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天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

341 :基本。:2014/02/28(金) 20:03:39.60 ID:V28vigJu.net
櫟本分署跡の愚かな主張
ベストアンサーに選ばれた回答 fixed753さん http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287851837

教理の制定者二代目真柱は教祖伝は認めず「槁本天理教教祖伝」として出されました。
たしかに
教祖の長男秀司は大阪の米の相場で失敗し、借金をつくり集めた金を持って教祖の次女小寒夫婦、夫藤助の兄、改三郎、弟の又吉で大阪に借金の返済に行ってます(後に「小寒の大阪布教」の創作となる)時は安政二年です。
その借金を返す為に、田地を質にだし母屋も売り払いました。

教祖は天然自然が神であり神がかりを否定し「悟りばかりであるほどに」と、全て自分の責任で語っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[異端教理批判]
中山秀司が相場と博打で財産なくした事はおさしづにもきちんと神は告げています。
小寒の大阪府教は、先に紹介しました「天日染め」の史実にも明らかです。
>>236-238
この時、博打で儲けさせてくれと(基本の推測では藤助同行したと)らがおやさまに頼んで、博打で連戦戦勝し、おやさまが「しのぎは許す」と言われた、それ以上に勝とうとして、大きく勝負に出た。そして負けた。
「大変なことをしてくれたと」おやさまは遠く大阪を見て言われたと伝承されています。
足入れ婚の状態にあった、藤助との縁談は破談となっています。

おやさまは「若き神小寒」と言われていて、小寒様にも神がかりがあった。
櫟本分署跡系は、「小寒の神がかり」否定、「大工の伊蔵のおさしづ否定」、
神秘を認めない共産主義思想だけでは信者がついてこないので、偽神楽をおつとめすることが、教祖のおしえだと、そこだけは神秘を入れないと仕方ないわけで、
神名も「天理王命」でなないと、
もう幼稚園児並みの宗教知識しかない、一般天理教信者を資金源にしようと必死です。

342 :基本。:2014/02/28(金) 20:21:17.64 ID:V28vigJu.net
櫟本分署跡の愚かな主張
ベストアンサーに選ばれた回答 fixed753さん http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287851837
おふでさきでは、
かまいつきものばけものはさらにあると思うなと「さらに…」と念を押して語っています。
みかぐら歌に

 無理に出ようというでなし心定めのつくまでは しっかり思案をせにゃならん
私の言う事も鵜呑みにせずしっかり考えなさいと、はっきりした態度をとってます。
拝み祈祷でいくでなし というのに 天理教教会での「たすけたまへ天理王命」も 矛盾していて、教祖 中山みきの教えは正しく説かれ教えられていません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[異端教理批判]
共産主義者のお筆先解釈は、もともと神のお言葉と思っていないから、とんでもない勘違いが平気でとかれたりします。
「かまいつきものばけものは」無いと言う、共産主義者の言いたいこととして解釈されています。
 これは以下の一連のお歌の中の文言です。

これからハにち/\月日はたらくで とんなしごとをするやしれんで (14-15)
このよふにかまいつきものばけものも かならすあるとさらにをもうな (14-16)
いまゝでに月日ざんねん山/\と つもりてあるをみなはらすでな (14-17)
このはらしどふしてはらす事ならば 月日の心みなしてみせる (14-18)

これから日日月日が働いて、仕事をする。
この世には「かまいつき物ばけものも」必ずあると、いまさら思うな。
親神が、「かまいつき物ばけもの」現象を起こして、神の残念を晴らす。
これが、まともな解釈です。

343 :神も仏も名無しさん:2014/02/28(金) 21:17:28.54 ID:ELmJEu2u.net
http://crx7601.com/archives/37327029.html

↑とふぢんが日本の地に入り込んでままにする?


なぜ日本のスケート連盟の名誉会長が朝鮮人なのか?

344 :基本。:2014/02/28(金) 21:34:42.86 ID:V28vigJu.net
「かならすあると」「さらにをもうな 」この意味ですが、
古文単語辞書 によれば、こうです。 さらにの意味は、
ますます・改めて
少しも・まったく・決して
↑ こんな風ですから、
「さらにおもうな」は、「改めて思うな」か「決して思うな」のどちらかです。
 古文辞書 - Weblio古語辞典古語辞典 によれば、こうです。
さらにもあらず = いうまでもない
さらにもいはず = あらためて言うまでも無い。もちろんである。
  「必ずあるなんて、決して思うんじゃないよ」
  「必ずあるなんて、改めて思うまでも無い」
まるで意味の反する二つの解釈が出来てしまうわけです。

そこで、続いているお歌の意味を「決して思うな」で読んでみたら、意味は通らないか通るかですが、
 これからハにち/\月日はたらくで とんなしごとをするやしれんで (14-15)
 このよふにかまいつきものばけものも かならすあるとさらにをもうな (14-16)
いまゝでに月日ざんねん山/\と つもりてあるをみなはらすでな (14-17)
このはらしどふしてはらす事ならば 月日の心みなしてみせる (14-18)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
必ずあると、いまさら思うんじゃないよ。
きちんと、かまい憑き物化け物は、あるんだよ。

基本は、こちらを採用します。

345 :基本。:2014/02/28(金) 21:52:15.17 ID:V28vigJu.net
八島系櫟本分署後の異端思想は、実は「神秘心霊の否定」であり、明治政府の意図と同じ中身です。
教典本文に、
  たすけでもをかみきとふでいくてなし
  うかがいたてゝいくでなけれど         三 45
これを、親神の教えの本質と二代真柱が示されたのは、「神秘・心霊」が、あるという反語的意味です。

明治6年1月15日教部省達2号を以て『梓巫市子並憑祈祷孤下げ等禁止』
1873年(明治6年)、中山みき、飯降伊蔵にかんろだいの雛型(木製)を造るよう命じる。

かんろだいつとめは、加持では無い、祈祷では無い、狐下げなどでは無い。禁止できるならしてみよというおやさまの御態度があります。
お札は出している、御供は出している。伺いはしている。
神秘心霊を否定し、天皇教に統制しようとする高山の意図、
それに対しておやさまは、「神秘心霊で力比べする」意図をお持ちだったわけです。

346 :基本。:2014/03/01(土) 00:34:20.17 ID:TI5NwXRX.net
>>345
> おやさまは、「神秘心霊で力比べする」意図をお持ちだったわけです。
この視点で、天理教教典本文を検証します。
『教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の 心である。
しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、 日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、
或は憑 きものと笑い、或は気の違つた人と罵つた。』
 『かかる人々に、親神の教を納得させるのは、並大抵なことでなかつた とはいえ、教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、いつ までも、たすけ一条の道は啓かれず、陽気ぐらしへの立て替えは望めな い。』
『されば、教祖は、頑是ない子供をはぐくみ育てるように、世の人々 の身にもなつて、説き聽かせ、或は筆に誌し、又は、親神の自由自在の 働きを目のあたり知らせ、
身を以て行に示すなど、うまずたゆまず導か れた。』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『身を以て行に示す』 逸話遍からです。
教祖は、綿木の実から綿を集める時は、手に布を巻いてチュッチュッとお引きになったが、大層早かった。
又、その綿から糸を紡ぎ機を織るのが、とてもお上手であった。
 糸を括って紺屋へ持って行き、染めてから織ると模様が出るのであるが、
中でも最も得意とされたのは、玉に分銅、猫に小判などという手の込んだ模様ものであった、という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これがひな型です。

機械が万能の時代になるという産業革命の思想は高山の横暴と侵略主義を生みました。
そのイギリス人エドモンド・カートライト(Edmund Cartwright)が製造した。力織機はそれまでの手織機に代わって織物生産の主役となり、産業革命を主導した。
 それでは高級な織物は「機械織り」でしょうか、いいえ違います。

 中山みきは、手織りで自らデザインした織物を、つくって見せた。
ひながたです。

347 :基本。:2014/03/01(土) 01:13:00.53 ID:TI5NwXRX.net
>>346
> おやさまは、「神秘心霊で力比べする」意図をお持ちだったわけです。
【染物】逸話篇14
 ある時、教祖が、「明朝、染物をせよ。」と、仰せになって、こかんが、早速、その用意に取りかかっていた。
すると、ちょうど同じ夜、大豆越でも、山中忠七が、扇の伺によってこのことを知ったので、早速、妻女のそのがその用意をして、翌朝未明に起き、泥や布地を背負うてお屋敷へ帰って来た。
そして、その趣きを申し上げると、教祖は、
「ああそうか。不思議な事やな。ゆうべ、こかんと話をしていたところやった。」
と、言って、お喜び下された。 こういう事が度々あった。
 染物は、後にかんろだいのぢばと定められた場所の艮(註、東北)にあった井戸の水で、お染めになった。
教祖が、「井戸水を汲み置け。」
と、仰せになると、井戸水を汲んで置く。
そして、布に泥土を塗って、その水に浸し、浸しては乾かし、乾かしては浸す。二、三回そうしているうちに、綺麗なビンロージ色に染まった。
この井戸の水は、金気水であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
産業革命、合成染料が発明されて、染物は工業化されました。
http://www.med.akita-u.ac.jp/~doubutu/gijutubu/industry.html
◾アニリン紫(1856年 英 パーキン)・・・紫は王族の色(1gの染料に9000個の地中海産小貝が必要)
本当はマラリアの特効薬キニーネを合成しようとした。
抗マラリア薬クロロキンが合成されたのは1994年
◾アリザリンレッド(1869年 独 グレーベとリーベルマン)・・・アカネ科植物の根からとったアリザリン(赤)はミイラの包帯に使用
◾インジゴブルー(1880年 独 バイヤー)・・・藍、ジーパンの染色
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おやさまの染色、天日染めと、合成染料と、人間を「富貴」にしてくれるのは、「神秘心霊」ですか「科学工業」ですか。

348 :基本。:2014/03/01(土) 01:23:34.36 ID:TI5NwXRX.net
【おふでさき御執筆】逸話篇22
 教祖は、おふでさきについて、
「ふでさきというものありましょうがな。あんた、どないに見ている。あのふでさきも、一号から十七号まで直きに出来たのやない。
神様は、『書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで。』と、仰っしゃって、耳へ聞かして下されましたのや。何んでやなあ、と思いましたら、
神様は、『筆、筆、筆を執れ。』と、仰っしゃりました。
七十二才の正月に、初めて筆執りました。
そして、筆持つと手がひとり動きました。天から、神様がしましたのや。書くだけ書いたら手がしびれて、動かんようになりました。
『心鎮めて、これを読んでみて、分からんこと尋ねよ。』と、仰っしゃった。
自分でに分からんとこは、入れ筆しましたのや。それがふでさきである。」
と、仰せられた。
 これは、後年、梅谷四郎兵衞にお聞かせ下されたお言葉である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ 神は「分からんこと尋ねよ。」と言われた。
それで、みきは「自分でに分からんとこは、入れ筆しましたのや」

つまり、みきは神の自動書記に、加筆して分かるようにした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
これもひな型です。

349 :基本。:2014/03/01(土) 08:00:09.45 ID:TI5NwXRX.net
>>345
> おやさまは、「神秘心霊で力比べする」意図をお持ちだったわけです。
この視点に立って、おやさまのなされたことを見ますと、科学万能の時代に対する「神秘心霊万能」であることは明らかです。

五三 この屋敷から
明治十年、飯降よしゑ十二才の時、ある日、指先が痛んで仕方がな いので、教祖にお伺いに上がったところ、
 「三味線を持て。」と、仰せになった。
それで、早速その心を定めたが、当時櫟本の高品 には、三味線を教えてくれる所はない。
「郡山へでも、習いに行きま しょうか。」 と、お伺いすると、教祖は、
 「習いにやるのでもなければ、教えに来てもらうのでもないで。こ の屋敷から教え出すものばかりや。
世界から教えてもらうものは、 何もない。この屋敷から教え出すので、理があるのや。」
と、仰せられ、御自身で手を取って、直き直きお教え下されたのが、 おつとめの三味線である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教教典本文には、こう書かれています。
たすけでもをかみきとふでいくてなし
  うかがいたてゝいくでなけれど         三 45
と仰せられ、神というも、これまでありきたりの拝み祈祷の神でなく、 この世人間を造り、古も今も変ることなく、人間の身上や生活を守護し ている真実の神であると教えられた。
>>337
>>339
> ここで「親神の理を明かす」お歌として使われている「三45」のおうた。
> この次に、次のお歌に「親神の理の本質」が、きちんと説かれていて、「三45、46.47」が、一セットに重大なのですが、そこは伏せてある。
> 応法レトリックの、手法の一つです。
> 原典そのもので、その意味を再確認しないと、理が見えないという仕掛けになっています。
たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど (3-45)
このところよろつの事をときゝかす 神いちじよでむねのうちより (3-46)
よろづの事を説き聞かす。
そこには、三味線の弾き方も説き聞かす。
「こ の屋敷から教え出すものばかりや」。
これこそが、親神の理の本質なのです。

350 :基本。:2014/03/01(土) 08:12:38.03 ID:TI5NwXRX.net
おやさまのプライド、みき姉さんの心意気は、三味線だとて皆私が教えるよと言う、ものです。
「この屋敷から教え出すものばかりや」
 たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど (3-45)
   このところよろつの事をときゝかす
   神いちじよでむねのうちより (3-46)
   わかるよふむねのうちよりしやんせよ 
   人たすけたらわがみたすかる (3-47)
「よろつ」とは、文字は濁っていません。「やおよろづの神」の事です。
各宗教宗派には膨大な研究書が残されています。
それらの教えの、だめを教えて、この世界をたすけるおやさまです。
それにおいては、霊救のもとは教えて下さると受け入れやすいのですが、実は、平凡な日常そのものについても、
おやさまは、教えだしていて下さる。これはなかなか分からないところです。

『人間の身上や生活を守護している真実の神であると教えられた。』(教典本文)
この意味するところは、「身上」「生活」そのことごとくを教える親神であるという、意味です。
ここに、おやさまの子としてのあり方が、書かれているわけです。

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