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東大前刺傷ジョーカー「東大理三絶対合格、大学で絶対1番」に取り憑かれていた→1年で学年15位も、2年で130位に転落し絶望★7 [スペル魔★]

222 :ニューノーマルの名無しさん:2022/01/20(木) 16:32:06.70 ID:k5zWUElt0.net
東大理Vに進んで医師になったから成功するとは限らない。

富永昌宏は大阪府出身のオウム真理教元出家信者。元医師。

大阪府泉大津市の公立中学校から灘高等学校に進学する。高校時代は『大学への数学』誌の学力コンテストで3期連続全国1位を記録した。
1987年3月に同校を卒業し、同年4月、東京大学理科三類に入学。だが「先が見えてしまう。死んでいくだけだ」
「死を超えるにはどうしたらいいのか」と思い悩んでいた。
そんな中1992年6月、東京大学医学部医学科6年在学中、高校から大学を通じての友人石川公一の影響によってオウム真理教に入信する。
在家信者となり、教団の道場にてヨーガを修行する。

1993年に大学を卒業し、医師免許を取得。同年6月から東京大学医学部附属病院に研修医として勤務。
同年12月、修行に専念する目的で同病院を辞し、1994年1月14日に教団の出家信者となる。
出家修行を経て同年3月から教団の出版部に勤務する傍ら、教団の諜報省次官として、
日本の電力事情や国際情勢、在日米軍動向などの調査活動に従事。
麻原からの信頼が厚く「マンジュシュリー2世」と呼ばれていた。

1994年5月9日、滝本弁護士サリン襲撃事件に参加する。
同年9月、法皇官房に移り、教祖麻原彰晃の側近として、現役受験生や浪人生を対象とした入信勧誘等に従事。

地下鉄サリン事件後、捜査の撹乱を指示され、1995年4月30日および5月3日と5月5日の新宿駅青酸ガス事件では新宿駅の偵察を担当。
同年5月11日、東京都庁小包爆弾事件では小包爆弾のポストへの投函を担当。

これら一連の事件の被疑者として特別指名手配を受けたため逃亡生活を送っていたが、1995年10月8日、埼玉県警蕨警察署に出頭して逮捕される。

爆発物取締罰則違反および殺人未遂で起訴され、1999年7月22日、東京地方裁判所で懲役18年の判決を受ける。
2002年7月5日、東京高等裁判所で懲役15年に減刑される。2003年8月28日、最高裁判所にて高裁判決が確定。

服役中は厚生労働省職員との面会を拒み続けたが、出所を機に手続きが進められ、
2013年9月、医道審議会の答申を受けて厚生労働省から医師免許取り消し処分を受け、同年10月2日発効。

2018年8月28日、刑期満了により釈放。

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