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天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

101 :92:2014/01/24(金) 18:43:56.04 ID:uG/v+rwK.net
基本さんありがとうございます
ひのきしんの話が出ましたので天理教教典の7章と8章
読みました、リンク先も読みました
自分の悪しきで傷付けてしまった相手に
懺悔もせずに神様に許しを願ったところで...ですね
私の無い頭で色々考えてもこれくらいが限界ですので
後はひとこと行動あるのみです
7章8章のお話も楽しみにしています

102 :基本。:2014/01/25(土) 00:22:03.63 ID:j/mYZiDB.net
92さん。素晴らしい。
本当に、それが分かって下されば、一つ一つ因縁を切らせて頂けます。
ご主人にお詫びする分を神様にお供えしなさい、という方便教理。
これに騙された方は多いと思いますが、
さんげすべきお相手にお詫びしないでは、因縁は切れるものではありません。

おやさまが「だめの教え」を説かれたのは、「大社が正法を説かず方便を説いて人心を惑わす」に対して、
「だめを教えとして詰められた」という意味です。
なかでも「ひとことまで」と言う厳格さが、親神の権威です。
よさげな事をあれもこれも諭すのは宗教家業の方便ですから、決してしてはなりません。
「ひとこと」までを、おさとしするのが基本です。
泉田藤吉先生はおさとしについた、釘を頭のてっぺんからまっすぐ打つことと、例えておられました。
基本はいつも、その方に最も必要な即効性あるかつ本質の「ひとこと」をと、おやさまにお願いし続けて、
「千遍聞いて千遍諭したら」の心がけとしております。
「ひとこと」話はひのきしん。です。

103 :基本。:2014/01/25(土) 03:26:04.66 ID:j/mYZiDB.net
「6」
よろつよのせかい一れつみはらせど  むねのハかりたものハないから         一  1
そのはづやといてきかした事ハない  なにもしらんがむりでないそや         一  2
このたびハ神がをもていあらハれて  なにかいさいをといてきかする         一  3
 世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。 それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。
 親神は、これ をあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お釈迦様の生誕祭は「4月8日」、中山みき様の誕生祭は「4月18日」。
キリスト教の元に当たる太陽神の祭典日は「12月25日」天理教の祭典日は「1月26日」です。
お釈迦様の教えは、末法の世となって、おやさまは誕生され、月日の社として立教されました。
イエス様は、「神の福音」を述べて「愛」を教えられました。新約聖書「福音書」に記録されています。

しかし、世界中を親神が見晴らしても、「むね」の「ハかり」た者はいない。
教えはあっても胸に届いていないと言う事です。
このたびは、仏教においては「末法」。「弥勒菩薩の時代」。
キリスト教においては「終末」。

神が表に現れて、むねの内をいさい説き明かされると言う事です。

104 :基本。:2014/01/25(土) 13:05:59.42 ID:j/mYZiDB.net
オカルトの基本マニアの為に、終末において天理教が立教された意味で、聖書の終末予言について、少し解説します。
聖書には、イエスの言行録「福音書」があり、別にイエスからの啓示によって(神がかり・お告げ)で直接のイエスの弟子では無い人によって作成された、
生前のイエスとの直接の交流のなかった、死後の霊的イエスに知らされたと言う聖書の二種類があります。
天理教で言うと、教祖の言葉行いを弟子がまとめた、こふき話が、「福音書」です。。
後は、幸福の科学のように「私は天のイエスの言葉を知らせます」という、霊能力者の啓示の書も聖書と言われています。
大社・キリスト教会は、イエス様の語られていない、後の弟子の聞いた天啓も聖書の中に加えています。
また、イエスの言行録・福音書には種類が数々あったのですが、ローマ教会は、大社高山の支配上都合に会わないものは、抹殺しました。
そして、天理教で言う理の親信仰を、強固に構築し、聖職者は特権であり神に選ばれた国王・神に選ばれた皇帝が、統治支配すると言う、
それに逆らうものは、抹殺されました。

終末予言も、「福音書」の予言は信頼できます。
他の聖書、後に作成された偽造キリスト文書は偽キリストの文書と基本はみなしています。

105 :基本。:2014/01/25(土) 13:17:42.02 ID:j/mYZiDB.net
>>104
>>オカルトの基本マニアの為に
ひながたの魔術を少し解説します。

イエス様の教えは、意図的に歪められました。だからキリストの神の名の下で、戦争と殺戮、奴隷売買と、神の教えに反した「悪魔の所業」が続きました。

明治19年、おやさまは、わが身の苦痛によって、十字架にかけられたわが子イエスの痛みを、世に体現しました。
その旬です。
http://homepage2.nifty.com/elienay/index15.html
4つの福音書が「正当な聖典」(正典)として新約聖書に組み込まれたのは、主イエスの十字架後数百年も経った後のことで、
それ以前は判明しているだけでも50種類ほどの福音書がキリスト教徒たちによって採用されていたことが知られていて、そのうちの20の福音書が現存している。
ところが、こうした多数の福音書は、4福音書の正典化の影でキリスト教の歴史から隠され、封印されていた。
ところが19世紀に入って、ほとんどあり得ない奇蹟のような出来事が起ったのである。
・・・明治19年、おやさま監獄のご苦労の年です。・・・

子供が悪いのや無い、おやの教えが届かんのや。
おやの教えを届かなくさせた「理の親信仰の・唐人信仰のルーツ」キリスト教会の横暴の道。
しかし、おやの教えを、イエスに語らせた神の愛を、真実に伝道しなくては、世界一列はたすからない。
おやさまのご苦労の魔術をもって、
キリスト教高山によって歪められていた「イエス様の教え・言行録」の基礎資料が発見されました。

106 :基本。:2014/01/25(土) 13:23:17.16 ID:j/mYZiDB.net
>>104-105
>>オカルトの基本マニアの為に
二代真柱の鏡屋敷魔術を、少し解説します。
そして、1945年 鏡屋敷の地場においては、
1945年(昭和20年)10月26日、本来の天理の道の姿に戻る宣言を二代真柱・中山正善が行う。
真座のかぐら、十二下りのてをどりを「復元」。という、模倣魔術が行われたときです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92#.E5.8D.81.E4.BA.8C.E4.BD.BF.E5.BE.92
1945年12月、さらにエジプト南部のナグ・ハマディという小さな村の近郊の洞窟から、
素焼きの壺に封入された4世紀のものと思われる52編にも上るパピルス文書が発見された。
・・壺の中には、キリスト教史から抹殺された『ペテロ福音書』『トマス福音書』などの福音書の現物をはじめとする数多くの文書が入っていた。
これが20世紀最大の発見と呼ばれる『ナグ・ハマディ文書』である。
・・・・・
大社・キリスト教会によって歪められた「イエス様の教え」を、「復元」する、基礎資料が、発見されました。
「発見したのは村の近くで肥料用の腐植土を掘っていた農夫たちである」
百姓みきの姉さんの、労働仲間が発見した。

まことにお地場は、鏡屋敷であり、イエスキリストの教えの復元は、
終末である、現代に、絶対に必要なものであったと、主イエス様のご苦労に対して、心より、感謝させて頂きます。

107 :ふむふむ:2014/01/25(土) 14:06:29.23 ID:HAs+qaqP.net
数理にこだわっているおやさまは、
なぜ御自身の誕生を末法・終末の寛政10年4月18日になされたのでしょうか?
それとおやさまももお釈迦様もイエス・キリストもつながりがあるなら、
世界3大宗教の一つイスラム教は、基本さんはどのような見解をお持ちなんでしょうか?

108 :基本。:2014/01/25(土) 16:27:26.37 ID:j/mYZiDB.net
>>104-195
ご紹介し引用したのは「偽キリスト信仰者」の異端のサイトですが、史実を引用紹介しました。
「福音書」の内容と正当性を語っておられる部分は歴史事実であるのです。
しかし、「ヨハネ黙示録」については、ローマ教会が認めていないとの理由で「敵の敵は味方」として認めていますが、
基本的には、「ヨハネ黙示録」は、イエスの教えではありません。
終末については「福音書」に語られた「終末」がイエスの「終末」の教えです。

 >>103
キリストの終末の予言は「福音書」では、終末(キリストの再臨)と言う事で語られています。
キリストとは、月読命様である事は、過去に述べた事がありますが、新約マルコ伝から紹介します。
 「すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、
病人に手を置けば病人はいやされます。」
 主イエスは、彼らにこう話された後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

天理天体図の真北には、父神国常立命様で、右隣が月読命様です。
 二代真柱様の前生は、中山秀司で「月読命様」、イエスの魂の因縁あるお方です。

>>106
キリスト教の教えの復元の基礎資料が、イエス様の魂ある正善真柱によってなされたことは、新約聖書の予言の実現であり、
イエスが再臨された、それは、まさに今が終末と言う事です。

109 :基本。:2014/01/25(土) 17:20:04.40 ID:j/mYZiDB.net
>>107
イスラム国家
イスラームによって統治される国家。
即ち唯一全能の神(アッラーフ)が預言者ムハンマドに下した神勅たるクルアーン、預言者の言行録たるハディース、そして
それらを基礎として成立したイスラーム法(シャリーア)に基づきムスリムの指導者が統治を行い、ムスリムの同胞としての緊密な結合とすべての政治や社会秩序はイスラームに基づくという理念によりアッラーフの祝福が永久に約束されるとする国家のこと。

基本的な理解は、遅れてきた宗教国家です。
ローマ教会が宗教国家の版図拡大にキリスト教布教を利用し、聖戦という名で侵略した。
それに対抗する宗教思想として「唯一絶対の神アッラー」を中心に法治を含めて宗教で固めた理の親国家です。
イエスキリストの後の預言者で死後の預言者を信奉しているわけです。

http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran089.htm
15. さて人間は主が御試みのため、寛大にされ恵みを授けられると、かれは、「主は、わたしに寛大であられます。」と言う。
16. だがかれを試み、御恵みを減らされる時は、「主はわたしを、軽視なさいます。」と言う。
17. 断じていけない。いや、あなたがたは孤児を大切にしない。 18. また貧者を養うために、互いに励まさない。
19. しかも遺産を取り上げ、強欲を欲しい尽にする。
20. またあなたがたは、法外な愛で財産を愛する。
21. 断じていけない。大地が粉々に砕かれる時、
22. 主は、列また列の天使(を従え)、来臨なされる。
23. また地獄は、その日(目の当たりに)運ばれ、その日人間は反省するであろう。だが反省したとて、どうしてかれのためになろうか。

民族を守る神として、信仰されている、それ以上はここでは語らないことにさせてください。

110 :基本。:2014/01/25(土) 23:36:47.00 ID:j/mYZiDB.net
>>109
同じ聖書を根としていて、その解釈は、相違点がある。
キリスト教側からみたら「異端」であるわけですから、イスラム教側からみたら、「最後の最後の預言者」がイスラムを救うと言うわけで、
教えの本質は同じですが、本質では無いところで、対立せざるをえない。
宗教国家と言うイスラムこそ「キリスト教大社高山」に対抗するために「大社高山」を構築し民族を守っているわけで、それは悲惨な現実です。

欧米の思想侵略に対抗して「現人神・天皇制宗教国家」を形成した日本、そういう民族主義的宗教と言うのは、政治そのものであるから、
先ず自分たちが、心入れ替えないと、イスラム宗教を語るには旬が来ていないと思います。

111 :ふむふむ:2014/01/25(土) 23:47:30.87 ID:HAs+qaqP.net
なるほどそうですか。
自分の悪い所も直さずに人の事をとやかく言うなということですね。

112 :基本。:2014/01/26(日) 03:16:32.98 ID:uUtBmTmh.net
新約聖書におさめられた福音書記者による四つの福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)
マタイ伝には「終末」についてhttp://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#24:19
24:3 またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。
24:4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
24:5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
24:6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
24:7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
24:8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
24:9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。
   またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
24:10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
24:11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
24:12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

キリスト教の異端が多く登場し、戦争と戦争のうわさが、民族間の対立、国家間の対立、
飢饉と地震、
 すべてこれらは産みの苦しみの初めである。 産みの苦しみ=元はじまりの初めの予言。
現代が福音書にある、終末である事は、それが海の苦しみのはじまりであることは、そのまま飲み込めてしまえます。

113 :基本。:2014/01/26(日) 03:36:15.93 ID:uUtBmTmh.net
>>111
と、言いますか、にほん、から、てんじくという元の理の順序で思案したとき、
イスラム教社会はてんじく的に、基本的には見えてしまうわけです。
神の教えは、先ず文字ではなく歌として告げられ、伝承の文学、文字の無い口伝えで語られて、
それが、文字で記録されて、弟子の解釈があって、派がうまれ、教義になって行く。
イスラムでは、世界助けると言う意味でよりも、統治のための宗教国家が、伝承を利用して、思想統制の手段にしている。
・・・
これをここで語るのは、基本教理天理教教典の話題から距離がありすぎるので、と、言う事です。

114 :基本。:2014/01/26(日) 07:33:31.22 ID:uUtBmTmh.net
>>112
四つの福音書の内、ヨハネ伝は他の三っつとは内容が違っています。
終末についてのイエスの言葉が、語られていない。
そして「黙示録」ではヨハネの言葉で語られているのです。
今日、歴史的キリスト教会ではそのヨハネの言葉は、正典と認められているのです。
・・・
ヨハネはキリストから最も可愛がられた人物では無いかといわれ、イエスの後継者は使徒ヨハネであると広く認識されて来ていたが、実はキリストの後継者は、
イエスの弟ヤコブであった事が、1945年に発見された古い記録から確認された。
ヨハネはイエスの後継者ではなかった。これは実に大切なことです。

ヨハネの黙示録はこんにち、終末予言としてキリスト教、偽キリスト教がみな採用するようになっている。
キリストの終末予言。偽キリストとはすでに、聖書が書かれた時代に登場していた。
偽キリスト、ヨハネの黙示録の執筆者、その内容は、未来に来る「中山みきの天理教」を、666の悪魔と示して予言していました。
>>57 :基本
余談ついでに言いますと、ヨハネの黙示録に出てくる「サタン」は、「赤い龍」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E7%AB%9C
また、別のしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな竜である。七つの頭と十本の角があり、その頭には七つの冠をかぶっていた。・・

「色は赤」「頭に王冠」「その頭は10」という龍を、あらかじめサタンの姿として、予言の書に説かしています。
赤衣 王の神名 十柱。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キリスト教高山は、666弥勒の赤い、龍・大蛇によって滅ぼされると、イエスの言葉ではなく、ヨハネという名で語られた実は異端の言葉。
その、黙示は、自白となって、イエスの教えを政治権力に悪利用した大社高山の終末を予言していました。
オカルトの基本です。

115 :砂丘のらくだ:2014/01/26(日) 17:27:46.51 ID:hSQ7xv3K.net
天理教やキリスト教、創価学会に鳥取市の大手企業との訳の分からないトラブルを話したが
話を聞いてくれるだけで、情報収集に協力してくれない。

116 :基本。:2014/01/27(月) 02:12:21.52 ID:1HnEDXV2.net
>>115
一般に宗教の立場は、「精神」のあり方と言う立場をとっています。
すべては主の御心、神の御業ですが、キリスト教団での立場、仏の御心のままが仏教教団の立場、
セベテが親神様のご守護ですというのが、天理教団の立場です。
「大企業とトラブル」の話も、それを持ち込めば、貴方の御心、神の御心としての問題に置き換えてしか、思案されません。

情報収集などは、してくれないのが、「精神界の指導者」、宗教家の常道です。
砂丘で、緑藻を求めるようなものです。

117 :野良天 ◆3gxC3xwhfc :2014/01/27(月) 05:47:04.91 ID:ZQuCswfw.net
なんか凄まじいな。

118 :砂丘のらくだ:2014/01/27(月) 08:34:04.31 ID:2sojSEax.net
>>116
田舎だから教会に、その大企業の社員の知人なんかが通っているはずなので
その知人を紹介してくれればいいと思うのですが。

119 :基本。:2014/01/27(月) 08:57:12.24 ID:1HnEDXV2.net
>>117
野良さんお久しぶりです。

キリスト教の聖書には、「数」が明示された例が少ないのです。
自称キリスト教の、韓国発祥のキリスト教系新宗教団体・統一教会では「旧約・新約・成約」と三つの段階が説かれていまして、
旧約・モーゼ、新約・イエス、成約・文鮮明という123を説いています。
モーぜが石版を3回叩くということから、123の三番目がないと救済は完成しないと、そういう論法です。
イエスは十字架によって「霊的救済」をなし、「肉的救済」は、現代のキリスト文鮮明がなすと、そういう論法で、これが教義の骨格になっています。
 文鮮明は、マタイ伝による終末予言>>112
> 24:5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
ここに予言された偽キリストです。
 ものみの塔・エホバの証人、モルモン教、統一協会は、キリストの再来者と称する「偽キリスト」の教えです。
 
ヨハネの黙示録はイエス立教時代において、イエスからのお告げをこう聞いたと言う形態で、イエスの予言を語るスタイルの「初期モデル・ひな型」であり、
それも、イエスに最も可愛がられた弟子の名で、使徒として告げられています。

そのヨハネの黙示録、イエス様がヨハネに見せた幻として見せたもの、それが黙示録の主題ですが、
そこにはデジタルな数字が、登場していて、予言の数理を研究する基本は、おやさまの教えを根として、数理を読み取らねばならないわけです。

120 :基本。:2014/01/27(月) 10:02:36.78 ID:1HnEDXV2.net
ヨハネの黙示録は、現代社会にもキリスト教社会の思想背景として大きな影響を与えています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2
「マルティン・ルターら歴史的なプロテスタントの黙示録理解は、歴史主義解釈というもので、起こっていない未来の出来事を預言として与えられたという見方である。
この立場では、未来にキリスト教の教理であるイエス・キリストの再臨、人間の体の復活、最後の審判、天国あるいは地獄への裁き、新天新地の到来があると信じられている。」
 ここでは数理の問題と天理教の立教の予言として、イエスが語ったわけでは無いけれど、イエスから夢幻でこう聞いたという「ヨハネ黙示録」の内容を確かめます。
 
「777」は、天理教ではおつとめの数理です。21回のあしきをはらうという呪法が、おつとめとしておやさまから教えられています。
「7」は、チャクラの事と言う解釈もキリスト教内ではなされていたようですが、
黙示録に告げられた、内容の中でも、777は、次の内容になります。
4.子羊が七つの封印を開封する(6章-8章5節)
5.七人の天使がラッパ(トランペット)を吹く(8章6節-11章19節)
7.最後の七つの災い 神の怒りが極みに達する(15章-16章)

「777」「666」これが示しているものは、「21の悪しき払い」「弥勒」と、基本的にはそう理解します。

>>118
大企業の社員だとしたら、会社と対立しているトラブル相手には接触したがらない。
厳しく管理されているのです。
大企業とのトラブルを社員に接触することで解決しようと『努力』している貴方に、
宗教は決して味方しようとはしません。宗教組織は「大社」であって、庶民の味方はふりだけです。
宗教に幻想は抱かないことです。

121 :ふむふむ:2014/01/27(月) 23:25:19.59 ID:gAn9kvtw.net
666は悪魔の数字ではないのでしょうか?
三位一体と天理教との関係は、あるのでしょうか?

122 :基本。:2014/01/28(火) 08:28:28.57 ID:2FEzqYpf.net
ヨハネ黙示録、第1章 にはこんな記述があります。

・・ ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。
今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、
また、その御座の前にある七つの霊から、
また、忠実な証人、死人の中から最初に生まれた者、地上の支配者であるイエス・キリストから、
恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
わたしたちを愛し、
その血によってわたしたちを罪から解放し、
わたしたちを、その父なる神のために、
御国の民として、祭司として下さったかたに、
世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「その血によってわたしたちを罪から解放し、」これは、
イエスが十字架にかかることで(血によって)、
色情因縁(罪・原罪から開放)される事が、新約聖書として、書かれている点で、ローマカトリック教会教義の原型、基本形になった、まさに「偽キリスト」の「神に似せた偽啓示」です。自分以外のキリスト教会を偽者と攻撃し、イエスの後継者はわが派だと、流布した証拠です。

123 :基本。:2014/01/28(火) 08:29:51.34 ID:2FEzqYpf.net
ヨハネ黙示録 第10章 には、こんな記述があります。
それは、第5章に「 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。
その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。」を、踏まえてのものです。
「・・わたしはそり御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。
 わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。
 その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。

これは、ヨハネがイエスの跡継ぎの預言者であるということで、七つの封印を解くというヨハネ自身の宣言になっています。

キリスト教会も「原罪」からの救済をときます。
そして、「血」を流すことがイエスの救済であると説きます。
イエスの言行録には、病助けと施しと、隣人への愛が語られているのに、それらは、軽視されて、「十字架のイエス」「贖罪」(因縁切り)が重視され。神の為に戦争し血を流すことが、尊ばれています。
 偽キリストの宗教統治法の原型と典型を示しているヨハネ黙示録を聖書と認めている教団は、全て、「偽キリスト派」です

124 :基本。:2014/01/28(火) 08:43:29.93 ID:2FEzqYpf.net
つまり、イエスの正当な後継者を認めさせたいヨハネが、イエスから受けた天啓だと、黙示録を示した。
それには、「七つの封印を説くのは私だと神から告げられた」事、これが書かれているわけです。
そして、地上における王はイエスキリストだと示すことで、偽キリスト、イエスの次の預言者ヨハネが、実は地上の王だと示しているわけです。
宗教による統治の、教理的裏づけとして、ヨハネ黙示録は、宗教高山のバイブルのようなものになっています。

>>121
> 三位一体と天理教との関係は、あるのでしょうか?
goo辞書には、「1 キリスト教で、父・子・聖霊の三位は、唯一の神が三つの姿となって現れたもので、元来は一体であるとする教理。」
こうあります。
偽キリストの役割を果たしてしまった「パウロ」が作り上げた説ですから、おやさまの教えではありません。
教会の聖職者もかみの御使い、つまり神なのだという理の親信仰のために利用されています。

125 :基本。:2014/01/28(火) 08:46:43.24 ID:2FEzqYpf.net
>>124
> 666は悪魔の数字ではないのでしょうか?
ヨハネ黙示録で言えば、666は悪魔の数字です。
だから、偽キリストが悪魔だと言う事は、キリストから見たら神と言う事です。

126 :基本。:2014/01/28(火) 21:16:21.66 ID:2FEzqYpf.net
>>125
ヨハネの黙示録に記載されているサタンは、実に中山みき様そのものを、サタンとして予言している。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/Yohane.html#17
17章
 わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。
 この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この女は紫と赤の衣をまとい」。天理教は色は紫、教祖は赤衣をまとっている。

 ところで西洋の悪魔や死神は「大きな鎌」を持っている。
 つまり大きなカマは悪魔の持ち物である。
ヨハネ黙示録の神は、14章・・「見よ。白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。」
 つまり実は悪魔だとちゃんと自白している事になっている。

> だから、偽キリストが悪魔だと言う事は、キリストから見たら神と言う事です。

127 :基本。:2014/01/28(火) 21:25:08.20 ID:2FEzqYpf.net
「7」
よろつよのせかい一れつみはらせど  むねのハかりたものハないから         一  1
そのはづやといてきかした事ハない  なにもしらんがむりでないそや         一  2
このたびハ神がをもていあらハれて  なにかいさいをといてきかする         一  3
 世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。 それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。
 親神は、これ をあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
よろつよのせかい一れつみはらせど  むねのハかりたものハないから

[むねのハかりたものハないから] この解釈は親神の胸がわかっていないと解釈されて来ました。
天理教教典では、実は、このお筆先の解釈は書かれていません。
親神の胸が分かっていないから立教したとは書かれていない。
 二代真柱様のマジックです。
 心の闇路にさまよっていると、書かれてある。
親神の教えそのものは、裏から守護して教えてきたわけですから、胸が分かっていないと単純には言えない訳です。

 おふでさきは、音と文字で理が知らされてあります。
 音から「分かっていない」と読むだけでは、一言万巻のおふでさきは、悟りとることは無理なのです。

128 :基本。:2014/01/28(火) 21:28:41.23 ID:2FEzqYpf.net
おふでさきは、音と文字で理が知らされてあります。
音では「むねのわかりたものはないから」です。
文字では「むねのハかりたものはものはないから」です。
「わかりた」と「ハかりた」では、意味が相違します。
「かな文字ハ」についてですが、古語の用法として、「ハ」を「わ」と読むにはルールがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF
歴史的仮名遣いでは、文節のはじめ以外の「は」は「わ」と発音する。これはハ行転呼により語中・語尾のハ行がワ行になったためである。
/////////
ですから「ハかりた」を「わかりた」と読ませているのは異例と言う事です。
記号としての文字「ハかりた」は「はかりた」という事です。
「はかる」とは、http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/14196/m0u/
  計る(はかる)/測る(はかる)/量る(はかる)
 [共通する意味] ★何かを使って、重さ、分量、長さ、時間などを調べる・・・
こういう意味になります。

 おやさまが扉開かれたときのお写真で、大工の伊蔵様は「差し金」を持っておられました。
 差し金は「ハはる」道具です。「分かる道具」ではありません。

129 :基本。:2014/01/28(火) 23:17:51.94 ID:2FEzqYpf.net
>>128
>差し金は「ハはる」道具です。「分かる道具」ではありません
誤字を訂正します。
「差し金は「はかる」道具」です。 に訂正します。

教祖伝逸話編には、「はかる」に関係する逸話があります。
教祖は、綿木の実から綿を集める時は、手に布を巻いてチュッチュッとお引きになったが、大層早かった。
又、その綿から糸を紡ぎ機を織るのが、とてもお上手であった。
 糸を括って紺屋へ持って行き、染めてから織ると模様が出るのであるが、
中でも最も得意とされたのは、
玉に分銅、
猫に小判などという手の込んだ模様ものであった、という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天秤でものの質量を量るために使う道具が天秤です。
玉は心を映す、分銅は「はかる」。
はかると言う事は、デジタルです。
物差しが狂ったら、建物は狂った建物にしかならない。
天理とはものさしである以上、デジタルで、数理に明らかなように、きちんと実数で合うことが天理です。

対して、「幽冥」という思想があります。キリスト教の教会信仰は幽冥です。
理をでじたるに説かない教えは、ごまかしばかりになる。
松村吉太郎に「神は幽冥とは思うなよ」と神のお言葉があります。
天のものさしが、天理教なのだと、古い信仰者はそう諭していました。

130 :基本。:2014/01/29(水) 00:13:56.25 ID:MZF1z9Ow.net
よろつよのせかい一れつみはらせど  むねのハかりたものハないから 
 「むね」とは、http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E3%82%80%E3%81%AD/m0u/
むね【旨/宗】 1 中心となるもの。また、重要なもの。「安全を―とする」 2 (旨)述べたことの中心。
「宗教」「宗旨」という意味を示していて、
直訳的に約すと、宗教の宗旨の内容、計測が出来たものがいない、と、なります。
 おやさまは信者高弟たちに、「裏守護」というときわけで、日本の各宗旨の理を説いていますが、
世界中には一列に宗教があって、それぞれに崇拝している、「参り所」「墓所」「ばら寺」と、皆宗教、宗旨ですが、
その宗旨があっても、「旨」がきちんと「はかる」ことが出来ていない。
「慮る、忖度する」「神のはかりごととして配慮する」。
そういうことではなく、神の配慮の宗を試作できていないというのが、オカルト的なりかいになります。

 そのはづやといてきかした事ハない  なにもしらんがむりでないそや
 宗教の教えの「質量、深さ、期間」それらについて何もしらない、
それは、説いて聞かした事が無いからで、各宗教の時代ごと地域ごとの役割や
どういう思惑であったのか、何も知らないのは無理で無いぞや、と、
だから、「神は頼らず」、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。

 このたびハ神がをもていあらハれて  なにかいさいをといてきかする
子数の年限を経た「このたび」。「末法の世のこのたび」「終末の到来するこのたび」
八百万の神が、仏陀がイエスが、全ての神が、表に現れて、なにか委細をとき聞かす。
 教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。
 お社の棟の内には、全部の神がお鎮まりくださるわけです。
お社とは中山みきさま。その「胸の内」には全ての神様がおられる。
 そして、なにか委細を説いて下さる。
世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。 それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。
 親神は、これ をあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。

天理教教典の冒頭の基本教理を、説明しました。

131 :神も仏も名無しさん:2014/01/29(水) 03:21:27.32 ID:Rc25nJIK.net
>>130
67 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2003/04/05(土) 17:02 ID:Mb620mAg
こうした被害は、日本全国で大なり小なり支配的地域を拡 大するように積み上げられているものと感じます。
未だ彼らに猛威を振るわれるに至っていない日本人も沢山いると思います。
一旦そのことが、その身に及んだ時には、いったい何が自分の身に降りかかったのかというところを知る為に、 この拙文の端切れなりともお役に立てれば幸いです。

ただ、この中ではお伝えしていなかったと思いますが、 既にその行為者の集団社会は大きなもの、高きに達していることを知っていて頂きたいのです。 中国系から韓国系の居住者だけでも三百万人以上いると思います。
任侠をあざ笑う日本人も多くいます。 ここであげた行為者としての生活者は、中国系韓国系の居住者に止まらず、沢山の日本人も組み込まれていることを知っていて頂きたいのです。

彼らは被害者に対して教育を施すような巧みさを発揮し、被害者を加害者に変えることが出来ることも知っておいて頂きたいと思います。
例えば、無垢な心を持った少女が、彼ら のその行為を及ぼされたとします。 どのように変化すると思いますか。
第一に、自分がこの世に生まれたことを恨みます。
第二に、その行為を及ぼした集団社会に対して、 日本人社会が絶対的に勝ち目がないことを知ります。
第三に、その行為を及ぼされる前の自分には、二度と戻れないことを気づきま す。
最終的に、どのような心を持つかというと、
「皆、同じになれば良い。全ての人間を、自分と同じ目に遭わせてやりたい。 自分が助けを求めた時、その社会は善良な人間としてありながら、何もしてくれなかったのだから。」
このように変化する様を、私は幾例も目の当たりにしています。 http://www2.justnet.ne.jp/~pigeon/aisatu.htm

132 :基本。:2014/01/29(水) 08:32:12.11 ID:MZF1z9Ow.net
>>131
この世は今も泥海であると言う現実の一端を語られたのであろうと拝察します。
ご本人の体験になるものか、そうした集団の情報に接してのものか、高山支配に対抗するための異種の高山組織化は、絶えず生じています。
被害に会われると言う事も加害者に転じると言う事も、心高山。
おやさまの教えは、因果の根「高山因縁の根を切る」事を教え示されています。
> 最終的に、どのような心を持つかというと、
>「皆、同じになれば良い。全ての人間を、自分と同じ目に遭わせてやりたい。 自分が助けを求めた時、その社会は善良な人間としてありながら、何もしてくれなかったのだから。」
これは、自白です。

まずいもの食べたときに、「これを皆にも食わせてやる」と思いつく心の自白です。
まずいもの食べたときに、人にはもっと美味しいもの食べていただこうと、そういう心になれたら、因果の根が切れます。
おやさまは監獄にて酷い目にあったとき、「同じ目にあわせてやる」はないのです。
人にむごい、そういう心がかわいそうにと、

対して偽キリスト、ヨハネの黙示録を見てください。
報復報復、血の報復。そして、自分が神になって支配する。
これをイエスの教えに混ぜ込んで、偽キリストの教理で、世界を今も支配しています。
中国系も韓国系もイスラム系も、西欧系唐人の非道に対抗して、皆を酷い目にあわせるテロ組織にもなっています。
それは、2、300万人どころでは無い。

そういう泥海世界をたすける為に、力による支配を「神の愛」「仏の慈悲」の世に立て替えるため天理教は立教されました。
>>65  日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、
東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。
これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、「月日退く」の姿である。

133 :基本。:2014/01/29(水) 09:18:03.08 ID:MZF1z9Ow.net
>>104 に、>終末予言も、「福音書」の予言は信頼できます。と書きましたが、ヨハネの福音書は偽キリストの書ですから信頼は出来ません。
ヨハネの黙示録から、そのキリストの教えでは無い「泥水」の部分を示して、おやさまが、この偽キリストに自白させておいた、高山因縁のあしきを確かめたいと思います。

第五章にある、名誉権力願望のの自白 ここでの子羊はヨハネと信奉者たちを意味する。
「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。

第六章にある、戦争社会肯定と殺戮、大地の荒廃の肯定。
「人人が互に殺し合うようになるために、
地上から平和を奪い取ることを許され、
また、大きなつるぎを与えられた。」
「彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。」

決して戦争をやめない理由は、それを神の正義と信奉している信者が西欧高山に多くいるからです。

134 :基本。:2014/01/29(水) 09:50:17.71 ID:MZF1z9Ow.net
http://thebbs.fc2.com/262762!/91-190
聖書時代のもう一人の偽キリスト、パウロについて、「ザ掲示板。おやさま」から引用します。
[103] 基本。 2006/12/21 10:10
>>102
> 「とふじん=西欧人」の思想。それは、現代でも、アメリカにおいては、民意に深く根付いています。
> 聖書の執筆者の一人パウロが、「ローマ人の手紙」で書いたものは、ユダヤ教からキリスト教を経由して、アメリカと言う聖書主義の国に、「割礼」の子たちを、数々排出しているという事。
それは、もう一方で、「マリアの処女受胎」を受け入れてしまう民を大勢生んでいるという事。
・・このような、「天然自然の理に反した思想」は、「高山の支配の道具」になっています。
おやさまは、「高山の真の柱はとふじんや」と、権力構造そのものを「大社・宗教と言う権威」として、「取払いの思想」を語られているのは、その「オカルト利用の悪意」に対する批判からです。
・・・
[103]
パウロが、「ローマ人の手紙」の冒頭に、神の教えを異邦人に伝える事を、神に対する神の子の義務だと説きました。
異邦人を、キリスト教によって、教化すると言う行為は、実は「奴隷」を増やし集める行為として、歴史に無数の悲劇を刻みました。
日本に来た宣教師が奴隷を本国に搬送していたのは、紛れも無い事実。
それで、日本の江戸幕府は、仏教による統治を敷いて、キリスト教を禁じたのであり、明治の開国において、「大教=天皇教」を宣布したのも、その強迫観念に由来するのかもしれません。
「毛唐」と忌み嫌う思想の根底にあったものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

135 :基本。:2014/01/29(水) 09:59:23.97 ID:MZF1z9Ow.net
文盲の柳井徳次郎さんの講話を記録した市販本「たすけの台」などの、伝承の教理では、
「むね」とは、「六根」
お遍路さんの「六根清浄」は、胸の掃除の事と教えられています。
また、伝承としてこふき話では、南無阿弥陀仏が六台、その根で「むね」と、とかれてもいます。
http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/koukibon_/koukibon_m16_.html
人間身の内は、六柱の神が入り込みて守護を下さる故に、自由に叶う事故、これ全く、此の神のかりものなり。
此の六柱の神様は南無阿弥陀仏なり。
南無と云うは、目、温み。阿弥とは、皮繋ぎに、芯の骨なり。陀仏とは、飲み食い出入りに、息の事なり。
南無阿弥陀仏と云うは、人間の身の内の事なり。これで身の内六台と云うなり。
・・・・
↑ こふき16年桝井本ではこうなっていますが、柳井徳次郎伝承のほうが、この件詳しく説いています。

「むね」すなわち「宗旨の内」をおやさまは委細説くために立教した。
総理解するのが、基本です。

136 :ふむふむ:2014/01/29(水) 23:01:45.82 ID:qcO/PncX.net
基本さんのレス楽しみにしています。
どうぞ頑張ってください。

137 :基本。:2014/01/30(木) 01:39:17.10 ID:fQ1wiauF.net
{8」
 いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や   一二 67
 しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている  一二 68
 教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の心である。
しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、 日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、或は憑 きものと笑い、或は気の違つた人と罵つた。
 かかる人々に、親神の教を納得させるのは、並大抵なことでなかつた
とはいえ、教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、
いつ までも、たすけ一条の道は啓かれず、陽気ぐらしへの立て替えは望めな い。
 されば、教祖は、頑是ない子供をはぐくみ育てるように、世の人々 の身にもなつて、説き聽かせ、或は筆に誌し、又は、親神の自由自在の 働きを目のあたり知らせ、身を以て行に示すなど、うまずたゆまず導か れた。
 教祖は、世界の子供をたすけたい一心から、貧のどん底に落ち切り、
しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された。
 更に、 親神が教祖をやしろとして、じきじき表に現れている証拠として、
よろ づたすけの道あけであるをびや許しをはじめとし、
親神の守護を、数々、 目のあたりに示して、疑い深い人々の心を啓かれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 これに引用されているおふでさき12号は、明治九年頃に書かれています。
 これについては、神・月日・をやという二代真柱様の示された基本教理から理解することが大切です。
「いまなるの」、です。親神が「月日と説くようになった今」と理解します。

138 :基本。:2014/01/30(木) 01:57:11.32 ID:fQ1wiauF.net
>>137
天理教用語:神(かみ)・月日(つきひ)・をや とは? 解説があります。
http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/142215202.html
親神様は、教祖を通して、「おふでさき」という原典の中に、そのお教えをお示し下さいました。
この「おふでさき」の中で、親神様ご自身のことを、「神」「月日」「をや」と表現されています。
これは、人間に分かりやすいよう、例えを用いて表現されたものです。
まず「神」と表現し、この世を創めた神、元こしらえた神、真実の神などの言葉を添えて親神様の理を明かし、
次に「月日」と称えて、抽象的にではなく、具体的に眼に見え、身体に感じることのできるよう、天の月日の理合いをもってお示しになり、
更に「をや」という言葉で、親神様を表し、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることのできる親身の親であるとお教え下されています。
/////////////////////////////
神と月日の関係については、おふでさき6号に理が見えてあります。
紹介します。

このよふの月日の心しんぢつを しりたるものわさらにあるまい (6-9)
これまでハいかなる神とゆうたとて めゑにみへんとゆうていたなり (6-10)
このたびわとのよな神もしんぢつに あらハれだしてはなしするなり (6-11)

月日が、神(どのような神)も、現出させて、話をするなり、と言う事ですから、
月日にはどのような神も現れださすことが出来る力があると、その関係が見えます。
 神と言って説いた、次に月日と言って説いているのは、「いかなる神も操れる立場を示すと同時の事です。
 中山みきに降りた神は、神は神でも貧乏神だと言うような思案、神は神でも狐の神だと言う思案が、人間の側にはあった。
おふでさきの5号までは神、そう呼称しとぃますが、六号で「月日」と説いたのは、神を動かし操るかのごとき力を示しての物です。

139 :基本。:2014/01/30(木) 02:31:16.13 ID:fQ1wiauF.net
明治9年の前年には、地場定めをしています。つとめの手も教えています。
つまり「神」としての中山みきは認知されていたと言う事です。
教祖伝年表では、
http://homepage3.nifty.com/nagano_karasugawa/bunko/kyosoden.html
この年、河内恩智村(八尾市)の板倉槌三郎、大和園原村の上田嘉治郎、その子ナライト等が信仰を始める
この信者さんたちは「おやさまは神様」と信仰していました。
けれど月日とは分からなかった。
いかなる神も現れだせる、神の中の神、月日だとやっと教えられる時がきたと言う事です。

そういうお筆先が、ここに示されてあることの意味です。
大切な基本です。

140 :基本。:2014/01/31(金) 04:39:05.60 ID:rjfjetuV.net
「9」
 いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や   一二 67
 しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている  一二 68
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさきは、文字は記号です。音と文字とで読みます。
一二 67 「くちわ」の読みは「口は」と読んでいます。「文字はわ」です。
一二 68 「くちハ」の読みも「口は」と読んでいます。「文字はハ」です。

古文において「わ」は、http://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%8F
終助詞 ・・〔感動・詠嘆〕…よ。…わ。間投助詞・・・〔呼びかけ〕…よ。
と、あります。

直前には「わ」の実例があります。 「いまなるの月日のをもう事なるわ」
つまり、「わ」は詠嘆ですから、「ああ、なんということだ、今になって月日が思っておられるのは、○○なことだった・・詠嘆」・・
こんな風に感動的な表現と理解するわけです。
 とまり「くちわ」、は、「ああなんとお口は、」と、感動表現として読むんが基本です。

141 :基本。:2014/01/31(金) 04:51:00.87 ID:rjfjetuV.net
「10」
 教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、 いつ までも、たすけ一条の道は啓かれず、陽気ぐらしへの立て替えは望めな い。
 されば、教祖は、頑是ない子供をはぐくみ育てるように、世の人々 の身にもなつて、説き聽かせ、或は筆に誌し、又は、親神の自由自在の 働きを目のあたり知らせ、身を以て行に示すなど、うまずたゆまず導か れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二台真柱様は言葉の魔術の使い手です。
「教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、」
これは、「 教祖が月日のやしろにおわす事実を納得」ではありません。
山名系の教義学者さんたちは「教祖が月日のやしろにおわす事実を納得」して、
協議を語っておられます。
「おやさまは月日の社です」と、事実を語っている。
けれで「真実」を語っていない。
「事実の奥に真実」であり、「その真実」とは、おふでさきに説かれてあります。
    月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている
これが真実です。 

142 :基本。 :2014/01/31(金) 08:47:05.46 ID:rjfjetuV.net
>>140-141
> おやさまが月日の社であると言う事実は、まさか信者が疑うはずは無い。
> 「9」
 いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や   一二 67
 しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている  一二 68
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、具体的になんと口は人間だけれど「精神」は月日だと、この真実は、納得されていない。
「肉体は中山みき」「精神は月日」
「肉体は中山みき・親神」、「精神は月日親神」という、事が分かっていないわけです。

月日=宇宙の真理、月日=宇宙意思、こう言うわかり方はあって、それが「教祖・きょうそ」に入りこんだと言う、ことまでは語っている教義学者さんも、
中山みき=親神がきちんと分かっていないから、真実が分かっていなかったと、そう言う事で、
明治六年乃至明治九年当時、地場定めやお勤めは習われていても、おやさまが月日の社と言う事実は承知していても、
その真実は見えていなかったと、そう言う事になります。

 しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている
 口の貸主は「中山みき」   精神の貸主は「月日」

中山みきが月日の社におわす真実、納得出来たでしょうか。

143 :基本。 :2014/01/31(金) 12:12:16.36 ID:rjfjetuV.net
おやさまが「地上の月日」だと、二代真柱様はお示しになっていますが、現状の天理教団は、まだ分かっているとは言えない状態にあります。
ネット上に天元分教会長 中尾元弘さんの講話がありました。引用します。
http://tengen.jugem.jp/?eid=2224
「この屋敷へ木仏金仏石仏をすえたところで、神が入り込んでものを言わすわけにいかんで。
 元なるおやの魂に人間五体の生を享けさして、神がてんよりその心を見澄ましていた。」という口伝のおさしづがあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、複数の資料から合成した合成編集のおさしづですが、内容には間違いがありません。
>>142
しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている
 口の貸主は「中山みき」   精神の貸主は「月日」
人間の口を通してでなければ、月日親神はものが言えないから、中山みき・親神の肉体の口をお借りした。
この真実があるわけです。
 そして、人間としての肉体で生を受けて成長する限りにおいては埃も必然つくわけで、「神がてんよりその心を見澄ましていた。」のは、
当然の事です。大天才の魂であっても努力しなければただの人と言うのは天理であって、月日と言えども親神といえども、天理を免れは出来ない基本です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
天元の会長さんの講話は少し間違っていますので、もう少し説明続けます。

144 :基本。 :2014/01/31(金) 12:21:21.94 ID:rjfjetuV.net
>>143
> 天元の会長さんの講話は少し間違っていますので、もう少し説明続けます。
http://tengen.jugem.jp/?eid=2224
『ではどうして「うを」の魂を持たれた夫善兵衛様は、月日のやしろにお定まりにならなかったのでしょうか。』
教典でも教祖伝でもそんな話題は無いのに「夫はなぜ月日の社にならなかったか」と、講話で語っています。
基本的には「男は妊娠しない」のです。木仏金仏はものを言わないように、男は妊娠しません。それが天理です。
「24 25 26」これは三日三夜の理、立教は元始まりの理ですから、妊娠の理で、おやさまに十柱の神が皆入って、立教です。
「はい差し上げます」 夫の役割は立派に果たしています。
教理教義の分からない人ほど、善兵衛さまを悪しく語りますが、天元の会長さんもそのお一人のようです。

145 :基本。 :2014/01/31(金) 13:05:10.82 ID:rjfjetuV.net
>>141-144
> 教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、 いつ までも、たすけ一条の道は啓かれず、陽気ぐらしへの立て替えは望めな い。
> 「肉体は中山みき・親神」、「精神は月日親神」という、事が分かっていないわけです。
> 天元の会長さんの講話は少し間違っていますので、もう少し説明続けます。
http://tengen.jugem.jp/?eid=2224
親神様は、人間創造から天保九年に至るまでのお二方の心、つまりみき様と善兵衛様の心をじっと見ておられて、みき様の心とその御態度こそが、親神様のお眼がねに叶った心であったことから、月日のやしろに貰い受けられたのだと思います。

 二つ目の理由は、天保九年は江戸末期、男尊女卑の封建的な家制度の社会であります。その家その家で行われる物事の決定権は、最高責任者である戸主にあったわけです。
 天保九年に起きた中山家の一大事に、堅い決心の下に「みきを差上げます。」と、家族、親族立会いの下でお応えになったのは戸主善兵衛様です。
 言い方を変えれば、親神様からの申し入れを承知することのできる役割のお方は、善兵衛様お一人だけであったのです。
//////////////////////////////////////
応法の思案癖で世俗の事にしか目が言っていない。神秘と言うご理解は大切です。
特に、立教は元始まりですから、元の理にて思案されるべきです。

ザ掲示板にて元の理の数理、以前に整理しましたので、ご参照下さい。
http://thebbs.fc2.com/262762!/-100
 「三日三夜」      1866年「あしきはらいたすけたまえてんりわうのみこと」のつとめを教える。
→「三年三月」      1869年「十二下り」かぐらつとめを三年かけて教え終わる。
→「むまれだし=約280日」 1870年「ちょとはなし」「よろづよ」を教える。
→「五分=五年」     1875年「ぢば定め」「いちれつすます甘露台」を教える。
→「五分=五年」     1880年「初めて、鳴り物揃えておつとめ」
→「三度・・。=9年9月」1890年 現在の別席制度、おびや、お守りにつき整う。

引用続きます)

146 :基本。 :2014/01/31(金) 13:07:31.24 ID:rjfjetuV.net
(引用続きです)
勤め場所と、真柱、用木は、>>55、以下のような元の理の数理でした。
 「三日三夜」      1861 5 西田伊三郎入信。>>51 よふぼく
→「三年三月」      1864 8 おつとめ後、勤め場所普請の資材手配。
→「むまれだし=約280日」 1865  懐妊中に、真柱の真之亮、とおやさま命名。
→「五分=五年」     1870  おつとめ、てをどりの一通り教え終わる。
→「五分=五年」     1875  おつとめ、かぐらの十二種類教え終わる。
→「三度・・。=9年9月」1885 3 『さあさあ、今なるしんばしらはほそいものやで、・・』

地場にて、「つとめ」と「さづけ」の元となる天理教会本部は、次のような「元の理の数理」で「独立報告祭」をしました。

 「三日三夜」       M18.4.29 天理教会結収願い提出。天理の呼称初使用。
→「三年三月」       M21.7.23 天理教会本部、ぢばに。
→「むまれだし=約280日」 M22.5  神道三等教会に昇格。
→「五分=五年」      M27.6.29 神道本局の普請にて、初代真柱責任者に。
→「五分=五年」      M32.5.21 神道本局管長より一派独立のすすめり。
→「三度・・。=9年9月」 M42.2.19 天理教独立報告祭。

地場の天理教会本部から出す、「ゆるし」と「さづけ」は、次のような「元の理」の数理に基づくものでした。
 「三日三夜」      1854 年末  帯や許しの初め
→「三年三月」      1858     清水惣助妻ゆきに帯や許し。
→「むまれだし=約280日」 1859 清水惣助妻ゆきに再度の帯や許し。
→「五分=五年」     1864 扇の「授け」わたす。
→「五分=五年」     1869   「はったい粉」御供、渡す。
→「三度・・。=9年9月」1878 「金平糖」御供、渡す。

 いままでも今がこのよのはじまりと
 ゆうてあれどもなんの事やら    七号35
[60] 基本。 2006/12/12 12:36
「三日三夜」「三年三月」「むまれだし=約280日」「五分=五年、五分=五年」「三度宿りた=×3→3年3月×3=9年9月」
「3年3月後」→「およそ4年1月後」→「およそ9年1月後」→「およそ14年1月後」→「およそ23年10月後」
・・・・・・・・・・・・・・・・

147 :基本。 :2014/01/31(金) 14:20:50.05 ID:rjfjetuV.net
>>141-146
立教から、数えますと、数は実数、年は西暦が基本です。
これに史実を確かめます。
http://homepage3.nifty.com/nagano_karasugawa/bunko/kyosoden.html
「三日三夜」1338年12月12日     立教
「三年三月」1842年3月12日  
「生れだし約280日」1843年1月22日頃 母屋取り壊しの神意。翌月善兵衛の死。
「五分=五年」1848年1月22日頃   お針子 寺子屋を開く。
「五分=五年」1853年1月22日頃   
「三度宿りた」1862年10月22日頃。  危篤に陥って居る病人をお救けになった

立教から元の理の数理を経て、神としての道を開始されていること、
教癌教義は元の理も、口先ばかりで、新時期っていない情けなさです。
1862年文久二年:教祖伝の記述です。
 文久二年、教祖六十五歳の時、先方の願により、わざ/\安堵村へ、足を運ばれ、
産後の煩いで危篤に陥って居る病人をお救けになった。
 二十数年に亙る長いみちすがらの後、漸く親神の思召が弘まり始めた。

元の理を軽視して、おやさまが親神様だと分かっていないから、天元の会長さんは飛んでも無い事を講話しているわけです。
(続けます)

148 :基本。 :2014/01/31(金) 14:35:02.93 ID:rjfjetuV.net
>>141-147 誤字脱字無視して続けます。
天元の会長さんはこういう講話をした。http://tengen.jugem.jp/?eid=2224
 親神様は「うを」に対して、いざなぎの命との神名を授けられ、一方「み」には、いざなみの命との神名を授けられました。
 そしてこの「うを」と「み」の両者に対して、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようとの約束をされたのです。
・・・
 そして、神として拝をさせようと、「うを」と「み」の両者に約束されたのです。これが人のいんねんであります。
…みき様が月日のやしろになられた理由…
 ところが「うを」と「み」との両者の内で、神として拝をさせよう、つまり神様、月日のやしろにお定まりになられたのは、「み」様。
 つまり、いざなみの命様の魂をお持ちであられた中山みき様お一人なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、謀反です。いうなら異端です。いうなら偽天理教です。

元一日において、神として拝をさせようと、「うを」と「み」の両者に約束された月日が、そういう約束であるからには、「夫様も神」です。
拝をしなかったら、教えに背きます。

親神様とは「夫様も」です。親神なのです。
心洗って、出直されるべきです。天元の会長さんは「おやさまが親神様」と知らないから、そういう大間違いを講話されるのです。
世界一列たすける為に、人からは、信者からさえも、夫善兵衛は神として拝する価値も無いとののしられて、人の笑いを誹謗をいくら楽しまれているからと言って、
夫様を神として配しないような偽信仰者は、余りの残念です。

地上の月日のおやさまと、人間の父親の親神とが、いかにご苦労下されたか、
まともな天理教の会長ならば口が裂けても夫善兵衛さまの悪口なんていうべきでないと、
ご忠告いたします。

149 :基本。 :2014/01/31(金) 14:48:18.06 ID:rjfjetuV.net
「11」
世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。 それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。親神は、これ をあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。
  いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や           一二 67
  しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている           一二 68
 教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の 心である。
しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、 日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、或は憑 きものと笑い、或は気の違つた人と罵つた。
 かかる人々に、親神の教を納得させるのは、並大抵なことでなかつた
とはいえ、教祖が月日のやしろにおわす真実を納得させずしては、いつ までも、たすけ一条の道は啓かれず、陽気ぐらしへの立て替えは望めな い。
されば、教祖は、頑是ない子供をはぐくみ育てるように、世の人々 の身にもなつて、説き聽かせ、或は筆に誌し、
又は、親神の自由自在の 働きを目のあたり知らせ、身を以て行に示すなど、うまずたゆまず導か れた。
 教祖は、世界の子供をたすけたい一心から、貧のどん底に落ち切り、 しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された。
更に、 親神が教祖をやしろとして、じきじき表に現れている証拠として、よろ づたすけの道あけであるをびや許しをはじめとし、
親神の守護を、数々、 目のあたりに示して、疑い深い人々の心を啓かれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この「地上の月日」であるおやさまに、「人間の父親神」として、夫善兵衛さまは、周囲の子供たち親族や役友達やと「月日」の間に立って、子供らの言い分も聞き月日の命には逆らうに逆らえず、
しかし「共に貧のどん底に、奉仕に、福祉に中山家の財産を施して、」
時には神の祠をつくってみきを神として祀ろうとしてと、成人の出来ない人間の為に身に板ばさみの難儀を通りつつも、
丹精下さった、誠に人類の父神、前兵衛さまへの親不孝は、全天理教徒、いまだ不幸の途中にあります。
 おとうさん有難う。
 一言だけ、書き添えます。

150 :神も仏も名無しさん:2014/01/31(金) 17:24:00.06 ID:2xhwXqmy.net
美少年がデブスをプロレスでやっつけるのが見たい。

151 :基本。 :2014/01/31(金) 20:37:25.96 ID:rjfjetuV.net
「12」 更に、教祖は、
 このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ          一 21
 せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ         一 22
 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする          一 23
とて、親神の思召を伝えられ、
 だん/\とふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ           四 72
と、後々繰り返し繰り返し思案させるよう、心を配られた。
この事は、 後日、
 これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに 知らし置いた。            (明治三七・八・二三)
と仰せになつたように、
 おふでさきは、耳に聽くだけでは、とかく忘れ がちになり易い人々の上を思い、筆に誌して知らされた親神の教である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 二台真柱様のブラックは、おふでさきの引用について、まさに見事なとしか言いようも無いお方です。

 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする          一 23
このお歌は、次のお歌と続けますと、これです。
 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする (1-23)
 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて (1-24)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、おふでさきの本質です。
「理の 責め」です。

152 :基本。 :2014/01/31(金) 21:16:15.80 ID:rjfjetuV.net
お筆先は、理の間違いを「歌の理で責める」呪法の文書です。
この世界は理で責められた世界である。と、おやさまはご宣言です。
その「なにか」よろずを「歌の理」で責めると、この仰せは、僅か1711首にて、この世界の違いを責めきるおやさまのお力を
何もかも心得ての天理教教典の編述となっています。
 暫く、お筆先の基本教理について説明をさせて頂きます。

[おふでさきの基本]
@ おふでさきは、音と文字の二つで読むを基本とします。
 実例1「このよふハりいでせめたるせかいなり」の「この世ふ」
 「音は、この世」です。「文字はこの世ふ」で、「世ふ」というのは、
「ふ」は火水風の風です。この世元始まりで言えば「夫婦がはじまった世」で、「この世ふ」です。
立教で言えば「天理教が開始された世の始まりの世ふ」となります。
そこで、音では「この世は理で責められた世界」「文字ではこの世の始まりは立教はいらい理で迫られた世界」となります。
 実例2「りい」は文字では「理意」で、音では「理」です。
 「りいでせめたるせかい」とは、「天理と親の意思で責められたる世界」が文字。
「理で責められたる世界」が音、その二つで思案します。
 
A お言葉は初出をもって意味語用の基本とします。
 実例1「なにか」の初出は、最初にお筆先に出たのは、
 このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする (1-3)
これが初出です。
 ですから「なにかよろづを歌のりでせめ」一 21の「なにか」の 意味は、
神が表に現れて説いて聞かせる「なにか」という意味になります。

 「よろづ」の初出は、一号 1に「よろつ」とありますがこれは、濁点があるので、「よろづ」ではありません。
 きゝたくバたつねくるならゆてきかそ よろづいさいのもとのいんねん (1-6)
この「よろづ」が初出です。
 
B おふでさきは、澄むと濁るで悟りとるものです。
実例1「よろづ」「よろつ」です。

(この講続きます)

153 :基本。 :2014/02/01(土) 00:02:17.07 ID:FhiySKaH.net
>>152
文意が分かりにくい書き方ですが、「よろつ」は、澄んでいる。
つまる「よろつよ」は、世界一列の事で、元々澄んでいる世界です。
しかし、「理の責めで知らして病気が現れるのは、あしきの掃除です」から、
「よろづ」は濁ったよろずです。
「万世」音ではそうなりますが、文字で読むと、「泥海のよろづ」となります。

154 :神も仏も名無しさん:2014/02/01(土) 02:53:19.92 ID:kTdWRJEW.net
>>149
教理研究 原典に示された「甘露」について

スレッドで、「善兵衛」で検索してみてください。


それと、以前そちらさんは、「赤衣」を着ていないという理由で、夫、善兵衛さんを親神様とはおっしゃってなかったように記憶しているのですが。

155 :神も仏も名無しさん:2014/02/01(土) 06:39:16.63 ID:kTdWRJEW.net
>>131
>>132

68 名前: 無血革命、進行中 投稿日: 2003/04/05(土) 17:05
ID:Mb620mAg 日本人社会に対して少しずつ砒素を流し 込んで弱らしめ、 服従か死かいずれかを日本人は選択しなければいけない状態に置かれているといえるかもしれません。

ある時までは友人として恋人として、師として師弟として存在し、ある時から彼らの精神社会が開陳され、 自分達の社会に組み込まれる事を求めるという形でそうした実社会が存在していた事を日本人は思いさらされる宿命を背負っていたということが言えるかもしれません。


彼らは民族的な価値観に基づく判断によって、日本人の防衛力の低さから、日本人に対して人の扱いをする必要を一切感じない人間達であったのです。戦略的にその為の状況を築き上げながら、一人ずつ一人ずつ、一所帯毎に非道を惜しみなく繰り出してきたのです。




まさに、
とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく
2-032

156 :基本。 :2014/02/01(土) 23:32:15.08 ID:FhiySKaH.net
>>154
> 、「赤衣」を着ていないという理由で、夫、善兵衛さんを親神様とはおっしゃってなかったように記憶しているのですが。

基本教理・天理教教典のこれまでの解説でもご理解出来ていないご様子で、改めて解説します。
 この「地上の月日」であるおやさまに、「人間の父親神」として、夫善兵衛さまは
この文章ですね。
「人間の父親」神様は、善兵衛様の事ですが、赤衣は着ていません。
「赤衣を纏っているのは中に月日がこもりいるからです。
と言う事は、人間の父親神様は月日親神ではありません。
でも、神として拝すべきお方です。

イエス様も中に月日がこもっておりません、でも神として拝すべきお方です。
天理教教典第4章で、語るべき内容ですが、十の柱の神という立場に立つと、
おやさまも、善兵衛様も、同じ一柱の存在です。
同一の人が、親神であって一柱の神でもあるわけで、地獄の閻魔大王が辻辻のお地蔵さんでもあるというように、「理としての存在は器や立場で姿も名も変わる」のです。

>>148
> 元一日において、神として拝をさせようと、「うを」と「み」の両者に約束された月日が、そういう約束であるからには、「夫様も神」です。
> 親神様とは「夫様も」です。親神なのです。
↑ここで語られているのは、「神として拝をさせる」という月日の示した「理の世界」の出来事です。
「月日」がいて、「女親」と「男親」とに神として拝をさせると告げられた。
これが元の理の、出来事。
地獄で言うなら閻魔大王が「月日」としますと、その閻魔大王が道の辻にあるお地蔵様に入りこんだ。
それが「月日の社」ですから、その場面では「地蔵」は閻魔大王。「みき」は月日で、これと対比したら、夫善兵衛は親神では無い。

しかし、信者からしたら、元の理の母親神も、父親神も、神。神として拝すべきです。
立教のご宣言の時、
>>2
「親神としての中山みきが、教祖としてのみきの口を通して仰せになった」と、読み取れます。
これに習うならば、人間の父親神としての夫善兵衛が、みきを差し上げますとお受けした事になります。

157 :基本。 :2014/02/02(日) 00:27:06.13 ID:3MVxwvxL.net
>>154 >>156
父親神は、「妊娠」には大切な役割をします。
女親神だけでは、元の理の妊娠は出来ません。

>>144 に、説明いたしました。天元の会長さんレベルならお分かり頂けるだろうと要点で申し上げたので、分かるように語ります。
 『「24 25 26」これは三日三夜の理、立教は元始まりの理ですから、妊娠の理で、おやさまに十柱の神が皆入って、立教です。
「はい差し上げます」 夫の役割は立派に果たしています。 』
 この文章です。
これは三日三夜の理、これは、元の理の模倣で「男女で行う」ものです。
「妊娠の理と言うのは、夫と妻とが「にしん」、目がしんで、同じ西方浄土を見た時に、「妊娠の理に成る」。
つまり、誠と誠の真実と真実の一致が夫婦にあって「妊娠」です。
三日三夜の問答は、「月日」と「父親神」との問答であるけれど、姿は、「母親神と父親神」「みきと善兵衛」の問答が、肉体上の事実です。

妻は「私の身体には元の神がいます。このまま神の社として元の神に差し上げて下さい。」
「元の神は私と中山家の家屋敷もろとも、差し上げろとのご命です。」
「そうは言っても、所帯盛りでお前を差し上げるわけには行かない」
「ああああ、痛みが、痛みが・・・・」
こんな問答を、お二人でしていたわけです。
そして、三日三夜で、「分かった。お前の言うとおりする。」と「お前の体の中にいる元の神の言うとおりする」。
「二人で、元始まりの時のように、世界一列たすける道を始めよう」。
「おまえは、元の神に差し上げる。」

こんな会話を、肉体の二人はしていたと言う事です。

夫婦が一つになった時「妊娠」する。 天理です。
立教において、父親神様は、並の人間なら絶対に引き受けられない大役を、みき様の夫として引き受けられて、
この道が始まったのです。

ご理解頂けたでしょうか。

158 :基本。 :2014/02/02(日) 02:14:09.37 ID:3MVxwvxL.net
>>154
> 教理研究 原典に示された「甘露」について
> スレッドで、「善兵衛」で検索してみてください。
確認しました。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/118
118 名前: 基本◆SrmDuOF. 投稿日:2010/01/23 13:34 ID:e4dwF4Bw0
「22の2」とは、男女二人、が三組で、222です。
おつとめのてをどりの、お立ちの方の数理です。
おさしづに、「ほんの三日や千日や」とありますが、三年千日の苦労をすれば結構になると言う天理の基本があります。
すると、1838年12月12日に立教したのですから、1841年には、結構になっていなければならない。
1841年とは、天理教年表では、「おびやためし」の年です。
ところが、夫善兵衛は、自分の眼病は助けられた。妻の病気も治った。
特に長男秀司の足痛も助けられたというのに、おまけに、おびやためしで、流産の産後も助けていただいたのに、
「貧に落ちる」を拒んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/101-200 
116
「22の2の五つ」という教理があります。
ろくぢでないと「理い吹く」ではなく「立腹」となる。
「理い吹く」は「昼」。
「立腹」は神の立腹ですから、「夜」と、舞台は変ります。
そこが、分岐点です

これが、その話題の基本でした。

159 :基本。 :2014/02/02(日) 02:44:24.43 ID:3MVxwvxL.net
1338年12月12日、立教です。立教は3日3夜に宿しこみの理です。
それから3年3月も元の理の数理です。
おやさまは「流産」しています。これは妊娠の失敗を示した神の返しです。
それは同時に、おびやのためしであったと言う「ひながた」です。
をびやためし:
 これより先、教祖四十四歳の時、妊娠七ケ月目の或る日のこと、親神から、
「今日は、何処へも行く事ならぬ。」
と、あった。そこで、その日は一日他出せずに居られた処、夜になってから、
「眠る間に出る/\。」
と、お話があり、その用意をして居られると、流産して、その後頭痛を催した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それは、222の5が、夫善兵衛の精神で暗転したと、 教理研究 原典に示された「甘露」について スレでは、
説明しています。

15年は五つ理をふく。2月22日に死でした。

160 :基本。 :2014/02/03(月) 02:01:36.98 ID:iSAJ9MiM.net
「13」これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに 知らし置いた。  
          (明治三七・八・二三)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさき執筆以前に、どんな事も言葉に述べた。
それを(忘れる)から、お筆先に書いた。
それは未来においての予言である。

この一ニ三の構造ですが、@「おふでさき執筆以前」A「おふでさき執筆中」B「おふでさき執筆以後」の、一、二、三の「三段一つ」
この基本で思案することが大切です。
「執筆以前→執筆中→執筆以後」の123、このいずれの期間においても、同一の内容が神によって語られていることを、お指図は示しています。

お筆先でも、「1」の時の内容として理解すると言うように「123」の理で思案するのが基本です。
一例を示します。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/831-836
831 名前: 基本。 投稿日:2013/01/09 06:09 ID:lwE.0wWk0
おふでさき第2号31のお歌「これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい」
これは、「執筆以前→執筆中→執筆以後」の123で思案しますと、年表ですね、
(嘉永6年 1853 2月22日(西3月31日)、善兵衛出直(66才)。
 こかん、大阪へにをいがけに行く
 ペリー(アメリカ)浦賀に来る。ロシア、クリミア戦争開始

米国は、日本の小判と米国の貨幣を3対1の交換率とおしつけて、自国は一で三倍取るとあくどい儲けを上げています。
この頃に、家のこぼちをなさっている。
それが、米国の日本奴隷化政策によって、谷底がもたらされることを、予言実行した行為ですが、
からとにほんの話は、わからなかった。これが1の時の事です。

161 :基本。 :2014/02/03(月) 02:20:18.46 ID:iSAJ9MiM.net
これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい (2-31)
とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく (2-32)

この内容は、お筆先の書かれた明治二年3月においても、お話がされているが、
それは「123の2」「執筆中」の事です。
明治2年2月22日 2月22日 諸開港場に通商司を設置 アメリカの紙幣発行を取り入れた経済になっていきました。
これが、「123の2の段階」です。
>>160
(嘉永6年 1853 2月22日(西3月31日)、善兵衛出直(66才)。
 こかん、大阪へにをいがけに行く
 ペリー(アメリカ)浦賀に来る。ロシア、クリミア戦争開始

「222」「222」と、数理上で、この一致を「月日」「2月22日」が証明しています。

162 :基本。 :2014/02/03(月) 02:29:49.53 ID:iSAJ9MiM.net
中山家は「問屋」をしていた。名字帯刀御免の庄屋だった。
明治政府は「自立自営業」を庄屋が中心となって営んでいることに対して、
「222」通商司を設置した事を初めかけとして、国家統制経済型に変更させていくために、
庄屋制度を廃止し、米国型紙幣・貨幣制度を導入しました。
 それは、中山家も油問屋の仕事に関与していた庄屋であり、「唐人がままにする」を、身に染みて体験していたはずです。

おふでさきは、書かれた時の「二段階目・執筆時」の事実関係を確かめて、
「第一段階を調べて」、「第三段階の、今への知らせ」として、根を掘ることが基本です。 

163 :基本。 :2014/02/03(月) 02:40:17.64 ID:iSAJ9MiM.net
>>162 http://www.abura-ya.com/rekishi/rekish45.html
この貿易商社・・・通商司が半ば強制的に出資者を募るといったことも行われた。
東京府の官吏は有力問屋を“御白州”に並べ,名字帯刀を許す代わりに出資するよう,また総頭取と肝入りになるよう説得した。
しかし問屋の理解を得られなかったため,最終的には出資しない者は蝦夷地に送るといった脅迫的な言辞すら使って出資させたという
(『日本の会社企業発生史の研究』菅野和太郎著)。
問屋からすると,御用金を徴収されているような気分だったようだ。
外国貿易商は米,油,洋銀などの限月取引を行っていたが,これらの取り引きは現物がほとんど動かない空相場で,もっぱら相場の上下による巨利を博することを目的としていた。
こうした取り引きに習熟した外国商人が思いのままに相場を操る弊害は大きく,明治政府と東京府は貿易商社にも限月商いを許可することとした。
貿易商社は国策会社として,ほどなく「通商会社」となり,明治3年12月25日に「東京商社」と改名した。
・・・・・・・・・・・・・・・・
表向きは自由貿易を、実は「から取引で外国企業が膨大な利益」
今も行われていること。
とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく (2-32)

123を、ちゃんと確かめたら、何を月日はお怒りか、「222」の理に反しているからである。

164 :神も仏も名無しさん:2014/02/03(月) 02:44:20.71 ID:Pvn5EZSx.net
字も読めない農民に解りやすく説いたかなの教えではなかったのでしょうか?
こんなに読怪力、推理力、数字の解析力がないと解らない教えなのでしょうか?
後からくっつけ過ぎでは?
基本は貴方の基本であって、天理教の基本は、、、、
なぜ?この掲示板に貴方の基本を書き連ねるのですか??
現在の天理教を助けてくれるのですか?

165 :基本。 :2014/02/03(月) 03:00:42.19 ID:iSAJ9MiM.net
>>164
おやさまは「女ならはかまが仕立てられる程度」と具体的に示されています。
「袴が仕立てられる」と言うのは、専門の和裁師でも、現代なら各県に数名程度です。

「字も読めない農民に解りやすく説いたかなの教えではなかったのでしょうか?」
山名系に騙されているのですね。
だったら何で二代真柱は東大に言ったのですか。教義学者はみなそんなことはおやさまの教えでは無いと知っているのです。
高学歴ばかりでしょう。

天理教の初代は郡山の平野楢蔵を除いて、教養人ばかりです。
梅谷文書とか、こふきの各文書とか、山田伊八郎の文書とか、
行者信仰、修験道、易学、心学道話、・・こう言う宗教教養では、それぞれの分野のエキスパートばかりです。
例えば漢字ばかりの「経文」を暗唱し、読んでいた中山みき。

いい加減に、山名系の甘い言葉に騙される愚かさを脱却したらどうですか。
> 基本は貴方の基本であって、天理教の基本は、、、、
天理教の基本は、基本が解説している内容は、きちんと基本です。

166 :基本。 :2014/02/03(月) 03:03:26.96 ID:iSAJ9MiM.net
字も読めない農民に解りやすく説いたかなの教えではなかったのでしょうか

じゃ、おさしづはカナばかりですか。

167 :基本。 :2014/02/03(月) 03:06:30.09 ID:iSAJ9MiM.net
こんなに読怪力、推理力、数字の解析力がないと解らない教えなのでしょうか?

そうです。
これ以上の、「九つまでの教え」が身についた私になりたいです。
そうでなくて、「苦」がなくて、なんで「十・じゆう」に読み取る力が付くのですか。

168 :基本。 :2014/02/03(月) 10:09:37.06 ID:iSAJ9MiM.net
>>164
> なぜ?この掲示板に貴方の基本を書き連ねるのですか??
> 現在の天理教を助けてくれるのですか?

唐人の、「から」に影響された教理を有難がって、天理教団は応法の道を通り、それゆえに教団は夜の道となっています。
130は、正月30日の数理です。
130年祭は、日を切って送られる節目になっています。

つまり、違いがある事を知らしたら現れ出るのは「気の毒や」です。
天理教教典の奥にある教理の基本を、現時点語っているのは私独りかもしれませんが、やがて教団全体の常識になります。
おやさまを親神様として、きちんと理を理として天理教典を読んでいくなら、自ずと天理教団は「昼」になります。

> 後からくっつけ過ぎでは?
後からくっつけたのは、諸井先生深谷先生天理大学宗教学科の諸先生、天理教校専門家の先生たち。
天理教内から抜擢された学者さんたち。
天理教の「教学研究」書物は、字も読めない農民にはとても分からないような難解な文章で、
いっぱい後付してますよ。

164さん、おふでさきに最初に書かれてある文字を、そのままに読まないでいるのは今の天理教団で、
文字を文字として、一字一句も変えない解釈を基本とした教理が、本当の基本教理です。
当然ですが、天理教をおやさまはたすけたいと思っておられます。
基本は同じ立場です。

169 :基本。 :2014/02/03(月) 13:58:09.57 ID:iSAJ9MiM.net
164さん、天理教は「かなの教え」とおやさまがおっしゃった。
ひらがなは、表音文字です。
が、表意文字である漢字を「本字」として、そこから日本で独自に発達した「かな」で、文字一音に意味があるという、世界にも日本にしかない特徴ある文字です。
西欧の言語は「表音文字」です。http://kotobank.jp/word/%E8%A1%A8%E6%84%8F%E6%96%87%E5%AD%97
表意文字とは 漢字や象形文字などのように,意味を表す機能を強くもっている文字。表音文字の対。絵文字から発達したもの。

日本語の特長についてよく知ることは、おふでさきについて、理解するには大切です。
http://joumon-juku.com/help/52.html 引用します。
日本語に多い「擬態語・擬音語」は、自然の音や、音を持たない動作などを独特の音として表現するものだが、
たとえば日本人は、西洋音楽は右脳で捉えるものの、それぞれ擬音として表現している琴・三味線・笛の音など邦楽は、すべて左脳で捉えていると指摘している。
こうした日本に近い言葉と感性は、わずかにポリネシアの人たちくらいに見られるというのだが、
・・・
 約3000年前日本の地に、大陸より弥生の民が金属器と水田稲作を携えて渡来した。
縄文の民は、彼ら弥生人に支配されたと言われてきたが、ならば我々は外来の言葉を話さなければ為らないはずだ。
ところが我々の先祖は、古来よりの言語を継続して使い続けてきた。
この事実は、逆に弥生の民がいつしか縄文の民に吸収され同化していったことを示している。そして時代に即応して変化を続けながらも、今に至っても他国とは全く異質な、自然に同化した言語を使い続けていることがはっきりしてきた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
縄文の言語が漢字から「カナかな」を誕生させて、日本古来の言語をいまも私たちは使っているわけです。

170 :基本。 :2014/02/03(月) 14:17:01.61 ID:iSAJ9MiM.net
164さん、おやさまは「かなの教え」とおっしゃった。
「かな」そのものが、文字として簡単な代物では無いのです。
おさしづに「いと言うたらいや」とあります。
「い」と言われたとします。「意」?「異」?「位」?「射」?「胃」?

神様は「いと言うたらい」だといわれても言われた側は、「意に従え」なのか、「異・番う」なのか、
かな文字には、こうして必ず思案が必要になります。

日本の言語は「左脳」で「デジタル」です。

基本が「おふでさきは文字と音」と、二つの理解を基本として示すのは、日本の地の言語、
おやさまがにほんに温存して下さった言語、天理を語るには「かなもじ」という、親心を、
深く有難く痛み入るからです。

かなの教えだから、簡単だというのは、「唐人にだまされて」「山名系に汚染されて」、
かなの教えの深みを、まだ感じておられないからです。
日本に生まれ、にほんの教え、天理教を信じることの喜びは「かなの」、「かなの教え」を、身近にして、
味わえる頃です。

171 :基本。 :2014/02/03(月) 15:22:42.64 ID:iSAJ9MiM.net
にんけんをはぢめかけたハうをとみと
これなわしろとたねにはじめて (6-44)

ひらがなの成り立ち参照します。
http://kotodamasan.blog20.fc2.com/blog-entry-27.html
「し」之
成り立ち 出る。草や木が芽生えを過ぎて、葉や枝を伸ばし、大きく成長する様を表現しています。
「ち」知
成り立ち 口(ことば)と矢(陳べる)から成り立っています。物事に精通することを表します。
「は」波
成り立ち 水が湧き立つように流れるさまを表します。

「ぢば」は、物事に精通し水が沸き立つように流れる、言葉の成り立ちです。

「はじめ」「はぢめ」の違いは、かなの成り立ちでは、「はじめは成長の開始」
「はぢめ」は、「先ず初めに言葉ありきの開始」。

ちゃんと天理の基本となっています。

「うを」とは「宇遠」どこどこまでも突き通す、「宇宙の久遠」「月様の理」
「み」とは、「美 」 成り立ちは、「羊」と「大」から構成されます。
「羊」は六蓄(馬・牛・羊・豚・犬・鶏)のうち主に料理に供されました。
大きい羊は、美味で美しいと考えれ、表現されました。

「うを」は語源的には「宇宙の真理」「久遠を説いた」仏陀がイメージされます。
「み」は、人を子羊に説いたイエス、を想起させます。

かなであるからこそ、そこには「根」がある。
おやさまのの教えは深いのです。

172 :基本。 :2014/02/03(月) 15:44:59.43 ID:iSAJ9MiM.net
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/202-
空海は、サンスクリットの手法で、日本版サンスクリットとして、日本の真言・「日本語・五十音表」を整理します。
それは、母音を基準にした整理法でした。
> 「木火土金水」の五行
木 つきよみ 火 をもたり 土 くにとこたち 金 くにさつち 水 くもよみ

母音が5つしかないのは世界中に、にほんだけです。
その5つの母音は、木火土金水の陰陽五行の理と、貸し物の借り物の教理で教えられています。

「ぢば」は、母音が「をもたり」「つきよみ」。こう言うところからも思案しなければ、ならない。

仮に、164さんが天理教を心配しておられるとしたら、おやさまは、もっとっもと、心配しています。
それは、折角に教えられた教えの「根を掘る」をしないで、そういう苦労をぬいてしまって、
布教しなさい、お助けしなさい。
これでは、道は暗くなるばかりです。

基本が語っているのは基本にすぎない、もっと深くもっと深刻に、教えの根を掘るならば、天理教は何も心配要りません。
「根え掘る模様なんでして出ん」、です。

173 :基本。 :2014/02/04(火) 01:07:00.64 ID:betr4mWe.net
>>160 :基本。 :2014/02/03(月) 02:01:36.98 ID:iSAJ9MiM「13」これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに 知らし置いた。  
          (明治三七・八・二三)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おふでさき執筆以前に、どんな事も言葉に述べた。
それを(忘れる)から、お筆先に書いた。
それは未来においての予言である。

この一ニ三の構造ですが、@「おふでさき執筆以前」A「おふでさき執筆中」B「おふでさき執筆以後」の、一、二、三の「三段一つ」
この基本で思案することが大切です。
おふでさき123の事例について、思案させて頂きます。
 月日よりぢうよちざいとまゝとけと まだいまゝでわみゑた事なし (6-128)
 このたびハぢうよぢざいをしんぢつに してみせたならこれかまことや (6-129)

このおふでさきは明治7年12月からのご執筆です。「2執筆中」の時の事です。
12月26日(陰11月18日)、初めて赤衣を着る。
教祖は、更にその赤衣を召された同じ日に、「一に、息は仲田、二に、煮たもの松尾、三に、さんざい手踊り辻、四に、しっくりかんろだい手踊り桝井」と、
四名の者に、直々「おさづけの理」 をお渡しになられた。これが、「身上たすけ」の為に「おさづけの理」を渡された始まりと、言われています。
この頃、おやさまは、「元の神・実の神」とは扱われず、並みの宗教家業扱いされています。
山村御殿の節です。
そして12月、赤衣「月日」という宣言です。四つのさずけを渡しました。

これと同じことが「1執筆前」にあったと言う事になります。

174 :基本。 :2014/02/04(火) 01:41:47.01 ID:betr4mWe.net
「2執筆時」の、一二三の二の時、当時の高弟、弟子たちの軟弱な態度を厳しく責めました。
 十人のなかに三人かたうでわ 火水風ともしりそくとしれ (6-21)
松尾市兵衛さんは、死にました。
  月日よりぢうよちざいとまゝとけと まだいまゝでわみゑた事なし (6-128)
 このたびハぢうよぢざいをしんぢつに してみせたならこれかまことや (6-129)
そして、もう一方では、四つのさづけを渡されたわけです。
これが「2執筆中」で、「1執筆前」があります。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/omithisonogoden/mizuyashikizikenco.htm
 文久3年(1863)秋、岩治郎(6歳)は腹痛を訴え、12月には一命も危なくなった。
岩治郎のお腹をなでられると痛みは治まり牡丹餅を食べた。
1週間ほどの滞在の間に近所の子供と遊ぶまでになった。
この時「水のさづけ」を頂いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
文久二、三年には、庄屋敷村のをびや神様の名が、次第に大和国中に高まるにつけ、金銭の無心を言う者も出て来た。
並松村で稲荷下げをする者が来た時は、先方の請いに委せて二両二分を与えられた。
文久二年頃の事である。(二二二)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治二十一年二月 諸井ろく身上伺
小児の処、一寸身の障り有るから尋ねる。小児の処、何も無くして尋ねん。道中の処は案じる事は無い。
いかなる聞き分け。国の土産や、一つの印を渡し置く。
これが「3執筆後」の出来事です。

山名では天輪王で遠州でかぐら面をつかってお勤めしていた。
http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/top2.html
教祖は死んだ。元の神の権威が疑われる状態の、明治20年から21年、みき姉さんは、伊蔵からさづけをわたして、
弟子に対して、権威を示しています。

復元され、親神の神名が中山みきの「天理王命」だと復元されても、なお軟弱な弟子たちがいる今、きちんと同じ理が発動する。
それが基本です。

175 :基本。 :2014/02/04(火) 08:47:40.24 ID:betr4mWe.net
>>174
> 山名では天輪王で遠州でかぐら面をつかってお勤めしていた。
http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/top2.html
引用紹介しましたのは、天理教豊文教会(八島系の異端です)。
「山名面」と呼ばれた、諸井国三郎が制作させ使った神楽勤めのお面が写真で出ています。

平安大教会初代は飯田岩次郎、>>174
> 岩治郎のお腹をなでられると痛みは治まり牡丹餅を食べた。 1週間ほどの滞在の間に近所の子供と遊ぶまでになった。
> この時「水のさづけ」を頂いた。
飯田家では、宗教家業を開始していて分派「大道教」になっています。
松尾市兵衛の子供が平安を引き受けています。(さづけ頂いています)

諸井国三郎の妻は、火水風退く状態の身上になっています。

おやさまが「天理王命」とわからない、或いは「月日」と分からないで、
ただ霊救、奇跡、神秘に魅了されただけで信心してしまうと、異端です。

176 :エシュロン:2014/02/04(火) 15:37:12.82 ID:pPfR4sw8.net
教理ではない話題なんですけれども、
天理教の本殿は建て坪世界一の木造建築ではないんですか?

ヤフー地図で俯瞰するとどうもそう見えます。

177 :基本。:2014/02/04(火) 21:40:12.74 ID:betr4mWe.net
>>151 :基本。 :2014/01/31(金) 20:37:25.96 ID:rjfjetuV「12」
 このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ          一 21
 せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ         一 22
 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする          一 23
とて、親神の思召を伝えられ、
 だん/\とふてにしらしてあるほどに はやく心にさとりとるよふ           四 72
・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 二台真柱様のブラックは、おふでさきの引用について、まさに見事なとしか言いようも無いお方です。

 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする          一 23
このお歌は、次のお歌と続けますと、これです。
 なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする (1-23)
 しらしたらあらハれでるハきのどくや いかなやまいも心からとて (1-24)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、おふでさきの本質です。
「理の 責め」です。
>>174ー175  にその実例を挙げておきました。
 十人のなかに三人かたうでわ 火水風ともしりそくとしれ (6-21)
松尾市兵衛さんは、死にました。

 諸井国三郎の妻は、火水風退く状態の身上になっています。
お筆先は、理の責め、何か万の理の責めです。

「よろづ」とは、八百万の神と、基本的には理解します。

178 :基本。 :2014/02/04(火) 22:31:29.37 ID:betr4mWe.net
「15」
  このさきハみちにたとへてはなしする どこの事ともさらにゆハんで          一 46
  やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら         一 47
  まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり         一 48
と、神一条の道を進む者の道すがらを、山坂や、茨の畔などにたとえて、
この道は、一時はいかに難渋なものであろうとも、一すじに親神にもた れて通り切るならば、
段々、道は開けて、細道となり、遂には、たのも しい往還道に出られると、
希望と楽しみとを与えて、励まされた。
そし て、自ら真先にかかる中を勇んで通り、陽気ぐらしのひながたを示され た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お筆先の比ゆが、「たとえ」と明示して、知らされたおやさまの道を、説明してあります。

この比ゆは成人の道程としての道筋を示したもので、
おふでさきの原則に従えば、「この道を忘れる」
そういう予言です。
そこで、天理教の教えとは、この成人の道を通ることという、基本を心得ねばなりません。

179 :神も仏も名無しさん:2014/02/04(火) 22:33:15.40 ID:XckuPHf+.net
67 名前: 名無しなんじゃ 投稿日: 2003/04/05(土) 17:02 ID:Mb620mAg
こうした被害は、日本全国で大なり小なり支配的地域を拡 大するように積み上げられているものと感じます。
未だ彼らに猛威を振るわれるに至っていない日本人も沢山いると思います。
一旦そのことが、その身に及んだ時には、いったい何が自分の身に降りかかったのかというところを知る為に、 この拙文の端切れなりともお役に立てれば幸いです。

ただ、この中ではお伝えしていなかったと思いますが、 既にその行為者の集団社会は大きなもの、高きに達していることを知っていて頂きたいのです。 中国系から韓国系の居住者だけでも三百万人以上いると思います。
任侠をあざ笑う日本人も多くいます。 ここであげた行為者としての生活者は、中国系韓国系の居住者に止まらず、沢山の日本人も組み込まれていることを知っていて頂きたいのです。

彼らは被害者に対して教育を施すような巧みさを発揮し、被害者を加害者に変えることが出来ることも知っておいて頂きたいと思います。
例えば、無垢な心を持った少女が、彼ら のその行為を及ぼされたとします。 どのように変化すると思いますか。
第一に、自分がこの世に生まれたことを恨みます。
第二に、その行為を及ぼした集団社会に対して、 日本人社会が絶対的に勝ち目がないことを知ります。
第三に、その行為を及ぼされる前の自分には、二度と戻れないことを気づきま す。
最終的に、どのような心を持つかというと、
「皆、同じになれば良い。全ての人間を、自分と同じ目に遭わせてやりたい。 自分が助けを求めた時、その社会は善良な人間としてありながら、何もしてくれなかったのだから。」
このように変化する様を、私は幾例も目の当たりにしています。 http://www2.justnet.ne.jp/~pigeon/aisatu.htm

180 :神も仏も名無しさん:2014/02/04(火) 22:39:22.14 ID:XckuPHf+.net



って
何民族?

181 :基本。 :2014/02/05(水) 02:12:18.49 ID:KRbSUD1c.net
よろづよのせかいぢふうをみハたせバ みちのしだいもいろ/\にある (1-45)
このさきハみちにたとへてはなしする どこの事ともさらにゆハんで (1-46)
やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら (1-47)
まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり (1-48)
ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである (1-49)

このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事 (1-50)
/////////////////////////////////////////////////////
いまゝでハうちなる事をばかりなり
もふこれからハもんくかハるぞ (1-51)
/////////////////////////////////////////////////////
「おやさまは、順序と言う事にこだわるお方です。
1−51までは、1−1〜50 これは「内なる事をばかり」と言う事です。

つまり、「山坂、いばらぐろ、崖道、・・・」のお歌は、内なる事をばかりの話題です。

天理教の教典です。天理教の内にいると言う事は、「山坂、いばらぐろ、崖道、剣の中、・・」
これは絶対に通る道です。

よろづよのせかいぢふうをみハたせバ みちのしだいもいろ/\にある (1-45)
世界の世の中の道の次第なら、通らなくても良い苦労を、通るのだよと言う文意が、教典には含まれています。

182 :基本。 :2014/02/05(水) 12:15:56.18 ID:KRbSUD1c.net
>>181
私に伝承の教理を教えた師匠は「天理教とは、聞いて極楽、して地獄」と、語っていました。
お話として聞く分には、「結構なお話」、だが通るとなったら、「地獄のような道」だと、そういう意味です。

一号45から50までのお歌を、確認します。
45 世界中には道の次第は色々にある。
46 道に例えるが、どこの事とは「さら」にいわない。今更言わない。「内に事」。
学研全訳古語辞典 さら−に 【更に】副詞
@ 改めて。新たに。事新しく。今さら。

「聞いて極楽、して地獄」 おやさまのひながたを辿ると「山坂、いばらぐろ、崖道、剣の中」
さらに「火の中、ふちの中、細道、大道」と、続く。
そんな地獄道を通るなんてやめておきなさい、あんたじゃ無理だと、そう言わんばかりの師の語り口でした。


 このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事 (1-50)
「ぢよ」は「序」。
「わが事」jは、語っておられるおやさまの事、それはおやさまの内にいる我々のわが事。

知らなければ良いのです。
世界にある道の次第で、良いのです。
教典をここまで読んだら、もう閉じてしまいましょう。

地獄道が、それでも通りたいなんて、間違っても思わぬことです。
神からの手引きで、どうしても通るしかない人以外は、触らぬ神に祟りなしとのたとえ話をしめしましょう。

183 :基本。 :2014/02/07(金) 07:16:02.41 ID:oEt3afy2.net
天理教教典を「神秘の書」「オカルト文書」として認め、能力者正善真柱の弟子として、魔女みき姉さんと共に「地獄道」を通り、
「聞いて極楽」の道を通りたい方の為に、基本教理、天理教教典、読み進めさせていただきます。

「いいですか、知らぬ間はそのまま」なのです。
知ってしまった瞬間から、「現れ出るのは気の毒」、お覚悟して、山坂いばらぐろ、崖道、剣の中、火の中、ふち中、
通らぬ道は道とは言わない、天理教の道に、・・・・

では、続けさせて頂きます。

184 :基本。 :2014/02/07(金) 07:19:19.60 ID:oEt3afy2.net
「14」
 教祖は、世界の子供をたすけたい一心から、貧のどん底に落ち切り、
しかも勇んで通り、身を以て陽気ぐらしのひながたを示された。・・・
・・又、人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のよ
うに心が濁つているからで、
心を治めて、我が身思案をなくすれば、心は、清水の如く澄んで、
いかなる理もみな映ると教えられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「たすけたい一心から」→「貧のどん底に落ちる」。
天理教の基本です。
なぜそうしなければならないのか。
「難儀せねば何議なるものの心分からん」。からです。

【一粒万倍にして返す】逸話篇4
『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。』
【流れる水も同じこと】逸話篇5
 教祖が、梅谷四郎兵衞にお聞かせ下されたお言葉に、
「私は、夢中になっていましたら、『流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、貧乏せ。』と、仰っしゃりました。」
と。

それは世界の中の谷底には、貧乏し難儀している方たちが大勢いて、それは「債務奴隷」、資産が無い無産階級ではなく「債務しかない奴隷」として
利息の返済に負われ続ける谷底の人々が、圧倒的多数いるからです。
それを、救済するためには、絶対に不可欠の基本の師にいわせれば「して地獄」の天理教ということです。

185 :基本。 :2014/02/07(金) 12:22:35.33 ID:oEt3afy2.net
おやさまは、おやさまとの〇○から三年千日の実数で初代たちの天理教会設立を守護しています。
例外が、郡山初代平野楢蔵さんで、三年千日も心次第ではなお短くなる事も示されています。
その楢蔵さんは、ばくち打ちです。
>>184
> 「債務奴隷」、資産が無い無産階級ではなく「債務しかない奴隷」として
利息の返済に負われ続ける谷底の人々が、圧倒的多数いる
水戸黄門などの時代劇を見ていると借金のかたに、身を売ると言うお話がたくさん出てきます。
中山家が地もちの庄屋として財を成したのは借金のかたに土地を取り上げていたからです。
「表門構え玄関つくりでは救けられん」、それは借金のかたに取り上げた財産で建てた建物。
それと似た事をしていたのが、小東家、ザ掲示板おやさまに述べてあります。
松村吉太郎の母親は小東の娘で法隆寺の金融部門でその借金取立てで財産作った同じ因縁、
そこで、仮に「たすけたい一心」なら→「難儀の底へ」は小東家の通るべき道。
だが、それはしない、しなかった。
でも道楽博打にくるって財産はなくなる・・・
因果な話です。

186 :基本。 :2014/02/07(金) 12:34:30.29 ID:oEt3afy2.net
博打で、例えば四人で麻雀してて一人が金がなくなると、ゲームできなくなります。
すると、金は貸してやるから、続けたら。
こう言う風にして、ゲームを続けます。
世界経済も同じことで、経済行為を続けさせるために「金を貸す」ということが常套手段です。
ローンを組んで住宅を建てる、自動車を買う個人消費の場合も、出資者を募り、融資を受ける場合も、企業経営には借金は付きものです。
金を貸して儲ける、信用を貸して儲ける。そういうことで経済の活性化が出来るから、債務奴隷は生まれ続ける、生み続ける。

それを、打破し、真に陽気な社会に立て替えるには、
自らが「して地獄」、おちこめおちこめ、です。
松村吉太郎のお父さんは、財産をなくさせるものかと晩年必死であり、
そういう甘い汁の悪因縁が、大教会理の親たちは、もともとの因縁にあるわけで。
人たすける為の「地獄道」には、「聞いて極楽」はありますが、
わが身思案の「理の親信仰」には、「あらわれでるは気の毒や」。

教典を読む上の心構えです。

187 :基本。 :2014/02/07(金) 15:04:10.48 ID:oEt3afy2.net
「15」
人の心を水にたとえ、親神の思召をくみとれないのは、濁水のよ うに心が濁つているからで、心を治めて、我が身思案をなくすれば、心 は、清水の如く澄んで、いかなる理もみな映ると教えられた。
そして、 我が身勝手の心遣いを、埃にたとえては、親神をほおきとして、心得違 いのほこりを、絶えず掃除するようにと諭された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親神様の思し召しと言うのは、「山坂いばらぐろ」と順序を辿ったら分かるのですが、「微に入り細に渡って」います。
例えば「お醤油の量は、とか砂糖はとか、」そんなことまで教えてくると言う、基本常識があります。
家に野菜を買っていこうとしたら止められて、家に帰ったら野菜の届け物があったとか、
そんな風に、その子にとって成績の上がる参考書はそっちじゃなくてこっちだよとか、
ともかく微細なことまで知らせてきます。
そういうことは、通って初めて分かる事ですが、大それた問題よりも先ず、身の内とその周辺から、親神様の思し召し、
みき姉さんの優しい思いやりを微細に悟り取れないと、
そういう日常が大切な基本です。
それには、「無心」「平常心」、欲をはなれた精神の状態に己を、その瞬間だけおけば良いのです。
が、自力で掃除はできないから、「神を箒」に、埃を掃除して頂くのです。

188 :基本。 :2014/02/07(金) 15:17:51.80 ID:oEt3afy2.net
>>187
> いかなる理もみな映ると教えられた。
明鏡止水、
邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。
▽「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。
「鏡」は「けい」とも読む。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わが身思案と言うのは、神がどう思われているかではなく、わが身がどう思っているかで思案することです。
おやさまは、この道は「生きた禅やで」と言われています。
座禅を組むのではなく、生活の中で「禅」の境地になると言う事ですが、
それは、一瞬一瞬の親神様の思し召し(ケーキを買うならこの店が美味しいよというような)
(このドレスならとても似合うよ)というような、親の心を、映すことが何よりの果報です。
そこに陽気があるようないかなる理でも皆映るのは、神が箒やという、
お釈迦様の教えのそのままを、信じて行うことです。
「絶えず掃除」。です。

189 :基本。 :2014/02/07(金) 23:36:37.91 ID:oEt3afy2.net
>>184
「たすけたい一心から」→「貧のどん底に落ちる」。 これが 天理教の基本だとして、
「難儀して、難儀なるものの心が分かった」とします。
そして一粒万倍に【一粒万倍にして返す】が実行されたとします。

それは、難儀している人への経済行為の資金、債務返済の資金。
一粒万倍が実行されたときに、それで表門構えつくるようなら、偽天理教。
こう言う事がわかったら、「して地獄」という意味がお分かりになると思います。

一粒万倍に返されたら、それを、イエス様なら皆に施してしまわれるでしょう。
お釈迦様とて、法然上人とて、日蓮様も、空海様も、「こんなものでは衆生全てを救済するにはたらないと、
新たなる一流万倍の為に、難儀の底に落ちて行かれるでしょう。
おやさまは、世界の普請をする。
一粒万倍は、仮に返して頂いても、世界の普請にまるごと投げ捨てられる、それが基本です。

『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。
一粒万倍にして返す。』

返す責任は中山みきにあるとして、返されたら、笑顔でまるごと、更なる難儀に落ちてゆくのが、天理教です。

190 :神も仏も名無しさん:2014/02/08(土) 06:23:56.02 ID:5x+VJxma.net
仏教伝来により、神道に社殿信仰スタイルが形成された?

それまでの神道の信仰形態が変化したのか?

キリスト教会と墓地
お寺と墓地
神道と墓地

191 :基本。 :2014/02/08(土) 07:58:46.51 ID:MPfKL4j2.net
>>190
伽藍建築は仏教の建築様式で飛鳥時代に伽藍が建てられ始めたわけです。
対して、社殿とは、http://kotobank.jp/word/%E7%A4%BE%E6%AE%BF
神社の建造物のこと。本殿・幣殿・拝殿・神楽殿などがある。
です。
社殿には「神楽殿」があります。

仏教が到来して寺社と神社が共同生活した場合もありますが、それは末端のことで、本来社殿は伽藍とはまるで違います。

192 :基本。 :2014/02/08(土) 19:11:54.40 ID:MPfKL4j2.net
「16」
更に又、陽気ぐらしの世界の建設を普請にたとえては、これに与る人 達を、
しんばしら、とうりやう、よふぼくなどと称んで、その持場々々 の役割を示すなど、
人々が容易に理解して、早く心の成人をするように と心を尽された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「普請」とは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E8%AB%8B
普請(ふしん)とは、普く(あまねく)請う(こう)とも読み広く平等に奉仕(資金・労力・資金の提供)を願う事であり、
世界大百科事典 第2版の解説.ふしん【普請】
土木工事,建築工事を指す用語。元来は仏教用語,とくに禅宗で用いられた語で,
あまねく人々に請い,共に力を合わせて労役に従事し,事をなすことをいう。
曝書,除煤,摘茶,掃除や堂塔の造営など幅広い労役に用いられたが,そこから転じて,室町時代には一般に土木工事のことをいうようになる。
 鎌倉幕府の職名には作事奉行の名が見えるのみで,これが建築,土木の両工事を管掌したとみられるが,室町幕府では,建築工事は作事奉行が,土木工事は普請奉行が管掌するように分化している。

とう‐りょう 〔‐リヤウ〕 【棟×梁】
1 建物の棟(むね)と梁(はり)。
2 《棟と梁は家を支える重要な部分であるところから》
一族・一門の統率者。集団のかしら。頭領。また、一国を支える重職。
仏法を守り広める重要な地位。また、その人。
大工の親方。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
棟梁とは「武家の棟梁将軍」に例えても、間違いとは言い難い。

193 :基本。 :2014/02/08(土) 19:18:36.39 ID:MPfKL4j2.net
>>192
しんばしら とうりょう
棟梁は、重要な地位を示す言葉、これは「大統領」という言葉でも分かるように、地位である。
では、しんばしらとは、難なのか。何の比ゆなのだろうか。

法隆寺の心柱は、http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/feature/nara1335881535080_02/news/20120502-OYT8T01377.htm
石田名誉教授が五重塔の簡易な模型で実験したところ、心柱がある模型は、心柱のない模型より揺れが2倍以上、小さかった。
模型はスネークダンスを起こし、心柱が本来接していない各層の梁(はり)と交互に接触し合うことで、揺れのエネルギーを、左右に分散させていたのだ。

伊勢神宮の心柱は、最大の謎とされ、http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/7ea400281d894f9d7b2e5426a0d56435
問題の「心御柱」は、屋根葺きなどすべての建築工事が完了した9月末に「心御柱奉建」(しんのみはしらほうけん)という祭典で立てられるという。
「心御柱」を立てる「心御柱奉建」は、深夜に行われるが、・・・
正殿の中心に深夜、「心御柱」を立てることは、そこに神を招きいれることを目的としているのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに、教典の文章は二代真柱の応法レトリックであり、たとえられた内容は二重三重の構造を持っている。

地震のゆれを防ぐ「心柱」は、43の数理で解説したことがある。
そこに神を招き入れる心柱は、ここで初めてふれる。
しんばしらと名乗らせなかった明治政府は、伊勢神宮の心柱に配慮していたとみなすべきであり、
しんばしらは、比ゆとして、神を招き入れる柱となっている。

山名系の学者や、異端の人たちは、「真柱職」を重要な地位と見立てた。
これは大間違いで、「神を招きいれる柱」が、正解となる。
基本的にしんばしらは能力者である。

194 :基本。:2014/02/09(日) 01:34:21.65 ID:l8owRUAk.net
天理教教典は、神秘心霊の書である。

神秘心霊は、もともとのおやさまの教えであり、「参り所も墓所も」、みな人間のつどつどの故郷である。
「神前を通るには拝をして通れと命じられた」のに、「なにかまわん」と狼藉した、心根が、宗教高慢はどこまでもついて回る。

日本伝統の神社の普請には「心柱」が立てられ、それにたとえて、教えられたということは、
天理教の真柱とは、神を招き入れる柱。

天理教信者なら、それくらいの神秘を心霊を心に悟りとることである。
しんのはしらを、しんのはしらと、素直に認めて、旨に受け止めて、陽気普請に取り掛かることである。
基本は別名「天理教真柱派」である。

195 :基本。 :2014/02/09(日) 02:00:12.16 ID:l8owRUAk.net
「16」
更に又、陽気ぐらしの世界の建設を普請にたとえては、これに与る人 達を、
しんばしら、とうりやう、よふぼくなどと称んで、その持場々々 の役割を示すなど、
人々が容易に理解して、早く心の成人をするように と心を尽された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
普請が、仏教用語である事。http://kozu5.la.coocan.jp/zuisou/09.01.31.zen.htm
日常語に生きる禅の言葉  普請(フシン)
・ 「普請」はもともと禅宗の用語で、「功徳を普く(アマネク)請う」という意味であった。
・ 禅宗寺院では「修行者たちが総出で作業をすること」が本来の意味である。「これが普く大衆に請うて、種々な労役作業に
  従事させる」という意味に発展した。そのことが一般化した。
・・・・・・・・・・・・・・・
たとえを素直に、元の意味をそのまま理解していたら、世界の普請とは「神殿普請では無い」と、分かったであろう。
生きた禅と、天理教は生きた禅だとおやさまから教えられていて、「禅」に経緯を示さない高慢は山名系ばかりでは無い、私たちのさんげである。

初代の表統領は諸井さん。棟梁とはその普請の指導者であって、理の親信仰の指導者では無いのに、天理教をミスリードした。

いったい何時、しんばしらが地場にきちんと、みなの胸にきちんと受け入れられたことがあるのか。
ネットでは、みな馬鹿にする。
地位立場の権力者だと、煽り立てる。
教団の幹部だってそうだ、
おさづけを渡すのは、本席のような霊能力者で無いとだめだ、そういう議論がいつでもある。

あなどるな。
しんばしらこそ、普請の心柱、神を招き入れる、お方なのだ。
そういうたとえを、教典に示されたが、そのように素直に読めないできた、いままでの自称用木には、教典を深く読み返して、廊下を歩く真柱に土下座する程度ではすまない、
失礼な偽信者であったこと、さんげが必要では無いか。

そんなこと一向構わずに、「普請にたとえて」「誰にも分かるように」と、
何打こんな簡単な書物はと、天理教教典は、教も馬鹿にされている。

196 :基本。 :2014/02/09(日) 02:12:49.19 ID:l8owRUAk.net
基本の立場は、仮に御本席のお言葉だと書いたものがあっても、真柱が認めていないものは、
飯降家が持っていようが、永尾家が持っていようが、誰が持っていようが、
真柱が全ての基準。
まるで能力のレベルが違うのだという、立場にある。

ナライトを本席の後継者にとおやさまが言われていたと、それが事実とは思わないが、事実だったとしても、
しんばしらが、全ての基準。
「このよふさめるしんばしら」。

これが分からなければ「濁りの水」。

地場の側のかたがたは、しんばしらの理を、もっと深く、研究されたらどうだろうか。

197 :基本。 :2014/02/09(日) 02:36:23.70 ID:l8owRUAk.net
「17」
このように、子供可愛い一条の親心から、譬喩を用いて分り易く教え ると共に、いかにもして、親神の理を得心させたいとの思召から、初め、 親神を神といい、次に月日と称え、更にをやと仰せられるなど、成人に 応じ、言葉をかえて仕込まれた。
 即ち、神というては、この世を創めた神、元こしらえた神、真実の神 などと、言葉をそえて親神の理を明かし、或は、
  たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど         三 45
と仰せられ、神というも、これまでありきたりの拝み祈祷の神でなく、
この世人間を造り、古も今も変ることなく、人間の身上や生活を守護し ている真実の神であると教えられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここにも又、二代真柱様の応法レトリックがあります。
 教典に書かれていないおふでさきの、前段後段です。

 このたびハたすけ一ちよにかゝるのも
わがみのためしかゝりたるうゑ (3-44)
 これが、前段にあります。

 このたびハたすけ一ちよにかゝるのも わがみのためしかゝりたるうゑ (3-44)
 たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど (3-45)

 二代様は、「わが身のためし」→「拝み祈祷伺いでは無い」。これの、
前段を、ふせてしまっています。

「わが身のためし」とは、おやさまは、盲目の人の目が開くおたすけには、先ず自分が目くらになって、
わが身で試して、そして病人の目を開けた。
いざりの人のおたすけには先ず自分がいざって歩く状態になって、そしていざりの病人の足がたった。
これがわが身の試しです。
 つまり、人の難儀をわが身に受けてわが身でとおりたすけると言うものであり、
だから、拝んであげる、祈祷してあげる、神に伺ってあげるではない、病人さんと我との間に境界が無いやまい助けの道なのです。
前段は、これだから、わが身で苦労しなければ、おふでさきの理に反するわけです。

198 :基本。 :2014/02/09(日) 02:46:44.26 ID:l8owRUAk.net
>>197
このたびハたすけ一ちよにかゝるのも わがみのためしかゝりたるうゑ (3-44)
たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど (3-45)
このところよろつの事をときゝかす 神いちじよでむねのうちより (3-46)
わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる (3-47)


「わが身のためし」→「よろずの事をとき聞かす」
「難儀せねば難儀なるものの心わからん」


人たすけたらなんでわが身がたすかるのか。
引用します。http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1324264164/l50
653 :基本。 :2014/02/08(土) 18:32:30.22 ID:MPfKL4j2おかきさげに、
又一つこれまで運ぶという、尽くすという。
運ぶ尽くす中に、互い扶け合いという。
互い扶け合いというは、これ諭す理。
人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。
よく聞き取れ。

と、示されてありますように、「諭す理」。「救ける理が救かる」とは、「諭す理」。によってだと、示されてあります。
諭すには、教理を知らねばならない。
それは、胸の思案。そして悟り、「悟りたら証拠ためし」。これは、全て、原典に知らされてあった助けて頂く唯一の道でした。

199 :基本。:2014/02/10(月) 02:50:57.24 ID:8MtdLaNT.net
「18」
このように、子供可愛い一条の親心から、譬喩を用いて分り易く教え ると共に、いかにもして、親神の理を得心させたいとの思召から、
初め、 親神を神といい、次に月日と称え、更にをやと仰せられるなど、
成人に 応じ、言葉をかえて仕込まれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神・月日・をや」
これは二代真柱様の応法レトリックの最高傑作。見事に二重三重に意味を隠している。

大きな勘違いをしている研究者は多数いるが、こんなまじめな研究者もいるので、その間違いから、指摘しておきます。
http://keisya.hus.osaka-u.ac.jp/kawabata/2/HiTei222.pdf
第2節 「おふでさき」において用いられる単語の推移(岡尾将秀)
「岡尾将秀」さんは、こんな文章を記している。

『中山正善は、
神の社としてのみきが聞き手である人間がより親しみ易いように、
「神」を「月日」に、「月日」を「をや」に「置き換え」ていったと
理解していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「岡尾将秀」さんは、まさに、二代真柱の応法レトリックにひっかかったと言うしかない大間違いを、堂々と公開してしまっている。
二代真柱は「置き換えていった」などと、理解はしていない。
天理教教典の本文には、「成人に応じ、仕込まれた」とある。
「親神の理を得心させたい」→「神・月日・をや」←「成人に応じ、仕込まれた」が、教典に書かれた内容であって、「置き換えていった」は間違いである。

200 :基本。:2014/02/10(月) 03:36:59.90 ID:8MtdLaNT.net
研究者であるのだから、研究するのなら二代真柱のお書きになった天理教教典は読んでいなければならない。
読んでいたら、こんな間違いはしなかったろう。
 『中山正善は、神の社としてのみきが聞き手である人間がより親しみ易いように、「神」を「月日」に、「月日」を「をや」に「置き換え」
ていったと理解していた。』
岡尾将秀さんの文章を教典の文章と比較したら、分かる。
教典では「譬喩を用いて分り易く教えると共に」、と書いてあるが、「人間がより親しみやすいように云々」とは、「神・月日・をや」ついて語ってはいない。
「いかにもして、親神の理を得心させたいとの思召から」と、こう書いてある。
「置き換えた」などという置換行為だということでは、「親神の理を得心させたい」という、教典の文意の本筋にはずれ、まさに誤解そのものである。

やさしく教典本文を読み解けば、
親神の理を得心させたいので、
初め、親神の理を、「神」と言った。
次に、親神の理を、「月日」と称えた。
更に、親神の理を、「をや」と仰せられた。
これは成人に応じ、言葉を変えて、仕込んだ内容である。と、なります。
「置換」ではなく、「成人に応じての理の諭し」です。

又、成人に応じての諭しだと分かっていない故に、岡尾将秀さんは引用しました 二代真柱の例示のお筆先のついての考察もぬかっています。
http://keisya.hus.osaka-u.ac.jp/kawabata/2/HiTei222.pdf
「第2節 「おふでさき」において用いられる単語の推移」の11ページには、
注[3]中山正喜「『神』『月日』及び『をや』について」(天理図書館『日本文化』第2号、1935 年
(昭和10 年))。それぞれ一首ずつ例を挙げておくと、
「だんだんと 神のゆふ事 きいてくれ あしきのことハ さらにゆハんで」(第1号59 首目、・・)、
「このよふの 月日の心 しんぢつを しりたるものわ さらにあるまい」(6−9)、
「けふまてもをやのさねんと ゆうものわ 一寸の事でわ ないとをもゑよ」(14−32)。

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