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天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

41 :基本。:2014/01/20(月) 11:11:09.78 ID:6fiSwK8C.net
>>38
> 中山みき「我は天の将軍なり。」→ 126年 東北地方太平洋沖地震
 暖房は無い。
 寝具は無い。
 夜お寝みになる時間が来ると、上に着て居られる黒の綿入を脱いで、それを被ぶり、自分の履物にひさの帯を巻きつけ、これを枕として寝まれた。
 一日中板の間に正座の拷問
 夜が明けると、早朝から、教祖を、道路に沿うた板の間の、受付巡査の傍に坐らせた。
 それからは、一日中、姿勢を崩さず座って居られた
 そして神がかりの教祖を庭に引き出して真冬に水をぶっ掛けて・・
  毒殺の可能性があって、
 食事は、分署から支給するものは何一つ召上らず・・飲みものは、梶本の家から鉄瓶に入れて運んだ白湯のみを差上げた。
 
 分署にお居での間も、刻限々々にはお言葉があった。すると、巡査は、のぼせて居るのである。井戸端へ連れて行って、水を掛けよ。と、言うた。
しかし、ひさは全力を尽くしてこれを阻止し、決して一回も水をかけさせなかった。
 ひさの知らないときの事であろう。教祖に真冬に水をぶっ掛けられて官憲は殺してしまおうとした。

 或る日のこと、
「一ふし/\芽が出る、・・・」
と、お言葉が始まりかけた。すると、巡査が、これ、娘。と、怒鳴ったので、ひさが、おばあさん、/\。と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」
と、仰せられた

 こう言う事も、呪法の一つであって、
「憂世と言うて居るこの世が、本来の陽気ぐらしの世界へ立ち直る道を教えようとて、親なればこそ通られた、勿体なくも又有難いひながたの足跡である。」
呪法の最高呪法。
イエスキリストが十字架にかかると言う呪法を用いた事を想起すれば分かりやすい話でしょう。
 
                  

42 :基本。:2014/01/20(月) 11:41:13.77 ID:6fiSwK8C.net
どんな難儀もみなをやが替わり通ってある。教祖の魔術です。

明治19年には教祖が世界助けのために仕掛けた呪法の典型があります。
それはこれです。
[ひさが、おばあさん、/\。と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」 と、仰せられた]

 明治二十年:
 このように、内外多事のうちに、道は尚も弘まってゆくばかりであったが、
明治十九年も暮れ、明けて二十年一月一日(陰暦十二月八日)の夕方に、
教祖は、風呂場からお出ましの時、ふとよろめかれた。
その時、伺うと、「これは、世界の動くしるしや。」
と、仰せられた。
 実はこれが、→126年 2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん) の、
直接的な予言です。
「世界のひょろめき」と言います。

呪法的には、きちんとしています。
官憲が拷問したとかではなく、
「ひさ」が「ばあさん」と呼んだ。
これが、ひな型です。悪のモデルです。

教祖伝にはこうあります。
「ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。・・・ひながたの道より道無いで。」
                 (明治二二・一一・七 刻限)
 教祖は、尊い魂のいんねんのお方であり、月日のやしろに坐す御身を以て、説いたゞけでは救かる道を歩もうともせぬ一列人間に、救かる道を教えようとて、
自ら先頭に立って、どのような中をも通り抜け、身を以て万人の救かるひながたを示された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みきを「ばあさん」と呼んではだめです。
みき姉さんと、生き神様のみき姉さんと呼びましょう。

43 :神も仏も名無しさん:2014/01/20(月) 14:51:55.53 ID:JWb9h3fk.net
>>35
9億9千999年?

それでは69ろっくにならないではないか。

44 :基本。:2014/01/20(月) 17:42:23.54 ID:6fiSwK8C.net
>>43
ご指摘の通りです。
>>35では、解説の為の解説の一例を申し上げましたが、引用しますと
> 天理教でなくてもどんな宗教でも真理を語っているわけだから、天理教である必要は無いと、反論されます。
> すると、いや、9億9千999年の旬刻限で、これまで説き明かされていない最後の、究極の一点を説くために立教したのだ。
> 天理教はキリスト教や仏教と、それと同等以上の世界最高の宗教なのだ。と、
> こんな風に、語るに落ちていってしまったわけです。
おやさまは、9億9万9千999年と仰せになっていて、これは実数である、実年であるというのが基本教理です。
しかし語るに堕ちてしまった教義学者は「比ゆ」としての数字として説きますから、大雑把に10億年とも語るでもなく、
実数では無い「言葉遊びの6九 ろっく」として語る。
だから9億9千999と語る程度に、語るに落ちているわけです。

基本は、いつどんな場面でもみき様は実数で語られてあると。デジタルであると。
それが基本です。
>>43さんも、
その数字1個の違いは、呪文の間違いと気が疲れてご指摘下さって、有難うございます。

基本教理マニアの為に基本中の基本を語っておかねばなりません。
それは、みき姉さんは数理にとことんこだわっている。と言う事です。

基本数理として一二三の順序があります。
それはデジタルな話であって、
 天理教教典第一章には書かれていなかった、中山みき「我は天の将軍なり。」これは立教の10月26日のお言葉ではありません。10月24日のお言葉です。
24日25日26日、123の3日目に立教でした。
つまり、立教の三日前に「天の将軍宣言」でした。
(続きます)

45 :基本。:2014/01/20(月) 17:54:52.02 ID:6fiSwK8C.net
>>44(続きです)
 教祖伝に書かれていた中山みき「我は天の将軍なり。」これは明治19年のお言葉です。
 一日と一年は同じ理です。
明治19年20年21年、123の数理で、3年目には、
明治21年 4月10日、東京府知事から神道直轄天理教会本部設立認可。
     7月23日、現在の教会本部所在地(現在の奈良県天理市)へ移転。
     この年立教50周年。

 「天の将軍宣言があって、天理教会が出来た」と、誰にも分かるように、
みき姉さんを親神だと信じるなら、誰にも分かるようにと、ガチンコに数理で固めてあるのです。

天理教とは、立教も「天の将軍宣言」の3日後。教会開始も「天の将軍宣言」の三日(年)後。
 天の将軍の教え、天の将軍の宗教
みきのプライドは高いのです。
 「おばあさん、おばあさん」と、みきに呼びかけた山沢さんは、利口な女性で、
警官の前では「神さま」とは呼ばないで、「おばあさん」と呼んだ。
 これが泉田藤吉だったら、「神さま、!神様!」でしょう。
 阿呆は神の望みとおっしゃるで、・・
 本部内々にしても、利口な方が多くて、特に利口な山名系のお方や大学教授や天理教校の先生方は、
天の将軍の教えだーとは、叫べなかったのです。

 基本は、みきが親神であり「天の将軍」だと、
みき姉さんに、「凄いなみき姉さんは」と、「付いていきます」と、
素直に天理を認めることです。

46 :基本。:2014/01/20(月) 18:22:23.42 ID:6fiSwK8C.net
>>43さんは、良いお方です。
たぶん、次のような疑問を持たれたはずです。
 中山みき 誕生       → 126年   関東大震災。
中山みき 甘露台の予言。   →  126年  東北淡路大震災
中山みき「我は天の将軍なり。」→ 126年  東北地方太平洋沖地震

だとすると、中山みきの最大の節目の一つ「立教」→126年は何なのかという疑問。
こういう突っ込みはなかなかしていただけなくて、・・。
自分で突っ込んで自分で説明します。

>>32 :基本。:2014/01/19(日) 07:17:43.10 ID:KMQQQWfh>>26 :基本。:2014/01/19(日) 00:35:16.83 ID:KMQQQWfh「1」-3
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

世界一列をたすける数理としては「正月二十六日を待つ」、「126」の数理が基本中の基本です。
126は、125+1です。
125は、5の3乗で、5X5X5で、「五つ理を吹く」と教えられています。
「五つ理を吹く」は善ならば、「豊年満作無病息災、生めよ増やせよ地に満てよ」、
地上の楽園です。桃源郷です。「ここはこの世の極楽」です。
「五つ理を吹く」は、悪ならば、「五月五日の戦争の数理」「神の残念」、月日の腹が弾けるほどの「神の立腹」。
血肉が下る、この世の地獄です。

 世界一列を助けたいと言うのは、まさに「この世の地獄」が125の先に待つからです。
見えるからです。因縁を切り替えるには、教祖の生誕、立教、甘露台の開始、天理教誕生。
この四つが必要不可欠であったが、そばのものは、立教の意義さえも分からぬ利口な方々ばかりであったと、
そういうことです。

47 :基本。:2014/01/20(月) 18:42:41.30 ID:6fiSwK8C.net
「1」-3
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

それは、大社高山がままにする人間社会の泥海からの人類救済であり、
それは、現実に世界で行われている政治権力の横暴からの救済であり、
虐げられた谷底の「債務奴隷」状態からの解放であるのです。
信州伊那谷に布教に来た本部懲戒免職の布教師は、基本の師宮島佐太郎に次のように教理として教えています。

栗と柿が神の与えた食物だったが、「かきね」をこしらえ「やりくり」し、
兄魂姉魂の者たちが神からの食物をわがままにし、「百八つの段別が出来てしまった」。
このたびそれを、世界ろくじにするのが天理教の教えだ。

本席宅に青年として住んでいた人物からの伝承の教理は、さすがに懲戒免職されるだけの内容を語ってしまっています。
「この世の108っつの段別」をろくじに均す。
これが、天理教立教の原因である事を、基本とします。
「世界ろくじに踏み均す」と、明治二十年に語ったと言う事は19年20年の二日目ですから、
天保九年10月25日、つまり二日目に、同じ内容を語ったことは、数理上明白です。

25日に神の立腹を諭す。デジタルです、ガチンコです。みき姉さんの凛とした生きのよさ、
神は世界ろくぢの為に立教されたのです。

48 :基本。:2014/01/21(火) 00:00:32.41 ID:G8aBeBL3.net
[このたび世界一列をたすける為に天下った。]
この事は、世界中を陽気づくめにするという、「陽」の面だけから語るのは、片手落ちです。
また、「谷底を救済する」という、弱者救済という底辺の部分から見た改革だけを語るのも、偏りすぎています。
世界一列には「高山の者。大社関係者」これも含まれていて、「このたび差別なき社会にする」とは言われていないわけです。

そこで、人間的な発想ではなく、理としての思案が大切です。
オカルト的に、立教の「24日25日26日」で理解しますと、「4は四つよんなか」。
「5は五つ理をふく」「6は六つろくだい」です。

「よんなか」=大和言葉では豊年、=普通には夜の中、闇夜です。
 賑わしく暮らしている(豊年)実は闇の夜、よんなか。 天の将軍の登場。
 五つ理を吹く=利を吹く(繁栄)、実は=5×5(軍事支配),戦争の泥海。
 六 =ろくだい、ろくぢ、 謀反の根を切る。 六つ無性に吹きまわす。
これが、数理で示されています。
 豊作というが実は「よんなか・闇の世の中」
 利が吹いているが、実は「戦争の世の中」
 「ろくぢ、平等と言っているが差別の世界」
 この世に待つ未来は、「数理125」、神の立腹の5の3乗。
 そこに待つものから、高山の横暴の先に待つものから、世界を救わなければならない。
それは、本質は、
 「火・水・風」退くという未来社会。

それを、おやさまは、予見し予言し、自らを天の将軍と宣言し立教されました。
 「火・水・風」退く世界。・・・・・・・
怖き危なき道。「よんなか、りをふく、むしょうにできまわす」。
「世界中を、営利を求めて、やみくもにプロパガンダする人間」の未来には、
「火・水・風」退く世界が待つ。
 それを未然に防ぐために、天の将軍の威信をかけて、ひながたの呪法をもって、
 天理教は立教した。456の示す数理。 天理教会は誕生した。456の示す数理。
ご承知出来たことと思います。

49 :基本。:2014/01/21(火) 02:27:32.05 ID:G8aBeBL3.net
天理教教典は神秘の書心霊の書として読まれるべきである事は、もうご理解頂けたと思います。
>>48
[[このたび世界一列をたすける為に天下った。] ]
これにつきましても神秘心霊的に基本を語らなくてはなりません。
このたびと言うのは、仏法においては「末世」、「末法」の時代と言う事です。
末法とは、>>5 近在に聞えた修験者、長滝村の市兵衞さんには常識として理解できていたことですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%B3%95
末法というのは、仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末になり、僧侶が戒律を修めず、争いばかりを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期とされる。
↑ それは、五濁悪世の世界と仏法では説きます。
その1 劫濁(こうじょく)
 時代が濁ると戦争や疫病、飢饉、天災などの社会悪が増大するということ。
その2 見濁(けんじょく)
 思想が乱れ、邪悪な思想や見解がはびこる。
その3 煩悩濁(ぼんのうじょく)
 煩悩とは、欲望に満ち、怒り、貪り、恨み、時には嫉妬に狂うことで、これらを貧・顚・痴の三毒といいます。
その4 衆生濁(しゅじょうじょく)
このことは、人々の質が下がると言うことです。能力のみならず、知、徳、体のそれぞれの力が弱い人間しかいなくなると言うことです。
その5 命濁(みょうじょく)
衆生の寿命が次第に短くなる。

末法末世は、五濁悪世 五つ理を吹く これは仏法にて先に説かれてありました。

おやさまは、その末法末世を救済するためにお生まれになったわけです。

50 :基本。:2014/01/21(火) 02:44:33.33 ID:G8aBeBL3.net
お釈迦様によって、末法は予言されていました。
その時に「五つ理を吹く」、「五濁悪世」が予言されていました。
その、末世には、「弥勒菩薩」が現れて、衆生を救済するという予言もお釈迦様の予言です。

56億7千万年後に、釈迦の再来として下生し、末法世界と化した世の中にもう一度本来の教えを取り戻しに現れるとされるのが、
弥勒菩薩です。
567、の数理がお釈迦様によって示されています。

では、末法はいつから開始されたのでしょうか。
正月二十六日でした。 

1052年1月26日「今年初めて末法に入る」。歴史にきちんと残っています。
126の数理は、仏道においても、きちんと示されてありました。

弥勒菩薩が現れるのは「567」の数理であると釈迦は示されました。
「五つ理を吹く・仏の立腹」「六つろくだい」「七つ何にも言う事ない」。
「五濁悪世」に「ろっくのだい・甘露台が立ち」「七つ何にも言う事の無い世」がくる。

「567」の数理は、きちんと、弥勒菩薩の出現を予言していました。

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