49.44 ID:ZFkiTr4Z.net
【画像】中国並み“パクリ”?…仏教国タイの寺院、人気キャラ続々登場のワケ
http://usi32.com/archives/47204105.html

615 :神も仏も名無しさん:2016/04/03(日) 23:27:33.72 ID:6uk4r/sk.net
>>613
それは誤解がありますね、こういうことです。
松本氏の批判は、中村元氏の教義をもたない真理の教えについてで、
縁起、非我(無我)は、その教義をもたない説明に該当し、初期の仏教
でも体系化して、それを言葉、用語を使わないと説明できなかった。
まさに月を指す指は月でない、真理を指し示す説明であって、
中村氏はこのことをよく理解していた。
スッタニパータで、想念、観念に委ねない教えが何度も出てきます。
つまり教義対象と自己を同一化(※執着)させることは自我を構成させるので、
教義に執着させ同一化させる教えではないのです。それは縁起の説明からも
分かることです。そして 中村元氏の著書には、非我(無我)、縁起説を使って
想念、観念、思想に委ねないブッダの教えを説明しているのです。

616 :神も仏も名無しさん:2016/04/03(日) 23:28:13.19 ID:7cfjpRAn.net
大乗の涅槃経はなかなか手軽に読める本がなくてこまる

617 :真no如ki:2016/04/03(日) 23:44:59.30 ID:bEV2ObRy.net
>>612
>先の者も〔梵天を〕見ていない、中程のものも〔梵天を〕見ていない、あとの者も
>〔梵天を〕見ていない。三ヴェーダに詳しいバラモンたちのいったことは、

君は長部13の「三明経」を梵天勧請の根拠にしたけど、私は長部14の「大本経」を梵天勧請の疑団としたんだな。

長部13の「三明経」のポイントはバラモン達は梵天を知らないが、釈尊はよく知っているというとこだろう。
だって元々梵天だったことは長部17「大善見経」からも明らかだからね。

長部5→長部19→長部17→長部13→長部14の順に読めば、釈尊の4回の輪廻と梵天との関係がよく分かるだろう。

618 :真no如ki:2016/04/03(日) 23:54:00.64 ID:bEV2ObRy.net
>>617
因みに説法相手を確認すると、
長部17「大善見経」 随行者のアーナンダ ←処方箋というよりも釈尊の告白(自己申告)だな
長部13「三明経」 バラモンの青年
長部14「大本経」 比丘達 ←処方箋だとしても大勢に対する説法

619 :真no如ki:2016/04/03(日) 23:55:19.13 ID:bEV2ObRy.net
元 長部17「大善見経」 
改 長部17「大善見王経」 

620 :神も仏も名無しさん:2016/04/04(月) 00:23:00.59 ID:MUbEK6Av.net
>>615
う〜ん、ちゃんと論文を読んでいます?
今度はこちらの論文から引用してみましょうか。

『如来蔵思想と本覚思想』
駒沢大学仏教学部研究紀要 通号 63
http://bauddha.dhii.jp/INBUDS/search.php?m=trdd&usid=60267&a=

即ち、中村は、Suttanipa-ta等の韻文経典を原始仏典の最古層と見なし、
その所説にもとづいて原始仏教の思想や釈尊の思想を再構成するという
方法に依拠して、
 (2)まず第一に仏教そのものは特定の教義というものがない(4)。
 (3)初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、
 アートマンを積極的に承認している(5)。
等と述べて、仏教を縁起説や無我説としてではなく、むしろ我説(a-tma-
va-da)として解釈したと思われる。これに対して、私は中村の方法と解釈
を詳しく批判したが(6)、その要点とは、中村が原始仏典の最古層として
重視するSuttanipa-ta等の 韻文経典は、我説を説く「苦行者文学」
(ascetic literature)に他ならないというものである(7)。

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