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聖書を愛する俺だけど、釈迦の教えに救われたよ☆2

1 :神も仏も名無しさん:2014/10/03(金) 17:07:53.98 ID:TFgDcpyP.net
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

211 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/05(月) 22:46:52.68 ID:PE1jae3J.net
□愛など他者への配慮もある人間であっても人間として当たり前

  (冷酷・残忍・無慈悲・・・地の肉もある状態=得た自己 地のこと 富や肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせく仕え思い煩ったり、他人への配慮も無い人間は獣と
  同様)

 ―たといわたしが、人々の言葉は御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ〜山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい(コリント)

  聖霊に満ち荒野の者だけ神に喜ばれる、世と世にあるものを必要とし暮らしながら、「神様、私は他の人より信仰があります」という者は一切いない。
  「神」など少しでも何か信仰しようとする者は「よい天気ですね」と世と世にあるものから離れ、何事も思い煩わないで快く挨拶できる者で、争いや戦争・人殺し・略奪
  は一切ない。「いるとかいないとか言って争うこと」も一切無い。「人の手で作られたものを拝め」「人間の宗教的行為をせよ」ということも一切無い。

 信仰あり清々しい心でいつも喜んでいなくても、世で苦しみに耐え、他者への配慮もある人間でいても、瀕死の人を助けても、妻子を愛し護っても、人間として当たり前
 であると。人類を不完全な地でからし種一粒ほどの信仰の無い者として生まれさせ、誰も人間でいたいと生まれたことを理解し、尊重すること=神にとって人間の状態で
 当たり前=それで神様信仰ありますという者はひとりもいないのである。

212 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/06(火) 19:10:43.44 ID:Q3ujWsnB.net
□妄執外・悪しき者の配下外=無量の慈しみ

  そして他者(神と呼ばれる人格)=地上のものに心を一切引かれぬ者のみ信仰あり。

 ―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を待たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―(ローマ) 
―法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、他人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せ
よ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人は地獄〜善人は天上―(感興のことば)

  神とか他者信仰など無く、『からし種一粒ほどの信仰無く』まだ汚れの無い幼な子として何一つ信じず生まれた。もちろん人間の宗教に毒されることもなく。
   何も信じなくともむしろ健康的な心を知り、悪しき者・妄執を乗り越えた境地を肉の内に宿し、何も信じなくとも自然のままでわかるだろうという人間の状態にされた。

213 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/06(火) 19:22:24.74 ID:Q3ujWsnB.net
■仏教で悪魔ナムチと呼ばれる軍隊

  かたちあるものを拝ませ、呪文のように意味不明な言葉をくどくどと唱え、死者の供養を善いことのように行う悪魔教。心無い者どもの人間教を悪霊どもが褒め称える。
  そういったものを批判し「神の御加護」と神を信じても、神にとっては他の人たちのような者として全く同じ。全て人間の思いや自己愛から生まれた宗教は、心無い獣の
  ような人間を釣り殺し束縛するものだと。むしろ健康的な者を不健康な者から護るためにあるとして寛容な方である。

□心があれば世に打ちひしがれた人々〜貧しい人々

  この世の者ではない姿(イエス)・生きながら彼岸(世を捨て無所有で家なくして歩みわずかな食物で暮らす) 悪しき者・妄執を乗り越えた姿のみが信仰ありの者と認める
 こと、地上のものに心を引かれない、何事も思い煩わないいやしが善い者・神への信仰として在る。

   ―山へ逃げよ―(マルコ)― イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜そのあいだ何も食べず―(ルカ) 
  ―森の住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗―(仏) 何事も思い煩わないそういった心が信仰ありの者と
  認めて、

214 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/06(火) 19:48:46.83 ID:Q3ujWsnB.net
□宗教者に命令

―法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、他人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せ
よ、教えさとせ〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人は地獄〜善人は天上―(感興のことば)
―肉体を宿している間は主から離れていることを、よく知っている〜善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである〜人々に説き勧
める―(コリント)―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ)

 信仰・宗教が無いから「この世の者」であり、ただ誰も自分の命を憎むことなく生まれたように「人間になりたいと生まれた」ことを認め、尊重してあげ、知っているはずの
 ことを教えることが、人間を救う宗教の役割だと教え、世を救おうとされた。神が悪を憎むことにつながる善悪を押し付けることは一切ない。 

 ―どの方向に心でさがし求めても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである(感興)

       自己がいとしいとして生まれた人間を、悪しき宗教や冷酷・残忍・無慈悲、物や金を優先して人間を人間と思わない者から護るため。
       本来あるべき人間の姿を護るため。きたるべき世のため。

215 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/07(水) 23:32:31.77 ID:6GJuLHXh.net
□神など何か信じようとする者は、肉体外を善としているから、何か信じようとする者は滅びを信じる者とされる。
  単純信者の最後は滅びと決められている。決して善い国には入れない。

 □悪から離れ、他者への配慮もある行動をしても自然のままとし、苦難や困難なことがあっても(世の中にあることだから)といって耐え、明日にことにも臆病にならず、他の
  人に困難なことがあっても、信仰で願い求めるような(他人に何かせよというような)祈りや宗教的行為をせず、助けたりできる者は自分で行う者。
    たとえで言うと、家族に病気の者がいても、医者しか治せず、患者を医者に連れていく・・・何も信じないで行う者は見事な信仰な者である。

そういった人々を人間がつくった悪魔教から救うためでもあり、

 ―すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるの
 である。神はこのキリストを立てて〜すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、
 神みずから義となり、さらにイエスを信じる者を義とされるのである〜人が義とされるのは、律法の行いのよるのではなく、信仰によるのである〜信仰ゆえに、わたしたちは律
 法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである(ローマ)

216 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/07(水) 23:33:46.40 ID:6GJuLHXh.net
神はバカテスタント・バカリック・バカスチャンでも、滅びの反駁仏教者でもない。

 神よ、神様・・・などと騒いだり、何か信仰しようとしているが、地上のものに心を引かれずこの世の者ではないイエスの姿、生きながら彼岸を目指す釈尊と修行僧のみ。
   
  地上のものに心を引かれない国を義として、信仰深い者に対し怒っている。からし種一粒ほどの信仰の無い・何ものも信じることなく(仏教)で、人の世で何も信じない
  者となり、その怒りはおさまる、神のよき理解者となるためで、何もなくとも、思い煩いの無い者とならねばならない。聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まり
  の者のように、できれば大自然などを楽しんで思い煩わない者とならねばならない。

     ―御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない(ガラテヤ)
     ― 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜慈しみのこころづかいがこの世では崇高・一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成
     者ブッダに罪過は存在しない―

217 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/07(水) 23:34:17.81 ID:6GJuLHXh.net
―学ぶことに生きがいを認め、奉仕を楽しむために、戒律をまもって生き、ブラフマンを奉じた生活を送っている人々がいる。これは一つの極端説であると説かれる〜
 この二つの極端説を知って、そこにとどこおっていなかった賢者たちは、それで思い上がることはない(感興のことば)

―自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく(ローマ)

  信者=悩み・迷い・自己愛からくるもの、或は人間がつくった悪魔教の勧めから救うためでもあり、

  この世で崇高な者にならねばならないことはなく、思い上がらない程度の他者への配慮もある人間で自然のままで行えるようなことでよく、もし、海で溺れた子供を命
  を懸けて救ったなら、世間の人々が勇敢だと褒め称えるように、何も信じなくとも素晴らしい者はいる。

  本来なら、何も信じなくとも人として心のただ中にあるものをわからせるためであり、自然のままでも知っているはずのことのみが人間にはある、その律法の確立の
  ため。

218 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/08(木) 22:39:56.31 ID:tU5VGFPD.net
□神に対する論じ合いは全く必要ない!

 何一つ信じず生まれ、誰も自分の命を憎むことなく生まれ、それぞれ自分を大切に思う人間を尊重してあげる。そういった人々の集団・国家により神の平和が築かれる。
   「愛・良識ある人間」 信じる者ほど迷っているのだ。信じる者ほど悩みがある。自己愛により、御利益を望んで人間の宗教に頼ろうとする者たちもいる。

  決して死を味わうことのない世界ありから、全世界は悪しき者の配下・妄執という一つのものに一切のものが従属した=人間の思いを得た がどういうことだ?
  人間は釈尊と修行僧のように妄執を断じねばならないものか?また、映画やドラマ・報道・・・での人々の神への思いから神への偶像。

  解脱で釈尊の教え、あなたがたは何でもできる山を移すほどの力・・・・・・・で釈尊やイエスに興味を抱いたが、人々の神への思いを見て、神に対する
  偶像を抱いてしまった。「神は私を救って下さった、神の御加護を、神よ、神は、神が・・・・・」彼らにより迷っていたのである。

219 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/08(木) 22:48:08.68 ID:tU5VGFPD.net
□しかし、何も論じ合うことなく「愛や良識ある人間」として生まれたままだと

 では、それが神への信仰ですか?「お前は右か左か?」(私は、悪いことをしないから)「右」と答えた。そして神は怒り、「地上のものに心を引かれない者のみ私への
 信仰だと」「(神に喜ばれることは)、大自然など静かな所を楽しみとし何事も思い煩わない者のみ。」そして、神はひとりだけで人類の支配者で善い神という存在では
 なく、「地上のものに心を一切引かれない者の国」だけを義とされ、生きながら彼岸の釈尊・この世の者ではないイエスの姿で、神への信仰はこのような姿なのだとわか
 らせ、世に打ちひしがれた人々・貧しい人々、いい加減につくられた人間の宗教に対し、善い者の信仰とはどういうことかと教えたり正そうとされた。

■人の手で作られたものを必要とし喜ぶ者

 他の人々と同じ立場で、神にとっては「人間になりたいと生まれた愚かな存在」だけで、神は「全ての人々を尊重している」神がよしとされることは、ただ「地上のもの
 に心を引かれない者」のみで、神がといって人類に対する善悪・理想はない。苦しみ悶えることに耐えねばならない愚かな人間がいる。行いにより誰も義とされない教えは
 そのためだ。善を言い、悪を憎むことなどひとつもない。それぞれの人が、自分(得た自己)を管理するのが、人間の努めなのだ。この世で悪いことがあっても、天を信じ
 てひとつも文句が言えない。

220 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2015/01/08(木) 22:53:52.79 ID:tU5VGFPD.net
■救い主

 そのように人間が勝手にする宗教・信仰などひとつもないのだ。悪霊どものおもちゃにされる良識ない者たちの宗教的束縛や、わからぬ者を獲ること。そういった宗教者が
 人間に役立つように、誰も働いてくれる人々が無いと心得、互いに人々の役に立つよう働こう、過労させることは悪い、少々のあやまちはゆるしてあげよう、公平とあわれ
 みにより分かち与えてあげよう、人を傷つけるような悪い言葉を語ってはいけない・・・人のために役立つような人材に育てるよう、良識の無い者に対して仕事をさせる。
 これが宗教者に対してなさったことなのだ。
 物質界を悪にしたのは、物や金、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りなどより人間を優先することを当然の善とするためで、何も持っていなくとも思い煩うことなく見識が真直ぐ
 なら、むしろ善い者とするためである。

  世の暗黒に覆われたまま迷っていると、人間の宗教に束縛される。大自然を楽しむような清々しい心をよしとし、また、神に信仰があっても、世の善悪から離れ、そうい
  ったことを常としなければいけないので、誰も神をして争うことはない。人と論じ合うことなく、迷っている人々を指導してあげることも、神がされたように善いことな
  のである。

  『天地は滅びるであろう、わたしの言葉は決して滅びることはない』今現実の世の中を歩むため、誰も神様と言えないように神がされたのだから。

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