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【歴史】新選組・近藤勇の武具を発見 高岡の古刹で今月22日から公開 [愛の戦士★]
- 1 :愛の戦士 ★:2022/04/19(火) 10:12:50 ID:CaJ8Ze299.net
- チューリップテレビ 4月18日(月)17:56
高岡市の国泰寺で新選組の近藤勇が身に着けたと伝えられる武具、甲冑(かっちゅう)が見つかりました。この甲冑は、今月22日から射水市新湊博物館で初公開されます。
幕末に倒幕運動の取り締まりを行った新選組の局長、近藤勇。その近藤勇が身に着けたと伝えられる甲冑が県内で見つかりました。
新湊博物館 松山充宏学芸員:「こちらの甲冑はずっしりと重いので実戦用というイメージを持ちました」
かぶとには、蛇の目紋と呼ばれる「前立て」が付いていて、よろいの背中側には旗を立てるための金具もあります。
しかし、この甲冑ー。
松山学芸員:「近藤勇が甲冑をつけたというのは生涯に1度しかないと聞きました。そういうことであればとても珍しいお品である」
近藤勇の甲冑が見つかったのは、高岡市太田にある国泰寺、臨済宗国泰寺派の総本山です。
徳川家に近い存在で、3代将軍・家光をはじめ歴代将軍の位牌も安置されています。
この国泰寺と近藤勇を結びつけたのは。
松山学芸員:「江戸時代の末、幕府に仕えた山岡鉄舟という人物が近藤勇の遺品としてこの甲冑を奉納したと(宝物台帳に)書かれていました」
山岡鉄舟も、幕末、徳川幕府に仕えていて「新選組」の前身となった「浪士組」を結成し、近藤勇とも交流があったことが確認されています。
松山学芸員:「そうした交流の中で近藤の遺品を入手し、それを明治維新直後、戊辰戦争の爪あとがまだ残っている東京周辺では供養がしづらいということで、富山にある徳川将軍、幕府ゆかりの寺に奉納することで近藤の供養をしたのではないかと考えられています」
山岡鉄舟と国泰寺との関わりは深く、書を得意とした鉄舟が屏風1200双、額1万枚を書いて資金を集め、廃仏毀釈で荒廃した寺の再建に力を尽くしたと言われています。
松山学芸員:「新選組の近藤勇と山岡鉄舟、山岡鉄舟と高岡・国泰寺というつながりの中で、そうした細い細い線が結ばれてこちらの地に伝わったものではないかという点では非常に珍しい貴重な資料と言えると思いますし、国泰寺ならではの文化財です」
近藤勇の甲冑は、今月22日から射水市新湊博物館で公開されます。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tut/24783?display=1
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