2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

181 :基本。 :2014/02/05(水) 02:12:18.49 ID:KRbSUD1c.net
よろづよのせかいぢふうをみハたせバ みちのしだいもいろ/\にある (1-45)
このさきハみちにたとへてはなしする どこの事ともさらにゆハんで (1-46)
やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら (1-47)
まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり (1-48)
ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである (1-49)

このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事 (1-50)
/////////////////////////////////////////////////////
いまゝでハうちなる事をばかりなり
もふこれからハもんくかハるぞ (1-51)
/////////////////////////////////////////////////////
「おやさまは、順序と言う事にこだわるお方です。
1−51までは、1−1〜50 これは「内なる事をばかり」と言う事です。

つまり、「山坂、いばらぐろ、崖道、・・・」のお歌は、内なる事をばかりの話題です。

天理教の教典です。天理教の内にいると言う事は、「山坂、いばらぐろ、崖道、剣の中、・・」
これは絶対に通る道です。

よろづよのせかいぢふうをみハたせバ みちのしだいもいろ/\にある (1-45)
世界の世の中の道の次第なら、通らなくても良い苦労を、通るのだよと言う文意が、教典には含まれています。

182 :基本。 :2014/02/05(水) 12:15:56.18 ID:KRbSUD1c.net
>>181
私に伝承の教理を教えた師匠は「天理教とは、聞いて極楽、して地獄」と、語っていました。
お話として聞く分には、「結構なお話」、だが通るとなったら、「地獄のような道」だと、そういう意味です。

一号45から50までのお歌を、確認します。
45 世界中には道の次第は色々にある。
46 道に例えるが、どこの事とは「さら」にいわない。今更言わない。「内に事」。
学研全訳古語辞典 さら−に 【更に】副詞
@ 改めて。新たに。事新しく。今さら。

「聞いて極楽、して地獄」 おやさまのひながたを辿ると「山坂、いばらぐろ、崖道、剣の中」
さらに「火の中、ふちの中、細道、大道」と、続く。
そんな地獄道を通るなんてやめておきなさい、あんたじゃ無理だと、そう言わんばかりの師の語り口でした。


 このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事 (1-50)
「ぢよ」は「序」。
「わが事」jは、語っておられるおやさまの事、それはおやさまの内にいる我々のわが事。

知らなければ良いのです。
世界にある道の次第で、良いのです。
教典をここまで読んだら、もう閉じてしまいましょう。

地獄道が、それでも通りたいなんて、間違っても思わぬことです。
神からの手引きで、どうしても通るしかない人以外は、触らぬ神に祟りなしとのたとえ話をしめしましょう。

183 :基本。 :2014/02/07(金) 07:16:02.41 ID:oEt3afy2.net
天理教教典を「神秘の書」「オカルト文書」として認め、能力者正善真柱の弟子として、魔女みき姉さんと共に「地獄道」を通り、
「聞いて極楽」の道を通りたい方の為に、基本教理、天理教教典、読み進めさせていただきます。

「いいですか、知らぬ間はそのまま」なのです。
知ってしまった瞬間から、「現れ出るのは気の毒」、お覚悟して、山坂いばらぐろ、崖道、剣の中、火の中、ふち中、
通らぬ道は道とは言わない、天理教の道に、・・・・

では、続けさせて頂きます。

184 :基本。 :2014/02/07(金) 07:19:19.60 ID:oEt3afy2.net
「14」
 教祖は、世界の子供をたすけたい一心から、貧のどん底に落ち切り、
しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された。・・・
・・又、人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のよ
うに心が濁つているからで、
心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、
いかなる理もみな映ると教えられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「たすけたい一心から」→「貧のどん底に落ちる」。
天理教の基本です。
なぜそうしなければならないのか。
「難儀せねば何議なるものの心分からん」。からです。

【一粒万倍にして返す】逸話篇4
『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。』
【流れる水も同じこと】逸話篇5
 教祖が、梅谷四郎兵衞にお聞かせ下されたお言葉に、
「私は、夢中になっていましたら、『流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、貧乏せ。』と、仰っしゃりました。」
と。

それは世界の中の谷底には、貧乏し難儀している方たちが大勢いて、それは「債務奴隷」、資産が無い無産階級ではなく「債務しかない奴隷」として
利息の返済に負われ続ける谷底の人々が、圧倒的多数いるからです。
それを、救済するためには、絶対に不可欠の基本の師にいわせれば「して地獄」の天理教ということです。

185 :基本。 :2014/02/07(金) 12:22:35.33 ID:oEt3afy2.net
おやさまは、おやさまとの〇○から三年千日の実数で初代たちの天理教会設立を守護しています。
例外が、郡山初代平野楢蔵さんで、三年千日も心次第ではなお短くなる事も示されています。
その楢蔵さんは、ばくち打ちです。
>>184
> 「債務奴隷」、資産が無い無産階級ではなく「債務しかない奴隷」として
利息の返済に負われ続ける谷底の人々が、圧倒的多数いる
水戸黄門などの時代劇を見ていると借金のかたに、身を売ると言うお話がたくさん出てきます。
中山家が地もちの庄屋として財を成したのは借金のかたに土地を取り上げていたからです。
「表門構え玄関つくりでは救けられん」、それは借金のかたに取り上げた財産で建てた建物。
それと似た事をしていたのが、小東家、ザ掲示板おやさまに述べてあります。
松村吉太郎の母親は小東の娘で法隆寺の金融部門でその借金取立てで財産作った同じ因縁、
そこで、仮に「たすけたい一心」なら→「難儀の底へ」は小東家の通るべき道。
だが、それはしない、しなかった。
でも道楽博打にくるって財産はなくなる・・・
因果な話です。

186 :基本。 :2014/02/07(金) 12:34:30.29 ID:oEt3afy2.net
博打で、例えば四人で麻雀してて一人が金がなくなると、ゲームできなくなります。
すると、金は貸してやるから、続けたら。
こう言う風にして、ゲームを続けます。
世界経済も同じことで、経済行為を続けさせるために「金を貸す」ということが常套手段です。
ローンを組んで住宅を建てる、自動車を買う個人消費の場合も、出資者を募り、融資を受ける場合も、企業経営には借金は付きものです。
金を貸して儲ける、信用を貸して儲ける。そういうことで経済の活性化が出来るから、債務奴隷は生まれ続ける、生み続ける。

それを、打破し、真に陽気な社会に立て替えるには、
自らが「して地獄」、おちこめおちこめ、です。
松村吉太郎のお父さんは、財産をなくさせるものかと晩年必死であり、
そういう甘い汁の悪因縁が、大教会理の親たちは、もともとの因縁にあるわけで。
人たすける為の「地獄道」には、「聞いて極楽」はありますが、
わが身思案の「理の親信仰」には、「あらわれでるは気の毒や」。

教典を読む上の心構えです。

187 :基本。 :2014/02/07(金) 15:04:10.48 ID:oEt3afy2.net
「15」
人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のよ うに心が濁つているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心 は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた。
そして、 我が身勝手の心遣いを、埃にたとえては、親神をほおきとして、心得違 いのほこりを、絶えず掃除するようにと諭された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親神様の思し召しと言うのは、「山坂いばらぐろ」と順序を辿ったら分かるのですが、「微に入り細に渡って」います。
例えば「お醤油の量は、とか砂糖はとか、」そんなことまで教えてくると言う、基本常識があります。
家に野菜を買っていこうとしたら止められて、家に帰ったら野菜の届け物があったとか、
そんな風に、その子にとって成績の上がる参考書はそっちじゃなくてこっちだよとか、
ともかく微細なことまで知らせてきます。
そういうことは、通って初めて分かる事ですが、大それた問題よりも先ず、身の内とその周辺から、親神様の思し召し、
みき姉さんの優しい思いやりを微細に悟り取れないと、
そういう日常が大切な基本です。
それには、「無心」「平常心」、欲をはなれた精神の状態に己を、その瞬間だけおけば良いのです。
が、自力で掃除はできないから、「神を箒」に、埃を掃除して頂くのです。

188 :基本。 :2014/02/07(金) 15:17:51.80 ID:oEt3afy2.net
>>187
> いかなる理もみな映ると教えられた。
明鏡止水、
邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。
▽「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。
「鏡」は「けい」とも読む。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わが身思案と言うのは、神がどう思われているかではなく、わが身がどう思っているかで思案することです。
おやさまは、この道は「生きた禅やで」と言われています。
座禅を組むのではなく、生活の中で「禅」の境地になると言う事ですが、
それは、一瞬一瞬の親神様の思し召し(ケーキを買うならこの店が美味しいよというような)
(このドレスならとても似合うよ)というような、親の心を、映すことが何よりの果報です。
そこに陽気があるようないかなる理でも皆映るのは、神が箒やという、
お釈迦様の教えのそのままを、信じて行うことです。
「絶えず掃除」。です。

189 :基本。 :2014/02/07(金) 23:36:37.91 ID:oEt3afy2.net
>>184
「たすけたい一心から」→「貧のどん底に落ちる」。 これが 天理教の基本だとして、
「難儀して、難儀なるものの心が分かった」とします。
そして一粒万倍に【一粒万倍にして返す】が実行されたとします。

それは、難儀している人への経済行為の資金、債務返済の資金。
一粒万倍が実行されたときに、それで表門構えつくるようなら、偽天理教。
こう言う事がわかったら、「して地獄」という意味がお分かりになると思います。

一粒万倍に返されたら、それを、イエス様なら皆に施してしまわれるでしょう。
お釈迦様とて、法然上人とて、日蓮様も、空海様も、「こんなものでは衆生全てを救済するにはたらないと、
新たなる一流万倍の為に、難儀の底に落ちて行かれるでしょう。
おやさまは、世界の普請をする。
一粒万倍は、仮に返して頂いても、世界の普請にまるごと投げ捨てられる、それが基本です。

『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。
一粒万倍にして返す。』

返す責任は中山みきにあるとして、返されたら、笑顔でまるごと、更なる難儀に落ちてゆくのが、天理教です。

190 :神も仏も名無しさん:2014/02/08(土) 06:23:56.02 ID:5x+VJxma.net
仏教伝来により、神道に社殿信仰スタイルが形成された?

それまでの神道の信仰形態が変化したのか?

キリスト教会と墓地
お寺と墓地
神道と墓地

総レス数 576
525 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★