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聖書を愛する俺だけど、釈迦の教えに救われたよ☆2

1 :神も仏も名無しさん:2014/10/03(金) 17:07:53.98 ID:TFgDcpyP.net
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

21 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/05(日) 20:52:31.55 ID:kZzv23I5.net
□神(人間がつけた名称)はひとりではなかった!

 自分はイエスのような愛情深いような唯一の神がいるかもしれないと、思っていた。 □□■イエスは【神の右】と呼ばれる方々のひとりである■□□
  地上のものに一切引かれない人格、それが神であり、修行僧も世捨て人と離欲の行いをした。

■神と人間は信仰関係は無い (人間は信仰がつくれない) 神は霊で肉と敵対する関係

 ―何ものかを信ずることなく、作られざるものを知り(真理のことば)―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりに
 なるであろう(ルカ)
  釈尊への信仰は世を捨て、家なくして歩み無所有で離欲を目指す修行僧。神への信仰はこの世の者ではない山を移すほどの力あるイエス。

   人間が信仰して下さいと言うことは一切できない。

22 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/05(日) 20:53:40.08 ID:kZzv23I5.net
□救い主

 『聖霊に満ち荒野』『森に住み心静まり清浄な行者』を信仰し、少しでも喜ぼうとする人々は、人間の宗教に毒される者たちより近い。悪から離れ、何事も思い煩わないことをよしとする者は近い。

―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない(エペソ)
―どの方向に心でさがし求めても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである(感興) 

 地上の人間として生まれ続ける全ての人間を尊重されている方である。離欲を達成しない限り、地上で生き続ける運命しかない。

  真理のことば、あわれみや自制などは、何でもできるできない事は無い神通力の領域に遠くはない。

23 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/05(日) 20:54:29.56 ID:kZzv23I5.net
―法にしたがって生き、恥を知り〜自分のなすべきことを行う人を、他人は好ましいと見なす。他人に愛される人は、また自分のためにもよいことをするのである〜他人を訓戒せよ、教えとせ
 〜悪人と善人とは、死後には異なったところにおもむく。悪人は地獄〜善人は天上―(感興のことば)
 ―肉体を宿している間は主から離れていることを、よく知っている〜善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである〜人々に説き勧める―(コリント)
 ―主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい―(エペソ)

  人間の救いのため説かれたことなので、それを枉げることは決してしてはならない。宗教の役割は、清浄・聖霊に満ちた心を信仰の頼りとして、そんな信仰を常にできない者に対して、
  世の中で他人に愛されるような人間に育てること。

24 :おじゃま虫:2014/10/06(月) 14:29:34.95 ID:uCHpAPEO.net
ちりめんしかないなんて、組織ぐるみのいじめだよな。
体系の問題かもしれないけど。あ、松坂屋にいい靴売ってる

25 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/06(月) 22:00:05.16 ID:YKNPCTNp.net
□父(名称)とは

 そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。聖者はその境地について自己の沈黙をみずから知るがままに、かたちからも、かたち無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する。
 愚者たちは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。かれらには無が有であるかのごとくに見られている。真理を見る人には何ものも存在しない。人々は自我観念にたより、たま他人という観念
 にとらわれている(感興のことば)

 ―彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである(ローマ)
 ―その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち〜これらの事が、ことごとく起きるまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しか
 しわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。気をつけて、目をさましていなさい(マルコ)

 ―父には、変化とか回転の影とかいうものはない〜真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである(ヤコブ)

26 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/06(月) 22:01:20.67 ID:YKNPCTNp.net
□無に等しい

                   ―山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい(コリント)

 ―あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧に過ぎない(ヤコブ)―この身は泡沫のごとくと知り、陽炎のようなはかない本性のものである(感興のことば)

 人間は肉であり、その人間が信じることはできない。清浄・汚れ無き状態では、人間というものは無い。=悩み・迷いがあって信仰をする。無になって初めて知れる存在で、有(肉である人間)は、
  信仰できますという者はいない。

  ―イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされてはいない(マタイ)世に打ちひしがれて信じた者に対し、「この世の者ではない神の栄光の姿(イエス)」を神の義として信じさせた。

27 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/06(月) 22:02:46.02 ID:YKNPCTNp.net
■信仰無く生まれた人々

 ―おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう(ルカ)―「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のも
 のではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である(真理のことば)

 盲人は見え〜世に打ちひしがれた人につかわされたように、【神の右の者】か、【人間でいたいと生まれた愚かな者】か、徹底される。分別の無い信仰の者ほど嫌われている人々はいない。
                   地上のものに心を引かれない信仰の者か、からし種一粒ほどの信仰のない者かの二極端。


    ―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦して働き続けた(テサロニケ)そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない(悪魔との対話)

 たとえば、(誰も自分のために仕事をしてくれる人々はいない。世の人々に負担をかけまいと働こう)という心は、健康で働ける人間なら、何も信じなくとも持っていなければいけない。
  人間は「愛や良識的な判断」があればよい。神様と言えるのは、「地上のものに心を引かれず努め、自己や世の思い煩いを取り除こうと努める者のみ」信じてゆるされる方。

28 :神も仏も名無しさん:2014/10/08(水) 13:46:20.53 ID:/baCL/Fo.net
どれ書き込むかWデーター、ディスク一枚丸ごと消えたW
ネーム入れしていない一枚があり、再びネーム入れ1100ネーム入れを一日でW
くそWWWW

今日は分類しているぞW再開W

29 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/08(水) 21:27:10.84 ID:bEdAh7AO.net
□善は無に在る 平安・安らぎ・一切のものが悩み苦しみ思い煩わないことを喜びとする境地  物質以前は平安と安らぎに満ちて善以外のものは何も無い

 平安の境地・安らぎは虚妄ならざる真理 そして安かれと言われた・人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安
  
  無=絶対善は人間の作ったもの一切を作ってはいない。世と世にあるものは、世にいる人間が作ったものである。 釈尊は家なくして歩みわずかな食物で暮らす生活を守ることで修行僧に瞑想をさせ
  真理を希求させた。

  神は忍耐をもって耐えておられたが、この世の者ではないイエスの姿を神の義とされ、地上のものに心を引かれた罪人を、からし種一粒ほどの信仰の無い者として救うために信仰対象となり、自然の
  ままでも良心があればわかる教えを広めようとされた。

30 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2014/10/08(水) 21:32:51.48 ID:bEdAh7AO.net
■全知全能の神は無知無明と正反対の、(邪な見解を捨てれば)あなたがたは何でも知ってできない事は何もないという意味である

 肉は誰も信仰できず、聖霊に満ち荒野の者のように、森に住み心静まり清浄な行者のように、まだ汚れの無い子供が何一つ人間の信仰に汚されないように、
   ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―(ブッダのことば)

  世のこと自己のことに何事も思い煩わないよう日々努めなさい。世の欲得なことにあくせく思い煩い悩み苦しむ悪魔の者たちのように滅びの者どもと一緒にならないで、まだ何も信じないで、
  「よい天気ですね」「清々しい朝だ」と健康的な者のように、「世の欲得なことにあくせく思い煩わず衣食があれば足り、何事も思い煩わない者となれ」これは、何か信じた者の努めである。

   肉の欲・目の欲・持ち物の誇り・五欲の対象や人々の富への貪欲に執着しあくせく思い煩い悩んで苦しんでも、それは永遠の命ではないと「神の右」の者は言われる。
  
  永遠の命につながる人間はもともと良心に従い生きているものだと言われる。「愛・良識」で通常ならわかるはずのものだと。

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