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天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

151 :基本。 :2014/01/31(金) 20:37:25.96 ID:rjfjetuV.net
「12」 更に、教祖は、
 このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ          一 21
 せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ         一 22
 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする          一 23
とて、親神の思召を伝えられ、
 だん/\とふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ           四 72
と、後々繰り返し繰り返し思案させるよう、心を配られた。
この事は、 後日、
 これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに 知らし置いた。            (明治三七・八・二三)
と仰せになつたように、
 おふでさきは、耳に聽くだけでは、とかく忘れ がちになり易い人々の上を思い、筆に誌して知らされた親神の教である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 二台真柱様のブラックは、おふでさきの引用について、まさに見事なとしか言いようも無いお方です。

 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする          一 23
このお歌は、次のお歌と続けますと、これです。
 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする (1-23)
 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて (1-24)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、おふでさきの本質です。
「理の 責め」です。

152 :基本。 :2014/01/31(金) 21:16:15.80 ID:rjfjetuV.net
お筆先は、理の間違いを「歌の理で責める」呪法の文書です。
この世界は理で責められた世界である。と、おやさまはご宣言です。
その「なにか」よろずを「歌の理」で責めると、この仰せは、僅か1711首にて、この世界の違いを責めきるおやさまのお力を
何もかも心得ての天理教教典の編述となっています。
 暫く、お筆先の基本教理について説明をさせて頂きます。

[おふでさきの基本]
@ おふでさきは、音と文字の二つで読むを基本とします。
 実例1「このよふハりいでせめたるせかいなり」の「この世ふ」
 「音は、この世」です。「文字はこの世ふ」で、「世ふ」というのは、
「ふ」は火水風の風です。この世元始まりで言えば「夫婦がはじまった世」で、「この世ふ」です。
立教で言えば「天理教が開始された世の始まりの世ふ」となります。
そこで、音では「この世は理で責められた世界」「文字ではこの世の始まりは立教はいらい理で迫られた世界」となります。
 実例2「りい」は文字では「理意」で、音では「理」です。
 「りいでせめたるせかい」とは、「天理と親の意思で責められたる世界」が文字。
「理で責められたる世界」が音、その二つで思案します。
 
A お言葉は初出をもって意味語用の基本とします。
 実例1「なにか」の初出は、最初にお筆先に出たのは、
 このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする (1-3)
これが初出です。
 ですから「なにかよろづを歌のりでせめ」一 21の「なにか」の 意味は、
神が表に現れて説いて聞かせる「なにか」という意味になります。

 「よろづ」の初出は、一号 1に「よろつ」とありますがこれは、濁点があるので、「よろづ」ではありません。
 きゝたくバたつねくるならゆてきかそ よろづいさいのもとのいんねん (1-6)
この「よろづ」が初出です。
 
B おふでさきは、澄むと濁るで悟りとるものです。
実例1「よろづ」「よろつ」です。

(この講続きます)

153 :基本。 :2014/02/01(土) 00:02:17.07 ID:FhiySKaH.net
>>152
文意が分かりにくい書き方ですが、「よろつ」は、澄んでいる。
つまる「よろつよ」は、世界一列の事で、元々澄んでいる世界です。
しかし、「理の責めで知らして病気が現れるのは、あしきの掃除です」から、
「よろづ」は濁ったよろずです。
「万世」音ではそうなりますが、文字で読むと、「泥海のよろづ」となります。

154 :神も仏も名無しさん:2014/02/01(土) 02:53:19.92 ID:kTdWRJEW.net
>>149
教理研究 原典に示された「甘露」について

スレッドで、「善兵衛」で検索してみてください。


それと、以前そちらさんは、「赤衣」を着ていないという理由で、夫、善兵衛さんを親神様とはおっしゃってなかったように記憶しているのですが。

155 :神も仏も名無しさん:2014/02/01(土) 06:39:16.63 ID:kTdWRJEW.net
>>131
>>132

68 名前: 無血革命、進行中 投稿日: 2003/04/05(土) 17:05
ID:Mb620mAg 日本人社会に対して少しずつ砒素を流し 込んで弱らしめ、 服従か死かいずれかを日本人は選択しなければいけない状態に置かれているといえるかもしれません。

ある時までは友人として恋人として、師として師弟として存在し、ある時から彼らの精神社会が開陳され、 自分達の社会に組み込まれる事を求めるという形でそうした実社会が存在していた事を日本人は思いさらされる宿命を背負っていたということが言えるかもしれません。


彼らは民族的な価値観に基づく判断によって、日本人の防衛力の低さから、日本人に対して人の扱いをする必要を一切感じない人間達であったのです。戦略的にその為の状況を築き上げながら、一人ずつ一人ずつ、一所帯毎に非道を惜しみなく繰り出してきたのです。




まさに、
とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく
2-032

156 :基本。 :2014/02/01(土) 23:32:15.08 ID:FhiySKaH.net
>>154
> 、「赤衣」を着ていないという理由で、夫、善兵衛さんを親神様とはおっしゃってなかったように記憶しているのですが。

基本教理・天理教教典のこれまでの解説でもご理解出来ていないご様子で、改めて解説します。
 この「地上の月日」であるおやさまに、「人間の父親神」として、夫善兵衛さまは
この文章ですね。
「人間の父親」神様は、善兵衛様の事ですが、赤衣は着ていません。
「赤衣を纏っているのは中に月日がこもりいるからです。
と言う事は、人間の父親神様は月日親神ではありません。
でも、神として拝すべきお方です。

イエス様も中に月日がこもっておりません、でも神として拝すべきお方です。
天理教教典第4章で、語るべき内容ですが、十の柱の神という立場に立つと、
おやさまも、善兵衛様も、同じ一柱の存在です。
同一の人が、親神であって一柱の神でもあるわけで、地獄の閻魔大王が辻辻のお地蔵さんでもあるというように、「理としての存在は器や立場で姿も名も変わる」のです。

>>148
> 元一日において、神として拝をさせようと、「うを」と「み」の両者に約束された月日が、そういう約束であるからには、「夫様も神」です。
> 親神様とは「夫様も」です。親神なのです。
↑ここで語られているのは、「神として拝をさせる」という月日の示した「理の世界」の出来事です。
「月日」がいて、「女親」と「男親」とに神として拝をさせると告げられた。
これが元の理の、出来事。
地獄で言うなら閻魔大王が「月日」としますと、その閻魔大王が道の辻にあるお地蔵様に入りこんだ。
それが「月日の社」ですから、その場面では「地蔵」は閻魔大王。「みき」は月日で、これと対比したら、夫善兵衛は親神では無い。

しかし、信者からしたら、元の理の母親神も、父親神も、神。神として拝すべきです。
立教のご宣言の時、
>>2
「親神としての中山みきが、教祖としてのみきの口を通して仰せになった」と、読み取れます。
これに習うならば、人間の父親神としての夫善兵衛が、みきを差し上げますとお受けした事になります。

157 :基本。 :2014/02/02(日) 00:27:06.13 ID:3MVxwvxL.net
>>154 >>156
父親神は、「妊娠」には大切な役割をします。
女親神だけでは、元の理の妊娠は出来ません。

>>144 に、説明いたしました。天元の会長さんレベルならお分かり頂けるだろうと要点で申し上げたので、分かるように語ります。
 『「24 25 26」これは三日三夜の理、立教は元始まりの理ですから、妊娠の理で、おやさまに十柱の神が皆入って、立教です。
「はい差し上げます」 夫の役割は立派に果たしています。 』
 この文章です。
これは三日三夜の理、これは、元の理の模倣で「男女で行う」ものです。
「妊娠の理と言うのは、夫と妻とが「にしん」、目がしんで、同じ西方浄土を見た時に、「妊娠の理に成る」。
つまり、誠と誠の真実と真実の一致が夫婦にあって「妊娠」です。
三日三夜の問答は、「月日」と「父親神」との問答であるけれど、姿は、「母親神と父親神」「みきと善兵衛」の問答が、肉体上の事実です。

妻は「私の身体には元の神がいます。このまま神の社として元の神に差し上げて下さい。」
「元の神は私と中山家の家屋敷もろとも、差し上げろとのご命です。」
「そうは言っても、所帯盛りでお前を差し上げるわけには行かない」
「ああああ、痛みが、痛みが・・・・」
こんな問答を、お二人でしていたわけです。
そして、三日三夜で、「分かった。お前の言うとおりする。」と「お前の体の中にいる元の神の言うとおりする」。
「二人で、元始まりの時のように、世界一列たすける道を始めよう」。
「おまえは、元の神に差し上げる。」

こんな会話を、肉体の二人はしていたと言う事です。

夫婦が一つになった時「妊娠」する。 天理です。
立教において、父親神様は、並の人間なら絶対に引き受けられない大役を、みき様の夫として引き受けられて、
この道が始まったのです。

ご理解頂けたでしょうか。

158 :基本。 :2014/02/02(日) 02:14:09.37 ID:3MVxwvxL.net
>>154
> 教理研究 原典に示された「甘露」について
> スレッドで、「善兵衛」で検索してみてください。
確認しました。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/118
118 名前: 基本◆SrmDuOF. 投稿日:2010/01/23 13:34 ID:e4dwF4Bw0
「22の2」とは、男女二人、が三組で、222です。
おつとめのてをどりの、お立ちの方の数理です。
おさしづに、「ほんの三日や千日や」とありますが、三年千日の苦労をすれば結構になると言う天理の基本があります。
すると、1838年12月12日に立教したのですから、1841年には、結構になっていなければならない。
1841年とは、天理教年表では、「おびやためし」の年です。
ところが、夫善兵衛は、自分の眼病は助けられた。妻の病気も治った。
特に長男秀司の足痛も助けられたというのに、おまけに、おびやためしで、流産の産後も助けていただいたのに、
「貧に落ちる」を拒んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/101-200 
116
「22の2の五つ」という教理があります。
ろくぢでないと「理い吹く」ではなく「立腹」となる。
「理い吹く」は「昼」。
「立腹」は神の立腹ですから、「夜」と、舞台は変ります。
そこが、分岐点です

これが、その話題の基本でした。

159 :基本。 :2014/02/02(日) 02:44:24.43 ID:3MVxwvxL.net
1338年12月12日、立教です。立教は3日3夜に宿しこみの理です。
それから3年3月も元の理の数理です。
おやさまは「流産」しています。これは妊娠の失敗を示した神の返しです。
それは同時に、おびやのためしであったと言う「ひながた」です。
をびやためし:
 これより先、教祖四十四歳の時、妊娠七ケ月目の或る日のこと、親神から、
「今日は、何処へも行く事ならぬ。」
と、あった。そこで、その日は一日他出せずに居られた処、夜になってから、
「眠る間に出る/\。」
と、お話があり、その用意をして居られると、流産して、その後頭痛を催した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは、222の5が、夫善兵衛の精神で暗転したと、 教理研究 原典に示された「甘露」について スレでは、
説明しています。

15年は五つ理をふく。2月22日に死でした。

160 :基本。 :2014/02/03(月) 02:01:36.98 ID:iSAJ9MiM.net
「13」これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに 知らし置いた。  
          (明治三七・八・二三)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさき執筆以前に、どんな事も言葉に述べた。
それを(忘れる)から、お筆先に書いた。
それは未来においての予言である。

この一ニ三の構造ですが、@「おふでさき執筆以前」A「おふでさき執筆中」B「おふでさき執筆以後」の、一、二、三の「三段一つ」
この基本で思案することが大切です。
「執筆以前→執筆中→執筆以後」の123、このいずれの期間においても、同一の内容が神によって語られていることを、お指図は示しています。

お筆先でも、「1」の時の内容として理解すると言うように「123」の理で思案するのが基本です。
一例を示します。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/831-836
831 名前: 基本。 投稿日:2013/01/09 06:09 ID:lwE.0wWk0
おふでさき第2号31のお歌「これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい」
これは、「執筆以前→執筆中→執筆以後」の123で思案しますと、年表ですね、
(嘉永6年 1853 2月22日(西3月31日)、善兵衛出直(66才)。
 こかん、大阪へにをいがけに行く
 ペリー(アメリカ)浦賀に来る。ロシア、クリミア戦争開始

米国は、日本の小判と米国の貨幣を3対1の交換率とおしつけて、自国は一で三倍取るとあくどい儲けを上げています。
この頃に、家のこぼちをなさっている。
それが、米国の日本奴隷化政策によって、谷底がもたらされることを、予言実行した行為ですが、
からとにほんの話は、わからなかった。これが1の時の事です。

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