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大乗仏教と原始仏典の関係について語ろう!!!!!

1 :神も仏も名無しさん:2016/03/09(水) 12:13:40.18 ID:bzfbpph0.net
上座部仏教から言わせると、大乗仏教は仏教じゃないと意見もあるが。

351 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:35:04.16 ID:MMgOCdXd.net
これを女性に説くときは
男性の汚れた属性を説かれたと思うが
男性の弟子が多数だったので、女性の属性が説かれたものが残ったんでしょう。

352 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:36:44.63 ID:FaJTGDbI.net
今後、檀家制度が廃れるにつれ日本の坊さんは減ると予想されます。代わりに、洗脳が巧みなテーラワーダ僧侶が、増えるかもしれません。

上座部の売りの一つは、建前上、厳しい持戒にあります。
上座部では227の戒律があり、五戒以外の八戒と十戒で僧侶は

金に触れる事を、不促金持戒
蓄財する事を、不蓄金銀宝戒
歌舞を観ることを、不歌舞観聴戒
午後以降に食事をすることを、不非時食戒
高広な寝台を用いないことを、不高広大床戒
装身具や香水で身を飾らないことを、不香油塗身戒

で禁じられています。
素朴なビリーバーの坊さんと、単なる釈迦商人の坊さんを見分ける、目に見える判断基準になるかもしれません。
(坊さんお得意の欺瞞で、クレカで通販を利用しかねませんが)

彼らは本当は、金儲けができません。
彼らには一般的な、自由が殆どありません。
嘘、飲酒、妻帯も性交渉も自慰も、禁じられています。
日本で有名なとあるテーラワーダ僧侶は、単なる破戒僧です。
■戒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%92
■二二七戒
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/fig/sila.htm

353 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:38:42.24 ID:FaJTGDbI.net
仏教で説かれている奇妙なもののひとつに超能力、神通力があります。
原始仏教では修行が深まれば備わってくると、説かれているようです。

なぜか仏教者は、言った者勝ちの内面的境地の素晴らしさは、饒舌に語っても「見せびらかすものではないと、ブッダは説いている」云々と
お茶を濁し誰も神通力の存在自体を、証明しよう/させようとしません。
(彼らは境地を売りにする割に内面的にも、凡人と変わりがないようです)。

仏教の偉大さを口で語るより、原始仏典に書いてある通りの事実を見せたほうが説得力があるのに、しないということは恐らく誰も修行が進んでいないか、
原始仏典が間違っているか、古代人の飛んだ創作に、彼ら自身が当惑しているのでしょう。

■六神通
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A

■『仏教用語の基礎知識』(水野弘元 春秋社 P225)
>定の功徳について、パーリ仏教では次の五種があるとされている。(略)
>(三)神通を得る。神変通(神足通)・天耳通・他心通・宿命通・
>天眼通(有情死生通)の五神通を得る

ブッダは布教に際し、超能力対決を行ったと言われています。
■仏陀は超能力的な力を持っていたのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249831707
■優楼頻螺・迦葉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E6%A5%BC%E9%A0%BB%E8%9E%BA%E3%83%BB%E8%BF%A6%E8%91%89
■ブッダの神通力 (サンガ選書)
http://www.amazon.co.jp/dp/4904507894

354 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:40:50.50 ID:FaJTGDbI.net
昔、オウム真理教が、超能力を餌に信者を集めていたことが話題となりましたがそもそも、原始仏教に神通力が積極的に説かれています。
ここでアレフ(旧オウム)も、書いてある通りです。(オウムは原始仏教、チベット仏教、ヒンドゥー教、
神智学、ヨーガ、各種インド哲学、オカルトなどのごった煮です)

■修行によって身に付く超能力(六つの神通力)とは
http://www.aleph.to/enlightenment/snp-01.html

麻原のこれは『神変通(神足通)』ではないでしょうか。
■オウム真理教アニメ
http://www.youtube.com/watch?v=szvDzPXznLQ

>神足通(じんそくつう, Pali:iddhi-vidh?) -
>機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A

神通力 麻原彰晃は魅せた!(真理ブックス)
http://books.rakuten.co.jp/rb/9084239/

江原啓之の前世診断なども、批判されましたが、あれは細部は別にして、やっていること、掲げていることは
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%85%AD%E7%A5%9E%E9%80%9A
>天眼通(てんげんつう, Pali:dibba-cakkhu) -
>他人の過去世(前世)を知る力
と変わりがありません。大体、輪廻は仏教の十八番です。

オカルト、カルト、スピリチュアリズム、霊感商法等をいくら
「迷信だ、バカバカしい、おかしい、酷い搾取だ」
と叩いても、主要な元ネタのひとつであり、世界宗教で権威である仏教に疑義を呈さない限り、余り意味がありません。

355 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:44:07.87 ID:FaJTGDbI.net
仏教の目標と言えば悟り、涅槃(ニルヴァーナ)です。

■『仏教用語の基礎知識』(水野弘元 著 春秋社 P28)
涅槃とはnirvana(nibbana)の音訳であって寂とか寂滅とかも訳される。
仏教以前にはこれを不死(antra,amata 甘露)ともいった。生死輪廻を超えた理想の状態を指す。
涅槃とは貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(愚かさ)などの滅尽したことであって、nir-va-ana(吹き消すこと)
すなわち一切の煩悩の火を吹き消すこと、または一切の煩悩の火が吹き消されている状態をいう。
即ち最高の悟りの境地である。

■『仏教入門』(高崎直道 著 東京大学出版会 P145)
そして、ブッダは成道に際して、苦悩を克服して心は汚れから解脱し、もはや輪廻の生存を二度と受けないことを自覚したと宣言している。
あるいは自ら生老病死ある身でありながら、そのわざわいを知って、不老不病不死にして無上の安穏である
涅槃を得たともいっている。
これは現法涅槃、すなわちこの世における(生存中の)涅槃と呼ばれている。

■『バウッダ・佛教』(中村元 三枝充悳 著 小学館P150)
ニルヴァーナ(nirvana)には「動揺を鎮める」、「静かに落ちつかせる」の意味もあるが、普通、仏典では、
その語源の nir + vr または nir + va に復元し、
前者から「風が吹く」、後者から「火が消える」を導いて、
ニルヴァーナを「(炎すなわち煩悩が)すっかり消えてなくなった状態」と解する。
そこには、すでに内にも外にも、騒乱も、苦悩も、動揺も、不安も、一切消えており、したがって平安そのものであるところから右の二語を合わせて「涅槃寂静」という。

356 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:46:42.67 ID:FaJTGDbI.net
仏教徒は苦や煩悩から解放されたいという、欲に動機付けられているようですが上記のような状態は、存在するのでしょうか。
そもそも脳や心理が一定の状態に、収斂するのか甚だ疑問です。
ブッダの説く悟りを得たと考えても、結局は信仰に過ぎません。
輪廻からの解脱も同様、ろくに証拠を提示できない信仰です。

現実の仏教徒を見ていても、そんな理想とは、はるか遠く、上座部では悟ったと偽証することを、大妄語戒で禁じており、そう簡単にはブッダと同じ境地の、阿羅漢が出現することはないようです。
阿羅漢の前に預流果、一来果、不還果と恣意的な悟りの段階を用意し、預流果ですら珍しいようです。
■悟りの階梯  
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

ところが、原始仏教においては全く事情が違うようです。
ブッダの弟子はどんどん、どんどん悟ります。ブッダ没後、ブッダの言葉を集めるために為に集まった阿羅漢、その数500人。
■結集
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E9%9B%86

スリランカ人僧侶、スマナサーラの主張する所によれば、仏陀の時代の記録では阿羅漢はその数なんと、84000以上。
途方もない数の阿羅漢が、出現したそうです。
当時の
世界人口を考えると、誇張表現の異様さは圧倒的です。
■(72) 阿羅漢の人数
http://www.j-theravada.net/qa/qahp72.html
■世界の人口
http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3
この矛盾の理由については、現代仏教徒の修行は間違っているか、
原始仏典の記述が間違っているか、古代人の創作に仏教徒自身が当惑しているか、
悟りの定義が現代仏教のドグマと古代人の間では異なるか、といった所が関の山なのかもしれません。

357 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:49:29.08 ID:FaJTGDbI.net
ブッダの説く理想を仏教徒が体現できないことや、仏典のトンデモない記述から考えて、ブッダが特殊な脳の状態にあったという説も有力です。
■側頭葉てんかんと宗教の誕生
http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/39df0e072fc51e78a0d34b2064c96add

仏教による心の進歩を掲げるスマナサーラ著、『仏陀の実践心理学』によれば悟る直前まで、周囲に暴言を吐き続けた僧侶も存在したそうです。
どこがどう、心が進歩するのか意味不明です。
スリランカ仏教徒による異教徒大虐殺を考えると、仏教による心の進歩は全く疑わしいものです。
■ブッダの実践心理学
http://www.amazon.co.jp/dp/4901679147
■スリランカ、仏教国の虐殺史(2009年6月)
http://www.jttk.zaq.ne.jp/cocon-reserch/ESSAY/essay0906.htm

釈迦生誕を祝う場ですら外集団を中傷せずに、いられないような指導者が、一方で、「怒らないこと」を説く。
そんな矛盾も、信者にかかれば容易に合理化できてしまうらしく、それが師の考える心の進歩なのかもしれません。
■2010-04-20 スマナサーラ長老 名古屋「花祭り」法話より
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20100420/p1
■怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書) [新書]
http://www.amazon.co.jp/dp/4901679201
■認知的不協和
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%9A%84%E4%B8%8D%E5%8D%94%E5%92%8C

仏教徒には言行一致、知行合一という概念は存在しないのか
僧侶や仏教徒の実存がどうあろうが、仏教そのものとは無関係とばかりに無垢で素晴らしい「仏教」が、信じられるようです。

聖典批判が、仏教者サイドから広く起こらないのがその一つの証拠とも言えるのではないでしょうか。
もしかしたら、それこそ仏教の実践で達する、何よりの『境地』なのかもしれません。

358 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:52:52.64 ID:FaJTGDbI.net
彼らの建前がどうあれ書籍の販売や布施、儀式といった金銭を伴う取引に僧侶や宗教団体が従事するのならそれは、宗教法人云々といくら言い訳したところで、生きるための経済活動です。

自己実現欲求に訴える商品のひとつである『境地』が、売り手である僧侶の実存と照らし合わせて、消費者の検証を免れることは現代社会では出来ないでしょう。
自己修養系宗教であれば、一層僧侶に対する世間の、眼差しが厳しくなるのは仕方ないことです。

教祖の超越的境地を刷り込まれ、批判能力を奪われた信者によって起こされた、地下鉄サリン事件が風化しつつある状況においては、
殊更に悟り、境地とやらの価値を、疑うべきなのかもしれません。
■地下鉄サリン事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
■麻原彰晃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E6%99%83
■オウム真理教・広瀬健一死刑囚の手記、続編を公開
http://dailycult.blogspot.jp/2012/01/blog-post_25.html

仏教は科学、唯一解脱可能な正法、正法誹謗で地獄落ち・・・
と脅す僧侶が長期に渡り、公共放送を使って営業活動するのが、長年、疑問視されなかったような、体たらくにあるのですから。
■六重罪の誹謗正法について
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20080625
■スマナサーラ長老 10月8日(日)NHK教育テレビ「こころの時代」に出演
http://gotami.j-theravada.net/2006/09/108nhk.html

仏教とは僧侶を中心とした官僚的機構を、維持する為に大した根拠もない妄想に基いた脅し(輪廻、業、地獄)と、
何ら客観的証拠もない報酬(功徳、悟り、解脱)で大衆を洗脳し搾取する、僧侶による支配の道具である面があります。

359 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:54:00.65 ID:MMgOCdXd.net
修行の意欲や決意などは、欲如意足という修行法があるように肯定されている。
また、四正断(勤)も善行をもっとしたい、悪行を減らしたいという欲である。
このように悟りへの修行のための欲は大いに結構。

360 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:56:15.98 ID:FaJTGDbI.net
仏教の前提といえば輪廻です。
■『仏教用語の基礎知識』(水野弘元 著 春秋社 P28)
>輪廻(samsara)とは、生死ともいい、迷いの凡夫にある間は
>善悪の業報に支配されて、善業をなした者はその報いとして
>天上や人間などの善趣(善道)に生まれて福楽を受け、悪業を
>犯した者はその報いとして地獄・餓鬼・畜生などの悪趣(悪道)
>に生まれて痛苦を受けるというように、右の五道または修羅
>(阿修羅)を加えた六道に生死輪廻するとされる。この考えは
>仏教以前から今日にいたるまで、インドに広く行われている
>一般的な思想である。

輪廻思想は仏教と、関係がないと主張する仏教者も存在しますが
(例・宮崎哲弥、和辻哲郎、秋月龍E、アンベードカル)
これらは経典に基づかない、特殊な見解(断見論)です。
■断見
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E8%A6%8B
輪廻そのものには、何の客観的証拠もありませんし、瞑想や禅定で前世を思い出せると、一部仏教徒は信じているようですが、それは自己暗示による、虚偽記憶や記憶の捏造の類である可能性の方が大きいように見受けられます。
四十劫前まで過去世を思い出せるなどといったスマナサーラの主張に至っては、病気の類でしょう。
■虚偽記憶
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E5%81%BD%E8%A8%98%E6%86%B6
■劫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%AB
■三日坊主日記 A・スマナサーラ『死後はどうなるの?』
http://blog.goo.ne.jp/a1214/m/200604
■スリランカ在住僧侶とミャンマー在住仏教徒による、「瞑想」についてのつぶやきのまとめ
http://togetter.com/li/340748

本当に瞑想で前世を思い出せるのであれば、坊さんは妄想の世界における貢献を謳う前に、
過去生の記憶に基いて歴史学や考古学や文化人類学、虫だった過去を生かして昆虫学etc.文化の発展に
寄与してもいいものですがせいぜい輪廻で脅し、布施で来世の業が良くなると、金儲けするのが関の山のように見受けられます。
■布施
http://www.j-theravada.net/pali/key-dana.html

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