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天理教 基本教理 天理教教典

1 :基本。:2014/01/16(木) 02:28:13.77 ID:e/QsDK0l.net
天理教の教理の基本は「天理教教典」に示されている。
だが、真剣に学ぶものは信者の中にも見たことが無い。
それについてのスレを立てて、天理教の基本教理を学ぶに資することを願う。

2 :基本。:2014/01/16(木) 02:29:10.48 ID:e/QsDK0l.net
「1」
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////////
口に出したのはみき、口に出させたのは親神。
先ずこの問題が、きちんと示されています。

「親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。」
中山みきは実は正体は親神その人です。
つまり、「親神としての中山みきが、教祖としてのみきの口を通して仰せになった」と、読み取れます。

3 :基本。:2014/01/16(木) 02:32:41.78 ID:e/QsDK0l.net
天理教教祖伝にはこう書かれています。
天保九年:
 かくて、天保九年十月二十三日、夜四ッ刻(午後十時)、秀司の足痛に加えて、善兵衞は眼、みきは腰と三人揃うての悩みとなった。
この日は、庄屋敷村の亥の子で、たま/\市兵衞も親族に当る乾家へ来て居た。呼ぶと、早速来てくれ、これはたゞ事ではない、寄加持をしましょう。
とて、用意万端調え、夜明けを待って、いつも加持台になるそよを迎えにやったが、生憎と不在であった。
やむなく、みきに御弊を持たせ、一心こめての祈祷最中に、「みきを神のやしろに貰い受けたい。」
との、啓示となったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長滝村の市兵衛というのは、大峰山12先達の一人と言われた高名な行者である。
http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/bulletin1_10.pdf
民俗宗教における柱の信仰と儀礼
宮家 準(國學院大學神道文化学部教授)によれば、
みきは長男が足の病になったので、当山正大先達内山永久寺の配下の山伏
市兵衛に祈祷を依頼した。けれどもその時市兵衛が災因を明らかにするためにする憑祈祷の依り坐が
不在だった。そこでみきが依り坐となった。すると何時もの神霊とは全くちがう「元の神、実の神」
(現在は親神天理王命と称している)が憑依してみきを神のやしろとして貰いたいとの神託があった。
・・・・・・・・・・・・・・・
とあります。

4 :基本。:2014/01/16(木) 02:36:57.03 ID:e/QsDK0l.net
Weblio辞書 によれば、
依り代、依代、憑り代、憑代(よりしろ)とは、神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体などを指すほか、神域を指すこともある。
・・・・・・・・・・
このように、修験道(円の行者を開祖とする)が、この時なそうとしていたことは「災因を明らかにする」為の、神おろしであった。
どんな神が降りたのかを尋ねたら、「我は元の神・・」との答えであったわけです。

寄せ加持は前年に九回行われていますが、元の神は降りていません。
教祖伝にはこんな文章があります。

5 :基本。:2014/01/16(木) 02:49:34.94 ID:e/QsDK0l.net
天保八年:
 天保八年十月二十六日のこと、十七歳の長男秀司は、母親みきに伴われて麦蒔の畑仕事に出た折、急に左足に痛みを覚え、駒ざらえを杖にして辛うじて家に辿りついた。
早速、医者に診せた処、薄荷薬などを用いて手当ての限りを尽してくれたが、一向に痛みは治まらない。そこで、人の勧めるまゝに、近在に聞えた修験者、長滝村の市兵衞に使者を出したが、あいにく市兵衞は仁興村へ行って不在であった。
 越えて二十八日、再び使者をたてた。市兵衞は事の由を聞いた上、早速、百燈明を上げて詫びてくれた。
使者が帰った頃には治まって居た。が、翌日になると又痛み出したので、又もや使者を出して祈祷して貰うと、一旦は痛みは治まるものゝ、次の日になると又痛み出し、使者を出して祈祷して貰うと、治まった。
こうして三度祈祷が繰り返されて、一応治まったが、二十日程経つと又々痛み出した。
 心配の余り、善兵衞自ら市兵衞を訪れ、折入って相談した処、そういう事ならば、一層の事、お宅で寄加持をするが宜しかろう。との事であったので、一旦家へ帰り家人とも相談の上、その意見に従う事にした。
市兵衞は、勾田村のそよを雇い、幣二本を持たせて台とし、近所の誰彼にも集まって貰い、護摩を焚き寄加持をした処、痛みは治まった。
半年程経つと痛み出したので、寄加持をして貰うと、治まる。暫くすると又痛むという工合に、一年の間に九度も繰り返した。
寄加持の時には、ただ近所の人々に集まって貰う丈ではなく、一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した。
一回の費用は凡そ四百目かゝり、軽い経費ではなかったが、可愛い伜を救けたいとの親心から、善兵衞は少しもその費えを厭わなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ ここには、九つまでの宗教の教えの基本があります。
酒飯を振る舞い施米する 施米とは、困窮者や托鉢僧などに米を施すこと
古神道・修験道 布施、これを九度踏んでから、立教に至ったと言う事です。

6 :基本。:2014/01/16(木) 03:14:02.28 ID:e/QsDK0l.net
「みきを神の社に貰い受けたい」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/221817/m0u/
やしろとは、《「屋(や)代(しろ)」の意。「代(しろ)」は神を祭るために地を清めた場所
・・・・・・・・・・・
行者の市兵衛さんは「よりしろ」にみきの体を用いたのですから、一時的に「代・しろ」の状態であった。
それを、みきの本質本体である親神が、「やしろ」にしたいと、貰い受けたいと、言い出したと理解するのが、実情に即した理解です。
憑代(よりしろ)は忘我の状態でありますから、やしろになるということは、忘我の状態のままでいることを意味します。
憑代(よりしろ)から正気に戻った後のみきを「やしろに貰い受けたい」と告げた。
告げられた中山家の側にとっては、神おろしという非日常が日常化するわけですから、とても簡単に受け入れられない、そういう事情が見えます。

社と言う言葉を、神の住まいと短絡的に読んでしまうのは、当時最高レベルの修験道の行者。その神おろしの「よりしろ」よりも、
もっと、清らかな聖地のようなみき、と言う、大きな前提が見えなくなってしまいます。
お住まいではなく、神事を行う聖地としてのみきの肉体と言う前提で、理解します。

7 :基本。:2014/01/16(木) 03:36:08.28 ID:e/QsDK0l.net
>>2
> 「親神としての中山みきが、教祖としてのみきの口を通して仰せになった」
ここには、魂としてのみきと肉体としてのみきの問題があります。
魂としてのみきは親神です。
しかし肉体としてのみきの問題は、たとえば修験道の行者を想起すれば分かりますが、滝に打たれて身を清めます。
断食もします。よりしろになる女性においても、身を清めをします。
「よりしろ」は神おろしの一瞬の時ですが、「やしろ」は四六時中の問題であり永遠の問題ですから、みきがみきと言う女が神の社になる上では、
「魂のみき・親神」は、「肉体のみき・教祖」を清らかな物としてきれいに貰い受けなければならなかった。
そう理解します。

8 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 10:51:52.48 ID:XD8vPAM6.net
中山みほより中山忍のほうが好きだな。

9 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 13:46:11.50 ID:0h1AeeRf.net
25: >張り手</b>(東日本)<b> [] 2014/01/14(火) 21:11:51.76 ID:KoSEq+410
■高麗棒子(ぱんず)の悪行
・当時の中国人が描いた漫画 「日本の軍旗を振り回す朝鮮人が中国人を殺す!」
 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/b9/da24789b053cecd3ddec0850f288890f.jpg

・中国人 謝永光著 『日本軍は香港で何をしたか』
 (朝鮮人は)一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。
 民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。
 当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。

・仏誌Paris Match元特派員 アルフレッド・スムラー著 『ニッポンは誤解されている』
 別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、
 このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない。

・ある医師の述懐 『キヤンガン、山下将軍降伏の地』
 フィリピン人「日本の占領下で最も残虐だったのはコリアンだった。
 赤ん坊を投げて銃剣でうけたのも彼らだった。皆がそう信じている。」

・韓国人 崔基鎬の述懐 「韓国人は日本人以上の日本人だった」(大意)
 当時、戦争ニュースは映画館で放映されており、韓国人は日本軍の活躍に狂喜していた。(拍手と万歳の嵐)
 しかし、日本で映画館に行くと、熱狂する人など殆どおらず、冷静にニュースを見ていた。

・オーストラリア人 ケニス・ハリスン著 『あっぱれ日本兵』
 彼ら(朝鮮人)は(日本人に比べ)大型で、顔は平たく、知性に劣り、日本人が与えた屈辱を我々に転嫁した。
 どんなに試みても、我々は彼らと本当の付きあいは確立できず、体罰となると、日本兵よりも彼らをはるかに恐れた。

・『ミャンマーの人々はビルマの竪琴をどう観たか』
 ミャンマー人「日本人兵より朝鮮人兵の方がきつかった」

10 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 13:47:01.15 ID:0h1AeeRf.net
反日妄想カルト民族がコロリするまで、天理教の衰退は止まらないのではないだろうか。

11 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 14:26:09.62 ID:0h1AeeRf.net
早くに日本に入り込んだ妄想カルト民族と、遅くに入り込んだ妄想カルト民族が、人の地(日本)でドタバタやってるのを、
おやさまはとふぢんがにほんのぢい・・・と仰ったのではないだろうか。

12 :神も仏も名無しさん:2014/01/16(木) 23:37:06.90 ID:brxeSDjt.net
基本さん、スレ立てお疲れさまです。
長丁場になるかと思いますが、是非とも完走して頂きたいです。
僕の教会では、基本さんのアドバイスを参考にさせて頂いて、おふでさきに今までより真剣に向き合い、読ませて頂くようになりました。
基本流、九九の手ほどき、これからも楽しみにしています。

13 :基本。:2014/01/17(金) 03:53:37.96 ID:48ofzDRM.net
>>2
おやさまの教えを出来る限り詳細に、九九の手ほどきで、二代真柱さまという超大天才の編集になる天理教教典の内容を語らせて頂きます。
二代様を「応法の真柱」と私は呼んでいます。世間的には1905−1967 大正-昭和時代の宗教家。62歳で亡くなっています。
正善真柱が生まれる以前に、親神は本席を身上にして、「一ニ三一二三の切りを入れる」旨を告げています。
「本席身上」と言うのは、教団が間違っていると言う事情のあるときに、本席を病気にして、人間がお指図を伺う、そのときの神のおさしづです。
おさしづは、明治22年11月2日 この数列は222(1+1)2 となっています。
「陰暦十月十日」は、陰暦の意味するのは、古い時代、十月十日は「漢字でいうと朝」です。 人間で言うと誕生です。
おやさま50年のひながたの時代に「正善」と言う名は予言されていました。
「中山秀司」の生まれ変わりが、正善真柱と言われています。二代真柱がまだ生まれていないときに、「復元まで60年」という、日の切りをきちんと親神は入れています。

 明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時
 本席身上障り願
「さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印を打って置く。一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。
ようこれを聞いて置かねばならんで。」

14 :基本。:2014/01/17(金) 03:54:20.61 ID:48ofzDRM.net
 親神が切りを入れた明治22年(1889年)から予言どうりに60年で、1949年(昭和24年)4月1日、天理大学開学。10月26日、『天理教教典』公刊。
その予言当時には生まれてもいなかった正善真柱は、天理教教理を復元しています。
最初の一二三の切りの時、30年後には青年増野鼓雪が青年会を活動拠点に、おふでさき、またおさしづを基にした教理を教団内に復元開始し、二代真柱は本部員に抜擢して増野鼓雪は教団思想のニューリーダーとして脚光を浴びています。

 おやさまは見えん先から説いておかれるお方で、この切りを切らねばならなくなるというご注意も警告も、先に警告されています。
 それはおさしづで、
明治二十二年四月十八日 午後十時
刻限御話
さあ/\/\/\うん/\/\、さあ/\/\話掛ける/\、どういう事を話掛ける。これまでの処というものは、皆んな一つ/\寄せて運んだ処、皆寄り合うて始めた処、又これよりどんと一つの道改める。
改めると言えば皆が案じる。皆々変わる/\と言えば皆案じる。案じる事は無いで。
道が変わると言えば案じる。
さあさあ今になって今の事を言うやない。所々には一つ/\の名を下ろし/\。
さあさあいつ/\までの事情、往還道を待ち兼ねる。
何か一つの治め方、一つの事情、元一つの事情から始め掛ける。
初まりという、国々何処の国々、初まり/\前より一つ。
さあ/\遠く/\こんな処から、何処からどういう道が付くとも分からん。
世界の中の所から、どんな所より道が付くやら。
偉い事や。この道というは、後々の事も言わん。日々の処どんな所へも入り込む。
さあ/\皆始め来たる処、あちらに一つの社や、こちらに一つの講や。
皆々難しい処より始めた。心の理によって一つの名を揚げた。一つこうのう始め掛けたら、よう聞いて置け。
何処にどういう道が始まるとも分からん。
さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始め出した。
応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。
元一つの理というは、今の一時と思うなよ。今までに伝えた話、かんろだいと言うて口説き口説き詰めたる。
さあ/\これよりは速やか道から、今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという。

15 :基本。:2014/01/17(金) 08:57:43.50 ID:48ofzDRM.net
「さあ/\皆始め来たる処、あちらに一つの社や、こちらに一つの講や。」
これは、船場、山名を代表とした講元たちの公認運動として出来た講社組織の事を示しています。
梅谷、井筒、諸井 、平野はこの年、明治22年に競うように「祭儀・神事」の整備を急いでいます。
1888年に郡山分教会、山名分教会は官から認可を得て協会設立していますが、
「おやさまの教えを広める」為に、「どうでも信心する」為に設立されたものです。
 しかし、教会が出来て講元たちはおやさまの教えを伝えることよりも、教会としての形式整備と内容充実に心の重きをおいてしまいます。
つまり、応法を通りたがるわけです。
親神が「一二三、一二三」の入れた、その原因は史実にちゃんと残されることになりました。
分教会から願い出た記録がおさしづには残されてあります。
 明治二十二年三月三十一日(陰暦三月朔日)午前九時三十分
 郡山分教会所に御神楽御道具を御許しの願
 明治二十二年三月三十一日(陰暦三月朔日)
 兵神分教会所前同様御神楽道具願

山名では、数年前から天輪王教会で公認を受けていて、かぐら面の許可を「わし(教祖)がが許すやない、上が許すのや」のお言葉を根拠にして、
お面を作成し、つとめていましたので、郡山と兵神は、自分たちもそれがしたいとかぐら面の使用を願い出たわけです。
 郡山分教会、兵神分教会の願いは「三月大晦日」です。
この日を見ただけで、掃除されるのではと浮かぶ感覚大切です。

 講元たちは「宗教家業」の店舗作り、営業だと、そちらに精神が行ってしまう。
そこで四月 >>14  おやさまの誕生日に「刻限」にて、
「さあ/\天理教会やと言うてこちらにも始め出した。
応法世界の道、これは一寸の始め出し。神一条の道は、これから始め掛け。 」と、
高弟初代たちの通りたがった応法の道を、「神一条の道の始めかけ」として、お言葉を下されました。

 天理教教会も天理教教典も、神一条のはじめかけの道筋においての「王道」である、
それは、
「今んまにかんろだいを建てにゃならん、建てんならんという道が今にあるという。」
甘露台一条の道への「序」に位置づけられているわけです。

16 :基本。:2014/01/17(金) 10:10:34.81 ID:48ofzDRM.net
>>2
「1」-2
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////
「我は元の神・実の神である」 これは、文字通りに「元」「実」。
「この屋敷にいんねんあり」 少しこれを解説します。

17 :基本。:2014/01/17(金) 11:08:24.89 ID:48ofzDRM.net
いんねん【因縁】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
1 仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。

 神がかりの問題もそうでしたが、古神道の元、大峰山の行者の霊験というものを承知して読まないと、立教の状態は理解できません。
親神の対話した相手は世界遺産大峰山の12先達のお一人で、宗教界のトップレベルのお方であった。
だから、くどくどとした解説ではなく、諭しと悟りと言う会話が成り立つと言う事です。
宗教インテリとの会話として理解すべきです。

いんねんとは、仏語です。
当然ですが、行者信仰の最高峰大峰山のトップレベルの行者さんは、
「いんねん」とは、物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。と言う事は、常識として知っているお方です。

「縁」は、えん、えにし、ゆかりと読みます。すべてが因縁の「縁」です。
「因」とは、原因の因です。

そこで、「元の神の元、実の神の実」に対比してみますと、
「元」とは「縁」であり、「実」とは「因」です。
人間の元を始めたと言う「えにし・縁」がある神。
現実にこの世の救済を実行しようと、神がかりの原因となった「神」。

「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「いん」直接には中山みきがいると言う因がある。
「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「えん」間接的には元始めたえにし・縁がある。
このような意味になります。

18 :基本。:2014/01/17(金) 11:13:26.25 ID:48ofzDRM.net
>>17
> いんねん【因縁】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
> 1 仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。

誤解されがちなのは「屋敷そのものに因縁がある」とそういう誤解です。
屋敷には、その中の土地の一角に「ぢば」はありましたが、「ぢば」以外の中山家は、「元の神実の神とはいんねん上は無関係」です。

行者の市兵衛さんは元の神実の神に対して「天のお星様でありますか」と尋ねています。
修験道の達人にとってはじめて聞く神であり、地上の神については知り尽くしているわけですから当然の質問です。
「われは、天の将軍なり」とお答えになったと伝わります。
それは、神の格を示したお言葉でした。

天にいるお星の神が、中山家に家人に「いんねん」があって、それで病気にしているのかという、
病気にするような神という前提で尋ねたわけですから、祟り神であるならレベルというものは低いわけです。
場合によれば祈祷などで調服することも行者の仕事です。
みきが「天の将軍」と宣言したのは、行者に対して神格においての格の違いを示したものです。

教祖伝にはこうあります。第一章 月日のやしろ 啓示:
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」
神々しい威厳に充ちた声に、身の引緊まるような霊気がその場に漲った。 戸主の善兵衞も、修験者の市兵衞も、親族の人々も、誰一人頭を上げようとする者もない。
それは、今までに聞いた事もない神であり、思いも寄らぬ啓示であった。善兵衞は、初めの程は全くその意味を解し兼ねたが
・・・・・・・・・・・・・・

19 :基本。:2014/01/17(金) 11:18:40.62 ID:48ofzDRM.net
神々しい威厳に充ちた声に、身の引緊まるような霊気がその場に漲った。

 元の親神と古神道トップレベルの行者の対決にシーンです。

 思わず感動で、涙が溢れます。
 みき姉さんは人間の親神です。
 カッコ良すぎます。

20 :基本。:2014/01/18(土) 07:50:32.66 ID:vpgQ/v+C.net
>>17
ネット上に「天理教講座」と銘打って、東本青年会、草梁青年会の質問回答例が公開されていますので、
きちんと批判をしておきます。「いんねん」に関してです。
http://www1.plala.or.jp/soryo/seminar.html
B教祖は、人類創造にゆかりの魂をもつことから選ばれた人で、そのときより50年の間、c神の社となり、神の言葉を伝えると共に、d人間の生き方の雛形の親として、自ら、貧の中に入ってゆき、どんな中をも心一つで、陽気に暮らせることを示した。
現行天理教団教義は、拝礼形式そのものが「親神・教祖・祖霊」を三殿礼拝するように、天理教会では教義上「親神」と「おやさま」は二元論で解説されています。
そこで、「教祖は、人類創造にゆかりの魂をもつことから選ばれた」と、解説されています。
>>17に基本を示しましたが、仏語に言う因縁は、物事が生じる直接の力である因ですから、立教の因は中山みきそのものですから、

 「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「いん」直接には中山みきがいると言う因がある。
「この屋敷にいんねんあり」とは、この屋敷(中山家屋敷)に「えん」間接的には元始めたえにし・縁がある。

↑ これが正解で、東本系が解説している「教祖は、人類創造にゆかりの魂」説は、誤解、誤りです。
こう言う誤解は山名系の諸井河原町系の深谷が、おやさまゆかりの仏教・古神道の信心を丁寧に理解しないで、
キリスト教系の「神学・教学」で広めた悪風に影響されていて、お気の毒です。
教祖は「因」であって、ゆかり(縁)の教祖では無い。
教祖が、元の親が原因で立教された。
きちんと、元と末に、本末転倒の無いように、ご無事を祈ります。

21 :基本。:2014/01/18(土) 08:11:20.07 ID:vpgQ/v+C.net
>>17 >>20
> 質問回答例が公開されていますので、きちんと批判をしておきます。「いんねん」に関してです。
http://www1.plala.or.jp/soryo/seminar.html
立教の三大因縁、
@旬刻限の理、人類創造のときの神とその人類創造のための道具となったものたちの約束によって経過した時であるということ。
A屋敷の因縁、ぢば(奈良県天理市にある天理教教会本部所在地)、人類創造の地。
B教祖魂の因縁、教祖は人類創造の折り、その道具の一つとされたいざなみの命の魂をもっていることによる。
・・・・・・・・・・・・・・
↑ この三大因縁説は、高弟たちが教祖の命で聞き取った教えを書き記した「こふき」話を台として、解説の為の解説用にもっともらしく用意された、
いわば、幼稚園で幼稚園児に説明するためのものであって、神のお言葉の「この屋敷にいんねんあり」をきちんと説明していません。
特に、「B教祖魂の因縁、教祖は人類創造の折り、その道具の一つとされたいざなみの命の魂をもっていることによる。」
この解説は、間違っています。
山名系深谷系に汚染されますと、中川よしを師とする東本系もまた、理に反した異説を平気で説いてしまっているわけです。
 親神そのもの、教祖そのものを間違って解説して「天理教講座」では、お気の毒なのですが、これでは原典の読めない愛町系と同程度の謀反度と言うしかありません。

それで、どうぞご無事でと「無事を」お祈り申し上げます。

天理教教典は原典を、優しく説き明かした物ですから、原典と違う解説や理解は、出て来たらむほん、
(無本)、本が無い、こんなんで信者増やしてうそ教えて、
ネットに公開して、東本文書伝道の草梁の先人なら、こんなミスはしなかったでしょうに、

22 :基本。:2014/01/18(土) 08:25:52.37 ID:vpgQ/v+C.net
>>17>>20-21
> この解説は、間違っています。
これは、教祖について、「その道具の一つとされたいざなみの命の魂」と解説した、
それは間違いだと指摘したものです。
根拠は「おふでさき六号」の無いように外れていること。です・
その箇所を、引用します。「み」は道具ではありません。
 このよふの元はじまりハとろのうみ そのなかよりもどぢよばかりや (6-33)
 そのうちにうをとみいとがまちりいる よくみすませばにんげんのかを (6-34)
 それをみてをもいついたハしんぢつの 月日の心ばかりなるそや (6-35)

 このものにどふくをよせてたん/\と しゆこふをしゑた事であるなら (6-36)
 このどふくくにさづちいと月よみと これみのうちゑしこみたるなら (6-37)
 くもよみとかしこねへとをふとのべ たいしよく天とよせた事なら (6-38)
 それからハたしかせかいを初よと かみのそふだんしまりついたり (6-39)
・・・・・・・・・・・・・・
「このもの」 これに道具を寄せたとあります。
「このものに」 これに「守護を教えた」とあります。

ではこのものとは何か、それが「元のおや」です。おやさまは「元の親」です。
道具では無い。元の親です。

まったくもって、残念な天理教講座です。

23 :基本。:2014/01/18(土) 08:46:11.02 ID:vpgQ/v+C.net
>>20-22
親神は、厳然として理です。
理の間違いは気の間違いと教えられています。
気の狂ったようなインチキ講座を蔓延させたのは、基本が悪いのです。
基本を正しく、きちんと教えの元に「復元」させてこそ、復元教典の解説になりますので、お許し下さい。

 このつとめ十人にんぢうそのなかに もとはじまりのをやがいるなり (6-30)
「もとはじまりのをや」これは「中山みき」の事です。

夫婦の元始まりがあって、「人間はじめ」があったわけですが、元のをやとは、
いざなぎ、いざなみご両名で、おやさまは「み」です。
 いざなぎといざなみいとをひきよせて にんけんはぢめしゆごをしゑた (6-31)
 このもとハどろうみなかにうをとみと それひきだしてふう/\はちめた (6-32)
「人間はじめ」「夫婦はじめ」始めたときの解説が、続きのおふでさきです。

 このよふの元はじまりハとろのうみ そのなかよりもどぢよばかりや (6-33)
 そのうちにうをとみいとがまちりいる よくみすませばにんげんのかを (6-34)
 それをみてをもいついたハしんぢつの 月日の心ばかりなるそや (6-35)

 このものにどふくをよせてたん/\と
しゆこふをしゑた事であるなら (6-36)

このもののお一人が「全人類の母親で」「基本のお姉さん」中山みきその」方です。

 この一連のお筆先を読んで、「中山みきは道具だ」では、天理教と名乗る詐欺師そのものでは無いか。
 みき姉さんが基本を分かって欲しいお気持ちが、「私は道具じゃないよ、母親だよ」と、おっしゃりたいお気持ちが、分からない教団指導者の事は、
御無事を祈ってあげましょう。心得が違っていただけです。
おやを親とも思っていなかっただけの些細な間違いです。
 基本はなにがあっても、おやさまが親神さま。おやさまだけが天理王命様。
おやさまをお慰め申し上げます。

24 :神も仏も名無しさん:2014/01/18(土) 20:45:31.62 ID:i4yDW0Sj.net
ぢばが大切なんじゃないの?よくわからないけど。

25 :基本。:2014/01/18(土) 22:49:19.74 ID:vpgQ/v+C.net
ぢばが大切と言うご質問ですが、ぢばとは人間始めた故郷ということで「このとこ」で人間始めかけた「床」です。
人間始まりの「縁・えにし」ある土地と言う場所で、畳二枚分、ダブルベットサイズの一坪四方です。

大切なのは、地場ではなくて「親神・中山みき」です。
「ぢばは、いんねんあるで、自由自在を」と教えにありますが、「因」それは親神です。
中山みきです。
親神がいれば、地場から道のり千里離れていても、「自由自在」。
親神不在なら、地場といえども単なる縁としての聖地ですから、願ったところで守護は無い。
現実に中山みきを親神として、拝していないこの応法信仰者は、物凄い回数地場を拝しているでしょうが、教団の勢いは落ちるばかりです。

東本大教会初代の中川よし、彼女の伝記を書いたのが、>>20 に紹介しました、草梁分教会の初代さんではなかったかと記憶します。
伝記を読めば、中川よしは「御教祖様!」でした。
関根豊松さんは「この宇宙は御教祖様のお働きだ」と語っています。

原典読めなくたって、「御教祖様」と親神そのものを御教祖様に求めていた数少ない天理教信者、それが愛町初代関根豊松で、
乞食のおやしと言われた無学な女でも、「御教祖様」と、願う対象を「御教祖」と呼ばれた数少ない彼らは、
そこらへんが、周囲に嫌われた原因だと思います。

御教祖様とは、天理王命。
ぢばで呼び出そうと、山の中で呼び出そうと、おやさまにはちゃんとお受け取り下さる。
願うなら天理王命本人に願いましょう。

{ぢばよりも大切なのは中山みき]

26 :基本。:2014/01/19(日) 00:35:16.83 ID:KMQQQWfh.net
「1」-3
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

「世界一列をたすける」という意味は、この立教の時点では明確に説かれていたわけではありません。
現実に現場では、三人の病気をたすける寄せ加持であったわけで、「世界一列」ということは、人間の側にはなにをいうやらという、程度の認識であった。
しかし当の病人、秀司の足痛を助かるにはわけのわからない神の仰せに従うしかない。
自分たちが助かりたいために、神の脅しに屈したわけです。
それでは、なんで中山秀司は足痛になっていたかです。それは中山家の悪因縁の因果応報の結果です。
ザおやさまには整理してあります。
http://thebbs.fc2.com/262762!/-100
参照下さい。

27 :基本。:2014/01/19(日) 00:37:16.74 ID:KMQQQWfh.net
> それでは、なんで中山秀司は足痛になっていたかです。それは中山家の悪因縁の因果応報の結果です。
> ザおやさまには整理してあります。
http://thebbs.fc2.com/262762!/-100
[68] 基本。 2006/12/13 09:55
「中山家の悪いんねん」。
これを示す証拠として、教祖伝史実校訂本中1巻に次のような事実が記されています。
 A 元禄十六年十月二十五日に、銀子七十匁を、庄屋敷村の弥作、源四郎他四名に、屋敷を質物(担保)として、貸して、証文を出させている。
B 正徳五年十二月十四日に、銀子百三十五匁を、久作他三名に、田、六畝三歩を質物(担保)として、貸して、証文を出させている。
 C 享保三年十二月十四日に、銀子七十目を、孫四郎他三名に、畑二十歩を質物(担保)として、貸して、証文を出させている。
中山家の古文書から抜粋したほんの三つの資料は、元禄十六年(1704)、正徳五年(1720)、享保三年(1723)、の、金貸しの実態を証明してくれています。
「足達金持ち、善右衛門さん地持ち」と、歌にまでうたわれた、中山家の財産は、お金を貸して、家屋敷、田地・田畑を取り上げていた結果の大地主であった。
少なくとも、長男の秀司が足痛を起こし寄せ加持にて、祈祷した時の133年以上前から、金を貸しては、人を債務の奴隷にしていたと言う事が分かります。
133年よりももっともっと長く、積み上げていた、「債務奴隷」を生み出した「悪いんねん」を切る事が、世界のふしんの前に、なされるべき事であったと、おやさまの、元の理の数理の史実は、証明し、語ってくれています。

28 :神も仏も名無しさん:2014/01/19(日) 04:26:37.77 ID:CI58T/oV.net
基本さん、立ち上がりからエンジン全開で、お疲れさまです。
基本さんの語られる中で、僕にとって難解だった事の一つに「二元論の否定」があります。そこに疑念を抱いた事が無かったし、根本を覆すように思えるなからでしょうか。
まだぼんやりとですが、基本さんの主張解るようになってきました。
教団が二元論に傾倒してきた経緯・理由もいずれ語って頂きたいです。

29 :神も仏も名無しさん:2014/01/19(日) 06:08:22.07 ID:crUTWfQP.net
新年も2週間を過ぎた1/17、NYで浮気した夫を椅子で殴って
大けがさせたとし、逮捕された妻 Jody Mitchellの初公判が行われた。

裁判長 「あなたはなぜ夫を椅子で殴ったのですか?」

妻    「それは・・・」下を向いて一瞬声を詰まらせたが、裁判長の方へ向き直ってハッキリとした口調でこう答えた。

妻    「テーブルがあまりにも重くて持ち上げられなかったからです」

30 :基本。:2014/01/19(日) 06:39:00.32 ID:KMQQQWfh.net
>>28
今までの教えがだめだったから、天理教という真理を解き明かすのだ、ではなく、
既に真理は解き明かされていたが、聞く人間がそれを素直に受け入れるまでに成長できていなくて、それでだめの教えを説いた。
元々からこの世は神の真理に満ち溢れていて、人間が成人の過程で「悪因縁」を身に纏ってしまい、その宇宙の真理、神の愛すらも、強気強欲に、
大社高山のはびこる世界にしてしまった。
それは真理に対する不信感そのものの発露です。

例えば増井りんさんは、お日様を見て「おやさま」と拝をなされています。
「そうかいあんたは阿呆かい、阿呆は神の望みとおっしゃるで」と、お言葉を頂いた方です。
同じお言葉を頂いた、泉田藤吉さんは、「人を神と言ってはならん」という官憲に楯突いて教団組織からは追放状態になっています。
明治15年10月20日(陰9月9日)泉田事件。信じきっているものにはおやさまは「神様」。

大社高山は、明治政府が「現人神・天皇」と人格を神格化した事例。
西欧では「王権神授説」によって政治権力を神格化した。
歴史上大社高山は「人を」(選ばれた家柄・個人を)神と呼ぶことで、大社を権威付け高山をより高くより強化してきました。
それに対してイエスはあまねく等しい神の愛を説き、仏陀は世俗の権威を否定して宇宙の真理を説いて、神の愛・仏の慈悲を伝えました。
大社高山はそうしたイエスの教えも仏陀の教えも、「大社」に取り込んで、支配被支配の隔てあるの道具に用いました。
宗教家業因縁は、そうした大社高山を支えた周辺の者に至るまでも、悪因縁として、人類史に刻み込まれています。

中山みきを神として拝してはならんという政府官憲に従うには、「教祖・きょうそ」と祭り上げて、物言えない状態にするが良い。
これが、官憲の示唆した方向であり、
「おやさまは神様だ」という阿呆は、教団組織には危険だったと言う事です。
教祖在世中は、みきさまを、「神様」と呼んで拝していた事を、ひながたとして、忘れてはなりません。
「上が怖い」「神は怖くない」人が百人の中99人、いや万人の中9999人だったということになりましょうか。

31 :基本。:2014/01/19(日) 07:00:08.43 ID:KMQQQWfh.net
希少価値という言葉があります。
>>25
> 乞食のおやしと
訂正します。乞食のおよしです。
乞食のおよし、中川よしは泉田藤吉の弟子です。
泉田藤吉の信仰信念は一貫していますから、中川よしに「御教祖様信仰」を伝道したのは、泉田藤吉であった。
霊救おたすけ人の系譜は、泉田藤吉からの流れです。
基本が中学生の頃熟読したのは、中川よしの伝記でした。「御教祖様!」信仰は、
>>20-21 草梁
東本初代に、学びました。
「おやさまの御名に恥をかかせてはならない」信仰です。
天理教の名誉にかけて、ではなく、「おやさまの名誉にかけて」でした。
みき姉さんは嬉しかったのでしょう。
みんなが、「ごきょうそさま」とお墓地に埋葬した信仰の中で、およしさんは、「御教祖様」を信心したわけで、
そこで基本は学びました。「おやさましかいない」と。

関根豊松「御教祖がいなかったら宇宙の姿は今の姿ではなかったろう」。

これ言い切ってしまえば、みき姉さんはその名誉にかけて、お働きになります。
みきを神といえるか言えないかは、「金と銀と鉛としょうもない金と」仕分けする、基本です。

みき姉さんは「親神です」。

32 :基本。:2014/01/19(日) 07:17:43.10 ID:KMQQQWfh.net
>>26 :基本。:2014/01/19(日) 00:35:16.83 ID:KMQQQWfh「1」-3
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

ここで、呪術、呪法、祈祷の基礎知識のおさらいです。
>>29
> 妻    「テーブルがあまりにも重くて持ち上げられなかったからです」
世界全体に何かをしようとして、「あまりに重過ぎる」場合に、呪術では、「モデル」をこしらえて、
それに対して呪文をとなえたり、呪法の行為を行います。
「模倣」と呼ばれます。
「モデル」とは「ひながた」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%AA%E8%A1%93
類感呪術(模倣呪術、英: imitative magic)類似の原理に基づく呪術である。求める結果を模倣する行為により目的を達成しようとする呪術などがこれに含まれる。
雨乞いのために水をまいたり、太鼓を叩くなどして、自然現象を模倣する形式をとる。
感染呪術(英: contagious magic)接触の原理に基づく呪術である。狩の獲物の足跡に槍を突き刺すと、その影響が獲物に及んで逃げ足が鈍るとするような行為や、
日本での藁人形に釘を打ち込む呪術などがこれに含まれる。
感染呪術には、類感呪術を含んだものも存在するとフレイザーは述べている。
呪術を行使したい対象が接触していた物や、爪・髪の毛など身体の一部だった物に対し、類感呪術を施すような場合などである。

33 :神も仏も名無しさん:2014/01/19(日) 08:51:25.41 ID:CDhwMITf.net
私は増井りんさんが好きです
おやさまのお側で身の回りのことなどされながら
おやさまをお日様そのものだと神様だと信じ切っていた
その心に胸をうたれます

34 :神も仏も名無しさん:2014/01/19(日) 21:02:32.99 ID:CI58T/oV.net
「二元論の否定」への解説、ありがとうございました!
教史・官憲からの弾圧史を知れば、よく理解できるのですね。
しかし、基本さんに教えて頂かねば、一生触れる事が無かったであろう史実です。
教団がひながた・史実から目を逸らしてまで二元論を維持するのは何故でしょうか?
芹沢光治良先生の作品には禁書もあるそうですし、天理図書館には閲覧出来なくなった蔵書もあると伺います。
史実を隠し、情報を規制する事が、ひながたからの乖離・教団の衰退を進めているように感じます。

35 :基本。:2014/01/20(月) 01:02:17.83 ID:6fiSwK8C.net
教団という呼称がどの範囲を示すのか、難しい問題ですが、基本が用いている資料は、教団が保存あるいは編集作成した資料ばかりですから、
・・・二代真柱の教義を軸として、基礎資料として残されてあるものは、実は基本の語っている内容を裏付けてくれるものばかりです。

基本にはおやさまに圧倒的な信頼がありますから、逆に分かるのですが、基本の様にではなく、おやさまに自信をもてない、天理教の教えの内容に自信が無いとそういう人は、
自分の胸に湧いた不信感、その弱点をかばおうとして、理論武装したり教えを飾り立てることで天理教を守ろうとします。

先ず、中山みきが神だと言う基本こそ、軟弱な信仰者には人に語れない内容なのです。
「人をさして神と言うなんておかしいだろう」という反論に、言葉も出なくなってしまうわけです。
だから、「神は月日で、宇宙意思であって、それが中山みきという女性に入りこんで説いた教えです」と、方便で解説してしまう。
そうすると、中山みきが神だとさえ言わなければ、一般的な高等宗教と似たような論法なので、受けが良いわけです。
だが、。。。そう語ってしまうと、だったら天理教でなくてもどんな宗教でも真理を語っているわけだから、天理教である必要は無いと、反論されます。
すると、いや、9億9千999年の旬刻限で、これまで説き明かされていない最後の、究極の一点を説くために立教したのだ。
天理教はキリスト教や仏教と、それと同等以上の世界最高の宗教なのだ。と、
こんな風に、語るに落ちていってしまったわけです。

36 :基本。:2014/01/20(月) 01:20:39.43 ID:6fiSwK8C.net
確認ですが、「究極の一点」とは「みきが親神」という一点です。

「その親神が世界たすけに出ている」というのが天理教そのものです。
「みきが親神」、その一点が「究極」なのですから、
正体親神のみきには、別にみきに入り込んだ宇宙の真理なるものがあると説いてしまったために、矛盾だらけで後戻りが出来ないわけです。
教団の学者はみきの問題には触れないようにして、宇宙の真理と人間完成という方向に教えの内容を矮小化した。
それで、「奇跡」の主人公おやさま・実は親神は表舞台から遠ざけられたわけです。

対して、中川よしのように「御教祖様」にすがるしかない現場では、宇宙の真理も何もそんなものは夫の浮気事情をたすけてくれないし、病気を治してもくれない。
御教祖様なら奇跡があるわけですから、「御教祖様! おたすけください」です。
或いはまた、関根豊松のように「模倣の呪術」の使い手は「教祖の模倣」が実効があるからこそ、宇宙の真理も何も、教祖の模倣以外には霊験は無いわけですから、
教祖にいりこんだ宇宙の真理ではなく、教祖そのものが真理であり、宇宙であった。

37 :基本。:2014/01/20(月) 01:28:27.94 ID:6fiSwK8C.net
みきは親神という究極の一点をおたすけの現場でしてしまった人間にまつわる神秘。
対して、神学で宇宙の真理を説く教団山名系学者、天理大学宗教学科の教授たち。

ここに、「おやさまは月日の社で、おなじ人間、ただし魂の徳が違う」という山名系的教団教理が生まれ、もう学者教義があって、その一方で、二代目教祖とか神人とかがいると言う天理教の神秘性が語られるという、
まさに二元論に歪んだ今日の天理教と成り果てたわけです。

お筆先には「人間を始めだしたるをや」とあります。「人間を始めたときの親役」ではなく、
正真正銘のおやが、みき様です。
宇宙の真理と言う言葉は、お筆先にはありません。

> 教団がひながた・史実から目を逸らしてまで二元論を維持するのは何故でしょうか?
それは大教会にとっては、「中山みき一元論」では具合が悪いからです。
だって、みきは、必ず「貧に落ちよ」と言いますからね。

みきは「私が神」と言いますからね。同じ人間では無いと。
みきを道具だと言ってしまえば、言うなら大教会長様も神の道具ですから、・・同等にも語れる。

このカラクリをじっくり考えてみて下さい。
基本はいつもおやさまだけに教えを、教えて下さいと願い続けています。
それはきっかけは、中川よしさんと関根豊松さんとから学んだのでした。

> 史実を隠し、情報を規制する事が、ひながたからの乖離・教団の衰退を進めているように感じます。
史実は、実は隠せないように神に仕組まれています。
そんなこと、おやさまの手の平の上です。

元々教えは、土の中に埋もれているようなものです。
だから根を掘れば良いのです。
天理教教典の根を掘れば、良いのです。

それを行います。

38 :基本。:2014/01/20(月) 09:39:30.85 ID:6fiSwK8C.net
呪術に言う模倣と言う事についてです。
>>32
> ここで、呪術、呪法、祈祷の基礎知識のおさらいです。
呪文を唱えることも、一種の模倣です。おさづけの時に唱える文言も呪文ですから、正確に唱えることは必須です。
ふりをすると言う事も、一種の模倣です。
小さなモデルを作って例えば「のろいの相手方のモデル・わら人形」、それに杭を打ち込んで、相手に痛みを与えるというのも、模倣呪法です。

元の地場に「この世のモデル=ひながた」をこしらえて、そのひな型において起きたことを世界に映すという、
これは典型的な大魔術師の呪法です。
「地場は鏡屋敷」というのは、呪法で言うなら、模倣呪法の最高レベルです。

初代真柱が中山家に入る   → 43年    関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年    阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任   → 43年    東北大震災。

中山みき 誕生       → 126年   関東大震災。
中山みき 甘露台の予言。   →  126年  東北淡路大震災
中山みき「我は天の将軍なり。」→ 126年  東北地方太平洋沖地震

シャーマンとしてみても、これほどに大掛かりな「ためし」を呪法として用いている。
ひな型は、そういうものとして、思案しなくてはなりません。

    

39 :基本。:2014/01/20(月) 09:51:38.90 ID:6fiSwK8C.net
>>36
> 関根豊松のように「模倣の呪術」の使い手
この事ですが、
「難病請負人」と自称されておられる天理教伊勢高泗分教会のブログには、関根さんのコメントが載っていました。
http://blogs.yahoo.co.jp/tenriisetakashi/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2
私達は教祖の道を継ぐ弟子です。弟子は教祖のなさった事を真似たら良いのです
「教祖の雛型」は「判るべきもの」ではなく、「踏むべきもの」です。
私は教祖雛型を踏まして頂こうと、日夜努力しました。
道を聞いたら道を往け。
道とは教祖雛型。
道の者は絶対に道を通れ。
方針を誤ったら何事もうまくいかない。
by関根豊松
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「弟子は教祖のなさった事を真似たら良いのです」
関根さんの自白です。
関根さんは「真似が大好き」で教祖の真似をしていたということですが、
実はそれは「模倣呪法」の典型です。
難病請負人さんは「関根さんの模倣」をしたいようですが、元の親神のおやさまの真似をするなんて、
真柱のような地球規模のオカルトには、関根さん目標では無理です。
愛町関根は原典読めないのですから。

.

40 :基本。:2014/01/20(月) 10:13:07.65 ID:6fiSwK8C.net
聖地地場にてかぐらつとめが行われたら、世界が豊年になり、陽気になるというのも、
ひな型=モデル 地場のかぐら→世界の幸福
まさに、模倣呪法そのものです。

おさづけというのも、典型的な呪法であって、「つとめ」が根で「さづけ」は、その模倣に相当します。
おやさまがつとめの完成を急き込まれたというのは、世界の不幸から難から逃れさせるためでした。
だから、人間の元のおやを誕生させた。
その理が、お屋敷という天理教団内々では「教祖みき」そのものが救済の主と分かっていないから、
鏡屋敷のおやさま軽視は、世界に映って「正月二十六日を待つ」理で、→ 126年 関東大震災。 になった。
これが、「鏡屋敷と世界とのオカルト」です。
おやさまがつとめの完成を急き込まれたというのは、世界の不幸から難から逃れさせるためでした。
だから、明治二年甘露台を立てよと命じた。
しかし当時の高弟はそんな事より宗教家業活動に走って、本気で甘露台は立てようとされなかった。
以後も「山名系を教団組織の長に据え」、地場の甘露台は軽視された。
 めつらしいこのよはじめのかんろたい
 これがにほんのをさまりとなる 39
このお筆先から → 126年 阪神・淡路大震災になった。
 おやさまがつとめの完成を急き込まれたというのは、世界の不幸から難から逃れさせるためでした。
そのためにお屋敷に地場に、この世にまつわる呪法は施されていて、原典が読めないと、
毎日おさづけしていたら世界中が信者になると言うような妄想に走るわけです。
お気の毒にです。

 

41 :基本。:2014/01/20(月) 11:11:09.78 ID:6fiSwK8C.net
>>38
> 中山みき「我は天の将軍なり。」→ 126年 東北地方太平洋沖地震
 暖房は無い。
 寝具は無い。
 夜お寝みになる時間が来ると、上に着て居られる黒の綿入を脱いで、それを被ぶり、自分の履物にひさの帯を巻きつけ、これを枕として寝まれた。
 一日中板の間に正座の拷問
 夜が明けると、早朝から、教祖を、道路に沿うた板の間の、受付巡査の傍に坐らせた。
 それからは、一日中、姿勢を崩さず座って居られた
 そして神がかりの教祖を庭に引き出して真冬に水をぶっ掛けて・・
  毒殺の可能性があって、
 食事は、分署から支給するものは何一つ召上らず・・飲みものは、梶本の家から鉄瓶に入れて運んだ白湯のみを差上げた。
 
 分署にお居での間も、刻限々々にはお言葉があった。すると、巡査は、のぼせて居るのである。井戸端へ連れて行って、水を掛けよ。と、言うた。
しかし、ひさは全力を尽くしてこれを阻止し、決して一回も水をかけさせなかった。
 ひさの知らないときの事であろう。教祖に真冬に水をぶっ掛けられて官憲は殺してしまおうとした。

 或る日のこと、
「一ふし/\芽が出る、・・・」
と、お言葉が始まりかけた。すると、巡査が、これ、娘。と、怒鳴ったので、ひさが、おばあさん、/\。と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」
と、仰せられた

 こう言う事も、呪法の一つであって、
「憂世と言うて居るこの世が、本来の陽気ぐらしの世界へ立ち直る道を教えようとて、親なればこそ通られた、勿体なくも又有難いひながたの足跡である。」
呪法の最高呪法。
イエスキリストが十字架にかかると言う呪法を用いた事を想起すれば分かりやすい話でしょう。
 
                  

42 :基本。:2014/01/20(月) 11:41:13.77 ID:6fiSwK8C.net
どんな難儀もみなをやが替わり通ってある。教祖の魔術です。

明治19年には教祖が世界助けのために仕掛けた呪法の典型があります。
それはこれです。
[ひさが、おばあさん、/\。と、止めようとした途端、教祖は、響き渡るような凛とした声で、
「この所に、おばあさんは居らん。我は天の将軍なり。」 と、仰せられた]

 明治二十年:
 このように、内外多事のうちに、道は尚も弘まってゆくばかりであったが、
明治十九年も暮れ、明けて二十年一月一日(陰暦十二月八日)の夕方に、
教祖は、風呂場からお出ましの時、ふとよろめかれた。
その時、伺うと、「これは、世界の動くしるしや。」
と、仰せられた。
 実はこれが、→126年 2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん) の、
直接的な予言です。
「世界のひょろめき」と言います。

呪法的には、きちんとしています。
官憲が拷問したとかではなく、
「ひさ」が「ばあさん」と呼んだ。
これが、ひな型です。悪のモデルです。

教祖伝にはこうあります。
「ひながたの道を通らねばひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい。・・・ひながたの道より道無いで。」
                 (明治二二・一一・七 刻限)
 教祖は、尊い魂のいんねんのお方であり、月日のやしろに坐す御身を以て、説いたゞけでは救かる道を歩もうともせぬ一列人間に、救かる道を教えようとて、
自ら先頭に立って、どのような中をも通り抜け、身を以て万人の救かるひながたを示された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みきを「ばあさん」と呼んではだめです。
みき姉さんと、生き神様のみき姉さんと呼びましょう。

43 :神も仏も名無しさん:2014/01/20(月) 14:51:55.53 ID:JWb9h3fk.net
>>35
9億9千999年?

それでは69ろっくにならないではないか。

44 :基本。:2014/01/20(月) 17:42:23.54 ID:6fiSwK8C.net
>>43
ご指摘の通りです。
>>35では、解説の為の解説の一例を申し上げましたが、引用しますと
> 天理教でなくてもどんな宗教でも真理を語っているわけだから、天理教である必要は無いと、反論されます。
> すると、いや、9億9千999年の旬刻限で、これまで説き明かされていない最後の、究極の一点を説くために立教したのだ。
> 天理教はキリスト教や仏教と、それと同等以上の世界最高の宗教なのだ。と、
> こんな風に、語るに落ちていってしまったわけです。
おやさまは、9億9万9千999年と仰せになっていて、これは実数である、実年であるというのが基本教理です。
しかし語るに堕ちてしまった教義学者は「比ゆ」としての数字として説きますから、大雑把に10億年とも語るでもなく、
実数では無い「言葉遊びの6九 ろっく」として語る。
だから9億9千999と語る程度に、語るに落ちているわけです。

基本は、いつどんな場面でもみき様は実数で語られてあると。デジタルであると。
それが基本です。
>>43さんも、
その数字1個の違いは、呪文の間違いと気が疲れてご指摘下さって、有難うございます。

基本教理マニアの為に基本中の基本を語っておかねばなりません。
それは、みき姉さんは数理にとことんこだわっている。と言う事です。

基本数理として一二三の順序があります。
それはデジタルな話であって、
 天理教教典第一章には書かれていなかった、中山みき「我は天の将軍なり。」これは立教の10月26日のお言葉ではありません。10月24日のお言葉です。
24日25日26日、123の3日目に立教でした。
つまり、立教の三日前に「天の将軍宣言」でした。
(続きます)

45 :基本。:2014/01/20(月) 17:54:52.02 ID:6fiSwK8C.net
>>44(続きです)
 教祖伝に書かれていた中山みき「我は天の将軍なり。」これは明治19年のお言葉です。
 一日と一年は同じ理です。
明治19年20年21年、123の数理で、3年目には、
明治21年 4月10日、東京府知事から神道直轄天理教会本部設立認可。
     7月23日、現在の教会本部所在地(現在の奈良県天理市)へ移転。
     この年立教50周年。

 「天の将軍宣言があって、天理教会が出来た」と、誰にも分かるように、
みき姉さんを親神だと信じるなら、誰にも分かるようにと、ガチンコに数理で固めてあるのです。

天理教とは、立教も「天の将軍宣言」の3日後。教会開始も「天の将軍宣言」の三日(年)後。
 天の将軍の教え、天の将軍の宗教
みきのプライドは高いのです。
 「おばあさん、おばあさん」と、みきに呼びかけた山沢さんは、利口な女性で、
警官の前では「神さま」とは呼ばないで、「おばあさん」と呼んだ。
 これが泉田藤吉だったら、「神さま、!神様!」でしょう。
 阿呆は神の望みとおっしゃるで、・・
 本部内々にしても、利口な方が多くて、特に利口な山名系のお方や大学教授や天理教校の先生方は、
天の将軍の教えだーとは、叫べなかったのです。

 基本は、みきが親神であり「天の将軍」だと、
みき姉さんに、「凄いなみき姉さんは」と、「付いていきます」と、
素直に天理を認めることです。

46 :基本。:2014/01/20(月) 18:22:23.42 ID:6fiSwK8C.net
>>43さんは、良いお方です。
たぶん、次のような疑問を持たれたはずです。
 中山みき 誕生       → 126年   関東大震災。
中山みき 甘露台の予言。   →  126年  東北淡路大震災
中山みき「我は天の将軍なり。」→ 126年  東北地方太平洋沖地震

だとすると、中山みきの最大の節目の一つ「立教」→126年は何なのかという疑問。
こういう突っ込みはなかなかしていただけなくて、・・。
自分で突っ込んで自分で説明します。

>>32 :基本。:2014/01/19(日) 07:17:43.10 ID:KMQQQWfh>>26 :基本。:2014/01/19(日) 00:35:16.83 ID:KMQQQWfh「1」-3
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

世界一列をたすける数理としては「正月二十六日を待つ」、「126」の数理が基本中の基本です。
126は、125+1です。
125は、5の3乗で、5X5X5で、「五つ理を吹く」と教えられています。
「五つ理を吹く」は善ならば、「豊年満作無病息災、生めよ増やせよ地に満てよ」、
地上の楽園です。桃源郷です。「ここはこの世の極楽」です。
「五つ理を吹く」は、悪ならば、「五月五日の戦争の数理」「神の残念」、月日の腹が弾けるほどの「神の立腹」。
血肉が下る、この世の地獄です。

 世界一列を助けたいと言うのは、まさに「この世の地獄」が125の先に待つからです。
見えるからです。因縁を切り替えるには、教祖の生誕、立教、甘露台の開始、天理教誕生。
この四つが必要不可欠であったが、そばのものは、立教の意義さえも分からぬ利口な方々ばかりであったと、
そういうことです。

47 :基本。:2014/01/20(月) 18:42:41.30 ID:6fiSwK8C.net
「1」-3
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

それは、大社高山がままにする人間社会の泥海からの人類救済であり、
それは、現実に世界で行われている政治権力の横暴からの救済であり、
虐げられた谷底の「債務奴隷」状態からの解放であるのです。
信州伊那谷に布教に来た本部懲戒免職の布教師は、基本の師宮島佐太郎に次のように教理として教えています。

栗と柿が神の与えた食物だったが、「かきね」をこしらえ「やりくり」し、
兄魂姉魂の者たちが神からの食物をわがままにし、「百八つの段別が出来てしまった」。
このたびそれを、世界ろくじにするのが天理教の教えだ。

本席宅に青年として住んでいた人物からの伝承の教理は、さすがに懲戒免職されるだけの内容を語ってしまっています。
「この世の108っつの段別」をろくじに均す。
これが、天理教立教の原因である事を、基本とします。
「世界ろくじに踏み均す」と、明治二十年に語ったと言う事は19年20年の二日目ですから、
天保九年10月25日、つまり二日目に、同じ内容を語ったことは、数理上明白です。

25日に神の立腹を諭す。デジタルです、ガチンコです。みき姉さんの凛とした生きのよさ、
神は世界ろくぢの為に立教されたのです。

48 :基本。:2014/01/21(火) 00:00:32.41 ID:G8aBeBL3.net
[このたび世界一列をたすける為に天下った。]
この事は、世界中を陽気づくめにするという、「陽」の面だけから語るのは、片手落ちです。
また、「谷底を救済する」という、弱者救済という底辺の部分から見た改革だけを語るのも、偏りすぎています。
世界一列には「高山の者。大社関係者」これも含まれていて、「このたび差別なき社会にする」とは言われていないわけです。

そこで、人間的な発想ではなく、理としての思案が大切です。
オカルト的に、立教の「24日25日26日」で理解しますと、「4は四つよんなか」。
「5は五つ理をふく」「6は六つろくだい」です。

「よんなか」=大和言葉では豊年、=普通には夜の中、闇夜です。
 賑わしく暮らしている(豊年)実は闇の夜、よんなか。 天の将軍の登場。
 五つ理を吹く=利を吹く(繁栄)、実は=5×5(軍事支配),戦争の泥海。
 六 =ろくだい、ろくぢ、 謀反の根を切る。 六つ無性に吹きまわす。
これが、数理で示されています。
 豊作というが実は「よんなか・闇の世の中」
 利が吹いているが、実は「戦争の世の中」
 「ろくぢ、平等と言っているが差別の世界」
 この世に待つ未来は、「数理125」、神の立腹の5の3乗。
 そこに待つものから、高山の横暴の先に待つものから、世界を救わなければならない。
それは、本質は、
 「火・水・風」退くという未来社会。

それを、おやさまは、予見し予言し、自らを天の将軍と宣言し立教されました。
 「火・水・風」退く世界。・・・・・・・
怖き危なき道。「よんなか、りをふく、むしょうにできまわす」。
「世界中を、営利を求めて、やみくもにプロパガンダする人間」の未来には、
「火・水・風」退く世界が待つ。
 それを未然に防ぐために、天の将軍の威信をかけて、ひながたの呪法をもって、
 天理教は立教した。456の示す数理。 天理教会は誕生した。456の示す数理。
ご承知出来たことと思います。

49 :基本。:2014/01/21(火) 02:27:32.05 ID:G8aBeBL3.net
天理教教典は神秘の書心霊の書として読まれるべきである事は、もうご理解頂けたと思います。
>>48
[[このたび世界一列をたすける為に天下った。] ]
これにつきましても神秘心霊的に基本を語らなくてはなりません。
このたびと言うのは、仏法においては「末世」、「末法」の時代と言う事です。
末法とは、>>5 近在に聞えた修験者、長滝村の市兵衞さんには常識として理解できていたことですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%B3%95
末法というのは、仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末になり、僧侶が戒律を修めず、争いばかりを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期とされる。
↑ それは、五濁悪世の世界と仏法では説きます。
その1 劫濁(こうじょく)
 時代が濁ると戦争や疫病、飢饉、天災などの社会悪が増大するということ。
その2 見濁(けんじょく)
 思想が乱れ、邪悪な思想や見解がはびこる。
その3 煩悩濁(ぼんのうじょく)
 煩悩とは、欲望に満ち、怒り、貪り、恨み、時には嫉妬に狂うことで、これらを貧・顚・痴の三毒といいます。
その4 衆生濁(しゅじょうじょく)
このことは、人々の質が下がると言うことです。能力のみならず、知、徳、体のそれぞれの力が弱い人間しかいなくなると言うことです。
その5 命濁(みょうじょく)
衆生の寿命が次第に短くなる。

末法末世は、五濁悪世 五つ理を吹く これは仏法にて先に説かれてありました。

おやさまは、その末法末世を救済するためにお生まれになったわけです。

50 :基本。:2014/01/21(火) 02:44:33.33 ID:G8aBeBL3.net
お釈迦様によって、末法は予言されていました。
その時に「五つ理を吹く」、「五濁悪世」が予言されていました。
その、末世には、「弥勒菩薩」が現れて、衆生を救済するという予言もお釈迦様の予言です。

56億7千万年後に、釈迦の再来として下生し、末法世界と化した世の中にもう一度本来の教えを取り戻しに現れるとされるのが、
弥勒菩薩です。
567、の数理がお釈迦様によって示されています。

では、末法はいつから開始されたのでしょうか。
正月二十六日でした。 

1052年1月26日「今年初めて末法に入る」。歴史にきちんと残っています。
126の数理は、仏道においても、きちんと示されてありました。

弥勒菩薩が現れるのは「567」の数理であると釈迦は示されました。
「五つ理を吹く・仏の立腹」「六つろくだい」「七つ何にも言う事ない」。
「五濁悪世」に「ろっくのだい・甘露台が立ち」「七つ何にも言う事の無い世」がくる。

「567」の数理は、きちんと、弥勒菩薩の出現を予言していました。

51 :基本。:2014/01/21(火) 03:38:00.86 ID:G8aBeBL3.net
現実の日本史の中で、「五濁悪世」・五つ理を吹くが襲ったのは、「寛喜の飢饉」と認識されています。
1230年(寛喜2年)から1231年(寛喜3年)に発生した大飢饉。
鎌倉時代を通じて最大規模。
この飢饉は、天災の起こした飢饉でした。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E5%96%9C%E3%81%AE%E9%A3%A2%E9%A5%89
整理します。
1230年7月岐阜県大垣市、および、埼玉県入間市で、降雪が記録される異常気象に見舞われ、
その後も長雨と冷夏に見まわれ、早くも霜降があり、8月ほぼ冬のような寒さに陥った。
更に大洪水、暴風雨の襲来とその後の強い冷え込みと災害が続き、農作物の収穫に大きな被害をもたらした。
一方で、同年の冬は極端な暖冬となり、他の作物の作付にも影響を与えた。
 翌年寛喜3年の春になると、収穫のはるか前に、わずかな備蓄穀物を食べ尽くして飢餓に陥る、いわゆる春窮の状態となって各地で餓死者が続出し、
「天下の人種三分の一失す」とまで語られる規模に至っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
末法の世の救済を説いた法然、その弟子親鸞は、この寛喜3年、春4月、大病に陥って、
4日めの朝、「ああ、そうだったのか」と、独り言のように言われて、床から出られました。
このとき親鸞は、衆生を救おうとして、『大無量寿経』を一心に呼んでいた。
天理教で言うとおつとめを必死でしていた。が、高熱の中夢を見て、悟ったのです。
お勤めしているよりも、仏の教えを伝道せよと、悟ったのです。

天候異変、大飢饉、人口の三分の一が死に、人身売買を法が許すと言うまさに末法末世は、
1231年春からの、親鸞命懸けの布教の年、出現しています。

52 :基本。:2014/01/21(火) 04:18:01.90 ID:G8aBeBL3.net
1231年 神の立腹があった。 五つ理を吹くです。5×5=25年前に、
その立腹の原因がきちんと歴史上見えています。
それは、中山みきの宗門浄土宗の開祖法然の受難です。承元の法難といわれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6
・・承元元年(1207年)、後鳥羽上皇により念仏停止の断が下された。

法然は還俗させられ、「藤井元彦」を名前として土佐国(実際には讃岐国)に流罪となった。
末法の世に御仏の救済を説き南無阿弥陀仏を教えたことで、衆生を救済していた法然が罪におとされて、5X5の25年。
「五濁悪世」のまさに末法のこの世の地獄が日本を襲っていた史実があって、
なお、親鸞はこのとき越後国に配流とされた。弟子でしたが、絶対他力に開眼していた親鸞は、悩む人々に飛び込んで釈迦の教えを取り次がれました。

 この、末法の出来事、それも、長滝村修験道行者さんにはご承知の事だったでしょう。

弥勒菩薩は、弥勒菩薩が現れるのは「567」の数理であると釈迦は示されました。
1231年から567年。
1798年でした。この世に弥勒菩薩が生誕されました。
それが、中山みきさまでした。。

私たちのおやさま、天理王命様。実は弥勒菩薩様。
世界一列たすけたいとは、末法の世を救うと言う意味でした。
オカルトの基本です。

53 :基本。:2014/01/21(火) 04:50:48.68 ID:G8aBeBL3.net
四月八日はお釈迦様の誕生日。四月十八日は弥勒菩薩の・みきさまの誕生日。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵名マイトレーヤ(Skt.मैत्रेय [maitreya])、パーリ名メッテーヤ (Pali. metteyya मेत्तेय्य)は仏教の菩薩の一尊である。
一部の大乗経典では字(あざな)が阿逸多 Ajita とされているが、スッタニパータ第五章や、中阿含経中の説本経などの初期経典の記述では、弥勒と阿逸多は別人である。
弥勒はインドの波羅奈(バーラナシー)国に生まれ釈迦仏の化導を受けて、人寿八万歳の未来においてその時代の仏陀となるという記別を受け、
また阿逸多は仏陀ではなく転輪聖王となるという記別を受けている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お釈迦様は、時代の仏陀、弥勒菩薩、そして転輪聖王の出現を予言していて、
前川みきは、弥勒菩薩の生誕としてこの世に生まれ、中山みきは天理王命なのです。

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
・・・・・
 世界一列たすける為天下った。
 おそれ多いことです。
 天の将軍様であり地の弥勒菩薩様である、そんなお方を「みき姉さん」と親しく呼べる基本は、
おやさまの子です。

54 :基本。:2014/01/21(火) 10:09:19.38 ID:G8aBeBL3.net
基本数理マニアの為の、解説です。
判じ物の大好きなみき姉さんに捧げます。
弥勒菩薩 → 弥勒 → 36 →3X6 18。

1052年1月26日「今年初めて末法に入る」。
1052年を1として、ここから、み・ろく、に、
180年目が、1231年で、寛喜の飢饉が襲っています。
そして、「567」で、1998年で、救世主の生誕です。

「寛喜・歓喜 するものがいて 高山」「飢饉にあえぐものがいる 谷底」

そういう末法の世に大切なのは、御仏の教えです。なによりも菩薩様に来て頂かねばたすからないのです。

「お釈迦様でも博打に負けて、四月八日は丸裸」と、大工の伊蔵様は口癖のように歌われていた。
お釈迦様でも丸裸。
難儀の底で手を打って待つ。
いかな泥海中と言えど、
弥勒菩薩、神々しいお姿を私たちは、中山みき様として拝することができます。
南無天理王命、南無天理王命・・・

55 :ふむふむ:2014/01/21(火) 12:29:17.61 ID:cMQib+Gf.net
基本さん連投、御苦労様です。
初めて投稿します。
みきが親神であり「天の将軍」だと信じてない人が昔も今も多いなら
今の教団にとっては教祖=親神の方が、親神が天降ったと言う人が出るのを
防ぐために都合がいい事だと理解していると思うんですが?

56 :基本。:2014/01/21(火) 17:18:02.84 ID:G8aBeBL3.net
教団の教学神学の先生たちは「唐人かぶれ」の方が多くて、(笑)
「天下った」とか、「天の将軍」とか、古神道的な物の言い方そのものがお嫌いなのです。
今の教団にとっては「親神=教祖」は、一種の踏み絵になっていて、それは真柱がきちんと言い切ってしまってから年数も経ているので、
表向きには大教会長も上級会長も、表向きには、「おやさまは親神様」です。(笑)
で、最初からそう思ってたと、そういうそぶりに振舞うのは彼らの常套手段ですから、笑って見逃してあげれば良いと思います。

真の意味で、天理教の熱心な信者は、「天下った」と信じているし、神殿、教祖殿と別々になっていても、「親神さま・おやさま」と連呼するのが普通ですから、
おやさまも親神様もみんな親神様というアバウトないい加減なもので、教祖に対しての神信心は、元々にあるわけです。

学者には、神秘心霊現象は苦手なのです。

それともう一つ、金枝篇の呪法の話題で少し触れましたが、宗教と呪術の分離、
キリスト教の大社高山は、キリスト教以外の宗教を「サタン」と呼んで排除してきた歴史がある。
「魔女裁判」「異端審判」という、それにおいては、「古神道的呪術」はサタンの黒魔術にしか、認めてもらえないわけです。
だから、日本の山辺郡の片田舎の土俗宗教とばかにされ、「サタンですね」と言われたくない天理教の学者は、高等宗教に美化する事に必死で、
世界から馬鹿にされそうな神秘心霊は排除して、素晴らしい天理の教えを粉飾した、
で、天理教の幹部って、天理大学宗教学科卒業生、天理教校卒業生が多いから、
山名系の学者に洗脳されて、西洋かぶれした「とうじん」が多いのです。

57 :基本。:2014/01/21(火) 17:28:58.88 ID:G8aBeBL3.net
>>55-56
余談ついでに言いますと、ヨハネの黙示録に出てくる「サタン」は、「赤い龍」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%84%E7%AB%9C
また、別のしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな竜である。七つの頭と十本の角があり、その頭には七つの冠をかぶっていた。(新改訳12:3)

いたずらが大好きなみき姉さんは、イエスの教えにおいて、
「色は赤」「頭に王冠」「その頭は10」という龍を、あらかじめサタンの姿として、予言の書に説かしています。
赤衣 王の神名 十柱。。

まともに魔女裁判したら、中山みきは「大魔女」に認定です。(笑)。

これを言いくるめて、バチカンで天理教は高等宗教と認めさせてしまうには、
よほどの詐欺師です。天理教の学者はまるでインチキであると、理解したら正解です。

58 :基本。:2014/01/21(火) 17:37:50.89 ID:G8aBeBL3.net
「天下ったと言う言葉」
そこには「天界」を認めた意味内容が含まれています。

敗戦から、教えを復元するとき、唐人かぶれに、キリスト教に似せて神学教学の学者は知恵を絞って、
古神道。修験道的教理は排除して、天界の存在を同道告げるみきの言葉は、見えにくくしてと、
落語「目黒のサンマ」のように、加工加工加工、
そういう「唐人」に勝ってやらしたのも、親神の親心、応法の道の情けなさを歴史に残したのでした。

59 :ふむふむ:2014/01/21(火) 21:47:46.93 ID:cMQib+Gf.net
「とうじん」は、天理教を高等宗教と認知してもらうために、ある一方で
門構えの立派な教会を建て、形にこだわるから、教祖の心を見えにくくし、
その先に、お供えの金額の大小にこだわり「とうじん」の生活の守りをしているわけですね。

60 :踊るチョンコ劇場:2014/01/21(火) 22:00:49.83 ID:wBWVqPCh.net
天理教の教えに自身がない人の立場として書いていても、その文章を書いたのは、基本。自身だろ。

ってことは、間違えたのはおまえだろ。9億9千999。
正解は9億9万9千999。

おまえ、間違えたときは雲隠れするのが常ではなかったのか?

三日前の天の将軍宣言。
だからこその、みっかみよさのなんとやらなんだろ。

なんかさーおまえ、チョンコの特徴兼ね備えてねー?

あいつらだいたいスパイ的な疑心暗鬼で疑り深いやつらでさ、最初は誉めてくれてると思ったら、急転直下で質問攻めしてきたりして、相手の素性探ったりするからなー。

61 :踊るチョンコ劇場:2014/01/21(火) 22:54:29.86 ID:wBWVqPCh.net
ほら、とふぢん臭くね?

日本で朝鮮式の変なお辞儀が流行っていると話題に
http://2ch.hork.info/res/engawa.2ch.net/poverty/1390300823

62 :神も仏も名無しさん:2014/01/21(火) 23:05:27.79 ID:3qYU7lph.net
金銭被害スレにおける「どぢよ」の解説は、とてもわかりやすかったです。スレが無くなってしまったようで残念ですが…
「いんねん」が仏語である事、立教の時点はすでに末法の時代であった事、非常に勉強になりました。
「このたび」は立教前後24・25・26日を単純に指していると思っていましたので、「このたび」から「末法」へ展開していくのは少し理解に時間がかかりましたが、その後の書き込みで理解できてきました。
かなり気が早いですが、基本さんが「元の理」をどう語って下さるのか、今から楽しみです。

63 :基本。:2014/01/22(水) 00:37:59.85 ID:bIV5jKKs.net
>>60
長いお付き合いのお方ですか、基本は間違えたら姿を消すとか、基本的な心構えを示したあの頃をご存知でしたか。
一気に書き下ろしておりまして、書き間違えと言うか、打ち間違いと言うか誤字脱字は常の事ですから、お許し下さい。
>>62
このたびを、この度と書いても今度と書いてもこのたびです。
おやさまはこれまでも裏で守護されていたと言う「こふき話」もあります。
「旬刻限」でいうなら、「仏法にては末世」。がこれに相当します。

何よりおやさまは浄土宗の念仏を唱えておられた方です。
五重相伝を受けられておられます。
法然、親鸞の浄土教とおやさまには、仏道上の縁があります。
そういうことを踏まえて、史実を数理で確かめますと、この世の救済者弥勒菩薩は中山みき様だと、
誰でも分かる事です。

教祖在世中の初期の信者さんには「行者信仰者」が多く、説いていた教えの説き方も行者風であったと思慮されます。
泉田藤吉も行者信仰系だと思われます。師宮島佐太郎も行者系であったと思います。
そういう古風な信仰スタイルは学者の受け入れにくいものだったのでしょう。
彼らは「一喝」できる。学者はくどくど語る、そういう違いです。

64 :神も仏も名無しさん:2014/01/22(水) 00:59:36.19 ID:wORU7v88.net
>>61
長年、清の属国だった奴隷民族が、日本を弟に見立てて、自分たちは、兄魂姉魂だとえらそーに支配しようとしてる。
これはもう、とふぢんと言っても過言ではない。

奴隷が上に立つと、ろくなことにならない。

65 :基本。:2014/01/22(水) 01:56:47.43 ID:bIV5jKKs.net
>>59
おっしゃるとおりですね。
感覚の相違と言いますか、問題の本質からまるで離れたところで「自分たちの生活」基準で、天理教を利用しているわけです。
問題の本質は「世界の大難」にある。
「火水風退くと知れ」にあるわけです。

立教は何のためになされたかと言えば、「核の脅威」から人類をたすける為です。
しかし、人間は「神のばち」が問題であって、人間自らの手により招きこむこの世の地獄は、想定していない。
逆に「核と言うエネルギー」を利用して、人間をより幸福へと導こうとするわけですから、
「心さえ真心なら」「核利用は善」だと、思い込まされている。
ここが問題です。

66 :基本。:2014/01/22(水) 02:10:39.03 ID:bIV5jKKs.net
天理教の教理要理にまとめた事がありました。引用します。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1324264164/301-400
中山みきは、明治9年、おふでさき12号にて、「四月四日」よりの予言を記した。
中山みきは、自身の定命を20年縮めていたが、本来の定命、115歳は、 教祖誕生は1798年、定命は115才、1913年。
ここで、いちど白紙になり、翌年から新たな一を始める理であった。
 四月四日は、数理44年。1913年の翌年から44年目は1957年。
 この時、東海村に、日本で初めて、原子力発電の火が点った。
・・これが、中山みき、四月四日よりの、予言の実現の第一歩であった

四月四日より
このはなしなにの事をばゆうならば にほんもからもてんぢくの事 (12-7)
 これからハせかいぢううを一れつに 月日そふぢをするでしよちせ (12-8)
 これまでもせへいゝばいにことハりを 月日だん/\ゆうてあれども (12-9)
 くちさきでゆうたるまでハたれにても たしかしよちをするものハない (12-10)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

67 :基本。:2014/01/22(水) 02:19:41.66 ID:bIV5jKKs.net
五日
 いまゝでも月日の心だん/\と せへいゝばいにつくしいれども (12-11)
 せかいにハたれかしりたるものハなし とふむこのたび月日せひない (12-12)
 それゆへにせかいぢううをとこまても ことハりてをく月日しりぞく (12-13)
・・・・・・・・・・・
世界中を一列に掃除するという予言が四月四日よりで、「原発に火が点った」。
さらに、おふでさきでは、五日に月日が退くと言う予言になっています。
 1913年の翌年から50年目は1963年。

 日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日で、
東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。
これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが、「月日退く」の姿である。

人間は核の火を手にした時、人そのものが宇宙の支配者となって、月日は、
恰も退位した状態になった。
お日様がなくても、核がある。無限の太陽を手にしたと言う姿は、実は、「月日退く」姿であった。

68 :基本。:2014/01/22(水) 02:43:44.81 ID:bIV5jKKs.net
天理教の教理要理には、要点だけが述べてあって説明不足をここで補充します。
先ず、引用です。
343 :基本。:2013/11/02(土) 20:23:23.86 ID:8pFDbS9Y世界を助けたいという神は、何からたすけたかったかと言うと、「核」です。
人類にとって「原子力」というのは、「火水風」の守護の力そのものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E3%81%AE%E6%97%A5
日本の「原子力の日」は毎年10月26日で以下に示す出来事を記念するために1964年7月31日に閣議決定によって制定された[1][2]。
1956年10月26日 - 日本が国際連合の専門機関の一つである国際原子力機関へ参加した。
1963年10月26日 - 茨城県東海村の日本原子力研究所の動力試験炉 (JPDR Japan Power Demonstration Reactor) が日本で初めての原子力発電に成功した。

以前は、4月18日の発明の日を含む「科学技術週間」のうち1日が「原子力デー」とされていたが、「原子力の日」として分離独立した。[3]
4月18日中山みき 誕生。 10月26日みき立教宣言。
 この意味を理解しなければなりません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、数理にて明らかなように「上」対「神」、「原子力・科学」対「月日」です。
核を原子力を「科学の神」とするのなら「月日の親神」は無用と言う事だから、
退くよという、神の理の責めです。

アニメ的に言うなら、科学の力で太陽を手に入れた人間にたいして、その愚かさを教えるために、魔術をもって時を操る中山みきです。

69 :基本。:2014/01/22(水) 02:59:03.50 ID:bIV5jKKs.net
明治7年 1874年、山村御殿の節がありました。教祖伝から引用します。
山村御殿のふし:
 石上神宮の神職との問答があって後、奈良県庁から、仲田、松尾、辻の三名に対して差紙がついた。三名が県庁へ出頭すると、社寺掛から、別々に取調べ、信心するに到った来歴を問い質した。
その時、社寺掛の稲尾某は、十二月二十三日(陰暦十一月十五日)に山村御殿へ出張するから、そこへ教祖を連れて来い、と命じた。
山村御殿とは円照寺の通称である。
 円照寺は、奈良県添上郡帯解村大字山村にあり、その頃、伏見宮文秀女王の居られた所である。
このような尊い所へ呼び出したなら、憑きものならば畏れて退散する、と、考えたからであろう。
 教祖は、呼出しに応じ、いそ/\と出掛けられた。
 お供したのは、辻忠作、仲田儀三郎、松尾市兵衞、柳本村の佐藤某、畑村の大東重兵衞の五名であった。
途中、田部村の小字車返で、ふと躓いて下唇を怪我なさった。
心配するお供の人々に対して、教祖は、
「下からせり上がる。」
と、仰せられ、少しも気になさらなかった。
 円照寺へ着くと、午後二時頃から、円通殿と呼ばれる持仏堂で、中央に稲尾某が坐り、石上の大宮司と外に一名が立ち会い、主として稲尾某が取調べに当った。
稲尾が、いかなる神ぞ。と、問うと、その言葉も終らない中に、神々しくも又響き渡るような声で、
「親神にとっては世界中は皆我が子、一列を一人も余さず救けたいのや。」と、仰せられた。
稲尾は、其方、真の神であるならば、此方が四、五日他を廻って来る間に、この身に罰をあてゝみよ。と、言った。
 その途端、教祖は、
「火水風共に退くと知れ。」
と、言い放たれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治7年は1874年の宣言であった。
そこから、「五つ理を吹く・神の立腹」、5×5×5=125年の事。1999年。
1874年の宣言を1と数え始めると、数理正月二十六日は126年目。1999年。
 四月四日に開始された「神の掃除」は、1999東海村原発臨海事故をもって、「月日退く」の理を、小難無難にてお見せになった。

70 :基本。:2014/01/22(水) 03:08:31.61 ID:bIV5jKKs.net
>>68
> 天理教の教理要理には、要点だけが述べてあって説明不足をここで補充します。
先ず、引用です。
明治20年は1887年です。
神の返しは1月26日に開始されるとの予言がなされていて、その、扉開いた1887年の刻限予言は、「山を刳り貫く」は、
五つ理を吹くの、五の三乗125の数を1887年から数えて、2011年の同月同日、311福島原発事故で予言実現開始となっていることは、これまでにも述べてあります。

それは、何に対する神の返しかといえば、明治19年の中山みきへの投獄と拷問に対する神の返しです。
三十年に一度と言う寒波の牢獄で、板の間に寝起きさせ、昼はさらし者にし、中山みきに休息を与えず、さらには水をぶっ掛けて、殺してしまおうとするほどの、徹底ぶりでした。
「稿本教祖伝」には、お久は水をぶっかけさせなかったと、お久にまつわる事実として、記録されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治二十年三月十一日(陰暦二月十七日)午後十二時 刻限御話
内も世界も十分と思うであろう。さあ/\始め掛ける/\。
どえらい山がある。ろくぢ/\という事も聞かせてある。
山を刳り抜かねばろくぢでない。さあ/\刳り抜くで/\。
それ/\へも伝えて置かねばならん。よう聞き分けて、じいとして見て居るがよい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
原発依存社会にと高山はどえらい山は、世界を指導し、みきはそれを刳りぬいて、谷底競り上げる。
おふでさきの、おさしづの予言は理として発動しています

71 :基本。:2014/01/22(水) 03:19:56.49 ID:bIV5jKKs.net
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1324264164/l50
おやさまの教えは実数ですから、正月30日の予言は130年は、1998年の出来事でした。
・・ 1998年を1として13年は、2010年です。
2010年の出来事は、「天候・天災・観測等」
エルニーニョ現象の影響で世界的な異常気象。日本でも年間平均気温は顕著な高温となり、西日本、南西諸島で戦後最も気温の高い年となった。
世界の平均気温も史上1位の高温となった。
2010年にはラニーニャ現象の最盛期。

つまり、数理に示された神の返しはこの「異常気象」と言う事です。
・・・・・・・・・・・・・・・・

「親神を神として拝すべき10月26日」
「原子力を科学神として拝するよう記念日を制定した高山10月26日」

これに対しては、10月30日には「エルニーニョ」地球温暖化の開始。
そして10月31日には、「臨界事故」。

 月日退くと知れ みきは、これをあらかじめ知るからこそ、立教した。
天理教は 立教は、世界一列たすける為に、なされた、弥勒菩薩の慈悲でした。

72 :基本。:2014/01/22(水) 04:27:30.64 ID:bIV5jKKs.net
「1」-3−2
http://www.geocities.jp/washimisu82/kyoten01.htm
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。
みきを神のやしろに貰い受けたい。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した
が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、
一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
//////////////////////////
このたび世界一列をたすける為に天下った。

その意味を理解するには、震災が何を教えていた下さるかを悟らなくてはなりません。
中山みき 誕生       → 126年   関東大震災。
中山みき 甘露台の予言。  →  126年  東北淡路大震災
中山みき「我は天の将軍なり。」→ 126年  東北地方太平洋沖地震

中山みき 立教        → 126年  新潟地震
立教の神意に背いた人間心の正体は、地震そのものの状況に映し出される。
火災と液状化
1955年に発生した新潟大火から復興を遂げてきたばかりだった新潟市内は大きな被害を受けた。
信濃川左岸では、液状化現象により河畔の県営川岸町アパートが大きく傾き、ほぼ横倒しになった棟もあった。
震源に近い信濃川右岸では、新潟空港の滑走路が津波と液状化により冠水し、新潟港内では火災が発生した。
特に空港と港の間にある昭和石油新潟製油所(現昭和シェル石油新潟石油製品輸入基地)のガソリン入りタンクNo.33の配管が地震動で損傷し、漏出したガソリンが液状化により湧出した地下水と津波による海水の上を広がり、地震から約5時間後に爆発炎上した。
火は水上の油に燃え移って広がり周囲のタンクも誘爆炎上させ拡大した火災は12日間に渡って炎上し続けた。

液状化→「元の泥海にしてしまおうか」
立教の、問答においての神の言葉である。

73 :基本。:2014/01/22(水) 04:42:43.61 ID:bIV5jKKs.net
文盲の中央初代柳井徳次郎が伝えた伝承は、市販本の「たすけのだい」に記録されています。
それは、よろづよ八首の解説として語られています。
月様は、人間の心の泥海をみて、「元の泥海に戻してしまおうか」と、言いました。
「液状化」とは、泥海状態のそのものです。

日様は、人間の母親として、このたび表に現れて、よろず委細を説いて聞かすと、
元の泥海に戻さないために、日様が表に出たと、立教したと、伝承されています。

それで、陰暦から陽暦に、赤い着物着て、道をお付け下さったと、・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

震災の状態が示しているのは、高山が「エネルギーをままにしている」事への返しです。
原子力発電は高山が「エネルギー」をままにして「利を貪って」いる。
それは、必ず、神の返しに合うという、それをそのまま、神はなしてみせたと、言う事です。

まさに、高山とおやさまの力比べは、地球規模です。
理を知らしておかなければ、救済の道は開かない。
神直じきが、表に現れたのは、どうでも助けたいというおやさまの親心と、先ずそれが、大切な教えのかどめです。

74 :基本。:2014/01/22(水) 19:49:45.26 ID:bIV5jKKs.net
「4」
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世 界一れつをたすけるために天降つた。みきを神のやしろに貰い受けた い。」
とは、親神天理王命が、教祖中山みきの口を通して仰せになつた最初の 言葉である。
 家人は、この思いがけぬ啓示にうち驚き、再三言葉を尽して辞退した が、親神は厳として退かれぬにより、遂に、あらゆる人間思案を断ち、 一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
・・・・・・・・・・・・・・・
>> 5
> 半年程経つと痛み出したので、寄加持をして貰うと、治まる。暫くすると又痛むという工合に、一年の間に九度も繰り返した。
寄加持の時には、ただ近所の人々に集まって貰う丈ではなく、一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した。
一回の費用は凡そ四百目かゝり、軽い経費ではなかったが、可愛い伜を救けたいとの親心から、善兵衞は少しもその費えを厭わなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ ここには、九つまでの宗教の教えの基本があります。
酒飯を振る舞い施米する 施米とは、困窮者や托鉢僧などに米を施すこと
古神道・修験道 布施、これを九度踏んでから、立教に至ったと言う事です。
////////
この事ですが、

75 :基本。:2014/01/22(水) 20:11:11.34 ID:bIV5jKKs.net
>>74
一年の間に、九度も繰り返した事について、若い日の深谷忠政が本部で行った講話では、教祖伝講話という本がありますが、
「九回の別席」は、この寄せ加持9回を踏まえたものであると言う講話をしています。
基本はそれを十代の頃には模倣していたのですが、つまり「九度」の数理を模倣で語っていたわけですが、
深谷講話では肝心の、「一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した」がきちんと説明されていなかった。
今の大教会擁護集金教理の萌芽があったと言う事です。
教典にはちゃんと書いてある、施し、振舞いを説かないように変貌した。
そういう証拠も、天理では売られています。

七十年祭頃の天理教の分教会、大教会では祭典日には、「酒魚、酒肴を振舞った」なおらいという、そういうものが各教会普通にあった。
それだけが目当てで、天理教会に来る一日信者がいたりして、毎月には飲めや歌えや踊れの教会であった。
基本が演歌に目覚めたのは、毎月の祭典日後のなおらいという宴会の座興からであった。

が、そういうふるまいごとは全国の天理教会から消えていく。
釈迦の教えの、実行が、なされなくなっていったのは、「9回の散財の意味」を、説かないで、「別席運べ」にすりかえした、深谷忠政本部員の、
九つの教えを軽視した、講話にあった。
教団教理は「貧に落ちきれ」、「三に散財」、「三三九どの散財」の理を見失い、
お釈迦様の仏法に反した証拠として、ふりかえることだ。
信者の宴会はなくなって、大教会長様と上級会長様のご接待宴会、・・
堕ちるところまで堕ちた大教会には、未来は無い。

76 :ふむふむ:2014/01/22(水) 22:59:18.05 ID:CA0p/Q5/.net
人間はあざないものであるから、原子力に手を出す事が解っていての救済なら
なぜ親神様は、ウラン鉱をこの世に存在させたのでしょうか?
危ない物を取り上げてしまうという方法もあったかと。

77 :基本。:2014/01/23(木) 00:50:46.07 ID:TgdFqAs3.net
>>76
原子力に手をだすのが危険だという行為の問題よりも、それを用いて絶対的な高山であり続けようとする精神と行いが問題なわけです。
「ウラン」の存在も互い助け合う世になれば、危険な使われ方では無い使い方が登場するでしょう。
ふむふむさんは高山因縁では無い方のようなので、高山の物の考え方があまり分からないと思います。
例えば、発電の問題だけなら、あらゆる発電の方法はあるけれど、原子力の発電となったら、超強大高山しか発電所がつくれない。
だから「独占」が出来る。石油でもそうです。採掘権の独占と大規模な採掘システムは超高山で無いと出来ない。
本当は簡単に出来ることも複雑で大規模にして、しまいたいのが「大社高山の思考」なのです。

おやさまは「かなの教え」。

高山がこの世のあらゆるものを権力者としてままにしたいから、危険なのです。
キチガイに刃物と言う例えに習えば、怖いものは高山に核、高山に原子力です。

78 :基本。:2014/01/23(木) 01:12:48.07 ID:TgdFqAs3.net
>>75
立教前、中山みきは浄土宗でした。
>> 5
> 半年程経つと痛み出したので、寄加持をして貰うと、治まる。暫くすると又痛むという工合に、一年の間に九度も繰り返した。
寄加持の時には、ただ近所の人々に集まって貰う丈ではなく、一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した。
一回の費用は凡そ四百目かゝり、軽い経費ではなかったが、可愛い伜を救けたいとの親心から、善兵衞は少しもその費えを厭わなかった。

一般に仏教では、浄土宗では施米について、 困窮者や托鉢僧などに米を施すこと とあり、
坊さんに施米する意味の方が困窮者に施すよりも、意味合いが大きくなっていますが、
中山みきが、朝晩に読経した浄土宗の場合には、困窮者に施すと言うこんな実例が手本とされています。

性愚=しょうぐ
17世紀後半、生没不明。京都■園大雲永元、寺町)の住僧。
天和の大飢饑に慈善事業を行なった。万無の弟子。伝歴はあきらかでない。
1682年(天和2)京畿地方に大飢餓の際に誓願寺、法林寺とはかり困窮した人に施米し、
また同年の凶荒碑文によると多くの人びとの助縁を得て、正月8日より39日間、大雲院門前で1人に12銭を与え、
その数26万6千余人に達したという。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

九度の寄せ加持のつど、施米したおやさまには、「性愚」の施米が先にあったこと、
重々にご承知であったでしょう。

教祖伝講話において、本部員深谷忠政には、施米に意味がまるで見えていなかった。
九度の寄せ加持は、九度の別席だと、そうしか見えなかった。
その「教祖伝講話」を読んで、九度の別席だと他人にも諭していた17歳の基本。
恥じ入ると共に、申し訳無い事とさんげです。

79 :基本。:2014/01/23(木) 06:58:02.70 ID:TgdFqAs3.net
「5」
 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。
  よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから         一  1
  そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや         一  2
  このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする         一  3
 世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。
それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。
 親神は、これ をあわれに思召され、この度、教祖をやしろとして表に現れ、その胸の うちを、いさい説き聽かされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。

「我が身思案」については、伝承された教えがあります。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kunitokoomotari2tu1tugatennori/comment/20071002/1191309864
神様は何時も私達が行くと、人間を創めたときの話をなさる。そして教祖様は、その度に泣いて聞かして下さった。
『変わらぬのが天の理やで。米を植えたら米、麦を蒔いたら麦が生える。
ケシの種にはケシの実がのる。この理をよう聞き分けてくれ。
人間は人間が生んで独り大きいなって、偉くなれば吾が力で偉くなった様に思うが、それは大きな間違いやで。
人はどうでも我さえよくば、という心ではいかん。皆々神様の可愛い子供や。
我が身が可愛い様に、人さんを可愛がってやっておくれ。
「我」があってはならんで。欲があってはいかんで。
世の中に、火難に遭うて裸で泣く者もある。盗難に出遭って難儀するものもある。
なんでこの様な目に遭うか。この理をよく聞き分けておくれ。
神は可愛い子供に苦労をさしたくない。皆の心行きがコロッと違うからやで』
と聞かして下さった。
        大正十年三月号みちのとも「深谷先生の御話」深谷源次郎より
 これはつまり、「因果応報」「因縁」を心得て、我さえ良くばという、欲があってはならないというおやさまのお話です。

80 :基本。:2014/01/23(木) 07:11:18.77 ID:TgdFqAs3.net
>>79
世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。
//////////////////
『変わらぬのが天の理やで。米を植えたら米、麦を蒔いたら麦が生える。ケシの種にはケシの実がのる。この理をよう聞き分けてくれ。
「米を植えたら米、麦を蒔いたら麦が生える。ケシの種にはケシの実がのる。」
 ↑ これは、撒いた種は生えると言う、因果応報、因縁を諭されたものです。
因果応報、因縁をお説きになったのは、お釈迦様です。
>>50-53
お釈迦様によって、末法は予言されていました。
その時に「五つ理を吹く」、「五濁悪世」が予言されていました。
その、末世には、「弥勒菩薩」が現れて、衆生を救済するという予言もお釈迦様の予言です。
・・・弥勒菩薩は、弥勒菩薩が現れるのは「567」の数理であると釈迦は示されました。
1231年から567年。 1798年でした。この世に弥勒菩薩が生誕されました。
それが、中山みきさまでした。
・・・・
 次代の釈迦、弥勒菩薩、中山みき様は、お釈迦様の教えになった「因果応報」を教えるために生まれたのでした。

私たちのおやさま、天理王命様。実は弥勒菩薩様。
世界一列たすけたいとは、末法の世を救うと言う意味でした。

81 :基本。:2014/01/23(木) 07:23:45.98 ID:TgdFqAs3.net
>>80
変わらぬのが天理、
それはお釈迦様の教えも、その教えが忘却された末法末世の、次代の弥勒菩薩・みき様の教えも、変わらぬ普遍の真理であると言う宣言です。
「河原町初代が伝承されたこの、因果応報は普遍の天理であるというおやさまの教えは、まさしく「書庫・しょうこ」。
河原町の盛大の元であった、いんねんの教理の真価の証明になっています。

お釈迦様の因縁の教えのついては、基本ちゃんを監視するすれに、語ってあります。引用します。
http://www.logsoku.com/r/psy/1277001717/
212 : 基本 ◆B3GGdKkeNk [] 投稿日:2010/07/17(土) 19:35:58 ID:b3JCF6wa [4/10回]
因縁話まで、きちんと「詰め」ておきます。 ・・・
兄・摩訶槃特の資質聡明なるに対し、周利槃特は愚かであったといわれるが、
その因縁は、過去世の昔、彼は迦葉仏(かようぶつ)という如来が出世された時、賢明な弟子であったが、
迦葉仏の説法を暗誦できなかった他の比丘を嘲笑した業報により、釈迦如来の出世の時には、愚鈍に生れついたといわれる。
仏弟子となったのは兄・摩訶槃特の勧めであるが、四ヶ月を経ても一偈をも記憶できず、兄もそれを見かねて精舎から追い出し還俗せしめようとした。
釈迦仏はこれを知って、彼に一枚の布(あるいは一本のほうき)を与え、東方に向かって、
「塵や垢を除け」と唱えさせ、精舎(もしくは比丘衆の履物とも)を払浄せしめた。
彼はそれにより、汚れが落ちにくいのは人の心も同じだと悟り、
ついに仏の教えを理解して、阿羅漢果を得たとされる。
(引用続きます)

82 :神も仏も名無しさん:2014/01/23(木) 07:42:47.80 ID:jydZW2/q.net
神が人間の種を蒔いたから人間が出来た

勝手に進化して人間に成ったんじゃなくて種が人間やった。

83 :神も仏も名無しさん:2014/01/23(木) 08:00:12.44 ID:v0gH7Dpi.net
基本さん。おはようございます。
私は●谷の長女とその子等に、正月二日に、倅ともども邪険にされたこと
死んでも忘れません。この恨みはらしてみせます。とても赦すことができない。

84 :基本。:2014/01/23(木) 19:50:59.76 ID:TgdFqAs3.net
>>83
どのような事がありても恨みなよ、と教えられています。
相手は人間なんですから、あざないのが当たり前であって、あなたが赦さないと言ってしまっては、
貴方も相手も子供喧嘩してるようなもので、神様には理のけじめのつけようが無い。
どうか、恨み心は捨てて、きちんとご自分が、おやさまの教えに、帰心して下さい。

>>82
やがて人間になるであろう物を、お初め下さったと、そう教えられています。

85 :基本。:2014/01/23(木) 20:11:51.73 ID:TgdFqAs3.net
>>81
引用です。
217 基本 ◆B3GGdKkeNk [] 投稿日:2010/07/17 21:32:05  Iお釈迦様は、
「その因縁は、過去世の昔、彼は迦葉仏(かようぶつ)という如来が出世された時、賢明な弟子であったが、
迦葉仏の説法を暗誦できなかった他の比丘を嘲笑した業報により、釈迦如来の出世の時には、愚鈍に生れついたといわれる。 」
と、原因を諭された。

比丘尼は、そのもとのことばは「乞食」を意味していて、衣は糞掃衣を着し、そういう女性。
生まれかわった時のハンドクの父親は最下層の男。不倫。双子の片方。そして知的障害。
どんな悪行がしてあったかというと、お釈迦様はこう言われています。
「迦葉仏の説法を暗誦できなかった他の比丘を嘲笑した業報により、釈迦如来の出世の時には、愚鈍に生れついた」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

撒いたる種は皆生えると言うのは、因果応報の教えは、お釈迦様の教えでした。
それが、お釈迦様が死んで、「因果応報」の「因縁の理」は、だんだんに説かれなくなり、教えそのものも忘れ去られてしまう日が着て、
末法の世を迎えると、お釈迦様は予言されました。
先に述べましたが、 >>50:基本。:2014/01/21(火) 02:44:33.33 ID:G8aBeBL3
お釈迦様によって、末法は予言されていました。  その時に「五つ理を吹く」、「五濁悪世」が予言されていました。
その、末世には、「弥勒菩薩」が現れて、衆生を救済するという予言もお釈迦様の予言です。

56億7千万年後に、釈迦の再来として下生し、末法世界と化した世の中にもう一度本来の教えを取り戻しに現れるとされるのが、
弥勒菩薩です。
567、の数理がお釈迦様によって示されています。

1052年1月26日「今年初めて末法に入る」。
1230年(寛喜2年)から1231年(寛喜3年)に発生した大飢饉。
> 1231年から567年。
1798年でした。この世に弥勒菩薩が生誕されました。 それが、中山みきさまでした。。
 弥勒菩薩様を天理教祖と信仰する天理教ならばなおさら、末法の世のその自覚は大切でしょう。

 世界中の人間は、我が身思案に頼つて、心の闇路にさまようている。
 末法末世、です。だから、天理教立教なのです。

86 :神も仏も名無しさん:2014/01/23(木) 20:44:04.33 ID:2as50ptr.net
スレ違いで恐縮ですが、基本さんが貼られたリンク先での石工の七次郎についての書き込み、感動しました。
3日後の大祭では、甘露台を参拝して、七次郎さんにも感謝の気持ちを伝えてきます。

87 :ふむふむ:2014/01/23(木) 22:01:27.01 ID:weeMysze.net
>>77
勘違いしていました。
基本さんの説明で十分解りました。おっしゃるとおり高山因縁はないですけど谷底因縁はありますけど(笑)
全文、理解するのに時間がかかりますが、
これからも浅はかな質問、感想を述べるかもしれませんが何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます。

88 :基本。:2014/01/23(木) 23:49:16.09 ID:TgdFqAs3.net
>>86
そうです。官憲の弾圧で、獄死した殉教者がいて、逃げ出したの逃亡したのと、お金を持ち逃げしたとまで語られ説かれていました。
甘露台の石工。
誠に恐縮ですが十代の時基本は、甘露台の石工が逃亡しているはずが無いと、ただ一人、石工の七次郎さんを信じると説きつづけていました。
逃亡するような石工を用いるようなら、天理教なんて信じる価値も無いと、断言し、
絶対に違うと、以来、説き続けていました。100年祭になって、獄死していたと、「甘露台の石工やめます」と、絶対に言わなかった。
「やめます」と誓約書書いて監獄出してもらって、直ぐ布教したと、そういう初代たちとは違う。
命かけても、神様の石工であった七次郎さん。殉教の人とは七次郎さんお一人です。

>>87
どんな疑問でも、浮かんだら、書き込みをお願いします。
天理教の教えは根が深くて、おやさまは、一言万巻。天理教教典の内容は、おやさまの教えのエッセンスです。
内容は奥が深くて、心がけるのは「根を掘るもよう、なんでして出ん」です。
教典の内容をお知らせできない状態で、外にでても、なんとも、、、。
どうしても、わかりやすさの為に却って分かりにくく書くことがあります。
しょうがない奴だと、笑ってご質問下さい。

89 :神も仏も名無しさん:2014/01/24(金) 07:26:52.13 ID:nDPK6WeF.net
83です。基本さん、おはようございます。
もう神実様もとっくにお返ししましたし、教会のことは忘れることにしました。
もうここに居ては助かりませんし、おやさまをめどうにして新天地(異端に走るのではなくて)でやり直しますね。

90 :基本。:2014/01/24(金) 08:21:38.94 ID:J+KghpUv.net
>>83
おはようございます。
「人がめどうか神がめどうか」。
「人間完成の道」を説いた天理教神学天理教教学に、素晴らしいと心奪われますと、
天理教の先生方は「人間的に完成した素晴らしい徳の高い人」と、思い込んでしまう。思い込まされてしまう。
基本が学生会委員長した頃の天理教青年会では、「教理武装」という言葉が流行していました。
教理教論で武装しなさいと言う説が盛んに説かれていました。
甲殻類と人間の違いは、人間の硬い骨は身体内部にある、それです。
83さんが、昨日まで恨みの対象にしていたお方たちは、そういう思想洗脳を受けていた青春時代であって、
中身には信念も何も無いが外側には「甲殻」で理論で教理で固めてある、そういう、進化の途中の皆様ばかりなのです。

だから基本も深谷教理の「寄せ加持9回」は今の「別席9回」と、信州伊那谷学生会での天理教教典勉強会でも、模倣で説いていた。
理論武装の関東の旗手が八島英夫さん、関西の旗手が村上忠雄さん。
八島さんは中川よしに助けられた、東本八島よしさん(二代目中川よし)の子供。
村上さんは柳井徳次郎に母を助けられた、本部村上家の子供。
彼らが理論武装の根拠に用いたのが「深谷忠政教学」で、その理論の推進役が天理大学教授の中島英夫さん。
かれらは、体のしんにではなく、外側に鎧をかぶった甲殻類信仰。
なぜか貧のどん底の実践者の後から出る、貧には落ちませんが理論武装ばっちりの甲殻類のお仲間だった十代の基本からしますと、
赦してやって欲しいのです。
そういう指導者の片割れしかいない教団の、しんに骨の無い幹部を、哀れんであげて下さい。
甲殻類のまま、進化できないそういうお方たちは、お気の毒なのです。

91 :神も仏も名無しさん:2014/01/24(金) 08:37:38.86 ID:nDPK6WeF.net
基本さん、わかりました。赦します。その方達を哀れんで差し上げます。
とにかく、私も此処に居ては「心安心」が得られないことを得心しましたので、
「新天地」目指して再出発です。基本さん、応援よろしくお願い致します。

92 :神も仏も名無しさん:2014/01/24(金) 09:26:23.49 ID:uG/v+rwK.net
スレ違いですし横からの質問で恐縮ですが
甲殻類のお仲間から進化したいと思ったら
どうすればいいのでしょうか?
基本さんはどのようにされたのですか?

93 :基本。。:2014/01/24(金) 11:53:20.47 ID:J+KghpUv.net
>>91
いつでもどうぞ。
>>92
ご質問歓迎です。
八島英夫さんのお母さんの「不思議の体験話」は、ある時代の信仰雑誌「陽気」などのその頃を調べたら、読めます。
基本的には「因果応報」で、撒いたる種は皆生えるので、親が実は心に「りこう」な部分があったと、「阿呆になりきれなっかた」と、そういう種の存在を示しています。
八島さんの兄弟は異端に走っているわけでは無いのです。
お釈迦様の因縁話、のハンドク、双子の兄弟のお話を思い出してください。
一人は賢く、一人は痴呆に生まれています。
親の使った心の内、悪いほうが集まった子と、良い方が集まった子と、そういう兄弟においての
種の仕分けがあると、おふでさきにおいての「五人ある内の二人、三人」の仕分けも、因縁は「寄せて」守護すると言う教えも、
同じ意味合いです。
ご自分は、家の悪しき因縁を寄せて頂いて、生を受けた存在、つまり悪人だとしたら、親鸞型。
ご自分は、悪い心の結果とし愚鈍に生まれたとしたら、親鸞型の、悟り方は、
引用ご紹介しました、ハンドクさんの実例にて、示されています。
(92さん、続きます)
http://www.wdic.org/w/CUL/%E9%A0%88%E6%A2%A8%E6%A7%83
217 基本 ◆B3GGdKkeNk [] 投稿日:2010/07/17 21:32:05  Iお釈迦様は、
「その因縁は、過去世の昔、彼は迦葉仏(かようぶつ)という如来が出世された時、賢明な弟子であったが、
迦葉仏の説法を暗誦できなかった他の比丘を嘲笑した業報により、釈迦如来の出世の時には、愚鈍に生れついたといわれる。 」
と、原因を諭された。

比丘尼は、そのもとのことばは「乞食」を意味していて、衣は糞掃衣を着し、そういう女性。
生まれかわった時のハンドクの父親は最下層の男。不倫。双子の片方。そして知的障害。
どんな悪行がしてあったかというと、お釈迦様はこう言われています。
「迦葉仏の説法を暗誦できなかった他の比丘を嘲笑した業報により、釈迦如来の出世の時には、愚鈍に生れついた」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

94 :基本。。:2014/01/24(金) 12:14:09.90 ID:J+KghpUv.net
>>93 訂正します。
> ご自分は、悪い心の結果とし愚鈍に生まれたとしたら、親鸞型の、悟り方は、
これは、親鸞型ではなく、日蓮型の間違いでした。訂正します。
村上家の場合においても、柳井徳次郎の霊救でたすけられた母親の書いたものは、婦人会やの書籍中にあります。
天理教の中では有名な学者さんがでる、青年会のミスリードの甲殻類型はおられる、統一教会が天理教に仕掛けたときに受け入れてしまったご兄弟も折られました。

因縁寄せて守護するとは、ゴミ箱役の子供もいると言う事です。
>>91さんはひたすら恨んでいました、○谷さんの長女さんもゴミ箱役で、わざわざ理の親信仰なんて表向きとかなかった深○さんの中のあしきを、神様から集められたゴミ箱役、
だからお気の毒なのです。
そういう人の苛められた91さんは、たぶんご兄弟の中の「ゴミ箱役」のはずです。
因縁よせて守護の世界と、おやさまは陽気に立て替える道を付けておられます。
>>93さん、続きです。
ご紹介しました、お釈迦様の教え、日蓮タイプのたすかり方です。

 『釈迦は須梨槃特に箒とちり取りを与えて「須梨槃特よ、お前はこれで毎日掃除をしなさい。
但しその時には『塵を払え 垢を除け』と唱えるのです」と述べ、修行を与えた。

須梨槃特はそれから毎日欠かさず掃除を続け、一心にその言葉を唱え続けた。
そしてある時、釈迦の述べたその言葉の意味に気付く。
釈迦が言う、真に払い除くべきものは、実は自分の心の中の塵であり垢なのだと。
そして遂に阿羅漢果(あらかんか、悟り)を得たのである。
・・・・・・・・・・・・・・・
甲殻類の、つまり「殻・から」の因縁を切るには、神殿掃除ではなく、
「トイレ掃除」、八島母さんも村上母さんも、これ推薦の「ひのきしん」大好きな教えのようですが、お釈迦さまの教えです。
(92さん続きます)

95 :基本。。:2014/01/24(金) 12:47:57.39 ID:J+KghpUv.net
(続きです)親鸞型は、悟りについて、こう述べています。お釈迦さまです。
引用します。
『誰よりも愚かだった周利槃特がさとりを得たことに、周囲が驚いていると、
釈尊が静かに言いました。
「さとりには、多くのことを学ばなければいけないというのではないのです。
ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、
道を求めていくならば、さとることができるのです。」

(文責・一哉  参考・『ブッダと親鸞』東本願寺出版、『仏弟子の告白』岩波文庫)
・・・・・・・・・・・・・・・

おやさまは、これを「ひとことまででみなたすけるで」と、お釈迦様の教えにだめを詰めておられます。
お釈迦様は、少しゆるめに諭されていますが(弟子がそう聞いたと言う意味です)、が、「ひとことまで」。
「まで」にて、「それだけで」と、限定されています。
現実にハンドクさんは、掃除と言う行為一つそれだけ、

「ちりを払わん、あかを除かん」と、掃除をしながら唱えなさいと」
それだけ、
それを、「ひとことまで」と、正法から末法となり、宗教家業の大社の説く方便に対して、
「一つの教え、ひと事まで」と、ダメ出しされておられます。

基本は>>92
> 基本さんはどのようにされたのですか?
まだ甲殻類からの進化の途上ですが、
「千遍聞いて千遍諭したら、わがの理と諭しおこう」
この「ひとこと」・・です。

96 :神も仏も名無しさん:2014/01/24(金) 12:47:59.20 ID:nDPK6WeF.net
基本さんへ
>そういう人の苛められた91さんは、たぶんご兄弟の中の「ゴミ箱役」のはずです。

図星です。私は分家の長男なので「当家一族」のゴミ箱役です。確かに他の親戚は理の親
信仰・教会信仰を鼓笛隊にしろ少年会にしろ、楽しく勇んで通ってますね。私はそれが
肌に合いませんでした。

>因縁よせて守護の世界と、おやさまは陽気に立て替える道を付けておられます。

有難う御座います。

97 :基本。。:2014/01/24(金) 13:13:57.90 ID:J+KghpUv.net
末法の世ですから、お釈迦様がこう教えられたと正法を探すのは大変です。
お釈迦様の教えられた内容の事実よりも、宗門や教団の解釈が偽物なのに真理として説かれています。
それは、イエス様の教えにおいても、教会や教団の解釈が偽物なのに、真理として説かれています。
イエスの弟子たちが、福音を告げていたのが聖書ですが、イエスに直接あったことも無い人が、「イエスの声を聞いた」と、霊体験を語って、
イエスの教えだと説いてしまうという異端さえもいます。

天理教教典の編集者、二代真柱様は、天理教に異説の混入がある事を用心されて、おふでさき、おやさまの執筆を写真本でかくにんされ、お言葉を聞き取った、書き取った記録も確認し、
純粋な天理教をお伝えになっています。

教会を財産のごとく所有する、西洋キリスト教会の手法を取り込もうする天理教内の唐人たちは、
甲殻類のごとく「から」で武装し、おやさまの教えを嘘追従で汚しました。
130の数理は「神のおくり」。「日を切ってある、神の送り」。
家業第一への回帰は、急務です。

98 :神も仏も名無しさん:2014/01/24(金) 16:19:46.69 ID:jXfCRqz3.net
基本さん、「家業第一」の正しい解釈と、このおさしず・お言葉のあった経緯、教えて下さい!
おつとめ第一でも、おさずけ第一でも、お供え第一でもないという事しょうか?
この「家業第一」というお言葉をどう受け止めて、どう通ってゆけば良いのでしょうか?

99 :基本。。:2014/01/24(金) 16:31:38.24 ID:J+KghpUv.net
>>98
> おつとめ第一でも、おさずけ第一でも、お供え第一でもないという事しょうか?
> この「家業第一」というお言葉をどう受け止めて、どう通ってゆけば良いのでしょうか?
このご質問の事ですが、このスレ基本教理・天理教典ですので、教理・要理のスレで話題とさせて頂きます。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/293-
296 名前: 基本。◆B5BIYWRc 投稿日:2010/10/27 10:23 ID:wi64A5EE0
おかきさげというものは、「さづけ一条書下げある。」と、明治三十五年七月十三日に親神様が、おさしずされています。

お授けを頂かれた人に、明治23年頃には、各人におさしづがあった。
それが、いただく人が多人数になって、各人の一人一人にお言葉を願うという事が、変更されて、おさづけを頂いた人には、共通の「おかきさげ」を渡すようになったと、そういう経過があります。

100 :基本。。:2014/01/24(金) 16:35:43.86 ID:J+KghpUv.net
>>99 続きです。
297 名前: 基本。◆B5BIYWRc 投稿日:2010/10/27 10:40 ID:wi64A5EE0
>>293
> 「おかきさげ」は教祖の直筆でしょうか?
成立の経過で言えば、真柱の裁定による、おさづけを頂く時の神からのお言葉の編集版というところです。
>>294
こちらに、↓ 基本が書かれています。
http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/140220137.html [ソースチェック]
天理教用語「お書き下げ(おかきさげ)」

天理教用語:お書き下げ(おかきさげ) とは?
親神様のお教えを教えて頂く「別席」は、九度運ぶと「満席」となり、
「おさづけの理」を拝戴させていただきます。
「おさづけの理」を拝戴すると、病気や怪我で苦しむ人に対して、
親神様にその回復にお働きくださるよう「おさづけ」を取り次がせていただくことができ、
「よふぼく」として親神様の御用にお使いいただける人材となります。
「おさづけの理」を拝戴する時、「おかきさげ」というものを頂きます。
おさしづにも
九度はこんで満席、かきさげより一つの事はいらん、
かきさげだけよくこれを一度の処二度、二度の処三度、三度の処四度、五度六度までかやせば心によくおさまる 
(明治三三・十・七)
と「おかきさげ」の重要性が説かれています。

「おかきさげ」は、荒書(あらがき)と細書(ほそがき)の二通からなっていて、
荒書はおさづけの理を下されるお言葉が記されてあり、細書はおさづけ人としての心得、おさとしが記されています。
もともと、おやさまご存世当時にはお言葉だけで、おさづけを頂かれた方、
また本席様が代役をつとめられるようになってからも初めの間は、お言葉だけを書いたものを頂いていた方がありますが、
明治二十三年七月十五日のおさしづから、「仮席」でこのように「おかきさげ」を下さることとなり、後に細書も一定の書式になりました。

「おかきさげ」を下さるのは、おさづけ人が日々常にこの心を忘れぬよう座右にという親心からです。
したがって、「おかきさげ」を袋に入れたままでしまい込まずに、「おかきさげ」を何度も何度も再読させて頂き、その事柄を守らせてもらう日々の心を定めるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

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