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【邪馬台国】卑弥呼論争に一石 統治は纒向、擁立は九州・吉備中心 ★2 [ごまカンパチ★]

557 :ニューノーマルの名無しさん:2021/10/27(水) 14:40:20.66 ID:37SKEwiw0.net
>>555
後漢時代の銅は既に中国南部の原料が使用されている
三国鼎立によって南部を治める呉と敵対した魏はこの原料を使用できなくなった
それゆえ>>275にあるように貨幣の鋳造さえまともにできなかったわけ

古代日本の青銅器の原料産地を訪ねて 平尾 良光 東京国立文化財研究所
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl1962/28/8/28_8_681/_pdf
> その後,漢代中期に中国南部の開発が盛んになり,西暦後25年以降の後漢時代には鉛の生産中心は南部へ移ったと推測できる.
> 西暦後220年以降の三国時代には魏が中国北部,呉が中国南部を勢力下に治めていたが,青銅鏡に用いる鉛の生産中心は中国南部へ移ったままなのであろう.
> 少なくとも前漢時代に使用されていた鉛鉱石はまったく現れてこないことから,長安(魏の時代には洛陽が首都である)付近(中国北部)の鉛は使用されていない.
> それゆえ,後漢・三国時代には鏡の材料には中国南部の鉛を利用していたと推定できる.


>つまり、原材料として中国の青銅鏡を使って、日本国内で鋳潰して作られた鏡と考える方が自然
当時はまだ銅原料の国産化がされていなかったとされているからこの頃の日本の青銅器は全部中国産の銅で出来ているので
それは概ね正しいだろうね
ただその鋳潰した中国鏡も上記の通り呉の銅原料を使っていた

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