2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

61 :踊るチョンコ劇場:2014/01/21(火) 22:54:29.86 ID:wBWVqPCh.net
ほら、とふぢん臭くね?

日本で朝鮮式の変なお辞儀が流行っていると話題に
http://2ch.hork.info/res/engawa.2ch.net/poverty/1390300823

62 :神も仏も名無しさん:2014/01/21(火) 23:05:27.79 ID:3qYU7lph.net
金銭被害スレにおける「どぢよ」の解説は、とてもわかりやすかったです。スレが無くなってしまったようで残念ですが…
「いんねん」が仏語である事、立教の時点はすでに末法の時代であった事、非常に勉強になりました。
「このたび」は立教前後24・25・26日を単純に指していると思っていましたので、「このたび」から「末法」へ展開していくのは少し理解に時間がかかりましたが、その後の書き込みで理解できてきました。
かなり気が早いですが、基本さんが「元の理」をどう語って下さるのか、今から楽しみです。

63 :基本。:2014/01/22(水) 00:37:59.85 ID:bIV5jKKs.net
>>60
長いお付き合いのお方ですか、基本は間違えたら姿を消すとか、基本的な心構えを示したあの頃をご存知でしたか。
一気に書き下ろしておりまして、書き間違えと言うか、打ち間違いと言うか誤字脱字は常の事ですから、お許し下さい。
>>62
このたびを、この度と書いても今度と書いてもこのたびです。
おやさまはこれまでも裏で守護されていたと言う「こふき話」もあります。
「旬刻限」でいうなら、「仏法にては末世」。がこれに相当します。

何よりおやさまは浄土宗の念仏を唱えておられた方です。
五重相伝を受けられておられます。
法然、親鸞の浄土教とおやさまには、仏道上の縁があります。
そういうことを踏まえて、史実を数理で確かめますと、この世の救済者弥勒菩薩は中山みき様だと、
誰でも分かる事です。

教祖在世中の初期の信者さんには「行者信仰者」が多く、説いていた教えの説き方も行者風であったと思慮されます。
泉田藤吉も行者信仰系だと思われます。師宮島佐太郎も行者系であったと思います。
そういう古風な信仰スタイルは学者の受け入れにくいものだったのでしょう。
彼らは「一喝」できる。学者はくどくど語る、そういう違いです。

64 :神も仏も名無しさん:2014/01/22(水) 00:59:36.19 ID:wORU7v88.net
>>61
長年、清の属国だった奴隷民族が、日本を弟に見立てて、自分たちは、兄魂姉魂だとえらそーに支配しようとしてる。
これはもう、とふぢんと言っても過言ではない。

奴隷が上に立つと、ろくなことにならない。

65 :基本。:2014/01/22(水) 01:56:47.43 ID:bIV5jKKs.net
>>59
おっしゃるとおりですね。
感覚の相違と言いますか、問題の本質からまるで離れたところで「自分たちの生活」基準で、天理教を利用しているわけです。
問題の本質は「世界の大難」にある。
「火水風退くと知れ」にあるわけです。

立教は何のためになされたかと言えば、「核の脅威」から人類をたすける為です。
しかし、人間は「神のばち」が問題であって、人間自らの手により招きこむこの世の地獄は、想定していない。
逆に「核と言うエネルギー」を利用して、人間をより幸福へと導こうとするわけですから、
「心さえ真心なら」「核利用は善」だと、思い込まされている。
ここが問題です。

66 :基本。:2014/01/22(水) 02:10:39.03 ID:bIV5jKKs.net
天理教の教理要理にまとめた事がありました。引用します。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1324264164/301-400
中山みきは、明治9年、おふでさき12号にて、「四月四日」よりの予言を記した。
中山みきは、自身の定命を20年縮めていたが、本来の定命、115歳は、 教祖誕生は1798年、定命は115才、1913年。
ここで、いちど白紙になり、翌年から新たな一を始める理であった。
 四月四日は、数理44年。1913年の翌年から44年目は1957年。
 この時、東海村に、日本で初めて、原子力発電の火が点った。
・・これが、中山みき、四月四日よりの、予言の実現の第一歩であった

四月四日より
このはなしなにの事をばゆうならば にほんもからもてんぢくの事 (12-7)
 これからハせかいぢううを一れつに 月日そふぢをするでしよちせ (12-8)
 これまでもせへいゝばいにことハりを 月日だん/\ゆうてあれども (12-9)
 くちさきでゆうたるまでハたれにても たしかしよちをするものハない (12-10)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

67 :基本。:2014/01/22(水) 02:19:41.66 ID:bIV5jKKs.net
五日
 いまゝでも月日の心だん/\と せへいゝばいにつくしいれども (12-11)
 せかいにハたれかしりたるものハなし とふむこのたび月日せひない (12-12)
 それゆへにせかいぢううをとこまても ことハりてをく月日しりぞく (12-13)
・・・・・・・・・・・
世界中を一列に掃除するという予言が四月四日よりで、「原発に火が点った」。
さらに、おふでさきでは、五日に月日が退くと言う予言になっています。
 1913年の翌年から50年目は1963年。

 日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、
東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。
これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、「月日退く」の姿である。

人間は核の火を手にした時、人そのものが宇宙の支配者となって、月日は、
恰も退位した状態になった。
お日様がなくても、核がある。無限の太陽を手にしたと言う姿は、実は、「月日退く」姿であった。

68 :基本。:2014/01/22(水) 02:43:44.81 ID:bIV5jKKs.net
天理教の教理要理には、要点だけが述べてあって説明不足をここで補充します。
先ず、引用です。
343 :基本。:2013/11/02(土) 20:23:23.86 ID:8pFDbS9Y世界を助けたいという神は、何からたすけたかったかと言うと、「核」です。
人類にとって「原子力」というのは、「火水風」の守護の力そのものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E3%81%AE%E6%97%A5
日本の「原子力の日」は毎年10月26日で以下に示す出来事を記念するために1964年7月31日に閣議決定によって制定された[1][2]。
1956年10月26日 - 日本が国際連合の専門機関の一つである国際原子力機関へ参加した。
1963年10月26日 - 茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉 (JPDR Japan Power Demonstration Reactor) が日本で初めての原子力発電に成功した。

以前は、4月18日の発明の日を含む「科学技術週間」のうち1日が「原子力デー」とされていたが、「原子力の日」として分離独立した。[3]
4月18日中山みき 誕生。 10月26日みき立教宣言。
 この意味を理解しなければなりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、数理にて明らかなように「上」対「神」、「原子力・科学」対「月日」です。
核を原子力を「科学の神」とするのなら「月日の親神」は無用と言う事だから、
退くよという、神の理の責めです。

アニメ的に言うなら、科学の力で太陽を手に入れた人間にたいして、その愚かさを教えるために、魔術をもって時を操る中山みきです。

69 :基本。:2014/01/22(水) 02:59:03.50 ID:bIV5jKKs.net
明治7年 1874年、山村御殿の節がありました。教祖伝から引用します。
山村御殿のふし:
 石上神宮の神職との問答があって後、奈良県庁から、仲田、松尾、辻の三名に対して差紙がついた。三名が県庁へ出頭すると、社寺掛から、別々に取調べ、信心するに到った来歴を問い質した。
その時、社寺掛の稲尾某は、十二月二十三日(陰暦十一月十五日)に山村御殿へ出張するから、そこへ教祖を連れて来い、と命じた。
山村御殿とは円照寺の通称である。
 円照寺は、奈良県添上郡帯解村大字山村にあり、その頃、伏見宮文秀女王の居られた所である。
このような尊い所へ呼び出したなら、憑きものならば畏れて退散する、と、考えたからであろう。
 教祖は、呼出しに応じ、いそ/\と出掛けられた。
 お供したのは、辻忠作、仲田儀三郎、松尾市兵衞、柳本村の佐藤某、畑村の大東重兵衞の五名であった。
途中、田部村の小字車返で、ふと躓いて下唇を怪我なさった。
心配するお供の人々に対して、教祖は、
「下からせり上がる。」
と、仰せられ、少しも気になさらなかった。
 円照寺へ着くと、午後二時頃から、円通殿と呼ばれる持仏堂で、中央に稲尾某が坐り、石上の大宮司と外に一名が立ち会い、主として稲尾某が取調べに当った。
稲尾が、いかなる神ぞ。と、問うと、その言葉も終らない中に、神々しくも又響き渡るような声で、
「親神にとっては世界中は皆我が子、一列を一人も余さず救けたいのや。」と、仰せられた。
稲尾は、其方、真の神であるならば、此方が四、五日他を廻って来る間に、この身に罰をあてゝみよ。と、言った。
 その途端、教祖は、
「火水風共に退くと知れ。」
と、言い放たれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治7年は1874年の宣言であった。
そこから、「五つ理を吹く・神の立腹」、5×5×5=125年の事。1999年。
1874年の宣言を1と数え始めると、数理正月二十六日は126年目。1999年。
 四月四日に開始された「神の掃除」は、1999東海村原発臨海事故をもって、「月日退く」の理を、小難無難にてお見せになった。

70 :基本。:2014/01/22(水) 03:08:31.61 ID:bIV5jKKs.net
>>68
> 天理教の教理要理には、要点だけが述べてあって説明不足をここで補充します。
先ず、引用です。
明治20年は1887年です。
神の返しは1月26日に開始されるとの予言がなされていて、その、扉開いた1887年の刻限予言は、「山を刳り貫く」は、
五つ理を吹くの、五の三乗125の数を1887年から数えて、2011年の同月同日、311福島原発事故で予言実現開始となっていることは、これまでにも述べてあります。

それは、何に対する神の返しかといえば、明治19年の中山みきへの投獄と拷問に対する神の返しです。
三十年に一度と言う寒波の牢獄で、板の間に寝起きさせ、昼はさらし者にし、中山みきに休息を与えず、さらには水をぶっ掛けて、殺してしまおうとするほどの、徹底ぶりでした。
「稿本教祖伝」には、お久は水をぶっかけさせなかったと、お久にまつわる事実として、記録されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時 刻限御話
内も世界も十分と思うであろう。さあ/\始め掛ける/\。
どえらい山がある。ろくぢ/\という事も聞かせてある。
山を刳り抜かねばろくぢでない。さあ/\刳り抜くで/\。
それ/\へも伝えて置かねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
原発依存社会にと高山はどえらい山は、世界を指導し、みきはそれを刳りぬいて、谷底競り上げる。
おふでさきの、おさしづの予言は理として発動しています

総レス数 576
525 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★