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ルーズベルト元大統領の銅像を撤去 米NY [少考さん★]

370 :ニューノーマルの名無しさん:2022/01/21(金) 09:52:10.92 ID:5QlZ/2hI0.net
セオドア・ルーズベルトを多くの日本人は親日家だと信じている。
ホワイトハウスに畳を入れて柔道をやったとか、日露戦争では講和の仲介役をやってくれたとか。
しかし彼の本音は全く違い、日本を叩き潰すことにあった。
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そのきっかけは1893年、米国のハワイ王朝乗っ取りだった。
米戦艦ボストンがリリウオカラニ女王の宮殿に砲口を向け、彼女を退位させた
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その直後、日本の巡洋艦『浪速』と『金剛』がホノルルに入り、米戦艦をはさむように錨を下ろした。
米国の横暴を牽制したもので、米国はハワイの併合を断念、ハワイ共和国という体裁を取った。
巡洋艦の艦長は東郷平八郎といった。
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彼は翌年もホノルルにやってきたが、同共和国の建国1周年を祝う礼砲要請を『その要を認めず』と断った。
『錨泊中の他国の艦船も彼にならいホノルル港はあたかもハワイ王朝の喪に服したようだった」と地元紙が報じている。
ハワイ共和国は報復に日系移民の帰化を拒否した。
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当時、米海軍省次官だったルーズベルトは1897年3月、海上権力史論のアルフレッド・マハンに
『できることなら今すぐにハワイを併合し、ニカラグア運河を完成させ、日本を凌ぐ軍艦を建造したい。私は日本の脅威をひしひしと感じている』
と書き送っている。
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そのために彼は新聞王のハーストと組み、世論を焚きつけて1898年に米西戦争を起こし、グアムとフィリピンを手に入れた。
大統領に就任するとすぐパナマを独立させ、運河建設に取りかかった。
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脅威の日本人を米国から追い出す作業も始めた。
その1つが、米国に併合を済ませたハワイの日系人の本土移住の禁止措置だ。
ハーストの新聞も一役買って反日キャンペーンを展開する。
『日本人は怠け者で売春や賭博にふける』とか『白人の知恵を盗む』とか『貯蓄して米社会に還元しない』とか思いつく悪口をすべて並べ立てた。
.結果、日系人の子弟は学校から締め出され、土地所有を禁じられ、市民権の取得も拒否された。
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大統領になって2期目の1906年 日露戦争のポーツマス条約斡旋でノーベル平和賞を受賞。
アメリカ人のノーベル賞第1号となった。
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だが同じ年にヘイル上院議員へ宛てた手紙にこう書いている。
「日本人は誇り高く、感受性も強い。戦争を恐れない性格で、日露戦争の勝利の栄光に酔っている。
彼らは太平洋のパワーゲームに参加しようとしている。
日本の危険性はわれわれが感じている以上に高いのかもしれない。
だからこそ私はずっと海軍増強を訴えてきたのだ。
仮に戦争となり、我々の艦隊が旅順港のロシア艦隊のような運命をたどることになれば、
日本は簡単に25万人規模の兵力を西海岸に上陸させることができる。
そうなれば、それを駆逐するのに数年の歳月がかかり、それに加えて、とんでもないコストがかかるだろう。
ジャップはロシアに勝ってから実に生意気だ。
しかしこちらが大艦隊を持ってさえいれば、奴らだってそう簡単には手出しはできない」

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