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【ダボハゼ禅】坐禅と見性、別館【まったり】七
- 1 :ほうれん草のゴマあえ:2014/11/03(月) 09:13:13.87 ID:SknChdqK.net
- たとえば、風が吹いているような日に、
うら山をボンヤリ眺めてると
杉の葉がざわざわと揺れ動いて、
人の顔、鬼の顔、鶏天丼の大盛りだったり、
むかし一時間だけ試乗したスズキ・カタナが走ってたりするわけ・・。
- 321 :龍陽君:2016/10/30(日) 23:44:25.74 ID:eKb6Wqo8.net
- 参禅の士が、只管打坐し、図らずも心性を徹見し、大悟の奥裡を極めたといっても、
なるほどそれは究竟の理致、終極の玄路ではあるが、それだけではだめである。
そのみちにはいろいろの関門があって、その大悟が超関脱落底であったにしても、更に窮める底の関門があり、一路があるのだ。
参禅の士は従来通り過ぎた関門を、再び大手を振って通らなくてはならない。
これを出身の活路とも、祖師不伝の一著とも、あるいは向上の一路千聖不伝ともいうのだ。
このことは参禅の士が、大悟を識得した人の実感する必然的昄結である。
つまりこの大悟ということは無念無想にならなくては得られないところから、
催眠術の混沌無差別の状態と同一であると誤解する人がいるが、そんな状態ではない。
- 322 :龍陽君:2016/10/30(日) 23:45:11.86 ID:eKb6Wqo8.net
- 文字こそ両者とも同様であるが、これは混沌として無分別的一如的のもので、
主観客観をまったく糸を切ったように切断されているのである。
外界からいくら刺激がきても感じないのである。
然るに大悟の無念無想は能所根絶といって主観客観は根絶してはいるが、
糸の切断されたようではなくて、その根絶のありのままに安住するという意味だ。
また外界の刺激も空吹く風で殊更に感じないといっても五官の用がないのではなく。
胡来れば胡現じ、漢来れば漢現じて、雀ならチュウ、鳥ならカーと聞くのである。
がしかし、聞くは聞くままに、見るは見るままということである。
- 323 :龍陽君:2016/10/30(日) 23:46:04.77 ID:eKb6Wqo8.net
- この趣きについて澤水禅師は、
「目前の茶碗を見て分別料簡を加へず、直ちに茶碗と云ふが如く、扇子を見て、直に扇子といふが如く、
一切の仏語祖語一時に分明なり」といっておるのがそうである。また催眠状態のような八面玲瓏 の状態と、
大悟の状態を混同するものがあるが、これもおおいなる誤りである。
これに従えばすべての周囲の状態をことごとく知るというのだが、然るに大悟の状態は処々身処々現と感応し同交もするが、
意思のない、傀儡師の機械人形ではない。だから大悟の端的は、心意識の運転も停み念想観の測量もないが、
そこに自己の本性である心性は法爾として存在し、一切活動の源泉をなしている。大悟そのものを正面から見れば、
修行に修行を積んで、百尺竿頭に上りつめたところをいうのである。大底の人の悟りは、ここに登りつめて腰を据えたのが多い。
俺は哲学の原理を極めたとか、俺は人生問題を解決したのとか、
俺は神の霊化や恩寵を感受しただの、凡仏一体になっただの、脱落しただのと言う輩が多い。
古来これらの輩を看話禅、野狐禅一派の悟りと言っている。
- 324 :龍陽君:2016/10/30(日) 23:47:15.76 ID:eKb6Wqo8.net
- 道元禅師は、「曾に誇り悟に豊かにして瞥地の智通を得、道を得、
心を明めて衝天の志気を挙ぐるも入頭の辺量に逍遥すと雖も、幾んど出身の活路を虧闕す」と、お叱りになった。
一類に属するものである。とにかく以上のような悟りに腰をすえた輩を向上の死漢と言って、
非活動的の大悟または病的な大悟というのである。参禅の士は、従容録第二十八則護国の護国三懡羅の話を味わってみるのがよいだろう。
「僧護国に問ふ、鶴枯松に立つとき如何。護国云、地下底一条の麼羅」と。
この僧の問はちょうど百尺竿頭に登りつめた見処を問うたのである。
いわゆる鶴が枯松に立つとは、一切の世念を離れ、無所住のところに安んじ迷悟凡聖、情識分別を離れ、
独立無伴の気高いところを問うたのである。すなわち向上の一路を問うたということだ。
そのとき、さすが護国だけあって地下底一場の麼羅、と答えた。この話はつまり、鶴枯松に立つとはなかなか見事だ、
大尊貴生をかまえたところは、凡人の及ぶところではない。
たがしかし、下から見ると垢のついたところやら、不潔のところまでが、丸見えだ。
あまりに勝れた境界だ、などとの自慢はしないほうがいいという意味である。
一口にいえば、向上より更に向下底に下るのがなければならないという答えである。
- 325 :龍陽君:2016/10/30(日) 23:48:22.42 ID:eKb6Wqo8.net
- これについては萬松老人の垂示がおおいに参考になる。
「寸糸を掛けざる底正に是れ裸行外道。粒米を嚼まざる底の漢、断めて焦面の鬼王。
直饒ひ聖処に生を受くるも未だ竿頭の険堕を免れず。還つて羞を掩ふ処有りや」と。
向上に腰をすえるものは、寸糸も身につけず。凡夫迷情のとれた立派な境界だけれども、
そこをよい境界だと腰をおろすようでは裸行外道であり、仏法では許されないということだ。
一粒の米をもくわぬという飢餓を絶したところは実に凡夫の生活を離れているようだが、
それでは物の則となることはできない鬼王の一種だというのである。
また、たとえ修して証りを得て、百尺竿頭に登っても、さらにその証りの位を離れ、
悟の臭味を取らなければ、十方法界、すなわち社会で活動はできない。
だからそれは恥ずべきことだという考えをおこして、そこからさらに一歩を進める分がなければならない
という垂示である。参禅の士はさらに一歩を進め、百尺断崖に落ちて喪身失命しなくてはいけない。
これが大死一番というので、この大死から再び蘇生してこなくてはならない。
これを大活現成とか、向下の一路とも、却来の消息とも言って、大悟見性の妙用である。
- 326 :神も仏も名無しさん:2016/10/31(月) 23:16:04.30 ID:RasmLQYX.net
- 渥美清の生涯と寅さん(途中CMあり) - 1:27:07
https://www.youtube.com/watch?v=bB9QqaWSPxA
男はつらいよ かたやまうきょう - 1,030 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=VWItZIkOFEs&index=1&list=PLql_K3vJRNXo5my7HhnSRz9dmkz0p3UHC
- 327 :龍陽君:2016/11/01(火) 00:55:44.96 ID:fFpsNsJS.net
- これを身心脱落に対して、脱落身心ともいうのである。
現象即実在に対して、実在即現象というべきところである。
このとき逆順縦横興奪自在の活作用を得るのだ。
ものの龍蛇、緇素を弁明し、剣刃上に殺活を論じることもできるし、棒頭上に機宜をわかつこともできるのだ。
等閑の一句一言、群を警し衆を動かし、一機一境鎖を打して、枷を敲き、仏界であれ、魔界であれ、社会であれ、国家であれ、
諸般の順逆二境に立ち入って殺活の妙手をくだすことができるようになるのだ。
これが大悟さらに大悟した状態なのだ。
- 328 :龍陽君:2016/11/01(火) 00:56:42.89 ID:fFpsNsJS.net
- 参禅の士はあるいは霊雲のような桃花を見て悟ることもあるだろう。
香巌のように擊竹悟道することもあるだろう。
あるいは明星を見て悟道することもあるだろう。
あるいは敵弾に触れて大悟することもあるだろう。
だがその大悟の正当においては以上のような殺活自在逆順縦横、単刀直入、
電影斬風の奥底まで悟りぬいて、
しかもその臭味を取り去った境界にならなくてはなりませんぞ。
- 329 :龍陽君:2016/11/01(火) 00:57:21.48 ID:fFpsNsJS.net
- 言うなれば、大悟の体相があるところには必ずその用がなければなりません。
一つ例をあげるとすれば、釈尊大悟の状態がそうである。
見明星の大悟自覚が単に自覚したというだけに止まったら、釈尊の釈尊たる価値はない。
極端に言えば、釈尊があのままで涅槃の雲に入られたと仮定してみればわかるだろう。
たくさんの金をかけて勉強したものが博士課程を修了してすぐ死んでしまったのと同じことで、
一向に価値もなにもあったものではない。
であるから仏の大悟は、百尺竿頭からさらに一歩を進めて、
自覚覚他覚行究満と大悟大徹なされたのであります。
- 330 :龍陽君:2016/11/01(火) 00:58:07.64 ID:fFpsNsJS.net
- だから、四十九年間の横説竪説の説法教化をなされたのであり、
あるいは驢胎に入り、あるいは馬腹に入り、八万四千の応病興薬下化衆生の一路を開くことができなのである。
参禅の士には、只管打坐はここまで大悟大徹しなくてはいけないのであり、
すなわち、却来の消息、この却迷こそが真の大悟大徹なのである。
「乗り得ては ろかいも梶も いらばこそ その浦々の 風にまかせて」という。
閑日月はこのときであります。
安芸守の草履取りをしていた真壁平四郎が後に敕特賜法身国師性西大和尚の偈に
一住径山弄風光、皈来坐円福道場
覚了法身無一物、元是真壁平四郎
と。これが大悟大徹、大悟却迷の消息なのであります。
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