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天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

291 :基本。:2014/02/21(金) 23:33:15.89 ID:LbuyMIOc.net
元々五十年前からの道、めん/\何箇年前より/\、元事情諭する。
幾重の道がこうなりて、重々の道伝え。
又々、順々の道を知らそうと。

これですね。
簡単に言うと、「立教の事情」で、あなたを初代にした。
こう言う事になります。
腰痛というのは、立教の事情に一致しています。
立教の事情でと言うのを、普通の天理教徒さんは、どんな風にお考えになりますか。

292 :基本。:2014/02/21(金) 23:41:53.70 ID:LbuyMIOc.net
教祖伝には、
天保九年十月二十三日、夜四ッ刻(午後十時)、秀司の足痛に加えて、善兵衞は眼、みきは腰と三人揃うての悩みとなった。
と、あります。
腰の痛みが、立教の事情だから、「一家の都合を捨て神の仰せのままに」という精神定めを促されたと、
そういう理解でなら、わかりますが、
他には、意味が分かりません。

293 :基本。:2014/02/22(土) 01:26:15.25 ID:y8Wsd6yZ.net
>>292は、普通の天理教徒さんのご発言でしたね。

おやさまは、立教から50年前からの道の中で、道を付けてきた。
お言葉では「めん/\何箇年前より/\、元事情諭する」ですから、面々が何箇年前より何箇年前より、と、二回の事情があったわけです。
奥六兵衛は西陣織物業を営む大家に生まれ、学識も深く育ったが、28歳の時分家に当たる河内古市村の奥野家に預けられた。

おやさまとの直接の親交があるのは、奥野家で、
奥野家は農を営む土地の名望家であった。親戚に山本利三郎が居り、明治6年頃ににおいがけされているようである。
当主奥野伊重郎は明治11年に教組みきと引き逢わされており、人道講社の講元となっている。
明治14年には赤衣及び御飯茶碗を頂いている。

「人道講社」に、おやさまは赤衣をお渡しになって、神意のありかを示しています。

 奥六兵衛は、奥野家に寄寓中、出入りする山本利三郎が奥野家の次女つるの病気を、神の話を取り次いで助けたのを目の当たりにして大いに感じ入り、これを機に道に就く心を定めた。
やがて、山本利三郎の手引きで大和の庄屋敷村に参り、教組みきの手づからの仕込を受けた。
その後京都に戻り、ここから奥の伝道が始まる。奥六兵衛は教組の導きのままに「施し与える」ことを信条にした実践布教を目指した。
明治11年に月次際(つきなみさい)を執行するようになっている。
(れんだいこさん参照)

つまり、おやさまから、の道筋の中で奥野家「人道」、奥六兵衛の斯道会があった。
「天理人道」を説いて斯道会の道が発展したのは、この元々からの道だったと言う事です。

294 :基本。:2014/02/22(土) 01:33:46.39 ID:y8Wsd6yZ.net
>>291
> 簡単に言うと、「立教の事情」で、あなたを初代にした。
これはつまり、奥野家、奥、深谷、古神道行者系の陰陽道と儒教系の天道人道という宗教素養を、
九つまでの教えを踏まえて「立教した」「立教してきた」という意味にほかなりません。

その根は、おやさまにある。
散財中心の信仰実践は、奥六兵衛先生の態度であったとの事です。

295 :基本。:2014/02/22(土) 01:41:31.97 ID:y8Wsd6yZ.net
三年で大教会初代という、見本ですね。逸話は三年だけは守りましたね。
【狭いのが楽しみ】逸話篇142
 深谷源次郎が、なんでもどうでもこの結構な教を弘めさせて頂かねば、と、ますます勇んであちらこちらとにをいがけにおたすけにと歩かせて頂いていた頃の話。
当時、源次郎は、もう着物はない、炭はない、親神様のお働きを見せて頂かねば、その日食べるものもない、という中を、心を倒しもせずに運ばして頂いていると、教祖はいつも、
「狭いのが楽しみやで。小さいからというて不足にしてはいかん。小さいものから理が積もって大きいなるのや。
松の木でも、小さい時があるのやで。小さいのを楽しんでくれ。末で大きい芽が吹くで。」
と、仰せ下された。
【子供可愛い】逸話篇143
 深谷源次郎は、一寸でも分からない事があると、直ぐ教祖にお伺いした。
ある時、取次を通して伺うてもろうたところ、
「一年経ったら一年の理、二年経ったら二年の理、三年経てば親となる。親となれば、子供が可愛い。なんでもどうでも子供を可愛がってやってくれ。子供を憎むようではいかん。」
と、お諭し下された。
 源次郎は、このお言葉を頂いて、一層心から信者を大事にして通った。
お祭日に信者がかえって来ると、すしを拵えたり餅を搗いたり、そのような事は何んでもない事であるが、真心を尽して、ボツボツと信者を育て上げたのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
証拠を残しておかねばならない親神の事情から、三年で教会設置し初代となると大神殿建てて理の子に金貢がせて、
「天理人道」はどこへやら、元の身上になって、子供は死んで、。。。

おやさまの五十年があるという、その道筋に思案の根が行かないと、恥をかくばかりです。

296 :普通の天理教徒。:2014/02/22(土) 02:10:50.70 ID:y8Wsd6yZ.net
え、え、え、え、え、
まさか基本さんは、おさしづの
「たしょ初代々々と言うて来る処、内々の処、だん/\と言うて来る。 」
ここの場所、・・・・

297 :基本。:2014/02/22(土) 02:16:50.31 ID:y8Wsd6yZ.net
お察しの通りですよ。
河原町深谷が初代ではなく「他所・たしょ」初代と神様は、「他所」だよと、おさしづに残してしまった。

深谷さんは三年で「おやとなる」。
でも初代は「たしょ」

「他所初代、初代というて来るところ、内々の処、だんだんと言うて来る」

298 :基本。:2014/02/22(土) 02:20:53.14 ID:y8Wsd6yZ.net
立教の事情と言うのも、一二三があるわけです。
おやさまが90才で扉開いた事情は、二回目の立教事情になるわけで、
「天理人道」は、立教事情に神が必要としていた。
それだけの事です。

299 :神も仏も名無しさん:2014/02/22(土) 03:20:45.80 ID:+RNFI1kd.net
上級会長が来たら1人だけステーキ。ほんまにちばけた教団だ。

300 :基本。:2014/02/22(土) 08:56:02.22 ID:y8Wsd6yZ.net
>>299
>>295 お祭日に信者がかえって来ると、すしを拵えたり餅を搗いたり、そのような事は何んでもない事であるが、真心を尽して、ボツボツと信者を育て上げたのである。
おやさまに言われて、信者さんを子供と思って、おもてなししていたのは、三年だけ。
教会になると、集金システム作って、部下教会に行ったら接待されておもてなしを受けて。
> 上級会長が来たら1人だけステーキ。
こういうのを、謀反というのです。
そんな上級や、そんな接待する天理教会には、皆様には一円も運ばぬことです。出さぬことです。

出せば共犯者です。

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