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【正平協】 カトリック+15 【政教分離】

678 :神も仏も名無しさん:2016/03/16(水) 21:45:50.02 ID:tOHE3HK0.net
全ての結果を知っている全知でありながら、
なぜ御心が矛盾的な慈愛を示すのか、の説明。


旧約聖書の創世記には知恵の実と生命の樹の存在が記されている。
人祖の忠誠を試すだけなら、知恵の実だけでも事足りるはず。
もし人祖が原罪を犯さないならば、
御心は本当に生命の樹を与える計画だったのだろう。

しかし、創造主は全知全能なので、全ての人類史を知っている。
知っていながら、不要なはずの樹を植えたのか。

ここで仮定してみよう。
「人間は罪深い存在になるから初めから生命の樹など植える必要は無い。」
これだと計画的で慈愛に満ちた御心ではないだろう。

「人間が原罪を犯すのを知っているが、忠実に約束を守れば
生命の樹を与える予定だったという創造主による自己正当化の建前。」
人間が言い訳できないように用意された見せ掛けだけの贈り物というのも深い慈愛ではない。

御父は全てを知っていたうえで、それでもなお生命の樹を用意していた。
それは人間の反論を封じるための口実ではなく、
心の底から贈り物として用意していた。
親子の慈愛に似たような深い愛情ゆえに。

「結果を知っているから、初めから用意しない」
このような態度では慈愛に満ちた神とは呼べないだろう。

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