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【ウクライナ】これがロシアに侵攻の口実を与えた…ウクライナ東部で決定された「ロシア語の使用制限」 [あずささん★]
- 167 :ニューノーマルの名無しさん:2022/08/19(金) 16:12:28.55 ID:LYmmm3Pk0.net
- >>1
増田ユリヤってやつの言ってることがすげえおかしいのだけど、勉強してる?
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/8840/gengo0003901310.pdf
> 評老は日本語教育を専門とするものであるが,
その関連で目にすることのある戦前の日本 の植民地ないしは日本占領下の地域における日本語教育政策を扱った論稿において,
しばし ば第一次世界大戦の終了と共に消滅したハプスブルク帝国の言語政策が引き合いに出される ことに気づかされていた。
この場合,戦前の言語政策のイデオロ一グであり推進者とも目された保科孝一の著作を通して語られることが多く,
例えぱ,イ・ヨンスク著『r国語」という 思想』(1996)には,次のような文言がある。
・オーストリアでは教育語に二言語併用主義をとったために,
言語問題が政治問題化して国家の基礎を危険なる状態に陥れてゐる」と保科は見ていた。(234頁)
・とるべき道はただひとつ,
明確な法律によって「国家語」を制定し,「民族の均等な権 利」を否定することである。
保科がオーストリア=ハンガリー帝国から学んだ教訓はこのようなものであった。(273頁)
確かに保科が観察したとおり,当時のハプスブルク帝国は
典型的な多民族・多言語国家と して複数言語併用主義をとり,
また統治者側の言語であったドイツ語を「国家語」とするこ とはせず,各民族と各言語に均等な権利を認めていたのであるが,
それは保科から見れば反面教師的な事例でしかなく,肯定的に評価されることはなかったのである。
評者はかねがね,失敗の例として紹介されるのが通例となっているハプスブルク帝国の言語政策,
特に学校の授業において使用される言語(ドイツ語を直訳し「教授言語」とする) の実態とその消長を知りたいと思っていた。
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