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【悪い円安加速】日銀が上がり続ける長期金利に上限固定の指値オペを開始… ★4 [BFU★]

630 :ニューノーマルの名無しさん:2022/02/11(金) 15:24:22.61 ID:YkmopZXt0.net
江戸時代の金融政策

デフレ不況の危機にあった。それをかろうじて回避していたのが将軍綱吉とその生母桂昌院の散財癖だったが、それは幕府の大幅な財政赤字を招き、このころになると財政破綻が現実味を帯びたものになってきていた。そうした中で、綱吉の治世を通じて幕府の経済政策を一手に任されたのが重秀だった。

重秀は、政府に信用がある限りその政府が発行する通貨は保証されることが期待できる、したがってその通貨がそれ自体に価値がある金や銀などである必要はない、という国定信用貨幣論を200年余りも先取りした財政観念を持っていた。従前の金銀本位の実物貨幣から幕府の権威による信用通貨へと移行することができれば、市中に流通する通貨を増やすことが可能となり、幕府の財政をこれ以上圧迫することなくデフレを回避できる。そこで重秀は元禄8年(1695年)、慶長金・慶長銀を改鋳して金銀の含有率を減らした元禄金・元禄銀の鋳造を金座・銀座に命じた。


元禄期貨幣改鋳の後11年間のインフレ率は名目で平均3%程度と推定され[10]、庶民の生活への影響はさして大きなものではなく、また改鋳直後の元禄8・9年に米価が急騰したのは主に冷夏の影響としている[11]。その一方で、改鋳により豪商や富裕層が貯蓄していた大量の慶長金銀の実質購買力は低下し、商人たちは貨幣価値の下落に直面して貯蓄から投資へ転じた。こうして従前は幕府の御金蔵から商家の蔵へ金銀が流れる一方だった経済構造に変化が生じ、これ以上幕府財政に負担をかけずに緩やかなインフレをもたらすことが実現された。その結果経済は元禄の好景気に沸いたのである。現代の観点から、重秀の最大の業績はこの改鋳であり、この改鋳を「大江戸リフレーション(通貨膨張)政策」と評価する説もある[12]。綱吉時代が終わり、新井白石らがこの政策を転換し、徳川吉宗が強硬に推進した良貨政策以降の経済停滞は「白石デフレ」とも呼ばれる。

つまりインフレを起こして企業の内部留保を吐き出させれば良い。但しこの白石デフレは知行固定の武士の要望だった。江戸時代の方が今より優れた経済政策を実行していたのよね

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